103話
部屋に残されたアナイスとリュシウス兄妹。
最初こそ、見慣れない成長した姿にぎこちなさが漂っていたが、ぽつりぽつりと言葉を交わすうちに、やがて温かな空気へと変わっていった。
「それでね、ランス卿っていう騎士はカイロン卿に師事してたの!」
アナイスは、空白の十五年――とりわけルヴァルティエでの出来事を語って聞かせる。
くるくると表情を変え、饒舌に話すその様子は、どこか幼さが覗いていた。
そんなアナイスを、リュシウスは静かに見つめていた。
「あ、私ばっかり話してるね」
視線に気付いたアナイスは照れくさそうに笑う。
リュシウスはゆっくりと椅子から立ち上がると、そっとその頭に手を置いた。
「お兄様?」
不意の行動に戸惑い、見上げるアナイス。
その視線を受けて、リュシウスは目元を和らげた。
「アナイス、頑張ったな」
「……っ!」
突然の労いに、アナイスは息を呑む。
「そ、そんな……私は、なにも……」
笑おうとしても、うまく形にならない。
優しく撫でる兄の手の温もりに、胸の奥から込み上げる感情を、アナイスはもう抑えることができなかった。
「よくやった」
その一言で――
アナイスの目から、大粒の涙が零れ落ちる。
次から次へと溢れ出し、やがて声を上げて泣きじゃくった。
ずっと心細かった。
両親が亡くなり、兄はいなくなり、顔馴染みの騎士たちも去ってしまった。
頼れる人のいない日々は、幼いアナイスにとってあまりにも過酷だった。
なぜ、自分はひとりぼっちなのか。
なぜ、両親は自分を兄と共に行かせてくれなかったのか。
なぜ、自分を残して逝ってしまったのか。
何度も、心が折れそうになった。
それでも――
自分にできることを必死に探し、いつかセリオンを取り戻すという信念にしがみついた。
ルヴァルティエへ訪れたあの日も、不安でいっぱいだった。
命を狙われ、未来の見えない恐怖に押し潰されそうだった。
それでもアナイスは、踏みとどまった。
ひとりでも、決して挫けることなく。
セリオン領は取り戻され、兄は今、目の前にいる。
ようやく、この十五年間が報われた。
会いたかった兄とようやく会えた。
そのすべてが涙となり、アナイスの頬を濡らしていった。
そんなアナイスを、リュシウスはそっと抱きしめる。
まるで、その存在を確かめるかのように。
リュシウスもまた、帝国に残した妹のことが気がかりでならなかった。
だが、あの頃の自分には何もできなかった。
帝国へ戻るにも、一騎士団に過ぎない自分たちでは力が足りない。
だからこそ、力をつけるために各地を巡り、戦い、仲間を増やしてきた。
いつか――帝国で待つ妹を迎えに行く、その日のために。
アナイスは、全身に走る痛みも忘れ、兄にしがみつく。
――両親もいてくれたなら。
ここにはいない、二人の姿。
もう二度と、家族全員が揃うことはないという現実。
両親の優しい微笑みを思い出し、アナイスの涙はさらに溢れたのだった。
――アナイスの部屋の前。
微かに聞こえる、泣きじゃくる声。
扉に背を預けていたセルディアンは、静かに息を吐いた。
伝え忘れたことを思い出し戻ってきたが――
中に入るのは、邪魔をするだけだと思った。
踵を返すと、足音だけが静かに響く。
兄との再会を果たしたアナイスへの安堵。
そして――自分が抱きしめてやれないことへの、小さな嫉妬。
その感情に、セルディアンは小さく苦笑を漏らす。
自分でも持て余す胸のざわめきを抱えたまま、静かに歩みを進めた。




