97話
アナイスとダンデ、そしてランスが防衛線へと辿り着くと、張り詰めた空気が一帯を覆っていた。
防衛線に詰める兵士がアナイスたちに気づくと、足早に駆け寄ってくる。
「アナイス様……!」
「状況はどうなっていますか?」
「マガダンの兵たちを指揮しているのは、ラジャンという名の貴族です」
「ラジャン?」
聞き覚えのない名に、アナイスはわずかに眉を寄せた。
「何の用で来たんだ?」
隣に立つダンデが、怒気を含んだ声で問うと、兵士はびくりと肩を揺らした。
「それが……公爵様を出せと、その一点張りでして……」
「公爵様の不在を確認したいのでしょう」
アナイスが思案するように呟くと、ダンデの目が険しくなる。
「兵の数は?」
「目視できたのは、千人規模の兵です」
ルヴァルティエにとって、千という数は決して脅威となる兵力ではない。
だが――セルディアンの不在を知って乗り込んできた相手の策が、それだけとは考えにくい。
ダンデの眼光が、いっそう鋭さを増した。
「ともかく、そのラジャンという人物に会いましょう」
アナイスがそう言うと、ダンデはわずかに戸惑うように視線を揺らす。
その様子に、アナイスは小さく苦笑を浮かべた。
「公爵様の不在を認めたくはありませんが……仕方ありません」
「……そうですね」
セルディアンが不在であるのは事実だ。
兵を率いて目前まで迫っている相手に、その事実を隠し通すことはできない。
ダンデと頷き合い、アナイスはランスへと視線を送る。
視線を受けたランスは、力強く頷き、腰に佩いた剣を握り直した。
アナイスたちが防衛線の砦門へと辿り着くと、その向こうには兵たちが陣を敷いていた。
その中心に立つ一人の男――
蓄えられた髭に、痩せた体躯。
腰には申し訳程度に剣を帯びている。
およそ戦士とは思えぬその風貌。
おそらく、この男がラジャンだろう。
髭の奥に覗く薄ら笑いは、セルディアンの不在を確信したようで、アナイスはわずかに眉を寄せた。
「マガダンの方々が、何用でルヴァルティエの地を訪れたのですか?」
アナイスは閉ざされた門越しに声を張る。
凛と響く声音に、脇に控えるダンデとランスもまた、まっすぐ相手を見据えた。
男は視線に怯むことなく、自らの髭を撫でつけると、にやりと笑みを深める。
「――マガダン国より参りました、ラジャンと申します。
マガダン領内にございますガルガド橋の管理を任されております者にございます。
さて――貴領ルヴァルティエの民が、そのガルガド橋を無許可で通行したとの報告を受けております。
無許可の通行は、明白な侵犯。
よってルヴァルティエは速やかに門を開き、我らが裁定を受け入れていただきたい。
本日、日が天頂に達するまでにご決断を。
――さもなくば、我らとしても兵をもって貴領へ踏み入る他ございませんな」
ラジャンと名乗る男は、一気にまくし立てると、再び髭を撫でつけ、にやりと笑った。
――ガルガド橋。
それは、マガダン国とインペリオス帝国を繋ぐ一本の橋。
マガダン国内に位置するが、その管理は帝国が担っている。
アナイスは、真っ直ぐラジャンを見据えた。
「許可、ですか……。ガルガド橋は帝国の管理下にあります。帝国の“所有物”を渡るのに、わざわざ許可を求める帝国人など、いるのでしょうか?」
実際、ガルガド橋を渡るのに許可を求める帝国人など、一人として存在しない。
セルディアン不在の今、攻め込むための――明らかな言いがかり。
「“所有物”、ですと?」
それまで殊更に笑みを浮かべていたラジャンの顔に、怒りが走る。
マガダンは帝国との戦に敗れ、帝国の影響下にあるが、決して属国ではない。
それにもかかわらず、自国にある橋を帝国の“所有物”と言い切ったアナイスの言葉に、ラジャンは怒りに顔を歪めた。
「訂正していただきたいですな。マガダンは帝国の属国ではございませんぞ」
怒気を強めた声音にも、アナイスは気にする様子もなく、目前に展開するマガダンの兵へと視線を巡らせた。
一目見た時から覚えた違和感。
マガダンの民は、浅黒い肌と黒い瞳を特徴とする。
だが、兵の中には色白の肌に青い瞳を持つ者が多く見受けられた。
それは――帝国人の特徴。
ざっと見ただけでも、その数はマガダンの兵を上回っている。
それが意味するのは、この言いがかりのような侵略が、帝国内の何者かによって仕組まれたものであるということ。
「あら。お連れになった方々の中に、マガダンの方ではない者が多く見受けられましたので……知らぬ間に帝国の配下に入られたのかと思いました」
もちろん、そんな事実がないことはアナイスも理解している。
だが、目の前の男が帝国の力を笠に着て振る舞っている様子は、どうにも不愉快だった。
アナイスはわずかに口元を吊り上げ、鼻で笑った。
その仕草に、どこかセルディアンの面影が重なる。
後ろに控えていたダンデとランスは、互いに視線を交わすと、かすかに口元を緩めたのだった。




