96話
アナイスが感じた胸騒ぎが、現実のものとなったのは――
セルディアンたちが旅立ってから、数週間後のことだった。
数日降り続く雪が、北部の大地をいっそう白く染め上げている。
早朝の鍛錬を終えたアナイスは、かじかむ手を吐息で温めていた。
そのとき――
騎士団長のダンデが、アナイスのもとへとやってきた。
いつもより速いその歩調に、セルディアンの帰還の報せかと、一瞬、胸が浮き立つ。
だが――
ダンデの硬い表情が、それが吉報ではないことを物語っていた。
背筋に、冷たいものが走る。
後ろに控えるランスもまた、込み上げる不安を押し殺すように、剣を握る手に力を込めた。
「アナイス様、急報です」
「……何があったのですか?」
ともすれば震え出しそうな声。
喉を引き締め、逸らすことなくダンデを見据えた。
「マガダンの兵が、防衛線に迫っています」
「マガダン……?」
思いがけぬ名に、アナイスの表情がわずかに曇る。
マガダンは、帝国に隣接する一国。
先の大戦において、インペリオス帝国に敗れ、かつては王を戴く王国であったが、戦後は王を置かぬことを条件に、独立の体裁を保っている。
――もっとも、その実情は帝国の強い影響下にあった。
アナイスは一瞬思案すると、顔を上げ、まっすぐにダンデを見据えた。
「ともかく、防衛線へ向かいましょう」
「お供いたします」
ダンデは一礼し、ランスへと視線を送る。
ランスも無言で頷き返した。
三人はすぐさま踵を返し、防衛線へと向かった。
揺れる馬上で、アナイスは手綱を握る手に力を込める。
セルディアンが不在の今、他国から送り込まれてきた兵。
そこに潜む思惑は、いったい何なのか。
怯みそうになる気持ちを、強く奮い立たせる。
セルディアンが信じて託したルヴァルティエを、危険に晒すわけにはいかない。
アナイスはそっと息を吸い込んだ。
冷たい空気が胸の奥へと流れ込み、自然と背筋が伸びる。
その姿にはもう、馬上の高さに怯えていたかつての面影はなかった。




