9話
アナイスが渡した名前をもとに、ルヴァルティエ家はすぐに動き出した。
カリスは部下への指示を終えるため、静かに執務室を後にする。
部屋には、セルディアンとアナイスの二人だけが残った。
アナイスはお茶を口にしながら、何も言わずにセルディアンの出方を待つ。
その様子を、セルディアンは黙って観察していた。
長い沈黙の末、先に口を開いたのはセルディアンだった。
「確かに――“梟の目”は世の中を見通す力があるようだ。……君のような令嬢が取り仕切っているとは、信じ難いがな。」
アナイスは少し笑みを浮かべる。
「もともと、たまに訪れる行商人との小さなやりとりから始まったんです。こんなに大きな組織になるとは、私も思っていませんでした。」
少し照れくさそうに目を伏せながら答えるアナイス。
セルディアンは椅子の背にもたれ、目を細めた。
「それで? もし私が君の願いを聞き入れない場合は、どうするつもりだ?」
アナイスは穏やかに微笑み、ティーカップを静かに置く。
「そうですね……明日の朝には、ルヴァルティエ家の“朝の献立”が大陸中に知れ渡るでしょう。」
その瞳には、猛禽類のような鋭さが宿っていた。
セルディアンは低く笑う。
「はっ。狼を脅すつもりか?いくら君が侯爵令嬢といえど、ルヴァルティエを脅かすなら容赦はしないが?」
アナイスはにこりと微笑む。
「公爵様――梟は、羽音を立てずに飛ぶんです。」
セルディアンの片眉がわずかに跳ねる。
アナイスは続けた。
「もう、飛び立った後かもしれませんよ?」
セルディアンはニヤリと笑う。
「狼は足が速いんだ。……試してみるか?」
張りつめた空気を断ち切ったのは、カリスが部屋へ戻ってくる音だった。
扉の前で一瞬、カリスは室内に漂う気配を感じ取る。
(――大方、公爵様が“試す”ようなことを仰ったのだろう。……答えはもう出ているのに。)
そんなカリスの内心を察したように、セルディアンは纏っていた圧を少し緩める。
「ふん。……まだ噛みつかないでおくさ。今はな。」
アナイスも静かに笑う。
「当分は、公爵家の朝食は“謎”のままですね。」
そう言って、二人は互いに微笑みを交わした。
梟と狼――互いの牙と知恵を測り合うように。




