93話
部屋に戻ったアナイスは、ベッド脇のサイドテーブルにそっと絵を飾った。
静かにそれを見つめながら、先ほどのセルディアンの様子を思い出し、ひとりくすりと笑みを零す。
アナイスの涙が落ち着いた頃――
セルディアンはひとつ咳払いをすると、あらぬ方へ視線をさまよわせた。
「……勝手に持ってきてしまったが、よかったか」
家族の絵を、アナイスがいた納屋から持ち出したことを気にしているのか。
それとも、涙を流したアナイスにどう接すればいいのか分からず、戸惑っているのか。
きっと、そのどちらもなのだろう。
そう思うと可笑しくて、アナイスはふわりと微笑んだ。
「はい……とても、嬉しいです」
素直な想いを、まっすぐに口にする。
寂しさに震える夜を越えられたのは、この家族の絵があったから。
セリオン邸を出るとき、持ってこなかったことを、ずっと後悔していた。
――セリオンを取り戻したら、真っ先に迎えに行こう。
そう思っていたものが、思いもよらぬ形で手元に戻ってきた。
その事実に、胸の奥がいっぱいになる。
「……俺たちも……」
ぼそりと落とされた声に、アナイスは首を傾げると、セルディアンはさらに視線を逸らした。
「公爵様?」
促すように声をかければ、彼はしばらく逡巡した後、ようやく口を開いた。
「俺たちも……描くか」
“俺たち”
それはきっと、セルディアンとノエラン、そしてアナイスの事。
いつもより砕けた口調。
髪の隙間から覗く耳先は赤く染まっていた。
――三年後には此処を去ります。
喉元まで出かかったその言葉を、アナイスはそっと飲み込んだ。
「はい、そうしましょう」
そう微笑めば、セルディアンは安堵したように表情を緩め、静かに頷いた。
セルディアンとのやりとりを思い出し、アナイスの胸にあたたかなものが広がる。
この気持ちを、セルディアンに返したい。
そう思いながら、自分にできることを考えていると、リセが就寝の支度のため、部屋を訪れた。
「アナイス様、何かお悩みですか?」
心配そうな声に振り返ったアナイスの視線が、ふとリセの髪へと引き寄せられる。
結ばれたリボンが、やわらかく揺れていた。
(……これだわ!)
思いついた瞬間、ぱっと顔が明るくなる。
じっと見つめられたリセが首を傾げたそのとき、アナイスは勢いよく近づいた。
「リセ! 裁縫店に行きましょう!」
手をぎゅっと握り、身を乗り出すアナイスに、リセは思わず目を丸くする。
窓の外はすっかり闇に包まれ、時計はもうすぐ日付が変わることを示していた。
当然、この時間に開いている店などない。
リセは小さく苦笑を漏らし、そっとその手をやさしく下ろす。
「……まずは、お休みになってからですよ、アナイス様」
その言葉に、アナイスもようやく今の時刻に思い至った。
「……そうね」
少し照れたように笑いながら、素直に就寝の支度を始める。
けれど、その横顔はどこか弾んでいて――
それを見ているリセの頬にも、自然と笑みが浮かぶのだった。




