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フクロウ令嬢と狼公爵  作者: おはよう


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92話


ランスの就任式を終えた後、忙しくも穏やかな日々が過ぎていった。


剣術の鍛錬に励みながら、結婚式の準備も進めていく。


空いた時間はノエランと過ごし、夜は――今も変わらず、セルディアンの私室で過ごしていた。



そんな、ある夜のこと。


「令嬢」


「はい」


いつもよりも真剣な面持ちのセルディアンに、アナイスも自然と背筋を伸ばす。


「君の――兄君のことだ」


「お兄様……?」


いまだ行方の知れぬ兄の話題に、アナイスの胸に緊張が走った。


「アストラ連邦」


「え……アストラって、あの?」


アストラ連邦とインペリオス帝国は、事あるごとに争いの絶えない関係にあった。


“フクロウの目”をもってしても、情報を掴むのが困難な国。


それが、アストラ連邦だ。


「そこに……兄が?」


逸る気持ちを抑えるように、アナイスはぎゅっと手を握りしめる。


「……恐らく」


セルディアンはわずかに頷いたが、断定はしなかった。


「ジュリアスからの情報でアストラを探っていたが……掴めたのは、約二年前に彼らがいたという形跡だけだ」


――二年。

いまなお同じ場所にいると断じるには、長い時間だった。


だからこそセルディアンは、あえて言葉を濁す。

アナイスに過度な期待を抱かせぬように。


「それで……?」


問いかけるアナイスに、セルディアンはまっすぐ視線を向けた。


「アストラへ行く」


「公爵様自ら……?」


「ああ」


セルディアンのはっきりとした声音に、アナイスは静かに視線を落とした。


しばしの沈黙のあと――ゆっくりと顔を上げる。

その表情には、わずかな落胆の色が滲んでいた。


「……私は、連れて行ってもらえないんですよね?」


「……ああ」


セルディアンの声は、重く沈んでいた。


長く行方を追ってきた兄の痕跡。

本来なら、今すぐにでもアストラへ赴きたいはずだ。


その気持ちは、セルディアンにも理解できる。


――それでも。


何が起こるか分からない危険な地へ、彼女を連れて行きたくなかった。


「アストラでは、帝国の人間は歓迎されない」


「はい……分かっています」


アナイスは静かに頷く。

その声音に、揺らぎはない。


だが――


眉をわずかに下げ、切なげに微笑むその姿に、セルディアンの胸は微かに痛んだ。


「それと、君には頼みたいことがある」


「頼み、ですか?」


セルディアンは胸元から小袋を取り出し、そっとアナイスの手の上に乗せる。


小袋を開いたアナイスは、息を呑んだ。


そこに収められていたのは――ルヴァルティエ家の紋章。

当主の証であるそれが、静かに光を宿している。


「公爵様、これは……」


手のひらの上で、狼を象った紋章が鈍く輝く。


「私が留守の間、ルヴァルティエを守ってほしい」


「で、でも……! 私は、ルヴァルティエの人間ではありません……」


慌てたように言うアナイスに、セルディアンは小さく肩を竦めた。


「いずれ、そうなるだろう」


「でも……」


言いかけた言葉は、続かなかった。

セルディアンは、彼女の手の上にある紋章へと手を重ねる。


「君になら任せられる」


真っ直ぐに注がれるその視線から、目を逸らすことはできなかった。


アナイスは一度だけ目を閉じる。

迷いを振り払うように。


そして、しっかりと頷いた。


「分かりました。……必ず、お守りします」


その瞳には、もう迷いはなかった。



「公爵様も、無事に帰ってきてくださいね」


アナイスは、重ねられた手を握り返すように、そっと力を込める。


繋がれたぬくもりに、セルディアンの表情がわずかに和らいだ。


――しばしの静寂。


互いに見つめ合ったあと、セルディアンはふと思い出したように、そっと身を離す。


その様子を、アナイスは小さく首を傾げながら見つめていた。


「君に、これを」


差し出されたのは、布に包まれた、両手に収まるほどの四角いものだった。


アナイスはそれを受け取り、視線で問いかける。

だがセルディアンは、なぜかふいと目を逸らしてしまった。


どこか気まずそうなその仕草に、アナイスはさらに首を傾げながら、ゆっくりと布を解いていく。


「これは……」


現れたのは、一枚の絵だった。


描かれているのは、セリオン侯爵夫妻と、幼い子どもたち。


かつてアナイスがセリオン邸で、幾度となく見ていた家族の姿絵。


よく見れば、古く掠れていた部分は丁寧に修復されている。


さらに、その絵を囲む額には、繊細な花の彫刻が施されていた。


――その花は。


「アイリス……」


花言葉はーー“あなたを大切にします”



そっと指先で、絵の表面をなぞる。


絵の中の両親は優しく微笑み、兄はどこか無愛想にこちらを見つめている。


久しぶりに目にした家族の姿に、アナイスの胸の奥が激しく震えた。


込み上げる衝動のままに、アナイスは飛びつくようにセルディアンへと抱きつく。


突然のことに、セルディアンの身体がわずかに揺れた。


「公爵様……ありがとうございます」


涙に滲んだその声を受け止めるように、セルディアンは静かに腕を回し、そっと抱きしめ返した。


腕の中で、小さく震える気配。


堪えきれず零れ落ちる涙が、静寂の中にかすかな音を刻む。


セルディアンは何も言わず、ただその背を優しく包み込んだ。


――その夜、響いていたのは、アナイスの涙の音だけだった。



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