88話
「今頃、新聞社は大忙しだろうな」
グラスを傾けながら、ウィルが楽しげに呟く。
今日の裁判は、ただでさえ大きな注目を集めていた。
その中で明かされたカースヴェルの悪行。
そして――皇室が一枚噛んでいる可能性を匂わせる発言。
「一面を飾るのは、カースヴェル侯爵家の崩壊か、それとも皇室の疑惑か……どちらかでしょうね」
カリスが静かに口を開くと、ウィルは肩をすくめて笑った。
「言いがかりみたいな裁判を仕掛けたカースヴェルも、それに乗っかった皇室も――今頃、後悔してるだろうさ」
アナイスは小さく頷くと、ウィルをまっすぐ見つめた。
「ドーラ家のことも……ウィル、ありがとう」
その言葉に、ウィルは一瞬、痛みを堪えるように顔を歪める。
だがすぐに、息を吐くように笑った。
「……ああ」
短い返事。
けれど、その声には確かな安堵が滲んでいた。
アナイスは柔らかく微笑むと、今度はカリスとセルディアンへと視線を向け、静かに立ち上がる。
「改めて、セリオン領へのご支援、ありがとうございました」
丁寧に頭を下げると、二人は揃って表情を和らげた。
「セリオン領の領民は皆、勤勉だと聞いています。体調さえ整えば、街が元の姿を取り戻すのも早いでしょう」
カリスが穏やかな表情のままそう告げると、アナイスは嬉しそうに微笑み、静かに腰を下ろした。
「セリオンの大事なお嬢様を娶るんだ。たんまり金を使ってくれよ」
ウィルが当然のように言ってのけると、アナイスは目を丸くする。
「ウィル、何を言うの。……支援いただいた分は、必ずお返しします」
そう言って、アナイスはセルディアンをまっすぐ見つめた。
その瞳は、本気でそう思っていることを何より雄弁に物語っている。
――それが、なんだか面白くない。
セルディアンは思わず眉を寄せた。
「返す必要はない。……結納金だとでも思っておけ」
しかし、アナイスはなおも食い下がる。
「でしたら、なおさらお返ししなくては! 私たちの結婚は、期限付きのものなのですから!」
身を乗り出して告げるその様子は、どこか妙な方向に気合が入っていた。
それを見たセルディアンの眉間の皺が、さらに深くなる。
何かを言いかけて口を開くが、結局何も言わずに閉ざした。
なんとも言えない、微妙な空気が場に落ちる。
それを払うように、カリスがひとつ咳払いをした。
「……まずは、目の前のことを片付けていきましょう」
「……ああ」
セルディアンは短く応じる。
だが、その眉間の皺は消えないままだった。
その様子を、ウィルは黙って眺めている。
(……狼に同情する日が来るとはな)
娘のように見守ってきたアナイスの結婚は、今でも気に入らない。
しかも相手は、“あの”セルディアン・ルヴァルティエだ。
それでも、同じ男として。
アナイスの微妙に噛み合わない反応と、伝わりきらない想いに振り回される様は、正直少しばかり気の毒にも思えた。
(まあ、どっちもどっちか)
ウィルはちらりとセルディアンを盗み見る。
眉間に皺を寄せたままのその表情は、どうにも自分の感情を持て余しているようだった。
(せいぜい悩め、若人)
胸中で年寄りじみたことを呟きながら、ウィルはグラスを傾ける。
鼻を抜ける芳醇な香りに、満足げに目を細めたのだった。




