8話
ルヴァルティエ家執務室。
朝の光が窓から差し込み、重厚な書棚と書類の山を照らしている。
セルディアンは今朝届けられた報告書に目を通していた。
「……馬番が違法賭博場に出入り、か」
低く押し殺した声が室内に響く。
傍らに控えるカリスが、静かに報告を続けた。
「はい。昨日の令嬢の話を元に、該当する使用人三人を調査したところ……馬番が十年前に勤めていた子爵家を窃盗の疑いで解雇されていたことが分かりました。」
セルディアンの眉間に深い皺が刻まれる。
「はっ! 雇う時に気づかなかったと?」
「面目ございません。歳の近い兄弟の名を騙り、面接を受けたようです」
セルディアンは深いため息を吐き、報告書を忌々しげに机へ放り投げた。
「それで? 被害は?」
「……屋敷の備品が何点か」
言葉を聞いた瞬間、セルディアンの拳がわずかに震える。
その時、控えめなノックの音が響いた。
「入れ」
不機嫌を隠そうともしない声。
「失礼します」
扉が開くと、アナイスがそっと入ってきた。
その瞬間、室内の張り詰めた空気が、静かに和らぐ。
昨日のボロボロの姿とは打って変わり、整えられた銀の髪は光を受けてやわらかく輝き、淡い化粧が薄紫の瞳を際立たせている。
上品で、それでいて凛とした美しさだった。
セルディアンもカリスも、思わず一瞬だけ視線を奪われた。
アナイスは困ったように微笑み、「えっと……おはようございます?」と首を傾げる。
セルディアンは誤魔化すように一つ咳払いをし、「……馬番か?」と話を戻す。
アナイスはにこりと笑って「はい」と答えた。
「座ってくれ」
セルディアンが促すと、執事バルナールがちょうどお茶の載ったワゴンを押して入ってくる。
「ありがとうございます」
アナイスは、セルディアンとバルナールの両方に丁寧に礼を述べた。
セルディアンは向かいのソファに腰を下ろし、「さて」と低く切り出す。
「一つ、疑問がある。例え偽名を使ったとして、このルヴァルティエ家の目を欺けるとは思えないのだが?」
その声音には、屋敷の中に手引きする者がいたのではないかという怒りの色が潜んでいた。
アナイスは静かに頷く。
「ルヴァルティエ公爵の目を欺くのは簡単なことではありません。……一人では」
セルディアンの目に光が宿る。
アナイスは慌てて手を振り、「あ、ルヴァルティエ家の中に穴があるわけではありません」と補足した。
沈黙の中、セルディアンはただアナイスを見据える。
「もともと、馬番の男はある伯爵家の使用人でした。その頃から彼の賭博癖は深刻なもので、あらゆる賭博場を訪れては借金を重ねていたのです。やがて伯爵家の調度品を売り払うようになり……ついには窃盗の現行犯で伯爵に気づかれました」
一度言葉を切り、アナイスはお茶を一口含んだ。
セルディアンは沈黙を保ち、続きを促す。
「ここで伯爵は、ひとつ悪知恵を働かせたのです。賭博のためなら何でもする男。そして、表立って言えない秘密の遊技場を持つ伯爵……」
セルディアンは軽蔑を隠さず鼻で笑う。
「はっ。――他の貴族に推薦状と一緒に送り出し、男に盗みをさせ、自分の賭博場で金を落とさせる……そういうことか」
アナイスはにっこりと微笑んだ。
「はい。名のある伯爵家の推薦状ですから、誰も疑いません。そうして転々と渡り歩き、“最後に”たどり着いたのが――ルヴァルティエ家、というわけです」
黙っていたカリスが口を開く。
「からくりは分かりますが……調べた限り、窃盗が明らかになったのは十年前の一度だけです。転々と盗みをしていたのなら、すでに捕まっていてもおかしくないのでは?」
アナイスの微笑は崩れない。
「ええ。渡り歩く先々が“まともな家”であれば、北まで辿り着くことはできなかったでしょう」
セルディアンが呟く。
「……顧客か」
アナイスは頷いた。
「伯爵の秘密の遊技場で遊んでいることは、公にできませんから」
カリスの声がやや鋭くなる。
「では、ルヴァルティエ家が“まともな家”ではないと?」
アナイスは笑いながら首を横に振る。
「いいえ。その逆です」
そして、穏やかに続けた。
「“秘密”は光のもとに引きずり出されるのが世の常です。……ですから、男の“最後の”雇用先が公爵家だったのです。」
セルディアンは舌打ちした。
「違法行為がバレそうになったから、男の口封じをルヴァルティエ家にさせようって魂胆か」
アナイスは頷く。
「はい。ルヴァルティエ家の所有物に手を出した者は、無事でいられませんから」
セルディアンの瞳が鋭く光る。
「それで?」
アナイスはひとつ頷き、カリスに紙とペンを頼み、静かに数名の貴族の名を記し、最後に伯爵の名を添えた。
それを受け取ったセルディアンは、記された名を一瞥するとニヤリと口の端を上げた。
「黒狼を見くびるとどうなるか――身をもって知ってもらうとするか」
アナイスは微笑みながら答える。
「叩けば叩いた分、埃が出るかと思いますよ」
これまでのやり取りを見ていたカリスは、思わず息を呑んだ。
(フクロウの目……やはり只者ではない)




