届くと思っていなかった手が届いてしまったので、責任取って首吊ります
ずらりと並んだ年頃の少女たち。それぞれに着飾って、きっとそれまでの人生でいちばん美しい姿となっている。
「手を上げて下さい」
一斉に上げるのは左腕。胸の高さに、地面と平行に上げるようにと言う指示。エスコートの手を取るように、手のひらは下に向ける。
ほとんどの少女が指輪をはめやすいよう、薬指を持ち上げて待っているが、わたしは普通に指を揃えていた。
国中から集められた、千人を超える候補。選ばれるのはたった数人。わたしが選ばれるはずがない。
どんなに伸ばしても、この手は届かない。
目上の人間と許しなく視線を合わせるのは礼儀にもとるので、顔も視線もわずかに伏せる。前を通られれば腰から下は見えるが、顔はわからない。
そもそも、こんな端の端。通ることだってないだろう。
と、思っていた。
歩み寄る足音。
そう言えば、わたしより端に追いやられた娘に、やたら人気の子がいたな。
その子のところに、行くのか。
ぼんやりと、そんなことを思いながら、人影が前を通り過ぎるのを待つ。
荷重を与えられているわけではないとは言え、手を水平に保ち続けるのも意外と疲れる。
早く終わって、解放されたい。
足音が、わたしのすぐ横まで来て、前を、
「……?」
わたしの、前で、止まった。
伸ばした手。普段は手袋に覆われている素肌の手に、同じく素肌の誰かの手が触れた。冷たい手だ。
揃えていた指を崩され、薬指を、冷たい手よりもさらに冷たいなにかが、滑る。
「顔を上げて」
鼓膜を揺らした声は、聞き違えるはずもない。
なにかの、間違いだ。
そう思えば、身体は固まって動かない。
「ルミエール。顔をお上げ」
それでも指示する声を掛けられれば、条件反射で顔が上向いた。
わたしを見下ろす、見慣れた、顔。
「神、官長……」
「わたくしはあなたを、いや、俺はきみを選んだ。受けるなら、これを俺に」
神官長ソレイルの両手が、わたしへ差し出される。右手には、開かれた小箱。真ん中に、銀色の指輪。透明の小さな石が大中小と並んだだけの質素な指輪は、けれど恐ろしく高価な魔導具だ。地金はミスリル。埋め込まれた石は結晶化した精霊樹の樹液。
お互いの指にはめ合うならば、指によって意味の異なる強い契約となる。
「ルミエール」
「どなたかと、お間違え、では?」
「きみの名を呼んでいるのに?」
よくある名前だ。寒い冬の日、雪のなかに捨てられて、けれど陽だまりに置かれていたから凍え死ぬ前に見つかった。だから、光。
「俺が選んだのはきみだ。だから、次はきみが選ぶ番だ」
普段、穏やかな敬語で話すひとの、愛想ない砕けた口調が、胸をざわつかせる。
選ばれるために、ここにいる。
選ばれたならば、喜んで受けなければ、相手の顔を汚すことになる。
震える手で、指輪を取る。
親指なら親子、人差し指なら主従、中指なら兄弟、薬指なら伴侶、小指ならば隷従。片方が右に、片方が左にはめるならば、右にはめた方が立場が上となり、同じ手ならば同格。右同士ならば身体だけ、左同士ならば魂まで縛る契約になる。
「小指ではない。左の薬指に」
先んじて言われ、肩が強張る。
「ほら、難しいことではないだろう」
促され、カタカタと震える指で、どうにか神官長の左手薬指に指輪をはめる。魔導具の指輪は吸い付くように、神官長の指に収まり、無色だった石は、鮮やかな紺桔梗色に染まった。
神官長が、満足そうに目を細める。
「良い色だな。きみの、瞳の色だ」
女神もかくやと謳われる美貌が、間近に寄せられる。漆黒の髪、雪白の肌、瑠璃紺の瞳。
「あ、の」
「きみの顔にあるのがいちばん映えるが、俺を彩るのも悪くないだろう?」
神官長は指輪を見せびらかすように、自分の顔の横で手を開いた。神々しいほどに美しい顔には、ミスリルも紺桔梗もよく似合う。
わたしの指の指輪の石も、気付けば漆黒と瑠璃紺に染まっていた。いちばん大きな石が漆黒、中小の二つが瑠璃紺だ。藁人形とか案山子とか揶揄されるわたしの日焼けた指には、銀も漆黒も瑠璃紺も、ちっとも似合わない。
「儀式は終わりだ。行こう」
「っ!?」
ひょいと抱き上げられて、ぎょっとする。
「相変わらず軽いな、きみは」
いつになく近い美貌と、身体に伝わる体温。煙るように甘い香りまで感じられて、どうして良いのかわからない。
「儀式のために王宮へ留め置かれていたが、これで晴れて解放だ。神殿に戻ろう。ルミエール」
ああそうか。
神官長は早く神殿に戻りたくて。
だから、神殿に戻るのに不都合のない、元々神殿に住んでいた孤児のわたしを、
「違う」
「え?」
「それなら薬指にははめないだろう。勘違いするな。俺は、妻として、ルミエールを選んだんだ」
思考を読んだように言われて、困惑する。
方や、王妹の子で若くして神官長まで昇り詰めた美貌の天才。方や、生後間も無く捨てられた孤児の藁人形。
釣り合わない。許されない。
「神殿へ」
馬車に乗り込み、わたしを膝に乗せた神官長が、御者へと指示する。
「王族のしがらみで伴侶探しの儀式に参加せねばならなくなって、正直心底迷惑に思っていたが、儀式参加者であれば生まれも身分も関係なく妻に選んで良いと言うのは、都合が良い。お陰で、ルミエールを妻に出来る」
神官長の膝の上、後ろから抱き締められて、甘く煙る香りに包まれる。
「良い香りだ。光に包まれるような心地がする」
自分こそ天上の香のような匂いをまといながら、神官長が言う。
「ルミエール、知っているか?」
「なにを、でしょうか」
「神は地を這う生き物が幸せになれるよう、とある力を授けている」
初めて聞く話だ。
「知りませんでした。どんな力でしょうか」
「嗅覚だ」
「嗅覚?」
背中越しに、神官長が頷く気配を感じた。
「結ばれると幸せになれる相手からは、好ましい香りがするそうだ。信じ難く思っていたが、本当らしい。ルミエールの香りは、俺にとってとても好ましい」
心臓が跳ねる。
身を包む神官長の香り。煙るように甘く、ひどく心地好い。
これが、神の、取り計らいだと?
「きみはどうだ?俺の香りは、きみにとって好ましいものか?」
「そ、れは」
「そう。良かった」
答えなど聞かずともわかるのか、神官長は嬉しげに呟いた。
「そんな。でも、わたしは」
「誰にも文句は言えないし、言わせない。儀式で選んだのだから、それが答えだ。ルミエール、それが、答えなんだ」
美しく正しいひとの隣には、美しく正しいひとが立つべきだ。わたしでは、駄目だ。許されない。
「神官長に、選ばれたい、ひとなんて、ほかに、もっと、たくさん」
美しいひとばかりだった。高貴なひとばかりだった。
こんな藁人形ではなく。こんな、神殿の慈悲に縋って生きる孤児ではなく。
視線を落とせば、藁束を束ねたような小麦色の髪。肌も髪と同じ小麦色で、どちらも藁のように乾燥して荒れて、お世辞にも美しくなどない。
「きみがいちばん美しかった。ルミエール」
そんなはずない。
確かに、儀式の参加者に選ばれた。選ばれたから、参加した。選ばれないとわかっていながら、手を伸ばした。
伸ばした手は、届くなんて思っていなかったのに。だからこそ、めいっぱい伸ばしたのに。
届いてしまったら、どうすれば良いのかわからない。
「俺はきみを、好きだ。愛している、ルミエール。儀式の前から、きみを妻にしたいと思っていた」
それではだめだ。わたしは、ふさわしくない。ふさわしくないのに。
「儀式で選ばれた相手とは、一年共に過ごして、それから婚姻の儀になる」
そうだ。婚姻までは、一年の猶予がある。
そのあいだに、どちらかが欠ければ、契約は無効で、相手を選び直すことになる。
「きみが儀式の参加者に選ばれて、俺も同じ儀式に参加することになって、心から喜んでいた」
こんなのは間違いで、だから、正さねばならない。
わたしが死ねば、神官長はペナルティなしで、相手を選び直すことが出来る。
「俺と幸せになってくれ、ルミエール」
手を伸ばしたせいで、間違いを起こさせてしまった。だから。
責任を取って、首を吊ろう。首を括って、死んで詫びよう。
わたしはそう、決意して。
納得の行く結論が出たことに安堵して、ほ、と息を吐いた。
それが、どんな結果を呼ぶかも知らずに。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました!
このあとヒロインは自殺を阻止されて、ヤンデレ化したヒーローに溺愛されるわけですが
どこを探せば続きが見付かりますかね……