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三流小説家・手越光シリーズ

政治と健康について

作者: てこ/ひかり

「ごめんください、手越先生。打ち合わせに参りました」


 チャイムを押しても、しばらく返事はなかった。編集者の守部徹の隣では、同じく新人の青山雫が、やや緊張した面持ちで直立不動の姿勢を取っていた。守部は思わず笑った。


「緊張しなくていいよ。相手はあの手越先生だし」

「でも……」

 青山は少し困ったように眉を八の字にした。

「あの手越先生でしょう? 『イチピース』の作者の」

「うん? うん」

「いくら手越先生が、編集部の間では有名な、世間知らずの、自分の世界に閉じこもった、奇人変人だからと言って……緊張しないわけないじゃないですか!」

「僕はそこまで言ってないけど」

「なんだキミタチ」


 玄関前で編集者たちが話していると、ガラガラと引き戸が空いて、向こうから偏屈そうな髭面の男が顔を覗かせた。この男が件の売れない小説家・手越光であった。守部が丁重に頭を下げた。


「先生、お久しぶりです。今日は次回作の打ち合わせを……ウチの新人の青山も交えてお話できたらな、と」

「何だ君か。まぁ良い。入ってくれ」


 手越は二人を書斎に招き入れた。書斎は手狭だった。古びた机。冷めたコーヒー。青白く輝くデスクトップ・パソコン。本棚には大量の漫画雑誌が並んでいる。書斎の床には、クシャクシャになった原稿用紙がいくつも転がっていた。


「あれ?」

 青山がそれを見て思わず首を傾げた。

「先生、原稿は確か紙じゃなくてパソコンで書いているはずじゃあ……?」

「嗚呼、それは雰囲気を出すためにわざと置いているんだ」

「なるほど……」


 ……悩める小説家気取りであろうか。聞きしに勝る変人っぷりである。青山は気を引き締めた。


「それで先生……」

 壁際の、これまた古びたソファに腰掛けると、守部が早速切り出した。

「次回作の件ですが……何か構想はお有りですか?」

「嗚呼。もちろんだ。僕はアイディアだけなら履いて捨てるほどあるんだからね。次回作は壮大な並行宇宙を舞台にした、アーティスティックでエゴイスティックな、プラスティックでミスティックな、サディスティックでファンタスティックな、スラップスティックでドラスティックな、ペシミスティックでヒューマニスティックな冒険的超大作になる予定だよ」

「なるほど……つまり?」

「つまり……政治が悪い」

「え?」


 手越が急にドン! と机を拳で叩いた。


「政治が悪いよ政治が!」

「ど、どうしたんですか先生?」

「だってそうなんだろう!? みんな言ってるし! 君、まだY◯uTubeで『真実動画』を見ていないのか!? それはいかん、このままじゃこの国は大変なことになるぞ! 目覚めろよ日本人!」

「先生、落ち着いて……」

 守部が咳払いした。

「もちろんお気持ちは伝わりますが。ウチの出版社では、陰謀……いえ、政治色が強いのはちょっと」

「ハァハァ……そうか。スマン、僕も昨日ネットで真実を知ったばかりで、気が、いや氣が動転してしまった」


 手越が震える手で冷めたコーヒーを飲み干した。


「よかろう。それじゃあ次回作は、いっそ『健康』をテーマにしようか」

「『健康』……ですか?」

「嗚呼。みんな興味があるだろう? 健康は大事だぞ。この歳になると、もう持病が一つや二つじゃ足りなくなってな」

「はぁ……しかし先生。ウチの雑誌は対象年齢が低く、青少年向けで……健康がテーマだとちょっと」

「……もしかしてこの人、ネタ切れなんじゃないですか?」


 側で様子を見ていた青山がそう呟くと、手越がすごい顔で見てきた。


「な!? 何を言い出すんだ君は!?」

「だって『政治』とか『健康』とか……歳取ってアイディアが枯渇した作家が飛びつくテーマじゃないですか?」

「青山くん!」

「そんなことない! そんなことない!」

「少年の心を失った少年漫画家が、大人目線でしか物語を語れなくなって、ひたすら作中で子育てやら、教訓めいたお説教してる……みたいな」

「やめなさい! 誰に向かって言ってるんだ!」

「……手越先生、本当に政治に興味があるんですか? みんなが騒いでるから、便乗して、人気にあやかってやろうって魂胆じゃないでしょうね?」

「う……!」


 手越は目を逸らした。どうやら図星らしい。


「すまない、私は急に用事を思い出した」

 守部が弾かれたように立ち上がった。

「いかなくては! 後は青山くん、頼んだ!」

「あ……待て! 逃げるな! こんな暴走機関車と二人っきりにするんじゃない!」

 手越が椅子から転がり落ちた。守部は何故か鳴っていないスマホを耳に押し当て、慌てて部屋を出て行った。


「いてて……!」

「……先生、その老体で『冒険』はもう無茶です。大人しく引退なさった方が」

「な……何を言う! 僕はまだ『冒険心』を失っていないぞ! 『ワンピース』だって大好きだし!」


 言いながら、手越は無理やり立ちあがろうとして足をくじき、砕けた豆腐みたいに再び床に崩れ落ちた。


「うぅ……!」

「先生……泣いてるの?」

「うぅう……! 僕にだって……本当は分かっていたさ……!」

 倒れ込んだ手越の頬をボロボロと涙が伝った。

「もうこの歳じゃ……『夢』なんて語ってる場合じゃない、って」

「…………」

「十代の頃とは……明らかに価値観も感受性も変わっていて……あの頃みたいに……無邪気に『海賊になりたい』だなんて……僕にはもう思えない」

「…………」

「そうだよ、ネタ切れなんだ。もう何も思い浮かばないよ。浮かぶことと言えば、『白髪染めしようかなぁ』とか、そんなことばっかり……ハハ。殺してくれ。ネタが切れた作家は、死刑だとこの国の法律で決まっている。殺してくれ……」


 泣きじゃくる手越の頬を、青山が思いっきり引っ叩いた。


「いてぇッ!」

「しっかりしてください! 先生、海賊は犯罪です!」

「そっち?」

「それに……良いじゃないですか! いくつになったって、夢を見たって。夢の形が変わっても、若い頃には若い頃の、歳を取ったら歳を取った頃の夢の見方がきっとありますよ!」

「青山くん……」

「先生は作家なんでしょう? 夢を見せる方の立場なんでしょう? そんな先生が、夢を諦めてどうするんですか!?」


 手越はハッとしたように目を見開き、よろよろと上半身を起こした。


「そうか……そうだよな……」

「先生……」

「僕も……僕もまだ……夢を見て、良いのかな?」

「先生……!」

「……ありがとう、青山くん。おかげで勇気が湧いてきたよ。僕だって、小説家の端くれだ。よぉし……!」


 手越は立ち上がり、大きな声で叫んだ。


「小説界の海賊王に、俺はなる!!」

「……先生、それは盗作です!!」

「うぉおおおおおおおっ!!」


 手越は奇声を上げながら、勢い良く書斎を飛び出し、何処かに向かって走って行った。彼は逮捕された。私人逮捕された。その後彼がどうなったかを知る者は、誰もいない。

僕は立派なテーマだと思います。

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