第三章 集う者たち(2)
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翌日、山を下りて一時間ほど街道を行くと、町の門が見えてきた。あまり危険はないのか、門は開け放されており、見張りが居るわけでもなかった。ただ、人が一人、立っている。長い薄茶の髪をお下げにして、ふんわりとしたワンピースを来た女だった。顔立ちから、十代後半に見える。女はオルテンシア達を見るなり、顔を真っ青にして、走り寄ってきた。
「この町に入ってはなりません!」
「え?どうして?」
オルテンシアが聞き返すが、「……詳しくは言えませんけど、危険なんです!」となんとも要領を得ない。
「うーん。危険って何がだい?まさか、魔族が居るとかかい?ちゃんと理由を話してくれないと、判断できないじゃないか」
ジオーラが詰めるも、女は「…いえ…魔族はいないですが……とにかく危険だって占いで……」と口籠る。
「占いぃ?」
ジオーラが首を捻る。女は怒られた訳でもないのに、ビクッと体を震わせて、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「…私たちは、北へ向けて旅をしています。ちょっと休息の為に数日滞在するだけですから、ご安心を」
エクリプスが優しく声を掛けるが、女はそれでも首を横に振る。
「あ、いいよ!二人共。私、あんまり疲れてないし……こんなに止めてくれるってことは、何かあるんだよ。大人しく引き返そう?」
オルテンシアが言うも、「けどなぁ〜」とジオーラは心配そうに、眉を顰める。エクリプスもジオーラと同意見といった様子だ。
「おや!旅人さんかい?」
その時、町の方から大柄な中年の男が一人やって来た。
「俺は、ここのギルドで働いてるんだ。良ければ案内するよ」と、人当たりの良い笑顔を見せる。
「おお!それは、ありがたいね!よろしく頼むよ」
ジオーラが嬉しそうに頷く。
「…ダメ……」
お下げの女は、控え目だが、何とか止めようと声を上げたが、一行には届かない。
「おや?ユースティティア。こんな所で何してるんだ?」
ギルドで働いているという男が、お下げの女に気づいて声を上げる。
「こちらの方が、先程からこの町は危険だと仰るのですが、何かあるのですか?」
エクリプスが男に聞くと、男はガハハハと豪快に笑う。
「危険も何も!ここはちょっと見栄えの良い時計塔が自慢なだけの、長閑な町ですよ。危険なことなんてありゃしません。この人はユースティティアといって、この町の小さな雑貨屋で働いているんです。凄く人見知りが激しいのですが、占いが多少出来ましてね。天気をよく当ててくれるんですよ」
と、男はお下げの女を紹介してくれる。ユースティティアと呼ばれた女は、恥ずかしそうに俯いた。
「そうですか…」
「なあ、ユースティティアだっけか?」
ジオーラはユースティティアに声をかける。
「一日だけ、時間をくれないかい?実は、元気そうに見えるけど、この子、少し医者に見せたいんだ。なんともなければ、すぐに町を出るからさ。入らせてもらえないかい?」
「……少し……ですよ」
ユースティティアは心配そうに言う。男はその様子に驚いた。
「なんだい?ユースティティア。この人達に町に入るなって言ったのかい?」
「……だって、占いで……」
「滅多なことを言うのじゃないよ!占いなんて、対して宛にならないんだから」
「そ、そんなことは…!」
ユースティティアは反論しかけるが、「さあ!ご案内しますよ。医者に見せたいと言っていましたね?ならば、先に診療所にご案内しましょう」と男はサッサと一行を町に招き入れた。ユースティティアは一行を追わず、ただ伏し目がちに見送った。
(ユースティティアさん。大丈夫かな…)
オルテンシアは、少しだけユースティティアが気になった。
その後、町の診療所でオルテンシアは診察を受けたが、特に異常は見られず、魔力の影響もないようだという話になり、一行は安心した。ギルドの男は親切に、知り合いがやっているという宿を紹介してくれたので、今日はそこに泊まることになった。
「いい宿だね!」ジオーラが嬉しそうに言う。
五階建ての最上階で、窓の外からは町が一望出来た。町の自慢だという、煉瓦造りの大きな時計塔もよく見える。
「ほんと!眺めもいいね!」
オルテンシアも外を見てはしゃいでいた。
「ここなら、ゆっくり休めそうですね。魔族の気配もありませんし…」
エクリプスはホッとしたように言う。
「そっか……となると、さっきのユースティティアさんの話が気になるね…」
と、オルテンシアは首を捻った。
「……これから、台風でも来るとか?」ジオーラが言う。
「それなら、町の人が危険なのであって、私達を止める理由としては弱いような…」とエクリプス。
「ユースティティアさんも嘘を言っているように見えなかったし……これから、本人に聞きに行って来ようか」
「それなら、私が行ってきます。マスターはジオーラとここにいて下さい。話を聞いたら、すぐに戻りますから」
「分かった。よろしくね」
エクリプスが部屋を出て行くと、「そういえば…」とジオーラが呟いた。
「アンとエクリプスって、どう知り合ったんだい?」
「えーっと、確か、二年前くらいだったかな……私は家族も住む所もなくて、日雇いの仕事を貰いながらなんとか生きてたんだけど、その日は数日ろくに食べれてなくて、いよいよ死ぬかーってなっててさ、そんな時に、たまたまエクリプスが通りかかってね。私の所へ来るなり、"マスターになって貰えませんか?"って言われたの」
「へぇ~!なんでまた?失礼だけど、アンは普通の孤児だったわけだろ?」
「うん。だから私も不思議で……剣才があるって言われたけど、剣なんて触ったこともなかったからね」
「エクリプスは、何で使い手を選んでるんだろうな…」
「うーん……なんとなくだけど、心根じゃないかと思う」
「心根?」
「うん。出会った頃に、"魔族の甘言に惑わされない高潔な心が必要だ"って言われたことあるし」
「なるほどな……確かに、アンなら大丈夫そうだ」
ジオーラは納得したように頷くが、オルテンシアは首を捻る。
「私にそんなのあると思う?」
「高潔かはともかく、アンは大変な境遇の中でも、素直で優しく居られてすごいなと思うよ。あたしだって今はこうだけど、昔は卑屈になってた時期もあったからね。他人のあれこれなんか、考える余裕も無かった。ここまで強くなって初めて、人助けの為に剣を振ろうと思えたくらいだ」
「ふ~ん……でも、私だってあとちょっとでもエクリプスに会うのが遅かったら、生きる為に何してたか分からなかったかも……だからこそ、エクリプスには恩返ししたいんだ」
「そっか……いい出会いだったんだね」
「うん。…あ、もちろん、ジオーラとも出会えて良かったって思ってるよ!すごく安心する!」
「ありがとう」
「そうだ!ジオーラ、ちょっと稽古つけてくれない?」
「お!いいね!じゃあ、庭に下りようか」
「うん!」
それから二人は、宿の庭で打ち合いをする事になった。その辺りで拾った木の棒を使い、打ち合う。主にオルテンシアがジオーラに向っていって、それをジオーラがいなす。動作や姿勢などをジオーラに教わりながら、オルテンシアは果敢に挑んだ。なんとかジオーラから一本取ろうと夢中になっている内、気づけば日が傾いていた。
「うんうん。筋は悪くないよ。あとは実戦で慣れるしかないけど……剣を振る感覚を体に覚え込ませる為には、毎日稽古するのが大事だからね。また時間を見つけて一緒にやろう」
ジオーラはそう言って木の棒を下ろす。オルテンシアは肩で息をしながら、それでも嬉しそうに頷いた。
「うん!」
「おや?そういやぁー、エクリプス、まだ帰って来ないね…」
「あ、確かに…」
稽古を始めたのは昼前だったので、いくら何でも帰りが遅い。
「なにかトラブルでもあったのかな?」
オルテンシアは今までエクリプスと分かれて行動することはあまりなかったが、たとえ分かれたとしても、エクリプスなら心配ないと思っていた。オルテンシアは急に、ユースティティアに言われた事が気になってきた。それはジオーラも同じようで、真剣な顔つきになる。
「ユースティティアが働いてるって行ってた雑貨屋に行ってみるか。エクリプスも、そこへ行っていた筈だし。もし、ユースティティアがいなくても、家の場所を知ってる人が居るかもしれない」
「うん」
二人が宿から十分程歩いた所にある商店街の中にある雑貨屋に辿り着くと、ちょうど店の前で作業をするユースティティアを発見した。
「ユースティティア!」
ジオーラが声を掛けると、ユースティティアは驚いた顔をして振り返る。
「…あ、あなた方は!……どう、されたんですか?」
「突然ごめんなさい。エクリプス、来ていませんか?私達と一緒にいた、長い銀髪の男の人なんですけど…」
オルテンシアが言うと、ユースティティアは「ああ」と頷いた。
「お昼頃、お一人で私に会いに来ましたよ。占いの事を聞かせて欲しいって……なので、私が水晶で見た情景をお話しました。そのあと、宿に帰られた筈なんですけど……」
オルテンシアとジオーラが顔を見合わせる。
「……ひょっとして……お戻りになっていないんですか?」
ユースティティアの顔がみるみる青ざめていく。
「……まさか……あの情景の通りに……っ!」
顔を両手で覆ってわなわなと震え出してしまったユースティティアの肩を、ジオーラが掴む。
「その水晶で見た情景って、どういうのだい?あたしらにも教えてくれないか」
「…は、はい……」
ユースティティアは真っ青のまま頷くと、二人を店の裏へと案内する。木箱やゴミなど、雑多な物が置かれている中、作業机と椅子があり、ユースティティアは椅子へ二人を座らせて、自分も作業机を挟んで対面に座った。
「私は趣味で占いをしておりまして、天気などを時々占っていたのですが、最近、唐突に水晶に別の情景が浮かぶようになりました。魔物を喰らう、銀色の龍のイメージです。それが勇者の剣こと、エクリプスさんの事ではないかと閃いて、それ以来、ずっとそのイメージについて水晶に聞き続けました。先日見えた情景では、この町に銀色の龍が飛んでくるのですが、急に浮力を失ったように地面に落下するというものでした。なので、居ても立っても居られず、なんとかこちらに来るのをお止めしようと、門の前にいたのですが…」
「……なんでそれを最初に言わないんだよ……それを言われてたら、あたしらだって…」
ジオーラが呟くと、ユースティティアは「すみませんっ!」と、今にも倒れそうな程青い顔で謝った。
「ジオーラ、責めてもしょうがないよ。とにかく、ユースティティアさんが見た情景が本当に起こることなら、エクリプスに危険が迫ってるってことだよね?……ユースティティアさん。心当たりはないですか?」
「ーーもしかしたら……」
ユースティティアは少し考えたあと、ハッと顔を上げた。
「教会かもしれません!」
「教会?」
オルテンシアが首を傾げると、ユースティティアは頷く。
「教会では悪魔の力を弱める事が出来ます。魔王の指から出来ているエクリプスさんなら、きっと退魔の呪文や呪具が効果あると思うんです」
「なるほど…その手があったか!」
ジオーラは悔しそうに自身の膝を打った。