第三章 集う者たち(1)
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二人が冬の間の逗留地として考えていた廃村のある山に入ったのは、予定より一日遅れてからだった。
「ここまで寒い地域には来たことなかったな…」
感慨深げにオルテンシアが言うと、エクリプスが笑う。
「最初の使い手のイヴァンに出会ったのは、この山の先にある国でした。ですから私は当たり前な印象でしたが、マスターの故郷から考えれば、相当な寒暖差ですよね」
「うん。私、寒いの苦手かも……って、あれ?」
オルテンシアが上を見上げると、空から白く、花びらのようなものが降ってきていた。
「雪だっ!雪だよ!エクリプス!」
「フフ……マスター、嬉しそうですね」
「うん。なんか、雪って可愛くない?」
「これが降り積もると、そうも言っていられなくなりますよ」
雪は徐々に降る量が増え、三十分程で視界が悪くなるほどだった。
「おかしいですね……初雪でここまで降るだなんて…」
エクリプスが訝しむ中、雪は止む気配がない。
「……あっ」
「どうしました?マスター」
「あそこ……」
オルテンシアは前方を指さす。五十メートル程先に若い女が倒れていた。体に雪が降り積もっている。一瞬死んでいるのかと思ったが、僅かに身動ぎし、頭を上げた。口を動かし、何事か呟く。"助けて"と言っているように見えた。
エクリプスが動くより早く、オルテンシアが女に駆け寄った。エクリプスも慌てて後を追うが、追いながら、魔族の気配を感知した。
「マスター!!いけませんっ!その人はっ!」
「えっ?」
しかし、一歩遅く、オルテンシアは女の肩に触れたところだった。女はオルテンシアの腕を掴む。氷のように冷たく、鋭く長い爪が、オルテンシアの腕に食い込む。
「っ!!」
「捕まえた…」
女がニヤリと笑う。瞬間、オルテンシアは大きな氷の中に閉じ込められてしまった。
「マスターっ!!」
エクリプスは氷に向けて剣を振るうが、硬すぎて刃が立たない。
「ウフフ……無駄よ。私の氷は特別製でね。たとえ熱したとしても溶けないわ。氷を溶かすには、私が解除するか、私が死ぬかの二択しかないの」
それを聞いて、エクリプスは女に剣を向ける。
「あなたにこのシュネーを倒せるかしら?あなた、人の姿になったら、魔族に特効って能力、使えないのでしょ?」
「はい。しかし、私もマスターと共に幾人かの魔族を倒してきました。能力値は上がっている筈です」
「じゃあ、やってみます?」
シュネーは立ち上がり、大きく手を広げる。すると突風に乗って、氷の礫がエクリプスを襲った。エクリプスは剣で弾いていくが、全ては捌ききれずに、体に当たってしまう。痛みはないのだが、氷が体にくっついて、動きが鈍くなる。
「いいザマね。このまま時間稼ぎをしていれば、やがてあの子は凍え死ぬでしょう」
(マスターっ!)
早く倒さなければと焦る気持ちとは反対に、エクリプスの体は思うように動かない。シュネーと距離を詰めて斬りつけるも、氷のシールドを張られて弾き返されてしまう。
「私の魔力が込められた氷は、普通の武器じゃまず壊せないわ」
シュネーが愉しそうに笑って、次々に氷の礫を飛ばしてくる。エクリプスは防戦一方を強いられていた。
「クソッ!このままでは…」
なんとか打開策は無いものかと必死に頭を回転させるが、なかなか良い案が浮かばない。
「……仕方ない」
エクリプスは剣を仕舞うと、拳を握り、シュネーに殴りかかる。
「あら、剣士ごっこはお終い?」
シュネーは笑って氷のシールドを張った。エクリプスの拳はシールドにヒビを入れるが、割るには至らない。
「あなた、もう少しマシな攻撃方法があったんじゃなくって?それとも……"魔族の力"は使いたくないかしら?」
「ーー五月蝿い」
エクリプスは鋭い目つきでシュネーを睨む。
「ッ!?」
雰囲気のあまりの変わりようにシュネーは絶句する。強烈な殺気……シュネーには、この殺気に既視感があった。
(魔王様…)
エクリプスは両腕に炎を纏わせると、シュネーに向かって行く。シュネーは氷で龍を作ってエクリプスに放つ。エクリプスは龍を炎で溶かす。しかし、氷の龍が溶けたら、氷の礫が襲ってくる。それを対処すれば、また別の攻撃……と、際限がない。
「フフ……やっぱりカケラはカケラね!殺気は魔王様に似てるけど、力は全く違う。魔王様なら、私の氷なんてすぐに蒸発させちゃうのに、あなたは壊すので精一杯なのね!期待して損しちゃったわ!」
シュネーは笑って、氷の礫を増やす。いくつかはエクリプスにくっついて、エクリプスの動きを鈍らせる。
「…くそっ!…私は、なんて…」
エクリプスが思わず弱音を吐きは掛けた、その時だった。
「兄さん!!頭下げなっ!」
突如として声が掛かり、エクリプスの背後から駆ける足音が近づいて来た。殺気を感じて思わず言われた通りにエクリプスが屈んで体勢を低くすると、エクリプスの頭上を、赤い光が跳び越した。それは、赤く長い髪をなびかせながら剣を振る、女剣士だった。
女剣士は、そのままの勢いでシュネーに剣を振るった。シュネーは氷のシールドを展開するが、女剣士の剣は、氷のシールドを難なく破壊する。
「!!…なぜ?」
シュネーが驚いていると、女剣士は剣を掲げてみせる。剣の刃が薄紅色をしており、光の加減で僅かに虹色に光った。まるで、鱗のような光沢だ。
「あたしの剣は、火竜の鱗を使って作られてるのさ。知ってるかい?竜はいかなる魔法も効かないんだ」
「火竜の鱗…ですって?そんなもの、どうやって……竜族は、魔王様が滅ぼしたはず……」
「ああ、そうさ。確かに竜は滅んだ。けれど、竜を葬りたかったのは人間も一緒だった。だから、竜を倒すのに試行錯誤して、こういう武器が生まれたんだ。武器は今でもいくつか残っててね、あたしは、それを見つけたのさ。魔族に使えるって思って…ねっ!!」
女剣士は言いながら、素早く剣を振る。叩き斬るという表現が似合う、重い攻撃だった。シュネーは幾つもシールドを展開して壁を築いたが、剣の勢いは止まらずに、まるでガラスを砕くように進み、やがてシュネーの頭上に迫る。女剣士は更に力を込めて、シュネーの頭から剣を振り下ろし、真っ二つにしてしまった。
「ギャァアァアアアァァー!!」
凄まじい断末魔と共にシュネーは倒れ、地面に大量の血の跡を残して消えた。それと同時に、辺りに積もった雪が消失し、オルテンシアが入っていた氷が砕けた。
「マスターっ!!」
エクリプスは素早く駆けつけ、オルテンシアを抱き起こす。オルテンシアは意識を失っていたが、怪我はしていないようだった。心音も聴こえる。しかし体は冷たく、何度呼んでも、なかなか目を覚まさなかった。
「氷の中にいたし、凍傷になりかけてるのかもね。ここより少し先にあたしのテントがあるし、火も焚いてあるから、とりあえずそこで体を温めてやろう」
女剣士が近寄って来るが、エクリプスはオルテンシアを抱いて、サッと距離を取る。
「大丈夫です。私がなんとかします」
「なんとかって……あんたねぇ、こういう時は一刻を争うんだよ?……ひょっとして、あたしのこと警戒してんのかい?」
「……」
無言のエクリプスを見て、女剣士は大きな溜息をつく。
「あたしはジオーラ。着の身着のまま旅をしながら、魔物やら魔族やらを退治してまわってるんだ。さっき、この辺りだけ雪が降っているのが見えて、魔族の仕業かと思って来てみた。あんたらがどういう事情でこんな山奥にいるのか知らないけど、困った時はお互い様だろ?その子の為にも、少し柔軟に考えな!」
エクリプスは改めてジオーラを見つめる。女性にしては少々言葉が荒い気はするが、先程の戦いを見るに、相当な実力者だ。ジオーラの使っている剣も、良く使い込まれているが、しっかり手入れされている。
(悪い血に染まっていない……)
悪い血とは、同族を斬るなど、倫理観を逸脱した殺生をした場合に付く、恨みの籠もった血のことだ。エクリプスは自身が剣であることから、武器を見るとその武器の雰囲気で、どんなことに使われてきたのか分かると言うより、武器と会話のようなことが出来るのだ。ジオーラの剣からは、実直で真っ直ぐな正義感が感じられた。
そんな様子から、エクリプスはジオーラを信じてみようと決めた。
「…疑って申し訳ありません。私はエクリプス。この方はオルテンシアといいます。助けて頂き、ありがとうございました」
そう言って頭を下げる。ジオーラは照れ隠しなのか、視線を逸らせて鼻の頭を掻いた。
「礼なんていいって!とりあえず、急ごう」
「はい」
ジオーラのテントは、山を少し下った所にあった。距離にして数百メートルと、割と近かった。
「とりあえず、服を着替えさせて毛布に包むか……エクリプス。この子の着替えは?」
「この鞄に入っていますが……大丈夫です。私がやります」
エクリプスが言うと、ジオーラは目を見開く。
「はぁ!?…エクリプス、あんた男だよね。男に女の子の着替えを任せられるわけないだろ!」
「そうですか…」
「そうですかって……あんた、変わってるね……」
「……そういえば、マスターにも分かってないと怒られたことがあるような…」
「マスターって、この子が?」
「はい。オルテンシアは、私の主人です」
「そうか……オルテンシアは苦労してるんだね…」
一瞬哀れむようにオルテンシアを見つめるジオーラの意図が、エクリプスには分からなかったが、とりあえず、ジオーラの言う通りにすることにした。
「とにかく!着替えは私がするから、あんたは焚き火で石を暖めてくれ。ほら、この石あげるから」
そう言うと、ジオーラはエクリプスに、拳大の石を四つ渡す。代わりに、エクリプスからオルテンシアを預かった。
「石を温めたら、この革袋に入れて持ってきて。ただし、勝手にテントに入って来るなよ。ちゃんと声掛けてからね」
「はい」
エクリプスは言われた通り石を温めて、テントに持っていく。声を掛けると、「入んな」とジオーラが返事をした。テントの中では、オルテンシアが毛布に包まれて横になっていた。石の入った革袋を毛布の中、オルテンシアの手に握らせたジオーラは、少し思案気な顔をして、「念のため、アレやっとくか」と立ち上がる。
「"アレ"とはなんですか?」
エクリプスが聞くと、ジオーラは口の端を上げて笑う。
「オルテンシアは魔族の作った氷の中に居たし、ひょっとしたら、魔力に当てられているかもしれないからさ。ちょいとあたしの剣の力も借りる」
ジオーラはそう言うと剣を抜いて、目を閉じると、小声で何事か呟いた。すると剣が赤く発光する。剣が熱を帯びているのか、ふわりとテント内が暖気で満ちた。ジオーラは剣をそっとオルテンシアの体の上に置く。
「今この剣で、魔力を焼いて貰っている。剣が熱を持ってるけど、火傷するような熱さじゃないから、安心しな。ちょうど体を温めることも出来るし、一石二鳥だろ?」
「…ありがとうございます」
正直、エクリプスだけでは、魔力の影響まで考えつかなかった。もし魔力の影響があったなら、温めるだけではオルテンシアを救えないところだった。
ジオーラはエクリプスを驚いたように見ると、フッと笑って、エクリプスの肩をポンと叩く。
「そんなに落ち込まないでおくれよ。今まではあんたが、オルテンシアを導いて来たんじゃないのかい?」
「……いえ……私のほうこそ、マスターに助けて貰ってばかりです…」
「そっか……なら、オルテンシアが目覚めたら、たくさん恩返ししてやんな!…私は、外で焚き火を見てるから、あんたはオルテンシアの傍に居てやりな」
「はい」
ジオーラがテントを出ると、エクリプスはオルテンシアの隣に座って、そっとオルテンシアの頬に手を伸ばす。先程よりは体温が戻っている様子にホッとして溜息を洩らす。
「不甲斐ない剣で…ごめんなさい…」
自分一人でオルテンシアを支えられないのは薄々感じていたこととはいえ、こうも現実を突きつけられると堪らなかった。エクリプス自身、オルテンシアにも指摘されたように、人間もとい、他者を信じられなくなっていた。だから自然と、オルテンシアと二人だけで行動していたが、オルテンシアはまだ子どもで、力の弱い女性であることを、もっと考慮すべきであったのだ……そこまで考えて、エクリプスはふと、自分が心を痛めている様子なのが、とても不思議に思えた。オルテンシアに出会う前の自分なら、使い手に合わせるというより、自分が使い手を選んでいるという意識が強かったので、今回のようなことがあれば、マスターを替えることを考えたし、実際そうしてきた。けれど今は、オルテンシアから離れようとは思わず、むしろオルテンシアにとって使い勝手の良い剣であろうとしている……。
「私はどうやら、貴女に相当、惚れ込んでいるようです」
頬の赤みも戻り、すっかり落ち着いた寝息を立て始めたオルテンシアの頭を、エクリプスは優しく撫でる。
「今度こそ、貴女の力になって見せます」
エクリプスは、決意の籠もった瞳でオルテンシアを見つめた。
エクリプスはテントから出ると、ジオーラが顔を上げた。
「おや。付いていなくていいのかい?」
「お陰様で、マスターの顔色が随分良くなりました。体温も戻ってきていますので、もう心配ないと思います」
「そうかい。それは良かった…」
本当に心の底から安堵しているのだろう。ジオーラは、出会ってから見る中で一番の笑顔を見せる。
「本当にありがとうございました。……ジオーラさんは、お優しい方なんですね。それなのに警戒したりして、申し訳ありませんでした」
「いいんだよ!そんなこと。私が勝手にお節介焼いただけなんだから……それから、さん付けは止めてくれ。ジオーラでいい」
「分かりました。ジオーラ」
「ところでさ…」
ジオーラが不意に真面目な顔をする。
「さっきから思ってたんだけど、もしかしてあんたが、噂の"勇者の剣"かい?なんか、エクリプスって聞いたことがあるんだが……」
「はい。そうです。私は"輝剣エクリプス"です」
ジオーラ相手なら隠す必要もないと判断して答えると、ジオーラは一瞬、息の仕方を忘れたのかと思う程に、口を開けたまま、微動だにせず固まった。しばし間があって、ジオーラが大きく息を吐く。そして呟くような小さな声で、「……本当に居たんだね…」と言った。
「あたしはさ、実はあんたのこと、探してた時期があるんだよ……ちょっと長くなるけど、この際だから、聞いてもらえないかい?」
「はい。構いません」
「ありがとう。きっかけは、あたしの生い立ちにまつわるんだけど…」
ジオーラは現在二十五歳。ここより西にある、辺境の小さな村の出身だった。果樹園が主な収入源の長閑な村だったがしかし、ジオーラが八歳の時に突如として村は焼かれて灰になってしまった。村人の半数は命を落とし、生き残った村人も流浪の日々を余儀なくされ、辛い旅の最中に命を落とす者もいた。ジオーラはなんとか母親と共に親戚のいる町に移ることが出来たが、そこからの生活も働き詰めの厳しいもので、ジオーラの母も、ジオーラが十二歳の頃には風邪を拗らせて亡くなってしまった。
「村を焼いたのは、魔族だった。……うちの村がある地域の領主が、魔王に胡麻を擦っててね。うちの村でとれる果物は、大抵魔王への貢ぎ物だったんだ。ある日、貢物の中のリンゴが一つ傷んでいてね、そのことで罰として、村が焼かれたんだそうだ」
「……」
エクリプスが険しい顔で沈黙すると、ジオーラは哀しげに笑った。
「酷い話だよな……けど、そんなことは魔王が世界を牛耳っちまってから、日常茶飯事だ。だからあたしは、"勇者の剣"を見つけて、あたしが魔王の首を取ろうと思ったのさ。もともと背丈は並の男ばりにはあったし、力も強いほうだったから、さして苦労せずに武術を習得出来た。剣や弓はもちろん、槍や斧も使えるし、素手でもそこそこやれる自信はあるよ。二十歳越えてからは、あちこちで魔物や魔族絡みのことに首を突っ込んでは魔物退治をしていたのさ。今はこの剣があるから戦いは楽になったけど、それまでは結構苦戦したよ。だから勇者の剣が欲しかったんだけど、噂は聞けど、どこにあるか誰も知らないし、逆に"人喰いの魔剣"だって怖がる連中もいるし…」
「申し訳ありません……私の力量不足です」
エクリプスが頭を下げると、ジオーラは慌てたように手を振った。
「ああ、違う!あんたを責めたいんじゃない。確かに、本当に勇者の剣があるなら、なんで早く魔王を倒してくれないんだって思ったこともあったけど、今はそんなふうには思ってないよ。きっと、あんたも大変だったんだろうさ。魔族はきっと必死で妨害してきただろうし、あんたの性能が良くても、使い手がそうとは限らないし……何度も失敗して使い手が居なくなるんで、"人喰いの魔剣"なんて呼ばれちまったんだろ?あんたは悪くないよ。むしろ、魔王を倒すのを諦めないでいてくれたって分かって救われた。ありがとう」
ジオーラが笑顔を見せると、エクリプスも笑って首を振る。
「魔王討伐は、私が存在している理由ですから」
「そっか。それを聞いて安心したよ……そうだ!今からでも、私の剣にならないかい?見たところオルテンシアは普通の子どもだし、気を遣うこともあるだろ?その点あたしは腕が立つし、役に立つと思うけど?」
ジオーラの誘いに、エクリプスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかに笑うと、首を横に振る。
「せっかくのお誘いですが、お断りさせて頂きます」
断られたのに、ジオーラは嬉しそうに笑う。
「まあ、そうだろうね。これであたしに付いてくるって言ったら、それこそ魔剣だって怒ってやろうと思っていたけど……オルテンシアは、そんなに強いのかい?」
「はい。恐らく、私が仕えたどの方よりも。あの方ならば、魔王を倒せると信じています。それに、そこを抜きにしても私は、オルテンシアと共にいたいのです」
「へぇ~!それはすごい。これからが楽しみだね」
「はい」
「よし!決めた!…あたしを、あんたたちの旅に同行させておくれよ。どうせ、魔王を倒しに行くんだろ?」
「いいのですか?」
「ああ。あたしは魔王を倒したかったんだからね。勇者に同行出来るなら光栄だよ。それに…」
ジオーラは一度言葉を切ってからニヤリと笑う。
「あんたとオルテンシアを眺めていたら、面白そうだ」
「?面白そう?」
「さて、そうと決まったら、あんたの主にも許可を取らなくちゃね。ちょっくら、様子を見てくるかな」
不思議そうに首を傾げるエクリプスを置いて、ジオーラはテントの入口を開ける。
「おや?起きてたのかい」
入口前には、オルテンシアが赤い顔をして立っていた。
「あ、あの……」
まごつくオルテンシアを見て、ジオーラは笑う。
「ひょっとして、話、聞いてた?」
「……はい」
実は少し前から目覚めていたオルテンシアは、外へ出てみようと入口に立ったが、そのときちょうどジオーラがエクリプスに自分の剣にならないかと誘っていた時で、驚いて固まっている間に、エクリプスの言葉が聞こえてきて、余計に出づらくなってしまったのだった。
「そっか、そっか。それで照れてるのか。かわいいねぇ~」
ジオーラはポン、ポンと、オルテンシアの頭を軽く叩く。
「か、からかわないで下さいっ!」
オルテンシアはさらに真っ赤になってしまった。
「マスター!」
そこへエクリプスがやって来る。
「ッ!!」
オルテンシアは慌てて顔を隠して後ろを向いた。それを見てジオーラが吹き出す。
「マスター、どうされたのですか?ひょっとして、まだ具合が悪いですか?」
エクリプスはオルテンシアの顔の方へ回り込んで、顔を覗こうとするが、オルテンシアは更に顔を背ける。
「だ、大丈夫だから!今は顔、見ないで!ちょっと待って!」
「は、はあ…?」
困った顔で佇むエクリプスを、ジオーラは焚き火の方まで誘導する。
「あんた、ちょっとそこで待ってな。あたしはちょっとオルテンシアと話してくるから」
「えっ?」
ますます訳が分からなそうにするエクリプス。
「まあまあ、女には色々あるんだよ。たまにはじっと待つのも、いい男になる為には大切だよ。大丈夫。あたしに任せなって!」
ジオーラはウインクすると、オルテンシアを伴って、テントの中へ消えた。
「それって……どういう……?」
焚き火の前には、ひたすらに混迷を極める可哀想なエクリプスだけが残された。
「すみません。気を遣って頂いて……ええっと…?」
「ジオーラだよ。よろしく。…体のほうは大丈夫かい?」
「はい。大丈夫です。ありがとうございます。ジオーラさん。ひょっとして、氷を操る魔族を倒してくれたのって……?」
「そう。あたしだよ。まあ、エクリプスも頑張ってはいたけど、ちょっと相性が悪そうだったからさ。お節介かとは思ったけど、オルテンシアが凍え死ぬ前にカタをつけないとマズイと思ったから……。まあ、あたしも偶然にその火竜の剣を持っていたから、相性良く倒せただけなんだけどね」
「そうだったんですね……ありがとうございました」
「いいって!困った時はお互い様だろ?それに、聞こえてたかもしれないけど、あたしもあんたたちの旅に付いていくって決めたんだ。これからは仲間なんだし、貸し借り無しでいこう!…あ、勝手に言ってるけど、あたし、ついていかせてもらっても大丈夫かい?」
「はい!こちらこそ、よろしくお願いします」
オルテンシアは笑って頷いた。今まではエクリプスとの二人旅。悪くはなかったが、仲間は多いほうがいい。それに、同じ女性なら安心だし、心強い。
「ありがとう。よろしくね……ああ、あたしに敬語とか使わなくて良いからね。名前も呼び捨てでいい」
「わかり…あ、わかった!ジオーラ。なら、私のことは"アン"でいいよ。オルテンシアって、ちょっと長いし……」
「そうかい?じゃあ、アンって呼ばせてもらおう。……まあ、エクリプスにだけ本名を呼ばれるってのも、いい感じだもんね」
「なっ!?そ、そういう訳じゃ…!」
ジオーラの言葉で、オルテンシアは再び赤面してしまう。
「アッハハ!ごめん、ごめん。冗談だって!本当に可愛いんだから……ハァ〜、心が洗われるわ」
ジオーラは涙を流して笑っている。オルテンシアは困りつつも、ジオーラの明るい人柄に、安心感を覚えた。
「ああ、そうだ。これは真面目な話。アンは一度何処かでちゃんと休んだほうがいいよ。テントなんかじゃなくて、ちゃんとしたベッドと、食事のあるところ。魔力に当てられてたみたいだから、医者にも診てもらったほうがいい。ちょうど、この山の麓に良さそうな町があるから、体調に問題が無ければ明日にでも行こうかと思うけど、どうだい?」
「そう?……ジオーラが言うなら、そうする」
「よし!じゃあ、そうしよう。……さて、そろそろエクリプスの所に戻ってやらないとね。心配で落ち着かないだろうから」
言ってジオーラはクスリと笑う。
「エクリプスとの二人旅って結構大変だったんじゃないかい?エクリプス、人型してるくせに鈍感だし」
「そうなんだよね……ジオーラが加わってくれて良かった」
「フフ……これからは任せな!」
ジオーラは笑って、オルテンシアと共に外へ出た。その瞬間、焚き火の前にいたエクリプスが、弾かれたように立ち上がった。駆けて来そうになるのを堪えて、その場で「マスター、お加減はいかがですか?」と聞いた。
「ごめんね。心配かけて。もう、大丈夫」
エクリプスを落ち着かせようと、オルテンシアは満面の笑顔を見せる。エクリプスは、「よかった」と、ホッとしたように微笑んだ。
「アンとも話したんだが、アンの静養の為に、明日は麓の町に行かないかい?」
ジオーラが言うと、エクリプスも頷いた。
「そうですね。私もそうしようかと思っていました。魔族が積極的に襲ってきている以上、いつどうなるか分かりませんから……それに、私の魔力探知を通さない魔族もいるようなので、正直気が抜けません」
「魔力探知?」
「うん。エクリプスは、魔族や魔物が近くにいると分かるの。けど、さっきの氷の魔族は、相当近くに行くまで気づかなかった」
「そいつは厄介だね……もしかしたら、エクリプスの能力を知っていて、上手く裏をかいているのかもしれない」
「その可能性はあります」
「そうか…」
なんとなく全員が黙り込んだ時、不意にグゥ~とオルテンシアのお腹が鳴った。
「ご、ごめん!」
オルテンシアが俯くと、エクリプスとジオーラが顔を見合わせて笑う。
「確かに、寝て起きたらお腹空くよな!ごはんにしよう!」
「なら、私にお任せを」
「えっ?エクリプスって料理出来るの?」
「はい」
「エクリプスの料理、すごくおいしいんだよ!」
「それは良かった!あたし、料理苦手でさ、同じような味しか作れないんだよね〜」
それから三人は、ワイワイと調理をして食事をした。日が落ちると、エクリプスに見張りを任せて床につく。
(誰かと一緒に眠るなんて、久しぶりだな…)
自分の傍に誰かがいることが、こんなにも安心感に繋がるなんて、しばらく忘れていた。
(今夜はゆっくり眠れそう…)
オルテンシアは、穏やかな気持ちで眠りについた。