第二章 魔族との邂逅(1)
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「お嬢さんがお一人で、泊まられるんですか?」
とある宿屋の受付で、受付の男が眉を顰める。見た目は三十代前後に見える、若い男だった。一人旅は別に珍しいことではないが、それが少女では話は別だった。
(やっぱりバレたか…)
一応男装はしているし、今年で十四歳なのでそこまで子どもではないとは思うが、未成年なのには変わりない。また、体が細身だから、女と見破られることも少なくなかった。
オルテンシアは溜息をついて、腰に差した剣を見せる。
「大丈夫よ。私、こう見えても剣士だから。出身はもっと南の町で、そこから旅してきたの。だから、旅は慣れてるし、平気よ。お金が心配なら、ほら。この通りちゃんと持ってるでしょ?」
オルテンシアは、金貨の入った皮袋を少し開いて中を見せる。子どもが宿を取りにくると、大抵料金を踏み倒されたりすることが多い。弱者に厳しい社会の中で、身よりのない子どもが生き残る為に編み出した知恵なのではあるが、宿屋からすれば看過するわけにもいかない。以前は宿を出る時に精算していたが、最近ではどこも前払いだ。
「……まあ、そこまでおっしゃるなら構いませんが……」
受付の男は、オルテンシアから代金を受け取ると、「ではごゆっくり」と、部屋の鍵を渡してくれた。
階段を登り部屋に入ると、オルテンシアはサッと部屋の鍵とカーテンを閉める。念の為、廊下や外の物音や気配を確認してから、フッと息を吐いた。腰に差した剣を外して床に置く。
「いいよ」
オルテンシアが呟くと、床に置いた剣が淡く光って消え、男の姿になった。
「ご苦労をお掛けしました」
エクリプスは謝りつつオルテンシアに近づくと、荷物やマントを預かって手近な場所へ置いた。
オルテンシアはドサッと勢いよくベッドに座ると、「別に、もう慣れたからいいけどさ…ところで、魔族は居そう?」と聞いた。エクリプスは頷く。
「ええ。やはり私の勘は正しかったようです。先程の受付の男…彼から魔族の気配がしました」
「えっ、うそ!?普通の人にしか見えなかった……」
「魔族の中には、魔王から命令を受けて、監視役という形で人間社会にいる者や、何か目的があってその地に留まり、暗躍している者がいます。いずれも人間に化ける事ができるなど、レベルの高い魔族です。昔はもっと魔物らしい魔族も居たのですが、最近は魔王の力が増したので、魔族の知恵や力も向上したのでしょうね」
「そうなんだ…」
オルテンシアとエクリプスは、魔王の住む城を目指して旅をしていた。今では魔王に組する人や国があるので、迂闊に魔王を討伐しに行くと知られてはならないし、魔族の暗躍も見過せないので、魔族の気配があるところには立ち寄り、退治しながら旅をする事にしていた。エクリプスは魔王の指から出来ているだけあって、魔族の気配を感じ取ることが出来たのだ。
なるべく目立たぬように、エクリプスの人型の姿を知られている地域ではエクリプスは剣の姿に戻るようにしていたが、オルテンシアだけでも、エクリプスが人型で共に居ても、若い男と少女の組み合わせは目立つ。オルテンシアは男装をしているが、先程のように見破られることもあった。そのため極力人里に降りないように移動していたのだが、今日は、エクリプスが魔族の気配を感じたので、この町に寄ってみたのだった。先程この町の食堂で食事をした時、この町では女子どもが突然消えることがあるのだと耳にした。二人はそれを魔族の仕業と仮定していた。
「あの人が魔族ってことは、人が消えているのもあの人のせいなのかな?」
「あまり憶測では語れませんが、ここは魔王の直轄地ではありませんし、恐らくあの魔族にとって都合のいい何かがあるのでしょう。でなければ、この町にいる理由が分かりません」
「そうだね。どうしよう?」
「少し様子を伺いましょう。女子どもが狙いなら、マスターにも接触してくるかもしれません。いくら魔王直属ではないにしろ、魔族は皆私のこの姿は知っていると思うので、私は剣の姿のままでいなければなりませんが……一人で大丈夫ですか?」
「うん。がんばる!エクリプスを離さないで持ってるから」
「はい。是非そうして下さい。では、私はそろそろ…」
「あ、待って!」
「どうなさいました?」
「うん……ちょっとだけ……あなたの手を、握ってもいい?」
オルテンシアが恥ずかしげに顔を伏せて言うと、エクリプスは笑ってオルテンシアの側に寄る。腕を広げると、オルテンシアを抱きしめた。
「え…」
オルテンシアは驚いて目を見開く。
「魔族と戦うのは今日が初めてですものね。気が利かず、申し訳ありませんでした」
「…ううん。大丈夫。ごめんね、不安になったりして……」
「悪いことなどありません。貴女は歴戦の戦士ではありませんし、たとえ経験豊富だったとしても、不安に思うことは誰しもがあることです。でも、どうか安心して下さい。私を魔族に向けることさえ出来れば、絶対に負けませんから。それに貴女は、強い。それをどうか信じて下さい」
「うん。信じてる…」
オルテンシアはしばらく目を閉じ、エクリプスの体温を感じていた。
※
その夜。オルテンシアは宿から出ると、宿の庭で月を眺めた。
「今日は月が明るいなぁ〜」
嬉しそうに口許を緩めていると、不意にザッザッと背後から足音がした。ゆっくりと振り返るとそこには昼間会った受付の男の姿があった。
「お嬢さん。本当に一人での旅なんですね。ひょっとしたら後でお連れの方がいらっしゃるかすると思ったのですが…」
「まあね。でも、慣れたものよ」
オルテンシアは努めて余裕の笑みを浮かべる。
「お嬢さんほどの年の方が一人旅だなんて、余程の事情があるのでしょうね」
「会いに行かないといけない人がいるの」
「へぇ~。良ければ、話を聞かせて貰っていいですか?いや、なに。旅人の苦労話を聞くのが、俺の趣味のようなものでして…」
(本当にこの人、魔族なの?)
『はい。間違いありません』
オルテンシアの問いに、エクリプスがテレパシーで答えた。
「まあ、大した話でもないかもしれないけど、聞かせてあげてもいいかな。……今日は月が明るいし、その辺りを散歩しながらでどう?」
「大丈夫ですか?人里とはいえ、厄介な獣でも出るかもしれませんよ?」
「大丈夫。そうなったら、私が退治してあげる!」
「おお!それは頼もしい」
二人は宿の側の林の中を行く。他に人気はなく静かだ。
「見慣れない剣ですね。どういう銘柄なんです?」
男が不思議そうに剣を眺める。
「そうでしょ。これは特別製なの。"輝剣エクリプス"っていうんだ。聞いたことある?」
「エクリ…プス?」
僅かだが男の笑顔が固まった。オルテンシアは剣を鞘から抜いてみせる。月光を受けて、刀身が白く輝く。
「へ、へぇ~……綺麗な剣ですね」
男の首筋に汗が伝う。その様子を見て、オルテンシアは確信した。
「あなた……魔族でしょ?私、魔族を退治して回ってるの。まさかとは思うけど、この辺りで女性や子どもが居なくなるのって、あなたの仕業?」
「さ、さぁ~?」
男は狼狽えて後退りし始めた。
『マスター。ご安心を。彼は恐らく、魔族の中でも位の低い方でしょう。上位の魔族の部下のようなものかと……一息で仕留めましょう』
「わかった。ありがとう」
言ってオルテンシアは真っ直ぐに男を見据える。その鋭い眼光に、男はすくみあがったようにピタリと動きを止めた。
「お、俺は、悪くないっ!!全部、ラミア様に命じられてやったことで…!」
「ラミア様?」
『上位の魔族です。魔王麾下で、確か、五本の指に入る者です。なるほど……ラミアの部下でしたか…』
(なるほどって?)
『後で説明します。まずは彼を倒しましょう』
(分かった)
無抵抗な相手、ましてや人の姿をした者に剣を振るうのは気が引けたが、オルテンシアは覚悟を決めて男へ斬りかかる。
「チッ!容赦なしかよっ!」
男は唐突に人間離れした跳躍力で高く跳び上がってオルテンシアの斬撃を躱すと、数メートル後方へ一飛びに下がった。オルテンシアは真っ直ぐ走り込んで距離を詰めて再び剣を振るった。
「掛かったな!」
男はニヤリと笑うと、片手を前に突き出す。そうすると、掌から勢い良く炎が噴き出した。
「あっ!?」
男へ向かって走っている最中の為、急な方向転換は難しく、今のままでは、オルテンシアは正面から炎に突っ込んでしまう。オルテンシアが死を覚悟した時、ふと、エクリプスの声が響いた。
『大丈夫。そのまま突っ込んで、私を振り抜いて下さい』
「わ、わかった!」
不安は残るが、オルテンシアはエクリプスを信じることにした。
「馬鹿が!これは虚仮威しなんかじゃない。本物の炎だ!甘く見てると、焼け死ぬぞ!」
男が卑下た笑いを浮かべる中、オルテンシアは真っ直ぐに進み、炎に向かって剣を振り抜いた。すると剣が白く輝いて、炎を斬っていく。
「なにっ!?」
一気に男の眼前へと距離を詰め、「おりゃあ!!」そのままの勢いで男に斬りかかる。その瞬間、男の右肩から腹にかけて線が入り、血が噴き出した。
「うぎゃぁああぁあぁー!!!」
凄まじい悲鳴を上げて男が地面に倒れ、まるで風に吹かれた砂のように掻き消えた。地面に血の跡はあれど、姿はどこにも見当たらない。
「倒した……の?」
「はい。倒しました。彼の気配は完全に消失しましたので。……お見事でした。マスター」
いつの間にかエクリプスが隣に立っている。
「ありがとう……って、エクリプス!?」
エクリプスを振り仰いで絶句する。エクリプスは、まるで頭から血を被ったように真っ赤な液体で濡れていた。
「どうしました?……ああ、これですか?今斬ったばかりなので、返り血ですね。洗えば落ちますから、ご心配なく」
そう言うとエクリプスは、手に滴ってきた血をペロリと舐め取った。
「!!」
光のない瞳で無感情に血を舐めるその姿が、どこか妖しく得体の知れなさを醸し出す。オルテンシアは、一瞬掛ける言葉を失った。
「お、お風呂、入ろう!」
やっとの思いで声を掛けるとエクリプスはフッと笑う。その笑い顔は、拍子抜けするほど、いつものエクリプスだった。
「私は剣の姿で宿に入りましたから、誰にも見られていません。追加料金を取られると厄介なので、お風呂は遠慮しておきます。なので近くの川で水浴びしてきます」
「そう…」
ーーこれ以上失敗したら、私は、"輝剣エクリプス"では居られなくなるでしょう。ーー
オルテンシアは不意に、エクリプスの言葉を思い出した。
(魔族を倒せば強くなるけど、もしかしたらその分、魔族に近づいてしまうのかな?)
だからエクリプスには、"魔王を倒す"という明確な目的が必要だったのではないだろうか。斬れば斬るほど、まるで血に酔ったように、新たな標的を欲してしまうのではないか?そうした、言うなれば剣の本能のようなものを、エクリプスは大義を抱くことで抑えているのかもしれない。
(私がしっかりしないとね!)
オルテンシアは自身を奮い立たせると、宿にタオルを取りに戻った後、エクリプスと共に川に向かった。林を抜けた先にある川は静かで、他に何者もいない。エクリプスは躊躇わずにそのまま川に飛び込むと、体を洗った。あっという間に血は落ちて、元の白さを取り戻す。豪快に頭を振って、水気を飛ばした。
「はい。タオル。…風邪は引かないかもしれないけど、ちゃんと拭いてよ」
「ありがとうございます」
エクリプスは川から上がって体を拭いた。
「そういえば、前から不思議だったけど、エクリプスの服ってどうなってるの?」
「服…ですか?」
「うん。いつも人型の時は、そういうゆったりしたローブみたいな服を着ているけれど、剣に戻ったからって脱げないし、また人型になったら着てるし……ひょっとして、服に見えるけど、体の一部だったりするの?」
「いえ。これはちゃんと布で出来てる服なので、脱ごうと思えば脱げますけど?」
そう言ってエクリプスは服を脱いで見せようとする。
「ああ!いい、いい!脱がなくてっ!」
慌ててオルテンシアが止めると、「そうですか?」とエクリプスは手を止める。
「まったくもう!エクリプスって頭いいのかと思ったら、ちょくちょく天然が入るんだから……レディの前で服を脱ぐなんて、絶対ダメだからね!」
「は、はぁ……よく分かりませんが、分かりました。気をつけます」
エクリプスは不思議そうに言う。
(本当に分かってるのかな?……まあ、人間じゃないとはいいつつも、人型してるんだから、人間の常識は理解してもらったほうがいいよね)
オルテンシアは密かに、エクリプスの教育をしようと決めた。
「あ、そうだ。話逸れちゃったけど、結局どうなの?」
「?…ああ、なんといいますか……分かりやすく言うなら、私が二人いるようなものです」
「二人?」
「はい。例えば部屋があって、剣の私、人型の私の二人がいますが、二人同時に部屋にいることは出来なくて、必ずどちらかは部屋の外……つまりはマスターの前に実体として現れています。それが私の意思で入れ替わっている状態なのかと。だから、今の私と剣の私は同じですが、別の存在でもあるということなのだと思います。感覚は共有していますが、形が同じになることはないというか……なんだか、説明が難しいですね」
「うん……なんか、分かったような分からないような……まあ、とにかく、服は本物だし、服装がどうなっても、戦いに支障はないってことだね」
「まあ、そうですね……しかしマスター。なぜ私の服が気になるのですか?」
「えっ?だって、今水浴びしたから、服が濡れちゃったし、着替え要るなって思ったから……」
「そんなに気にしなくて大丈夫ですよ。時間が経てば乾きますし、古くなったら適当にあつらえますから……私の着替えを心配して、荷物が増えるのは避けたいですしね。……でも、お気遣いありがとうございます」
「町の様子次第で人型でいることも多いから、後で服、買ってあげるよ」
「そうですか?まあ、マスターがそうしたいなら、お任せ致します」
エクリプスは少し嬉しそうに笑う。
「冷えてきましたし、宿に戻りましょうか」
「うん」
二人は並んで歩いて宿に戻る。宿が見えてきた辺りでエクリプスは剣に戻り、部屋に戻ってからまた人型になった。
「そういえば、"ラミア様"ってどんな魔族?」
「ラミアは、魔王麾下の中でも頭がよく、人間との交渉事を任されている魔族です。魅力的な女性の姿で現れることが多く、色香を使って相手を魅了するのが得意です。そして彼女は、その美貌を維持するため、若い女性や子どもを好んで食べるとか…」
「た、食べるの?」
「はい。しかし食べると言っても、肉を食べるというよりは、生気を吸い取り、血を飲むのだとか」
「うわぁ~怖い……あ、そうか、だからさっき倒した魔族は、人を誘拐していたんだね」
「ええ」
「て、ことはさ……ラミアに女性と子どもを届ける役目の魔族が居なくなっちゃったから、ラミアに私達のこと、バレちゃうんじゃない?」
「まあ、間違いなく気づくでしょうね。魔王に伝えるか、自分が探しに来るかするでしょう」
「そ、それって大丈夫?」
「大丈夫ですよ。私が居ますから。私で斬れさえすれば、簡単に倒せます」
「それは分かるけど……」
「何か心配事でも?」
「うん……だってさ、ラミアって頭がいいんでしょ?何か罠を仕掛けてくるかもよ?それこそ、私とエクリプスを引き離すような作戦を仕込んで来るとか……」
「大丈夫です。私はお側を離れません。いついかなる時も一緒に居れば済む話です」
「うーん……そんなに簡単にいくかなぁー」
オルテンシアの心配は尽きないが、エクリプスはどこまでも楽観的だ。確かな自信故なのかもしれないが、オルテンシアには、その自信こそが落とし穴に思えてならなかった。はたして、遥か北の地にあるという魔王の城まで、本当に二人だけで辿り着けるのだろうか……オルテンシアは、一抹の不安を抱いたまま、ベッドで横になった。