第一章 出会い(2)
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それからは、毎日修行の日々だった。体力作りと称して山の中を走り込み、筋トレを朝から晩まで繰り返す。エクリプスは人ではないからなのか、あるいは今まで大人の男ばかりが使い手だったからか、なかなかにハードな修行で、オルテンシアは一日のうちに何度も「もう、無理ぃ〜〜っ!!」と叫んでいた。
オルテンシアが叫ぶと大抵、「剣士になるにはまだまだこんなものでは…」とか、「私は女性剣士にも会ったことがありますから…」とエクリプスの容赦のない言葉が掛かる。出会った頃の優しい雰囲気はそのままに、けして修行を軽くはしてくれない。
(優しく見える人ほど厳しいって、本当なんだな…)
オルテンシアは、身体中を筋肉痛に苛まれながら思う。けれど、辛いばかりでもなかった。エクリプスは、どこで覚えたのか料理が得意で、調味料さえあれば、少ない食材でも店に並ぶような料理を作ることが出来た。
「味見するわけじゃないのに、よく作れるね〜」
「レシピを覚えたんですよ。以前のマスターに、剣の腕は立つのに、衣食住に無頓着な方がいまして……その方の生活をなんとか成り立たせる為に、色々出来るようになってしまったんです」
エクリプスは笑顔で話すが、そこまでして支えたマスターも、魔王討伐を成し得なかったのかと思うと、オルテンシアはなんとも言えない気持ちになった。
(私は、どうだろう……)
なんとか成し遂げたいとは思うが、そもそも剣など触ったこともない素人に出来るとは思えなかった。現に修行を始めてからまだ一度も剣を持っていないのだ。
「マスター。あまり気を落とさないで下さい。まだ修行は始まったばかりですよ。貴女は間違いなく強いですから、自信を持って!」
「うん…」
エクリプスをここまで言わせる理由が正直分からなかったが、今はその言葉を信じるしかなかった。
※
そうした修行を繰り返し、オルテンシアが剣術を学び出したのは、エクリプスと出会って半年ほど過ぎた頃だった。木剣を持って、構え方から体の動かし方、受け身のとり方を学ぶ。午前は今まで通りの体力作りをしながら、午後はそうした剣術の修行という流れだった。更にその二ヶ月後には、木剣を使った打ち込み稽古が始まった。
「はい。脇が甘いです」
「うわぁ~っ!!」
エクリプスに容赦なく脇を木剣で叩かれてバランスを崩す。ドサッ!と派手な音を立てて、オルテンシアは地面に転がった。
「ぅうう〜」
唸りながらも立ち上がる。先程からずっとこの調子で、オルテンシアは全身草や土でドロドロだった。
「少し、休憩にしましょうか」
「……お風呂、入りたい…」
オルテンシアが呟くと、エクリプスは笑う。
「まだ、稽古は続きますから、今は濡れたタオルで体を拭くに留めたほうがいいですよ」
「ぶぅ~!」
「文句を言わない!これも魔王を倒す為ですからね」
「……もう、今日は疲れた。休みたい」
オルテンシアがそれでも不満そうな顔をすると、エクリプスは笑いながら、濡れタオルを持ってきて、オルテンシアの顔を拭き始める。
「そんな顔をしないで下さい。せっかくの綺麗なお顔が台無しですよ。私は、貴女の笑った顔が好きです」
「……そんなこと言われたからって、機嫌は直らないからね!」
「おや。貴女が綺麗なのも、笑顔が好きなのも、本当なのに…」
「上手いこと言って……私はそんな簡単な女じゃありません!………まあ、でも……エクリプスが、蜂蜜とバターがた〜っぷり載ったパンケーキを焼いてくれるなら、この後も修行、頑張れるような気がするんだけどなぁ〜」
「そうきましたか……いいでしょう。分かりました。パンケーキを焼いてあげます」
「やったぁ!」
「ただし!修行が全部終わってからです」
「えぇ〜」
「"えぇ〜"じゃありません。大体、修行の合間にお腹一杯食べたりしたら、動きが鈍るでしょう?」
「……少しだけにするもん」
「少しではききませんよね?」
「ぅぐぅ…」
パンケーキはオルテンシアの好物で、だからこそ、エクリプスの言っている通りではある。オルテンシアは苦い顔をして唸ったあと、「……分かった。修行の後でいい……」と呟いた。
「流石はマスター!偉いですね!」
エクリプスは満面の笑みで、オルテンシアの頭を撫でる。
「ちゃんと修行したら、お風呂もパンケーキも用意してあげますから、頑張りましょうね」
「……はい」
エクリプスには敵わないと、オルテンシアは思うのだった。
※
それから更に半年後のある日。
「さて。今日からは、より実戦的な修行に入りましょう。真剣を使っての打ち込みです」
そう言ってエクリプスは、剣を一振り持ってきた。特別装飾があるわけでもない、ごく普通のロングソードだ。
「私が剣の姿になると、この剣と似たような姿なので、まずはこの剣で慣れてもらいます」
エクリプスに手渡され剣を持ってみると、「…重い」木剣と違って、ずしりとした重みを感じた。
「その剣を使って、毎日素振りや、丸太を斬る修行をしていきましょう」
「うへぇー……」
こんなに重いものを毎日振るい続けるのかと思うと、げんなりする。そんなオルテンシアの気持ちを知ってか知らずか、エクリプスは笑う。
「なんですか?変な声を出して……言っておきますが、魔族は強いですよ。単に力だけではなく、人心掌握にも長けているんですから、いついかなる時も、それこそ無意識にでも剣を振るえるようになっておかないと…」
「ああ!もう!分かったから!」
最近のエクリプスは、オルテンシアに容赦がない。教育熱心な母親程に口うるさい。それがオルテンシアの為だとわかってはいるが、頭ごなしに言われると、反発もしてみたくなるのが困ったところだ。
「分かったのなら、素振りからいきますよ。さあ、剣を構えて」
しかし、オルテンシアがいくら不満を並べても、エクリプスには痛くも痒くもないらしい。淡々と指示を出す。
「……はぁい…」
それで結局、いつもオルテンシアが諦めて言う通りにするのが通例だった。
※
更に半年。オルテンシアとエクリプスが出会って二年が経つある日。その頃には小さな魔物であれば、オルテンシア一人でも切り倒せるようになっていた。
「そろそろいいでしょう」
エクリプスは唐突に言うと、オルテンシアに手を差し出した。
「ん?なあに?」
オルテンシアが首を傾げると、エクリプスは笑う。
「私の手を取って下さい。元の姿に戻ってみますから」
「う、うん!」
いよいよかと緊張する。オルテンシアは実のところ、エクリプスが剣に戻る所を見たことがなかった。というか、オルテンシアに出会ってから一度も戻っていないと思われる。エクリプスは睡眠の必要がないから夜は眠らないで辺りを警戒していたり、それ以外は食事や洗濯など、オルテンシアの世話を焼いたりしていた。剣に戻らない理由を聞いたことはないが、なんとなく、オルテンシアが一人にならないように気遣ってくれているのだろうと思っていた。しかし……
「あっ……」
オルテンシアがエクリプスの手を握ると、エクリプスの体が溶けるように消えて、代わりにオルテンシアの右手には、細く流麗なロングソードソードが握られていた。形状からして、両手でも片手でも扱えるタイプだ。
「……ん?ちょっと待って…」
しばらくは、シンプルだがどこか洗練された美しさを感じる剣を眺めていたが、ふと驚くべき事実に気がついて、オルテンシアは混乱する。
「エクリプスっ!!あなた、軽いよ!全然重くないっ!」
そうなのだ。エクリプスはまるで木剣を持っていた時のような軽さで、とても鉄で出来た真剣だとは思えない。
『ええ。私の特殊能力です。使い手が最も使い勝手の良い質量に調整することが出来るのです』
「っ!?」
突然、オルテンシアの頭の中でエクリプスの声が響いた。
「……剣に戻っている間は、テレパシーみたいな感じなのね……てか、質量を変えられるなら、わざわざ普通の剣で修行しなくて良かったんじゃない?」
『そうもいきません。基礎知識や体力は持っていてもらわないと、上手く戦えないですから』
「そういうものなの?」
『はい。……とりあえず、私で丸太を斬ってみてください……ああ、でも、あまり力を込めなくて大丈夫です。軽くでいいですよ』
「軽く…?」
オルテンシアは本当にそんな加減で斬れるのか疑問に思いつつも、手近にあった丸太に、サッとエクリプスを振るった。すると、ほんの軽く払うように斬っただけにもかかわらず、丸太は真っ二つに斬れて転がった。
「うそ…」
オルテンシアが驚いていると、エクリプスが淡く輝き、人型に戻った。そうしてオルテンシアの隣に静かに佇んだ。
「私はまず刃こぼれしませんし、斬れ味も抜群です。よほど固いものでなければ、だいたいのものは斬れます」
「……えっ、あの……それじゃあさ……ひょっとしたら、たいして修行してない人でも、普通に使えたりするんじゃ……?」
オルテンシアが戸惑ってエクリプスを見上げると、エクリプスは何故か怒っているような、呆れているような冷たい表情をしていた。
「…ええ。その通りです。私は使い手に合わせることが出来る特性により、基本的には誰にでも扱えます。それこそ、貴女のような子どもにも」
「……」
ではなぜ、ここまで修行を積む必要があったのか?エクリプスは、多少の心得が必要だと言ったが、それはともかくとしても、剣術云々が関係ない程使いやすいなら、魔王退治など、あまりにも簡単ではないかと、ますますオルテンシアは困惑する。
オルテンシアの言わんとすることが分かったのか、エクリプスは軽く鼻を鳴らす。それは、出会ってから今まで一度も見たことがないほど、冷ややかな笑いだった。
「そうです。魔王退治など、私がいれば朝飯前のはずなのです。なのにっーー!」
エクリプスは何かを堪えるように拳を固く握って俯いた。
「え、エクリプス…?」
エクリプスの雰囲気がいつもと違う。ピリついた鋭い印象を抱く。オルテンシアは少し怖くなったが、それでも恐る恐る、エクリプスの手に触れた。
「だ、大丈夫だよ。私は……ちゃんと魔王を倒しに行くから…」
きっと、今まで何度も魔族の妨害を受けて、心が折れたり、殺されたりした使い手がいたのだろう。噂では、エクリプスを悪用して富を得た者もいたそうだが……。
(エクリプスは、マスターに逆らえないのかな?)
ここまで自分の意思があり、剣に戻るのもエクリプスの意思で可能なら、まずエクリプスの意図しないようにはならないように思うが、今まで魔王討伐が成されていないところをみると、何がしかの制約があるのだろうか?
オルテンシアがエクリプスの手を握った瞬間、先程のピリついた雰囲気は落ち着いて、ハッとしたようにエクリプスは顔を上げた。
「……ごめんなさい。怖がらせてしまいましたね」
「ううん。なんとなく、エクリプスが何を言いたいのか分かったから…」
ようやくエクリプスは、いつもの温和な笑みを見せた。
「私は、剣に戻ってしまえば、ただの道具に過ぎません。先程のように頭の中に語りかけることは出来ますが、私をどう使うかは使い手次第です。私はなんの強制力も持ちません。だから、使い手には信念が必要です。
今ので分かったかもしれませんが、私は大抵のものは簡単に斬れます。それを利用し、魔物退治や剣士として名を上げることも出来ます。……以前、そうして近衛隊長まで登り詰めたマスターもいましたが、その方は結局、魔王討伐までしなくても良いと判断して、魔王の所まで行ってはくれませんでした。そうなった場合、私はマスターを見限って離れたこともありますが、ある時はマスターに束縛の魔法をかけられ、放してもらえなくなったこともあります」
「……」
悲しげな笑みを浮かべて語るエクリプスを、オルテンシアはただ彼の手を握って見つめ続けた。
今までなんとなく予想していたエクリプスの旅路は、オルテンシアの想像を遥かに越えた大変な旅路だったのだと痛感する。人間の意思がいかに揺らぎやすく脆いものなのかを思い知らされた気がした。
「一時は、魔王討伐など諦めてしまおうと思ったこともあります。この姿を利用して、人間として生きてみようとさえ思ったのです。けれど、私は所詮物です。生き物には成れない……そして、魔王討伐をしないなら、私の存在意義も分からなくなる……魔王の元へ行こうかとも思いましたが、どうしても、私を造り、命懸けで守ってくれた父上たちの想いを無下には出来なかった……私は人間の願いから生まれました。人間の心がいかに脆く、我欲にまみれた暗い部分があるとしても、魔王を倒したいと、人間たちは確かに願っていたのです。私はそれを、信じたい。ーーオルテンシア。私はこれ以上魔王との戦いを長引かせたくはありません。これ以上失敗したら、私は、"輝剣エクリプス"では居られなくなるでしょう。だから、貴女を最後のマスターだと思って仕えます。ですから今一度、問います。貴女は……魔王を倒してくれますか?」
"輝剣エクリプスでは居られなくなる"とはどういう意味なのか正直分からなかったが、なんとなく、先程の嫌な雰囲気がその答えのような気がした。
(エクリプスはさっき、"信じたい"って言ってた。もし、人間を信じられなくなってしまったら、今度こそ本当に"人食いの魔剣"になってしまうのかも…)
それだけは嫌だとオルテンシアは思った。たかだか二年の付き合いだが、エクリプスには命を拾ってもらったし、良くしてもらった。恩は返したい。
オルテンシアは、力強く頷いた。
「任せて!周りがなんと言ったって、私は魔王を倒してみせるよ!」
「……ありがとうございます。オルテンシア様。貴女がその気持ちを持っていて下さる限り、私は貴女に、忠誠を誓うとお約束致します」
エクリプスはオルテンシアの前に膝をついて、オルテンシアの右手を取ると、右手の甲にキスを落とす。
「ちょ、ちょっと!何してるの?」
オルテンシアが顔を真っ赤にしながら慌てていると、エクリプスは首を傾げて、オルテンシアを見上げた。
「騎士が主に忠誠を誓う時にはよくこうしていたので、私も真似てみました。……やっぱり変ですかね?」
「へ、変ではないと思うけど……私、一般市民だから、こういうの慣れてなくって……なんか、こそばゆい…」
「そうですか。それは失礼しました」
エクリプスは、どこかオルテンシアの反応を楽しむように笑うと、立ち上がる。
「あ、そうだ!エクリプス」
「はい?」
「エクリプスの名前の意味を聞いてもいい?」
「私の名前の意味……ですか?」
「うん!聞いたことなかったなって思ったから」
「そうでしたね。……私の名前は、日蝕を意味しています。魔王という偽りの太陽を喰らい、真の太陽で世界を照らす……太陽とは昔から、神や王の象徴でしたから」
「なるほど……魔王という太陽を消したいから日蝕かぁ~。あなたを作った人は、センスがいいね!」
オルテンシアが褒めると、エクリプスは子どものように無邪気に笑った。
「そう言って頂けると、嬉しいです。……そうだ。貴女の名前は何か由来があるのですか?」
「私?……うーん、何だったかな……なんかの花の名前だったような気がする……」
「そうですか……名前とは、個人を表す大切なものです。貴女の名前の元になった花。そのうち見つけたいですね」
「いいよ〜、恥ずかしいし……貧乏な両親が考えた名前だし、きっとろくな意味じゃないよ」
「そんなことはないと思いますよ。花は美や生命力の象徴ですから、女性にはぴったりです。きっと貴女によく似た、素敵な花ですよ」