第五章 魔王の城へ(5)
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それからは、面白いように誰にも会わなかった。エクリプスの勘を頼りに上へ上へと進んだが、見張りにも出会わない、トラップもないという有り様で、オルテンシアは別の意味で緊張してきた。そうしてとうとう、城の最上階である四階に辿り着く。四階には、一つしか部屋がなかった。
「エクリプス。魔王は、この部屋?」
「はい。ここが最も気配を強く感じます」
二人は暫し無言で扉を見つめる。背の高い扉には植物の蔦のような模様が描かれていて、芸術的な反面、妙に恐怖を駆り立てた。それはこの奥にいるのが魔王だと知っているからかもしれなかったが、どこか威圧感を感じる様子であることは確かだった。
「……マスター」
「ん?」
呼ばれてエクリプスを振り仰げば、エクリプスは緊張した様子ながらも、僅かに目元を和らげた。
「言い忘れていましたが、貴女の名前の由来は紫陽花だそうです」
「え?」
いきなり何を言い出すのかと首を捻るオルテンシアだったが、エクリプスは穏やかな表情のまま続ける。
「ユースティティアに教えて貰ったのです。今思えば、実にマスターに似合う名前だと思います。雨の中でも鮮やかに咲いて、見る人の心を癒す花……魔王の支配下という言わば降り続く雨のような世界にあってなお、曲がらずに、真っ直ぐに咲いている貴女は、まさしく希望なのでしょうね。本当に、貴女がマスターで良かった。私は幸せ者です」
「……何よ、それ…」
エクリプスが何故今、そんな話をするのか……その意味を、オルテンシアは敢えて考えないようにして、どこか詩的に語るエクリプスに苦笑したフリをする。そうやっていないと、込み上げる涙を隠しきれない……。けれどエクリプスには、その態度もお見通しであったようで、ただ、穏やかに微笑んでいる。
「今までついてきて下さって、ありがとうございました。後もう少しだけ、一緒に戦って下さい」
そう言ってエクリプスは左手を差し出す。それを右手で強く掴むと、オルテンシアは大きく頷いた。
「うん!一緒に魔王を倒そうね!」
「はい」
二人は頷き合うと、ゆっくりと扉を押し開けた。
室内には、様々な調度品が溢れかえっている。一つ一つは一目で高価なものと分かる至高を凝らした物ばかりだったが、統一感がなく雑然と置かれているせいで、本来の魅力を発揮出来ていないように見えた。様々な物に興味があるようでない様子なのが、この部屋の主の内面を現しているようにオルテンシアは感じた。
そんな部屋の奥に置かれた綺羅びやかな椅子の上に、小柄な影が座っている。いつの間にやら日がだいぶ傾き、強い逆光で姿が見えにくい。その影は、二人の姿を認めると、気怠そうな姿勢を正し、椅子から降りて、こちらに少し近づいた。
「……魔王…」
エクリプスがどこか苦しそうに呟く。
「…え、あれが?」
近づいてきた姿を見て、オルテンシアは息を呑む。魔王と言うから、角の生えた厳つい見た目を勝手に想像していたのだが、目の前に居たのは、真っ直ぐな長い黒髪に、ルビーのような紅い瞳をした少女だった。見た目だけなら、オルテンシアより幼く見える。じっとしていれば、まるで人形のように愛らしい顔立ちをしている。
「……恐らく、見た目は自由に変えられるのでしょう。父上の話では、大きな牛の頭を持っていたそうですから…」
「別人……じゃないよね?」
「はい。間違いありません。私が追っていた気配です」
魔王は部屋の中央までやってくると、そこで止まる。
「ようやく来たな。あまりに遅いので眠るところだったぞ」
魔王は幼い見た目に似合わない横柄な態度で言うと、どこか嬉しそうに目を細めた。
「しかしまあ、よく戻ったな。エクリプス」
「ッ!?」
エクリプスは息を呑む。オルテンシアがエクリプスの顔を仰ぎ見ると、エクリプスは青い顔で目を見開いている。呼吸も浅くて速い。
「何を驚いている?お前は私に魔力を提供するためには戻ったのだろう?これまでにだいぶ魔物や魔族を倒して来たはずだから、魔力も相当貯まっているだろう?」
「ちが…」
「違う!!」
オルテンシアが否定しようとすると、それに被るようにしてエクリプスは叫んだ。
「私は、お前を倒しに来た!断じて、帰って来た訳ではないっ!!」
(エクリプス…)
断言したというより、何かの感情を無視して、自分に暗示をかけているようだと、オルテンシアは感じた。それは魔王も同じだったようで、可笑しそうにクツクツと笑った。
「確かにそれは、剣として生まれたお前の使命だろう。ただ、私の欠片……魔族たるお前はずっと私の元に戻りたかった筈だ。何せ、我もお前も、互いが離れることを願ったことなどないからな。お前がずっと我の気配を感知出来ていたのも、帰巣本能故だと思うが?」
エクリプスは悔しそうに唇を噛んで俯いた。
「エクリプス」
居た堪れなくなって、エクリプスの固く握られた拳に触れると、エクリプスはオルテンシアに顔を向けた。今にも泣き出しそうな顔だ。
「エクリプスは……どうしたいの?」
「わた…し…?」
意表を突かれたように目を丸くするエクリプスに、オルテンシアは頷いてみせる。
「魔王を倒すことは、後から芽生えた気持ちだよね?エクリプスの生みの親の為にも、倒したいって思っていた……でも、魔王は言わば本当の親みたいなものだし、それに歯向かうのは、きっと辛いよね……だから、エクリプスが決めていいよ。魔王を倒すかどうか」
「マスター…」
驚いた顔で固まるエクリプスを、オルテンシアはじっと見つめる。
(確かに魔王のせいで、みんなが苦しい思いをしてる……でも、エクリプスだって同じだ。エクリプスは、人間にも蔑まれて苦しめられてきた……私は、エクリプスの納得のいく答えを見届けたい)
それがたとえ人類の期待を裏切る行為だとしても、オルテンシアにとっては、エクリプスの笑顔を見ることのほうが、ずっと大切なことのように思えていた。
ややあって、エクリプスの顔はフッと笑った。それはいつも、オルテンシアが我儘を言う度見せていた、呆れ顔に近い。
「マスター。それは、私を試しているのですか?魔王をこのままにしておけるわけがないでしょう。このままではマスターは殺され、私は吸収されます。それに私は生まれた時からずっと、魔王を倒す為の剣です。それ以外であったことなど、一度もありません。もし仮に、そうではない存在になれるなら、それは、魔王を倒した先にしかありえません」
「そっか……そう、だよね!」
(そうだ。エクリプスはいつだって、"輝剣エクリプス"だった。魔王という、偽りの太陽を喰らう剣…)
「…さっきから聞いておれば、我を倒すだのと、随分簡単に言ってくれるのう。そんなことは…」
「出来るっ!!」
「出来ます!」
魔王の言葉を、二人の言葉が掻き消した。もう、オルテンシアとエクリプスの瞳に迷いも恐れも存在しない。そんな様子に、魔王は面白く無さそうに顔を歪めた。
「そうか……そんなに言うなら、やってみるが良い。ただ…」
そこで一度言葉を切ると、魔王は右手を上に掲げてみせた。そうして右手の指をパチン!と鳴らす。すると魔王の手には、細く流麗なロングソードが握られていた。エクリプスに似ていると思ってみて、オルテンシアは、ふと違和感を感じて自身の隣を見た。しかしそこには……誰もいない。
「ま、まさか…!?」
オルテンシアが言葉を詰まらせると、魔王は高らかに笑った。
「その通り。我の手にあるのはエクリプスだ。エクリプスは元々我の一部。我が使えて当然であろう?」
「そんな……」
思わず膝から崩れ落ちそうになるのを、寸前で力を込めて踏みとどまる。
「噂によればなかなかの名剣で、斬れぬものが無いとか……どれ、少し試してみようか」
魔王はオルテンシアに向けて剣を振る。
「っ!!」
オルテンシアなんとか躱すが、勢い余って床に倒れてしまう。
「フフ……確かに軽くて扱いやすいな……ただ、剣がいくら優秀でも、使い手が悪ければ真価は発揮されぬものだ……お前は、よくそれで今まで生き残って来たな。エクリプスは、よほど過保護と見える」
(確かにそうだ。悔しいけど……)
剣も覚えて二年だし、体術はおろか、他に誇れる能力もない。それでも、諦める訳にはいかなかった。
「エクリプス!エクリプスっ!!」
ダメ元で呼びかけてみるが、特に変化は見られない。
「無駄だ。エクリプスの人格は封じておる。我の力を超えて自我を持つことは、エクリプスには出来ない」
魔王はそう言いながら、再びオルテンシアに斬りかかる。躱そうと体を動かすが、先程より剣速が上がっていて、剣が右腕を掠め、服が切れる。後からじわりと血が滲んだ。
「っ!」
痛みに思わず右腕を押さえてうずくまると、
「休む暇などないぞ」
魔王は連続で剣を繰り出してくる。転がって躱すも、何撃かは受けてしまう。魔王はまるで遊んでいるように、致命傷にならない程度の浅い斬り方しかして来ないうえに、急所は外してくる。それがオルテンシアを更に惨めにさせるが、そうするのが魔王の目的だろうと察しがついたので、オルテンシアは歯を食いしばって耐えた。
(エクリプス……エクリプス)
直接言っても聞こえないなら、テレパシーは通じないかと試みるが、エクリプスから返答が返ってくることはなかった。
(……こんな終わり方なんて、嫌だよ……エクリプス)
まだ何も、エクリプスに返せていない……。野垂れ死にそうなところを拾って、衣食住を与えてくれた。優しくしてくれて、守ってくれた……エクリプスは単に使い手にする為にしていただけだったと思うが、それがどれだけ感謝なことか、エクリプスに伝えたかった。願わくば、魔王を倒せる勇者になることで、恩返しがしたかった。
(同じ負けるでも、エクリプスに私を殺させちゃダメだ……魔王はまだ遊んでる。この隙に、何とかしないと!)
無力感に苛まれながらも、オルテンシアは必死に考えた。エクリプスなら、どうするか。ジオーラなら、オーガストなら?そこまで考えて、ふとユースティティアの顔を思い出して、頭の中に電撃が走った。
「っ!!」
再び斬撃が飛んでくるのを転がって躱しながらも、オルテンシアはタイミングを計る。
「……つまらぬ。そうやって転がってばかりでは、我は倒せぬぞ」
魔王は怒気を孕んだ調子で言うと、苛立ちに任せて剣を振るった。それが先程よりも大振りで緊張感が薄いのを、オルテンシアは見逃さなかった。
「今だッ!!」
オルテンシアは素早く服のポケットに手を入れて掌に収まるほどの小瓶を取り出し、魔王に向って投げつけた。小瓶は真っ直ぐ魔王の胸元にぶつかると割れて、中の液体が魔王にかかる。
「ん?なんだ?……これ…は…っ!」
その刹那、魔王の動きが痺れたように鈍くなり、手から剣がこぼれ落ちた。
(良かった!魔王にも効いた!)
それは、ユースティティアがいた町にあった聖水だった。町を出る前に、教会の中に隠されていたのを発見して、持ってきていたのだ。一本しか無かった為、もしもの時の為にずっと身につけていたのだった。
オルテンシアは剣に飛びついたが、
「グハッ!」
僅かに早く魔王が動いては、オルテンシアの背を踏みつけた。小柄な見た目に反して重く、オルテンシアは足の下から抜け出せない。そうしている間に魔王は剣を拾い上げた。
「全く……聖水とは小賢しい真似を……たが、残念だったな。あんなちっぽけな量では、我には効かぬ。……終いだ」
魔王は剣を振り上げ、勢いよくオルテンシアの首に振り下ろす。
「エクリプスーッ!!」
刃が首に届く刹那、オルテンシアは声の限りに叫んだ。すると、あと数ミリで首に刃が当たると言うところで、魔王の動きが止まった。
「何だ?」
魔王は力を込めて剣を振り下ろそうとするが、剣はびくともしない。
「貴様…我に抗っておるのかっ!」
(もしかして……聖水で一瞬魔王の支配が緩まったのかも!)
オルテンシアがもう一度力を込めて起き上がろうとすると、剣に気を取られていた魔王はバランスを崩し、オルテンシアから足が離れた。オルテンシアは走って魔王から距離を取る。
「エクリプスッ!!私は、ここだよ!」
そうして再び叫ぶ。すると、魔王の手から唐突に剣が消えて、気がつくとオルテンシアの右手に剣が握られていた。仄かに白く光っている。
「…おかえり。エクリプス」
オルテンシアは剣の柄を両手で持つと、柄に軽く額を当てて祈るように一瞬目を閉じる。それからパッと目を開いて、剣を構えた。
「フン…どうやらエクリプスは反抗期のようだな。我から離れるとは……そんな小娘の何が良いのか……まあ良い……マスターもろとも、我が葬り去ってやろう!」
魔王はそう言って、両手を広げる。すると、空中にエネルギーを凝縮したような黒い球が複数現れる。黒い球の周りには電流が走っていた。魔王が手をこちらに向けると、黒い球はそれぞれが不規則に動きながら、こちらに飛んでくる。手近な一つを剣で斬りつけると難なく消滅したが、
「ん?」
不思議な手応えを感じて剣を見ると、刃が僅かに欠けていた。
「エクリプス!大丈夫?」
声を掛けたが、依然として反応は返ってこない。まだ、魔王の支配が完全に解けていないのかもしれない。
(このまま剣で球を斬るのはマズイかもしれない…)
そう思って躱せば、球は軌道を変えて再びオルテンシアに向ってくる。仕方なく剣で斬ってしまえば、やはり刃毀れしていく。更に魔王は球の数を増やし、オルテンシアは球を斬らざるをえなかった。
「我の放つエネルギーボールは、いくらエクリプスでも相殺は難しい。そのまま斬っておれば、エクリプスもタダでは済まぬ……降伏してエクリプスを渡せば、攻撃を止めても良いぞ?」
魔王はニヤリと笑う。
「誰がっ!!」
(魔王に一向に近づけない……やっぱり、魔王に刃が届きさえすれば、勝てるんだ!)
エクリプスが壊れる前に決着をつけようと前へと走り込めば、それを見越したように魔王は手をこちらに向ける。今度は魔王の指先から稲妻が走り、オルテンシアの真上から降ってくる。
「しまったッ!!」
上からの攻撃は躱しようがない。それに今から躱しても、エネルギーボールにぶつかってしまう。エクリプスを刃毀れさせる程の魔力の集合体にぶつかれば、ひとたまりもないだろう。万事休す……そうオルテンシアが思った時だった。不意に剣を握る右手が剣を天に掲げた。降ってきた稲妻は、刀身に吸収されたように纏わりついて留まった。
「えっ…」
オルテンシアが驚いていると、オルテンシアの意思なくして右手は剣を振る。オルテンシアの体を軸に回転するように周りをはらうと、纏っていた稲妻が、エネルギーボールを破壊した。全てのエネルギーボールを破壊してなお稲妻を纏ったままの剣の切っ先を、そのまま魔王に向けると、剣から魔王へ目掛けて稲妻が放出され、一筋の光となって襲い掛かる。
「小癪な…」
魔王は不快感を露わにしながら、掌から同じ様な電流を放っては、光を相殺する。
「……今の」
エクリプスがオルテンシアの腕を操ってしたことだと理解が追いつくと、オルテンシアは自身の頬を叩いて気合を入れた。
「今度こそ、魔王を倒す!」
剣を構えてオルテンシアは走る。先程斬られた傷が痛むが、無視して可能な限り速く走って、魔王に向けて剣を振る。
「まだ歯向かうか…」
魔王は後ろへ跳んで距離を取りながら、再びエネルギーボールを放ってくる。しかし、それを薙ぎ払いながら突っ込んで、とうとう刃が魔王の首に届いた。
「…グッ!!」
斬られた瞬間魔王の姿が歪み、姿が変化する。……ラミア…だった。
「えっ…!?」
オルテンシアが驚いていると、「掛かったな」どこか嬉しそうな魔王の声が背後から聞こえ、オルテンシアは背中に強い衝撃を感じ、その瞬間、体が前方へと飛ばされる。周辺にあった調度品を薙ぎ倒しながら倒れ込む。
「…っ……」
全身が痛んで、指一本動かせない。辛うじて剣は手放さずに握っている。
(…ラミアが、魔王に化けていた…?)
魔王だと思って斬った首はラミアのもので、今背後から攻撃してきたのが本物の魔王だということのようだ。
後ろから、ゆっくりと近づく足音がする。頭では早く動けと体に指令を飛ばしていたが、体はピクリとも動かない。
「お前が戦っていたのは途中からラミアだったのだ。あやつの持っていた異空間を作り出す力を使い、我は同じ部屋に居ながら別の場所にいる状態だった。故にエクリプスもラミアが我だと誤認したのだろうな。……さて、もう動けぬか?つまらないな…」
やがて魔王はオルテンシアの脇に立っては、ゆっくりと剣に手を伸ばした。
「今度こそ、吸収させてもらおう」
オルテンシアは目だけを動かして、魔王の手が剣に伸びてくるのを見ていた。その時間は、まるでスローモーションのようにゆっくりと、長く感じられた。
(……私、"また"誰も救えないの?)
その一瞬の間に、苦い記憶が走馬灯のように思い出された。
それはまだオルテンシアが幼い頃……確か、四つになったばかりの頃だ。当時母は身重だったが、オルテンシアは遊びたい盛りで、母に構ってもらえないとよく癇癪を起こしていた。ある日も同じく、泣き喚いているうちにタンスにぶつかり、タンスの上から大きな花瓶がオルテンシアの頭の上に落ちてきた。慌てて母が庇ってくれたために無傷だったが、飛び掛かるようにオルテンシアを庇っていた母は、腹を強く打ち、流産してしまった。それ以来、母は何かと病弱になり、父は薬代を稼ぐために昼夜問わず働いた挙句事故死。母もその後流行り病で亡くなった。
オルテンシアは成長するに従って、赤ん坊が亡くなったのは自分のせいだと思うようになり、両親が亡くなったのも、自分に何も出来なかったからだと思っていた。両親も誰もオルテンシアを責めなかったが、全ての不幸に自分が関係しているという思いは、なかなか拭えなかった。エクリプスと出会った時、口では世の中の為と言いながら、本当はもし魔王を倒せたら、そんな思いを払拭出来るのではないかと、淡い期待を抱いていた。だからこそ常に前向きに、エクリプスに必要とされる人間でいようと振る舞ってきた。エクリプスと旅をしていく中で、成長していると思っていた。
(私は、本当に何も出来ない……)
結局オルテンシアは、昔から何一つ変わってなどいなかった。エクリプスも、ジオーラ達も、"また"自分のせいで死んで行くのだ。
(ごめんなさい…)
悔しいよりも、申し訳なさで涙が溢れる。自分が強がったせいで、皆にあらぬ期待を持たせてしまった。もし時間を巻き戻すことが出来たなら、せめてエクリプスに会った日に戻して欲しい。あの日、「私には出来ない」と断ることが出来たなら……
ーー信じて下さい。
「っ!?」
唐突に、オルテンシアの頭の中に、聞き覚えのある声が響いた気がした。その言葉を思い出した瞬間、オルテンシアの目に光が戻る。
(そうだ……いつだって…)
オルテンシアがどんなに泣き言を言おうが、自信を無くそうが、変わらず信じて導いてくれた。
オルテンシアはおまじないのように、頭に響いた声を復唱する。
「…だい…じょうぶ……」
ーー貴女は……
「わたし…は」
ーー強い。
「強いッ!!」
瞬間オルテンシアは全身に力を込めて剣を振る。もう少しで剣に触れそうになっていた魔王の手を切断する。
「ギャアァァァ!!」
突然のことに魔王も反応が遅れて態勢が崩れ、一瞬斬られた手に注意が逸れる。その一瞬の隙を、オルテンシアは見逃さない。
「おりゃあぁぁああ!!」
痛みで悲鳴を上げる体を、声を張り上げることで無視して起こし、その勢いで、魔王に突っ込んだ。
それと同時に、剣の刀身が白く輝き、剣が驚くほどに軽くなる。もはや、何も持っていないかのようだった。オルテンシアの頬を涙が伝う。
(ありがとう。エクリプス。一緒に、魔王を倒そうね)
それこそが、最大の恩返しだ。
オルテンシアは、上手く動かない足の代わりに精一杯腕を伸ばして、魔王の胸元に思い切り剣を突き刺した。
「ぐぎゃあぁああー!!」
魔王は、少女の見た目からは想像もつかない断末魔を上げると、ゆっくりと横倒しになる。何とか倒れる前に剣を抜いたが、それで力尽き、オルテンシアはその場に座り込む。
「…おわ…った…?」
倒れたきり動かない魔王を呆然と見つめ、やがて土が風化するように朽ちていくのを確認すると、ようやく実感が湧いてきた。
「エクリプス、やったよ!魔王を倒したんだよ!…エクリプス…?」
いつもならすぐにでも人型に戻りそうなのに、その気配はない。それに、何度呼んでも返事がなかった。
「まさか…」
ーー魔王を倒したら、エクリプスは今のような魔法剣ではなくなってしまうかもしれん……
いつかのオーガストの言葉を思い出す。
「……」
オルテンシアは、剣を掻き抱いて、涙を流す。
「…あなたのおかげで、こんな私でも、魔王を倒せたよ。ありがとう。エクリプス」
聞こえていないと分かりつつも、言葉を次がずにはいられなかった。
「……でも、ほんとはもっと、話したかった……魔王を倒す為じゃなくて、ただ楽しむ為の旅を、あなたとしたかったよ…」
ピシッ!
不意に物音がして、オルテンシアが周囲を見渡すと、壁や柱など、部屋の至る所にヒビが入り、崩壊していく所だった。恐らくこの城も、魔王の魔力で作られていたのだろう。
逃げなくてはと思いながらも、体に力が入らなかった。
「……もう、動けないや……終わったな…」
仲間たちは皆エントランスで戦っていたし、助けに来るのは難しいだろうが、逃げようと思えばすぐに逃げられるだろう。
「後は、任せたよ…」
オルテンシアは、その場で大の字に寝転がり、目を閉じる。短い人生だったけど、最期に世界を救う一助が出来たのだから、無駄にはならないだろう……。
(私、頑張った…よね?)
オルテンシアは、意識を手放す直前に、エクリプスの声を聞いた気がした。