第五章 魔王の城へ(4)
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「ようやく会えるな…」
黒を基調とした薄暗い部屋の中、豪奢な椅子に凭れて、呟く者があった。口調の割に高い声は、口調に似合わぬ若さを感じさせる。
「しかし魔王様。よろしかったのですか?人間達を使って、マスターを倒しておかなくて…」
近くにいたラミアが声を掛けると、魔王と呼ばれた者は、僅かに口角を上げて、組んていた足を組み替える。
「ちょっとした暇つぶしさ…」
エクリプスが生まれて百二十年。自らが魔王と呼ばれるようになったのはそれより十年ほど遡る。圧倒的な魔力で人間を寄せ付けなかった魔王だったが、エクリプスの登場で、ちょっとした番狂わせがあった。当初はただただエクリプスの存在が疎ましくて、排除することばかりを考え、世界征服の手を緩めてまで、エクリプスの気配があるところに魔族を派遣しては、破壊しようとしたが、魔族では無理だった。しかし、自らが出向くにはリスクが大きすぎる……しかしあるとき、エクリプスが剣で居られるのは使い手がいる場合のみであると気づいてから、エクリプスの使い手に狙いを絞るようになった。人間は欲深く、臆病だ。こちらが少し良い餌を撒いてやれば、簡単に飛びついた。
(どんなに聖人ぶっても、所詮は同じだ)
どのマスターも、エクリプスの思惑通りにはいかなかった。エクリプスがマスターを探す間に、多くの国をこちらの手中に収めていたことも大きな要因だったように思う。ここ数年は、エクリプスがマスターを連れて歩く様子すら見なくなっていた。しかし、エクリプスに何度遣いを送っても、エクリプスがこちらに来ることはなかった。人間の愚かさや救いようの無さを一番分かっている筈のエクリプスが、それでもなお、自分を倒す意志を曲げない理由が、魔王には心底分からなかった。故に興味を持ち、直接会って話をしたいと思っていたのだ。
(余程の信念か……或いは、莫迦の一つ覚えか…)
どちらにせよ、いい暇つぶしになりそうだと、魔王の機嫌は良くなって、サイドテーブルに置かれていたグラスに入った赤ワインを飲み干した。
「お前はエクリプスをどう見た?」
そう、ラミアに問いかける。今のところ、側仕えの魔族で直接エクリプスと対決して生還したのはラミアだけだ。
「そうですね……エクリプスは、余程人間が好きだと見受けられました。特に今のマスターへの思い入れは強いようです。マスターの為に使命を放棄しそうになっていましたし……きっと自分の子どもか何かと思っているのでしょう。ですから、今のマスターさえなんとかすれば、エクリプスはもう魔王様に歯向かっては来ないのではないでしょうか?」
「そうだな……今度こそ破壊することが叶うかもしれん。……まあ、マスターがどんな者かを見てからでも良いか…」
どこか楽しそうに話す魔王を見て、ラミアは溜息をついた。
「どんな者も何も、そこらにいる子どもと大差ない子どもですよ?特別な力も何も持ってはおりません。魔王様が期待する程のことはないかと…」
「しかし、エクリプスが選んだのだろう?あやつが選ぶマスターは尽く、剣の腕が立つ者だった。それでなくとも、我に対する反抗心の強い者ばかりだったように思う。恐らく今回も、そのどちらかか、或いは両方を兼ね備えたマスターだろうよ」
「…そうでしょうね…」
「とりあえず、森に魔物を放っておけ。マスター以外にも人間がいるらしいな。まずはそやつらを始末しろ」
「畏まりました」
ラミアが部屋を出ると、魔王は再びゆったりと座り直す。
「少しは楽しませてくれよ…」
※
「ああ!クソッ!次から次にっ!!」
ジオーラは苛立ちながらも、剣を振る手を休めない。
「こちらの体力切れでも狙っているようじゃな…」
オーガストも魔法で対抗しつつ、額に汗を浮かべていた。
森に入って少しすると、あちらこちらから魔物が現れては、襲い掛ってきた。一体一体の力はそれほどでもないのだが、倒しても倒しても沸いてくるので、さすがに疲れてくる。
「魔王と戦う力を残しておかなくちゃいけないのに…」
オルテンシアも剣で応戦するが、オルテンシアに向かってくるより、ジオーラやオーガストに向かっていくほうが圧倒的に数が多い。
「何なんだろう?エクリプスを警戒しているのかな?」
『……いいえ。これはむしろ……』
「ん?」
オルテンシアの問いに対し、エクリプスは歯切れが悪い。
『魔物達の狙いは、ジオーラとオーガストではないでしょうか?二人をマスターから引き剥がす……もしくは、始末したいのではないかと…』
「そ、そんなっ!!」
思わず叫んでしまったが、オルテンシアも心の中では同じことを考えていた。けれど、ここで泣き寝入りはごめんだ。
「エクリプス。何かいい方法はない?」
『……確証はありませんが、試したいことがあります』
「いいよ!やってみよう!」
『分かりました。では……しばし私の剣先を天に向けるようにして構えたまま、じっとしていてもらえませんか?ジオーラやオーガストを側に寄せて、魔物をなるべく集めて下さい』
「わかった!」
オルテンシアはエクリプスの言う通りに二人を側へ呼ぶと、剣を構える。すると、自然と十数匹はいる魔物に周囲を囲まれる形になったが、オルテンシアが剣を構えている為警戒してか、魔物はすぐには襲って来なかった。
「これでどう?エクリプス」
『上出来です。あと数秒、そのままでお願いします』
「うん」
オルテンシアは力強く頷くが、ジオーラは少し不安そうだった。
「おい、アン。エクリプスは何をするつもりなんだ?」
聞きながらも、目では今にも飛び掛かってきそうな魔物を見つめ、いつでも反撃出来るように剣を構えている。しかし呼吸は荒く、疲れていると分かる。それは、オーガストも同じだった。
「わからない。でも、きっと上手くいくよ!エクリプスは、出来ないことや嘘は言ったことないから」
オルテンシアが自信を持って言うと、ジオーラは笑う。
「そうだったな」
しかし、魔物の一匹が、とうとうこちらに向って踏み出し、他の魔物も釣られたように動き始めた。一行が息を呑んだ、その時。ーー
「っ!?」
唐突にエクリプスの刀身が白く輝いた。それはいつもの輝きの数倍で、目を開けていられないほどに強く、広範囲のものだった。思わず目を閉じたオルテンシア。しかし、光が収まったのを感じて、恐る恐る目を開けた時には、辺りにいた魔物は一匹残らず消えていた。
「な、何が起こったんじゃ…」
あまりのことにオーガストが目を見開いて固まる。
「あたしにも、何がなんだか……急に眩しくなったと思ったら…」
ジオーラも首を捻る。
「エクリプス?」
オルテンシアが声を掛けると、エクリプスが人型になった。いつもの穏やかな笑みを浮かべている。
「先ほどの光で魔物を消しました。私にもどういう原理か分かりませんが、思った通りに出来て良かったです」
そう誇らしげに話すエクリプスを、三人はしばし無言で見つめる。
「エクリプス……あなたって…最っ高!!」
「…っ!?」
オルテンシアは、エクリプスに思い切り抱きついた。エクリプスは驚きながらも、嬉しそうにオルテンシアの背を撫でる。
「ほんと、凄いな!なんて隠し玉持ってんだよ!」
ジオーラも言いながら、エクリプスの背中をバシバシ叩く。
「いえ、隠していた訳では……なんだか、唐突に閃いたのです」
「それって……レベルアップしてるってこと?」
「かもしれません。相当魔物を斬ってきましたし、魔族も倒していたので」
「確か、倒した魔族の能力は使えるようになっていたよな。でも…今みたいな力を使った魔族はあたしは見たことないぞ?あたしがあんたらに会う前に倒したやつか?」
「ううん。私も知らないから、たぶん、魔族の技のコピーじゃないと思う」
「じゃあ、エクリプスのオリジナルだ!ますます凄い!」
盛り上がる二人の横で、オーガストは感慨深げに頷いた。
「恐らくは魔王に起因する力かもしれんのう。エクリプスは、これまでの戦いで成長しとるんじゃろう。魔物や魔族の力を吸収して、より魔王に近しい力を得ているのじゃな…」
「なら、やっぱりエクリプスなら、魔王を倒せるんだね!」
嬉しそうに話すオルテンシアに対し、エクリプスは少し不服そうにしてみせる。
「勿論です。私は魔王に特効です」
「ああ、ごめん!疑ってたんじゃなくて、証明出来るなって思ってさ。今のやつ、さっきの町の人に見せられたら、みんなエクリプスの味方してくれたんじゃないのかなぁーって、思っただけ」
オルテンシアが言うと、ジオーラも頷く。
「確かに、それぐらい威力あったよな」
「……安心するのは、まだ早いようじゃ」
オーガストが不意に表情を険しくする。オルテンシアが背後を振り返ると、ズシン、ズシンと大きな足音を響かせながら、大きな魔物が姿を現した。体の右半身はライオン、左半身はヤギで、尾は蛇。体長はゆうに五メートルはあるようだった。
「き、キマイラ…か?」
ジオーラが信じられない物を目にしたというように、目を見開いて固まった。
「キマイラ?」
オルテンシアが首を傾げると、「神話に出てくる怪物じゃ。口からは火炎を吐き、大地を荒らし回るとされておる…」と、オーガストが答える。
「神話?神話って、例え話じゃないの?まさか、ほんとに…」
オルテンシアが驚いて言葉を失うと、ジオーラも頷いた。
「ああ。神話の化け物が本当にいるかどうかなんて、あたしにも分からないけど、かつてはドラゴンだって居たっていうんだから、キマイラだって実在するのかもな……あるいは、魔王が作ったのかも……けど、確かなのは、こいつを倒さないと魔王の城には行けないってことだ」
言いながらジオーラは剣を構える。
「ねえ、エクリプス。さっきの、もう一度出来ないかな?」
「……すみません。あれをやるには、少し回復が必要なようです…今は出来る気がしません…」
「えっ?回復?エクリプスって、どうやって回復するんだっけ?」
オルテンシアの言葉を受けて、エクリプスは辛そうに顔を歪める。
「……魔物や魔族を斬れば…」
「……そっか…」
先程のような魔物は、恐らくエクリプスがすべて倒してしまった。今は目の前のキマイラしか居ないようだ。
「やるしか、あるまいの。……儂は火炎の攻撃に備えてシールドなどのサポートに回る。ジオーラとオルテンシアは、隙を見て、斬り掛かってもらえるかの?」
「上等っ!!」
「わ、わかった!……エクリプス」
すぐに臨戦態勢を整えるジオーラと違い、オルテンシアは恐怖が拭えない。今まで見たどんな魔物よりも大きいキマイラを前に、足が竦む。それでも、意を決してエクリプスに手を伸ばすと、エクリプスは少し思案げにした。
「ーーマスター。貴女の体を借りてもいいですか?」
「…え?」
「私が、貴女の体を動かします。貴女はただ、私を離さないでいてくだされば良いです」
「で、でも……それはあまり長い時間は出来ないし、力も半減するって…」
「ですから、早くに決着をつけましょう」
「大丈夫!あたしも、遅れは取らないからさ!」
ジオーラが笑って見せる。
「う、うん……ごめ…」
「勘違いしないで下さい。マスター」
オルテンシアが謝りそうになると、エクリプスが強く固い口調で割って入った。それでオルテンシアが弾かれたようにエクリプスを見上げると、エクリプスはオルテンシアの予想とは違って、優しい笑みを浮かべていた。
「マスターなら、いずれキマイラも倒せるくらいの剣士になれますよ。それくらいの育て方はしてきました。そうでなければ、私が操ったとしても、戦いになりません。ただ、マスターはまだ若い。恐怖が勝るのは当然です。それは恥ではありませんし、マスターは魔王を倒すのですから、雑魚くらいは、私に任せて下さい」
「雑魚とは言ってくれるなぁー」
ジオーラは苦笑いする。
「これを雑魚と言える神経が羨ましいよ」
「大丈夫です。こんなのは虚仮威しですよ。ジオーラの敵ではありません。自信を持って」
「お、おう…」
ジオーラは思わぬ励ましに目を瞬かせたが、すぐに眼前のキマイラに集中した。
「さあ、行きましょう!!」
エクリプスはそう言ってオルテンシアの手を取った。オルテンシアがエクリプスの手を強く握ると、エクリプスは剣に変じる。オルテンシアは剣を構えてキマイラに向き直るが、その動作は既にオルテンシアの意思ではなかった。まずはジオーラがキマイラの左前足に斬り込む。キマイラの足には斬り傷が出来たが、キマイラは少し体が傾いただけで直ぐに体勢を立て直して、怒ったように四肢を滅茶苦茶に踏み均す。
「おっと!」
ジオーラはそれに巻き込まれない様に避けつつ、隙をついて別の四肢に繰り返し斬り込む。キマイラは苛立ち、ジオーラを踏みつけようと躍起になっている。
『マスター。我々も行きますよ』
「うん。お願い!」
オルテンシアの言葉を合図に、オルテンシアの体はキマイラに向って駆けていく。そうしてキマイラの背後に回っては、ジオーラの死角から噛みつこうと狙うキマイラの尾を斬りつけた。
「グギャアァ!!」
すると、ひしゃげた悲鳴を上げて切断された蛇の尾は、一瞬で灰のように消えた。
「エクリプスの攻撃なら一撃で倒せるってことは、キマイラも魔物と一緒ってことだな」
ジオーラは笑みを浮かべ、引き継ぎ攻撃を続ける。そのとき、キマイラのライオンの口が、仄かに明るくなってきたのを、オルテンシアは見た。
「ジオーラっ!!」
オルテンシアが言ったか言わずかで、ライオンの口から炎が噴き出した。ジオーラの背後に炎が迫る。しかし、ジオーラは少しも慌てずに振り返ると、炎を剣で受けた。
『そうか、火竜の剣』
エクリプスが感心したように呟いた。
ジオーラの剣は、炎を吸収し赤く光る。
「おりゃあぁあ!!」
キマイラが吐いた炎を全て吸収しきると、ジオーラはキマイラを斬りつける。今度は跳び上がって首を狙うが、またしても軽い切り傷が出来ただけだった。
「クソッ!固い!」
それを見て、ジオーラは悔しそうに舌打ちする。
「やっぱり、私達が頑張ったほうがいいみたいだね」
『行きますよ』
「うん!」
オルテンシアはキマイラの右前足に斬り込んだ。すんなり刃が通り、右前足を切断する。切断されてバランスを崩したキマイラは前のめりに倒れ込んだ。ライオンの顔は地面にめり込んだが、ヤギの頭は首を回してバランスを保って、オルテンシア目掛けて炎を吐いた。
「ッ!!」
オルテンシアに炎が直撃するかと思われたが、まるで見えない壁にぶつかったかのように、一定の距離で炎が左右に流れ、オルテンシアが炎に巻かれることはなかった。オルテンシアが視線を巡らせると、オーガストがこちらに向って杖を構えているのが見える。オルテンシアと目が合うと、軽く頷いて見せた。
「ありがとう!オーガスト」
オルテンシアは炎に隠れるようにして素早くキマイラの横に回り込むと、ヤギの首に斬りかかる。先程のようにすんなり刃が通ると、ヤギの首が落ちて消えた。そして、キマイラの体がゆっくりと横倒しになる。
「やった!」
『いえ。まだです』
エクリプスの言う通り、キマイラは三本の足でなんとかバランスを取りながら体を起こし、ライオンの金の瞳が鋭くオルテンシアを睨んだ。そして再び口から炎を吐こうと口を開く。
「確かに、図体がデカいだけで対した奴じゃないな」
ジオーラはそう言って、オルテンシアとキマイラの間に入る。口の中で小さく何事かを呟くと、剣の切っ先をキマイラに向ける。すると剣は炎を纏って赤く輝いた。
「すごい…」
周りの雪を溶かすほどの熱気を放ちながら、剣の周りを渦巻く炎と、キマイラを真っ直ぐに見つめる凛としたジオーラの立ち姿は、どこか現実離れした存在感を放っており、オルテンシアは状況も忘れて見入っていた。
「これでも喰らえ!」
ジオーラが叫ぶと同時に、剣に纏っていた炎は一直線にキマイラへと流れていった。竜がとぐろを巻くようにキマイラへと纏わりついたと思った刹那、キマイラの全身を包む大きな炎と化した。
「グオォォォオオー!!」
キマイラは叫びながらのたうち回る。やがて再び横倒しになると、灰になって消えていった。キマイラが消えると、炎も自然に消失し、辺りは静まり返る。ただ、キマイラの居た辺りだけ雪が解けて、土の地面が剥き出しになっており、そのことが唯一、この場で起こったことを証明していた。
「ふん!口から炎を吐くくせに、炎で焼け死ぬなんてな」
ジオーラは軽く息を吐いて眉を顰める。
「やっぱりすごいね!ジオーラ」
オルテンシアが駆け寄ると、ジオーラは笑ってオルテンシアの頭を軽く撫でる。
「アンもよく頑張ったな」
「…もう。子ども扱いしないでよ。それに、ほとんどエクリプスが動いただけだし…」
「ごめん。可愛くてつい…」
「……むぅ…」
一行はそれからは妨害を受けることなく進んだ。やがて唐突に、先の尖った屋根を持つ、全体的に黒い城を発見した。
「雪の中に黒い城かぁ~。なんか、いかにもって感じだな…」
「これが、魔王の城?…って、エクリプス。大丈夫?」
オルテンシアがエクリプスを振り返ると、エクリプスは顔を歪めて頭を押さえていた。
「……だ、大丈夫です……ちょっと、頭を締め付けられるような感じがして……恐らく、魔王が近いせいでしょう」
「どこかで休む?」
「いえ。大丈夫です。やっと魔王の城までやって来たんです。休んでなどいられません」
エクリプスは頭を振って眼前の城を睨見つけると、そのまま入り口へ向って歩き出した。
「エクリプス……」
どこか近づき難い雰囲気を感じて、オルテンシアは一瞬足が止まる。その肩に、軽く触れるものがあり、振り返るとオーガストが、肩に手を載せていたのだった。
「エクリプスは少し殺気立っておるようじゃな。魔王を前にして、我を忘れぬと良いが…」
「我を忘れる?」
「エクリプスの長年の因縁じゃ。もはや呪いのようなものじゃろう。そんな相手を前に、冷静でいられるかどうか…」
「それは…」
オルテンシアは、いつかのラミアとの出来事を思い出す。オルテンシアが傷つけられたことによって逆上し、周りが見えなくなっていた。あのときはなんとか拘束し、オルテンシアの声に耳を傾けてくれたが、今回はどうだろうか……。
「……きっと、大丈夫。エクリプスは、魔王に近づいているのかもしれないけど、魔王とは違うもの。エクリプスは、人類の味方だよ」
半ば自分に言い聞かせるように呟くオルテンシアをオーガストは優しい目で見つめては、軽く肩を叩く。
「そうじゃな。オルテンシアが気を強く持っていれば、大丈夫じゃ。儂らも全力でサポートするからの」
「うん!」
オルテンシアは、一足先に城の入り口へと辿り着いたエクリプスに駆け寄る。ジオーラとオーガストも続いて、四人は横並びになって、自然と目線を交わす。
「…行きましょう」
低く、緊張した様子で言いながら、エクリプスは城の扉に手をかけるが、扉は勝手に向こう側へと開いた。広々としたエントランスは静まり返っている。ただ、エントランスの真ん中に、ラミアの姿があった。ラミアは一行の姿をみとめると、上品に微笑んでお辞儀する。
「ようこそ。勇者御一行様。よくここまで辿り着きましたね。ですが、タダで魔王様の前に通すのでは面白くありませんからー」
ラミアはそこで一度言葉を切った。すると、黒い靄のようなものが現れ、エントランスのそこかしこに人一人分程の大きさで漂っていた。計四つあるそれは、やがて人型に変化する。
「あいつらは……!」
ジオーラが険しい顔で呟く。
そこには、以前倒した魔族の姿があった。ソイル、シュネー、ヴィシャス……。いずれも何事もなかったかのように、一行を嘲笑うような笑みを浮かべていた。そしてもう一人、丸い銅鏡を抱えた少女が一人。他の魔族のように靄から現れたので魔族に違いないのだろうが、白い長く真っ直ぐな髪に、色白の肌。爪が鋭いわけでも、牙や角があるわけでもなく、その姿はあまりにも人間のようだった。少女は目を閉じ、静かに佇んでいる。
「お!いつぞやの子猫ちゃんじゃないか!まぁ~だエクリプスとつるんでたんだなぁ〜。せっかく忠告してやったのに……ま、いいや。また俺と遊ぶか?」
ソイルが嬉しそうに言うが、その横でヴィシャスが大袈裟に溜息をついては、首を振る。
「なにが"子猫ちゃん"だよ……その"子猫ちゃん"に殺られたくせに…」
「あぁ?」
瞬間ソイルはヴィシャスを睨むが、ヴィシャスはどこ吹く風。
「この前の借りは返すからな」
そう言って一行を睨んだ。
「ど、どうしよう…」
オルテンシアは無意識に半歩後ろに下がった。先程からずっと寒気がしていて、自分の心臓の鼓動が煩いほどにはっきりと聞こえている。冷たい汗が体を伝った。
一度倒したとはいえ、相手が油断していたり、仲間と協力したから倒せた相手ばかりだ。それを同時に複数相手にするのかと思うと、とたんに自信がなくなり、恐怖に支配される。
(……こんなの、無理だ…)
そう思っていると、不意に右手を掴まれ、強く握られた。驚いて横を見れば、エクリプスが魔族達を見据えたまま、手を握っていたのだった。一瞬、戦うことを催促されたのかと思ったが、「大丈夫。貴女は一人ではないですよ」と言っては、チラリとオルテンシアに目線を寄越したのを見て、スッと寒気が引いた心地がした。我ながら単純だと呆れつつも、今はその単純さが有り難かった。
「…行くよ!エクリプス。みんな!」
オルテンシアが声を上げると、皆も力強く頷いては武器を構え、エクリプスは剣に変じた。魔族達も臨戦態勢に入る。両者はしばし睨み合ったのち、ほとんど同時に距離を詰めた。ソイルが繰り出した拳をジオーラの剣が凌ぎ、シュネーの氷の礫をオーガストの魔法が相殺する。ヴィシャスが瞬間移動をしながら一行の隙を狙って鋭い爪で斬りつけてくるのを、オルテンシアがエクリプスの声を頼りに凌ぐ。城のエントランスは、乱戦状態となっていた。そんな中、ラミアと銅鏡を持った少女は動かずに戦況を眺めている。
「あの二人……何してるんだ?」
ソイルと交戦しながらジオーラが問うと、ソイルは口の端を上げて鼻を鳴らす。
「さあな?……おっと!」
ソイルは言いながらジオーラを避けて、ソイルに背を向けてヴィシャスの爪を凌いでいるオルテンシアに攻撃をしようとしたが、ジオーラの剣に阻まれた。
「アンは殺らせないよっ!」
ジオーラが睨み、剣に炎を纏わせると素早くソイルを斬りつける。ソイルも反応して瞬時に身を引いたが、半歩遅く、ソイルの左肩にジオーラの剣が掠めた。軽く掠めただけに関わらず、ソイルの体は業火に包まれる。
「があぁあぁあ!!」
ソイルは叫び声を上げて燃え尽きる。
「よし!……ん?」
ジオーラは安堵の笑みを浮かべたがしかし、数秒後に起こった出来事に目を疑った。戦う者達より数メートル離れた所に立っていた少女の持つ銅鏡が一瞬キラリと光ったかと思うと、確かに燃え尽きた筈のソイルが、全く無傷の状態で現れ、不敵な笑みを浮かべていたのだ。
「なっ!?」
ジオーラが言葉を失うと、ラミアが愉しそうに高らかに笑った。
「お楽しみは、これからよ!」
そう言うと、少女の持つ銅鏡が再び眩い光を放つ。一行は眩しさ故に目を閉じた。
(これ、まるで…)
目を閉じながら、オルテンシアはこの光に既視感を持っていた。まるでそれは、エクリプスが魔物を一瞬で消し去った、あの光のようだった。しかし、一秒に満たないうちに光が弱まり、一行が目を開けると、そこにはーー
「これは……インプ…か?」
オーガストの緊張した声が聞こえる。
インプは、体調百二十センチほどで、爬虫類のような深緑の肌、長い耳と鼻を持ち、濁った瞳でニタニタと厭らしい笑みを浮かべて笑う、魔族がよく手下として扱う魔物だった。けして力が強い訳でも、賢い訳でもないがすばしっこく、手近の物を破壊し尽くすまで暴れることで知られている。そんなインプが、エントランス中に現れていた。その数は十や二十ではきかない。百はいる勢いだ。
「いいねぇ!盛り上がってきた!」
ソイルは嬉々として再び一行に襲い掛かる。魔族達の攻撃に加えて、インプ達も襲ってくる。インプ達は知性が低いので攻撃の統制は取れておらず、仲間同士でぶつかることもしょっちゅうだったし、一太刀で斬り捨てられるのだが、それでも一行の体力を削るには充分だった。しかもインプは、斬っても斬っても復活してきた。
「くっ!これじゃキリがない!」
さすがのジオーラも息が上がっている。
「……やはり、あの銅鏡が、怪しいのう…」
オーガストも苦しげに顔を歪ませながらも、魔法を放ち続ける。炎、雷、水と様々な技を放ちながらも、確実に魔力は削られているようで、どんどんと勢いが落ちてくる。そんな中でも銅鏡を持った少女に近づこうとするも、インプや魔族に阻まれ、なかなか進むことが出来ずにいた。
「フフ……年寄りにはキツいだろ?」
オーガストの魔法が弱まったと見るや、ヴィシャスが瞬間移動でオーガストの真横に移動する。そうして鎌に変化させた右腕を大きく振り上げた。オーガストは咄嗟のことで反応が遅れて為す術がない。
「オーガストっ!!」
いち早くそれに気づいたジオーラは助けに向かいかけたが、
「おっと!」
それをソイルに阻まれ動けない。
「ッ!!」
それを見るや、オルテンシアの中で何かが弾けた。自分で意識するより早く足が動き、無我夢中で駆けていた。側にいたインプを見もせずに感覚だけで薙ぎ払い、一気にヴィシャスとの距離を詰める。
「ヴィーシャースーッ!!」
ヴィシャスを睨見つけ、叫びながら、思い切り剣を振るうと、ヴィシャスの右腕は切断されて宙を舞った。
「ぅがぁあ?……クソッ!また、お前かぁ!」
ヴィシャスは血が流れる右肩を押さえながらオルテンシアを睨む。オルテンシアは反撃される前に、ヴィシャスの胸に、素早く剣を突き刺した。
「うがぁあ!!」
ヴィシャスは断末魔を上げて消えるが、すぐに無傷で復活した。
『やはりキリがありませんね。オーガストが言っていたように、銅鏡に秘密がありそうですが…』
「どうやって近づけば…」
倒しても復活する魔族やインプに、一行の疲労感だけが溜まっていく。徐々に動きも鈍り、時折インプに傷を負わされるようになってきた。一行は互いを守り合うように背中を合わせて戦っていたが、一向に打開策が浮かばない。
「クソッ!もっと数がいればな…」
ジオーラが悔しそうに呟く。その横で、オルテンシアも唇を噛み締める。
(そうだ。せめて、門の所にいた兵士達でも居てくれれば…)
ふと、門の前に置いてきたユースティティアの顔が思い浮かぶ。
(また会おうって約束したんだ。こんなところで負けてられないのに…!)
体力の限界が近い。インプを二体斬り伏せてから、霞んできた目を擦っていると、
『マスターッ!!』
不意に緊張したエクリプスの声が頭に響く。
「…え?……ッ!!」
「もらったぁー!!」
「アンッ!!」
ソイルの嬉々とした声とジオーラの叫びが同時にこだまする中、ソイルの拳がオルテンシアの顔面に迫る。オルテンシアは思わず目を固く閉じた。
ーーゴンッ!
鈍い衝撃音がしたが、オルテンシア自体は何の痛みも感じなかった。それで恐る恐る目を開けると、目の前に誰かが覆い被さっていた。
「エクリプスッ!!」
見れば、エクリプスが身を盾にしてオルテンシアを守っていた。
「お怪我はありませんか?」
「うん。大丈夫。エクリプスは……ッ!!」
体をずらしてエクリプスの体を確認してみて、言葉を失った。
エクリプスの背中の中央部は、服が焼き切れたようになっており、露出した肌は赤黒く変色している。どうやらソイルの拳を、背中に受けたようだ。
「チッ」
狙いを外したソイルは悔しそうに舌打ちした。
「エクリプス!い、痛く、ないの…?」
今にも泣き出しそうな声でオルテンシアが問うと、エクリプスは笑って首を振る。
「ええ。全く」
「ご、ごめんね。油断、してた」
「いいえ。マスターはよく頑張っていますよ。ただ、状況が悪い…」
エクリプスは厳しい顔をしてオルテンシアから離れては、オルテンシアを庇うように前に立った。一度軽く目を閉じてからカッと見開くと、一行の周囲に居た数十体のインプが、一斉に何かに切られたように真っ二つに裂けては消えた。魔族達も、気圧されたように動きを止めた。
「また力が強くなったみたいだな」
お見事とでも言いたげに口笛を吹いてヴィシャスは言った。
「やっぱりお前、俺達と一緒に居たほうがいいんじゃないか?魔王様もそのほうが喜ぶしな」
ソイルも嬉しそうに言う。
「…誰が」
エクリプスは低い声で呟いては、銅鏡を睨んだ。すると銅鏡が割れて床に散らばった。
「きゃあ!」
銅鏡を持っていた少女はその衝撃で後ろに倒れ込んだ。
「さすがね…」
ラミアは苦々しく呟きながら少女を助け起こす。
「これで、復活は出来ませんよね?」
エクリプスが問うと、ラミアは意味ありげに笑う。
「ええ。私達の意思ではね。……でも、魔王様がいる限り、私達は不滅よ」
「それに、インプなんか居なくても、あなた達は私達の敵にはなりえなくってよ!」
シュネーが両腕を大きく広げると、無数の氷の剣が生まれて、一行の元へ飛んできた。オーガストが瞬時に皆の頭上へバリアを張って凌ぐが、その間にもソイルやヴィシャスの攻撃が再開された。
「エクリプス!」
オルテンシアはエクリプスの手を取るが、エクリプスはなかなか剣になろうとしない。
「エクリプス?どうしたの?」
「……マスターは少し休んで下さい。私の間合いにいて下されば守れます」
「えっ…でも…」
ジオーラもオーガストも休まずに戦っている。自分だけが休む訳にはいかない。それに、休むなんてことが出来る状況とも思えなかった。
「ダメ!私も戦う!みんなでやらなきゃ、敵わないよ!」
「……」
エクリプスは、迷うように視線を彷徨わせる。オルテンシアには、エクリプスが何を迷っているのか分からなかった。
「エクリ…」
バンッ!!
オルテンシアがエクリプスに声を掛けたのと同時に大きな物音がした。それは入り口の扉の方向で、オルテンシアが振り返ると、扉が大きく開いており、外から大勢の銀の鎧姿の兵士が入って来るところだった。
「我らアッサムの軍は、魔王を討伐を参った!皆、勇者に続けーっ!!」
「オォオー!!」
数にして数十……いや、続々と入ってくるので、百はくだらないかもしれないと、オルテンシアは目を剥いた。
「この人達って…」
オルテンシアが呟くと、エクリプスが頷いた。
「関所の門を守っていた兵士と同じ鎧ですね」
「てことは…!」
オルテンシアが目を輝かせると、にんまり笑ったジオーラと目が合った。
「ああ!きっと、ユースティティアがやってくれたんだ!」
アッサムの兵士達は、魔族を牽制しながらオルテンシア達一行を囲んで守ってくれる。これにはさすがの魔族達も、一旦後方に下がった。
「待たせちゃってすみません。でも、間に合って良かったです!」
不意にオルテンシアに話しかけてきた兵士がいて、オルテンシアが兵士に顔を向けると、明るい金髪と青の瞳を持った青年と目が合った。
「ジャックさん!」
オルテンシアが名を呼ぶと、ジャックは嬉しそうに頷いた。
「あのあと、もう一度隊長に掛け合っていたら、魔王から"勇者を通せ"と命令があったんです。それから程なくして、ユースティティアさんが広場でみんなに向けて呼びかけ始めて、俺もそれに便乗しました。やがて一人二人と増えていって、隊長も折れてくれたんですよ」
「ユースティティアさんが…」
人前で意思を伝えるのが苦手なユースティティアが、懸命に町の人達に訴え掛けているのを想像して、オルテンシアは目頭が熱くなるのを感じていた。
「ここは俺達が引き受けます。皆さんは、魔王の所へ」
ジャックに言われて頷こうとしたオルテンシアだったが、不意にジオーラが割って入った。
「いや。行くならアンとエクリプスだけにしよう。あたしら四人が同時に抜けたりしたら目立つ」
「で、でも、城の他の場所にも魔族がいるかも…」
不安になるオルテンシアだったが、ジオーラはきっぱりと首を横に振った。
「これは勘だけど……この城にいる魔族は、あの五人だけなんじゃないか?」
ジオーラは同意を求めるようにエクリプスを見た。エクリプスはそれに頷く。
「ご明察です。魔族の気配はここだけ。後は……魔王の気配がするだけです」
「やっぱりな!」
「えっ?ここって魔王のお城だよね?なんでそんなに少ないの?」
「それは恐らく、魔王が儂ら人間を侮っておるからではないかの。今まで魔王の元にエクリプスを連れて来れた人間はいなかったんじゃから…」
「そっか」
オルテンシアは納得したが、エクリプスは少し険しい顔をする。
「それとも、わざと手薄にして私がやって来るのを待っているのかもしれませんね。いずれにしても、早くにかたをつけたほうがいいでしょう。いくら数ではこちらが優勢とはいえ、相手は上位の魔族。いつまで耐えられるか分かりませんし、戦況が長引けば、各地から魔族がここへやってくるかもしれません」
「だな!…ってことでアン。あたしらはなるべく派手に暴れるから、その隙に先に進んでくれ」
「わ、分かった。みんな、気をつけてね」
オルテンシアが仲間一人一人の顔を見つめると、ジオーラもオーガストもジャックも、力強く頷いてくれる。
「オーガスト。休んでなくて大丈夫かい?だいぶ魔力を消耗しただろ?」
ジオーラが声を掛けると、オーガストは鼻を鳴らす。
「儂はまだまだ動けるわい。……じゃが、何があるか分からんから、後方支援に回わらせて貰おうかの」
「あいよ!」
ジオーラは笑って再び剣を構える。
「あたしだって、その辺の兵士にゃ、負けるつもりはないからね!」
そうして兵士に交じり、戦い始めた。兵士のお陰で味方は増えたが、魔族の身体能力は高く、複数人でやっと一人の相手が出来るといった具合で、けして優勢ではなかった。更に、突然床が所々盛り上がり、やがてそれが不揃いな岩を組み合わせた人形のように変化する。体長二メートルはあろうかという岩の人形は、ぎこちない歩みとは逆に、その腕力は凄まじく、一振りで兵士が飛ばされていく。当たりどころが悪ければ、そのまま絶命しそうな勢いだ。おまけに剣が通らない。それが目視出来るだけで五体は確認できた。
「あんなの、どうすれば……」
オルテンシアは不安になって、エントランスを離れようとした足が止まった。あの岩の人形も魔族だろうか?それならエクリプスを使って、倒せたりしないか?それよりも自分が、魔族を倒してきたほうがいいのではないかーー
「……マスター。行きましょう」
エクリプスは迷うオルテンシアの腕を掴んで引く。
「でも!」
「魔王がいる限り、戦いは終わりません」
「ッ!!」
思いの外、硬く強い声音で言われて、オルテンシアは弾かれたようにエクリプスの顔を見上げた。エクリプスの表情は険しく、剣術の稽古をつけてくれていた時のようだ。
「いくら倒しても、魔王がその気になればいくらでも、新しい魔族が生み出せるのです。ここにいる人達を助けたければ、魔王を倒すのが一番です」
そう言って、半ば引きずるようにオルテンシアを階段へと誘った。
「……わかった」
エクリプスは良くも悪くも冷静で、客観的だ。つい感情で動きがちなオルテンシアと違い、常に周りやその後のことを考えて最良の選択をする。特に魔族との戦いの中で下す判断が間違っていたことはなかった。
(エクリプスが一番、魔王や魔族のことが分かってるんだ。私も、冷静にならなきゃ…)
ジオーラやオーガスト、兵士達の命が危険に晒されていることを思うと、泣きたくなる程不安で、恐ろしい……。けれどエクリプスは、オルテンシアの気持ちが整うのを待ってくれる様子はない。それだけ、状況は切迫しているのだ。
エクリプスに促されて、オルテンシアはようやくエントランスを離れ、エントランスの左右にある階段のうち、手近な左の階段を駆け上がった。左右どちらの階段から登っても、同じフロアにたどり着くようだ。
「…え?」
二階に上がり切る直前にちらりとエントランスを見ると、一瞬ラミアと目が合った。ラミアは僅かに口角を上げて笑うと、すぐに眼前の兵士に集中し、魔法のような攻撃を繰り出していた。
「どうかしましたか?」
オルテンシアの様子に気づいて、エクリプスが声をかけてきたが、結局首を横に振るに留めた。
(……きっと、気のせいだ)
目が合った気がしただけ……そう考えていないと、体が震え出しそうだった。もし仮に、騒ぎに乗じて自分とエクリプスが魔王の元へ向かうのが魔族側の意図するところだったら、自分達は魔王の手の平で踊らされているに過ぎない……本当に、このまま二人だけで先に進んで良いものだろうか……。
(きっと大丈夫。私が、エクリプスを魔王に向けることさえ出来れば、必ず勝てる!)
オルテンシアは浮かんだ考えを振り払うように、一度大きく頭を振った。