第四章 使命と願いと……(4)
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その夜。オルテンシアはベッドに横になっていながら、なかなか寝付けなかった。
あのあと、カザンの宿屋に泊まって疲れを癒すことにした一行は、温泉に入ったり、山の味覚が満載のご馳走に舌鼓を打ったりしながら過ごした。魔法による結界や、キエル達守護者のお陰で基本的に魔物や魔族に襲われる心配がなく、一行は一時魔王の脅威を忘れる事が出来た。出来たのだが……
「…なんとかして、エクリプスの人格を残してあげられないのかな……」
オルテンシアは、考えても仕方がないと思っていながらも、考えずにはいられなかった。確かに、魔王を倒すために生まれた剣なのだから、魔王を倒すことが出来ればそれで良いのは分かるが、エクリプスが人間になりたいと、夢を語る程の自我が失われるのは、なんとも惜しいというか、あんまりだとも思った。百二十年もの間、魔王を倒す為にマスターを導いてきたエクリプス……役目を果たした暁には、何か褒美があっても良いのではないか?むしろ、褒美を渡し、労ってやりたい……オルテンシアはずっとそう思っていた。
魔王は倒すべきだ。しかし、魔王を倒すと、エクリプスの自我は失われる。ならば、魔王を倒す前にエクリプスを人間にするしかないが、そうすると剣のエクリプスは失われ、魔王を倒す為の切り札を失い、魔王討伐は遠ざかるーーそんな使命と願望の狭間を何度も行き来しているせいで、とても眠る気分にはなれなかった。
ふと左隣のベッドを見ると、穏やかな寝息を立てるユースティティア。右隣のベッドを見ると、同じく寝息を立てるジオーラ。エクリプスは剣の姿に戻っており、オルテンシアのベッド脇に立て掛けてあった。
(よく眠れるなぁ…)
両脇の二人を恨めしく思いながら溜息をつくと、オルテンシアは今度こそ眠ろうと目を閉じる。しかしなかなか眠気が来なくて、何度か寝返りを打った。そうしているうちに、ふと枕付近が明るくなった。何事かと思って目を開けると、エクリプスが人の姿になるところだった。
「…エクリプス?どうしたの?」
声を掛けると、エクリプスが困ったように眉尻を下げた。
「それはこちらの台詞ですよ。……眠れないんですか?」
「うん……ちょっと、色々考えちゃって…」
「散歩にでも行きましょうか?ご一緒しますよ」
「うん!」
オルテンシアは飛び起きて外套を羽織る。そのまま部屋を出ようとして、「あ、そうだ。心配するといけないから…」と、持ち物の中からメモ帳とペンを取り出すと、『エクリプスと散歩してきます』とメモ帳に書いてページを切り取り、自分が寝ていたベッドの上に置いた。
「これでよし!」
二人は宿を出て、あてもなく、しばらく無言で歩く。オルテンシアが歩く後ろにエクリプスがついて歩くという様子だ。
「……マスター。何を考えていたか、聞いてもいいですか?」
本当はずっと気になっていたのだろうが、あえて聞かずにいてくれたのだろう。とても静かで控えめな声でエクリプスは言う。オルテンシアは立ち止まって振り返り、しばし悩むようにした。
「うーん……今は、内緒にしとく」
「……」
「ああ、そんなに深刻そうな顔しないで!心配要らないから!」
「……私では、相談に乗れませんか?」
「そうじゃないけど……これは、まず私が考えたいかなって」
「そう…ですか…」
心なしか、落ち込んで見えるエクリプスに申し訳なさを感じて、オルテンシアはエクリプスの手を取った。
「そのうち、ちゃんと話すから。ちょっとだけ、待ってて」
(今話しても、そんなことを気にする必要はないって一蹴されるだけだもんね)
エクリプスは少しの間、握られた手を見つめていたが、顔を上げてオルテンシアと目線を合わせる。
「分かりました。でも、悩み過ぎないで下さいね。私では不足なら、ジオーラやユースティティアに相談して下さい。きっと力になってくれますから」
「うん」
オルテンシアは返事をしながら、もしかしたらオーガストなら、剣と人格を分離するとか、あるいは人間にする魔法を知っていたりしないだろうかと思った。ここには世界中の知識や技術が集まると聞く。ひょっとしたら、それに近しいものも伝わっているかもしれない。
「そう言えば、エクリプスの最初の使い手の人とは、この辺りで出会ったんだっけ?」
話題を逸らそうと、オルテンシアはわざと明るく言った。
「ええ。イヴァンとは、ここより西にある国で出会いました。いつか国の騎士団に入ることを夢見る青年でしたね。確か、二十歳になったばかりでした」
「へぇ~!どんな人だったの?」
「正義感があって、弱い立場の人に優しい人でした。当時は魔王との戦闘が世界中で起こっていて、イヴァンは戦いにより疲弊する市民の為、自らが魔王を倒そうと、騎士団に志願する程でした。騎士団を志すだけあって、剣の腕もなかなかでした」
「いいなぁ〜、それならすぐに戦えたんだろうね…私なんか、二年くらい教えて貰ってたから…」
半分冗談、半分本気でオルテンシアが落ち込んで見せると、エクリプスはフッと笑う。
「やきもちですか?……心配しなくても、マスターにはマスターの魅力があって選んでいるんですから、過去の使い手と自分を比べる必要はありませんよ」
「でもさ、私の場合は、もう他に良さそうな剣士がいなかったからでしょ?」
「逆ですよ。貴女なら、育ててでも、マスターにしたいと思ったんです」
「…ほんとに?」
「本当です。私が嘘を言ったことがありましたか?」
「……無いけど…」
「なら、信じて下さい」
内心はエクリプスの言葉が嬉しかったオルテンシアだったが、ほんのいたずら心で、不貞腐れたフリをした。それを知ってか知らずか、エクリプスはオルテンシアの頭を撫でる。
「……エクリプスは、どうやってマスターを選んでるの?」
「うーん……目を見れば分かります」
「目?」
「はい。直感みたいなものです」
「直感…ねぇ~……ますます分からなくなってきた…」
「貴女は、まだご自分の力を信じていないのですか?」
「……まあね……ジオーラとかを見ちゃうとやっぱり自信ない。これまで結構魔物や魔族と戦って来たけど、未だに戦う時は心臓がバクバク鳴って、逃げ出したくなるもん」
「しかし、実際に逃げたことはありませんよね?」
「それは……エクリプスが声を掛けてくれるから、一人じゃないって安心出来てるんだと思う。……本当の剣士なら、きっと敵を前に怖がったりなんかしないよ」
「それは違いますよ。恐れは弱さではありません。恐れは、相手と自分の力量を測ったからこそ、生まれる感情です。恐れがなければ相手の力を見誤り、無謀な戦いに臨んで命を落とすでしょう。怖いからこそ、自分が勝利する為に考えるのです。命の危険を感じた時にこそ、真の強さは生まれるのだと思います。だから……」
エクリプスは頭を撫でていた手を、俯くオルテンシアの頰に添える。軽く頰を撫でると、顎に指を添えて顔を上げるように促した。オルテンシアが抗わずに顔を上げると、エクリプスは優しい笑顔でオルテンシアの目を見つめた。
「貴女は強いです。剣士としてと言うだけではなく、人間として」
「……うん」
オルテンシアは恥ずかしくて目を逸らしたくなったが、エクリプスのガラスのような瞳が、月明かりに照らされて神秘的に輝いていて、あまりの美しさに、目を逸らす事が出来なかった。それでしばし見つめ合っていると、
「……あれ?こんな時間にお散歩ですか?……おっと!ひょっとして、お邪魔でした?」
「…わっ!?」
急に声を掛けられ、オルテンシアは慌ててエクリプスと距離を取った。声のした方へと顔を向けると、そこにはキエルの姿があった。
「こんばんは。キエルさん。別に邪魔ではありませんよ」
エクリプスはいつもの人当たりの良い笑顔でキエルに答える。その落ち着いた様子を見て、慌てているのは自分だけだと、オルテンシアは恥ずかしくなる。
「マスターが眠れないと言われていたので、ちょっと散歩をしていました」
「そうなんですね……慣れない場所ではなかなか寝付けませんよね」
キエルはそう言って微笑んだ。
「私は警備を終えて家に帰るところだったんです」
「えっ?今って深夜ですよね?キエルさん、そんなに遅くまで仕事をされているんですか?」
オルテンシアが驚いて尋ねると、キエルはちょっと肩をすくめてみせた。
「そうなんです。この村は人もあまり多くはないので、警備に割ける人材が足りなくて…」
「へぇ~……大変ですね……」
「まあ、私も好きでやっている仕事なので、そこまで気にしてはいないんですけどね。……そうだ!良ければ、私の家でお茶でもいかがですか?私の家は、皆さんが泊まっている宿の目と鼻の先にあるんですよ」
「いいんですか?仕事終わりで疲れているんじゃ…」
エクリプスも心配そうに言うが、キエルは笑って首を振った。
「平気ですよ。明日は休みなので。それに、私はあまり村の外へ出たことがないので、旅をして来られたエクリプスさん達の話を聞いてみたいと思っていたんです」
そこまで言われると断り辛くて、結局二人はキエルの家に行ってみることにした。
「ほら、こっちです」
キエルに先導されて宿の付近まで戻ってくる。キエルの数歩後方を歩きながら、エクリプスは軽くオルテンシアの手に触れる。
「ん?」
オルテンシアがエクリプスを見ると、エクリプスはオルテンシアに真剣な目を向けると、小さく頷いた。
(もしかして……魔族?)
『分かりません。しかし……この方は昼間会ったキエルさんではないと思います』
オルテンシアが心の中で呟くと、エクリプスはテレパシーで答える。
(え?どういうこと?)
『気配が違うのです。恐らく……変身の魔法か何かでしょう。念の為、戦うつもりでいて下さい』
(わ、分かった…)
「どうかしました?」
二人の様子を訝しみ、キエルが振り返る。
「い、いえ!なにも!」
つい上擦った声で返事をしてしまったオルテンシアを、キエルは満面の笑みを浮かべて見つめた。
「君は素直な子だね。私が怪しいと思っていると、顔に書いてあるよ」
「なっ!?」
慌てるオルテンシアを庇うように、エクリプスは前に出た。
「私達に、何の用ですか?キエルさんに化けてまで、接触してきた理由はなんです?」
「さすがエクリプス。私がキエルではないと分かるのね。前よりは成長したってことかしら?」
キエルの口調や声が変わり、話している間に、黒髪の妖艶な美女へと姿が変わる。
「ラミア!?」
エクリプスが驚いて名を呼ぶと、ラミアは嬉しそうに微笑んだ。
「私のこと、覚えていてくれたのね。嬉しい……でも、覚えていてくれたなら、会いに来てくれたら良かったのに…薄情ね。……それとも、まだ子守を楽しんでいるのかしら?」
ラミアがチラリとオルテンシアに目線を向ける。
(この人が……ラミア)
前にエクリプスが言っていた、エクリプスを気に入っていると言った魔族……しかし、今まで対峙した魔族と違い、人間にしか見えなかった。今のように一瞬で別人になったりなど、魔法を使うところさえ見なければ分からない。今までの魔族も、確かに人に近い見た目をしていたが、雰囲気が少し変わっているように感じたり、耳が尖っていたりと、オルテンシアでも、人間だと言い切るには、違和感を覚える所はあった。しかし、ラミアにはそういったものが一切見られない。どこかの貴族と言われても納得のいく見た目だ。
「ふぅ~ん……なかなか可愛い子ね。紫の瞳なんて魔族でもなかなかいないわ。……エクリプス、こういう子がタイプなの?」
ラミアは不躾にオルテンシアを見たあと、首を傾げた。
「た、タイプ…!?」
オルテンシアは自分でも顔が赤くなったのを感じて、慌てて顔を背ける。ただの挑発だと分かっているのに、素直に反応してしまう自分が恨めしい。否応なしに自分が子どもであると自覚してしまう。それとは対照的に、エクリプスは表情を変えずにラミアと対峙する。無表情に近い顔をしていたが、それがかえってエクリプスの怒りを表しているのが、オルテンシアには分かった。
「あまりマスターを侮辱しないで下さい。そんなことより、用件を。……それとも、私と戦いたくなったのですか?」
「フフ…分かったわ。ごめんなさい。ちょっと相談があるのよ。立ち話じゃなんだし、場所を変えるわね。だけど、私が相談したいのは、オルテンシア。あなたよ。エクリプスは、ちょっと待っててね」
ラミアはそう言うとパチンと指を鳴らす。すると空間が歪んで、一瞬で黒を基調としたシックな雰囲気の部屋へと変わった。四方を壁に囲まれ、窓もドアもない。他に調度品はなく、唯一天井から下がるシャンデリアが、そんな部屋に光をもたらしていた。
「ここは、私が作り出した異空間。他に邪魔が入ることもないし、現実とは時間の流れが違うの。だから、何時間居ても現実では一秒にも満たないから平気よ……さて、少しお話しましょう。……ああ、椅子を忘れていたわね」
ラミアが言うと、突然黒いソファーが現れる。一人が座るにちょうど良い大きさだった。
「どうぞ、座って」
「エクリプスッ!?」
オルテンシアは周りを落ち着きなく周りを見渡す。エクリプスが居ないことで、ひどく心を乱していて、ラミアの言葉は耳に入っていなかった。
「ちょっと落ち着いて。相談したいって言ったでしょう?エクリプスなら大丈夫。ここに呼んでないだけだから。さっきまでの道にポツンと立ってる筈よ。まあ、話が終わったら戻してあげるし、さっきも言った通り、時間は経たないに等しいから、エクリプスにとったら、一瞬で私やあなたが消えて現れたってことになるわ。ほら、座って」
ラミアは言いながら、オルテンシアの対面に一人掛けの豪奢な椅子を出現させると、ゆったりと座って長い足を組む。その様子を見て、オルテンシアは渋々ソファーに腰掛ける。しかし体は緊張したままだ。そんな様子に、ラミアは面白そうに口の端を歪めた。
「エクリプスがいないと何も出来ないものねぇ~不安でしょうね……でも、私の言葉を聞いてくれるなら、戦う必要は無くなるわよ」
「……えっ?」
ラミアの言葉の意味と意図を計りかねて、オルテンシアはラミアを真っ直ぐに見つめる。
「あなた、エクリプスを人間にする方法を知りたいんでしょう?」
「……」
オルテンシアが何も答えなくても、ラミアはすべて知っているというように余裕の笑みを浮かべる。
「エクリプスを人間にするのは簡単よ。人間の血を飲ませればいいのよ。そうねぇ〜……数滴でも効果があると思うわよ。試しに、あなたの血を飲ませてみたらどう?」
「……それ、本当?」
魔族の言っていることだ。簡単に信じることなど出来ない。けれど、ラミアの言葉に僅かながら希望を感じた自分も居たのも事実だった。
「ええ。エクリプスは剣とは言えど、魔族に近い。けれどどちらかといえば、存在が確定していないのよ。だから、もうひと手間、加える必要があるの」
「それは、オーガストも言ってた…」
「そうでしょ?だから、人間の血を飲ませて、人間の情報を取り込めば、今度こそ生き物として確立出来る筈よ」
ラミアの言葉は、信憑性が高いような気がした。しかし、方法は抜きにしても、ラミアがそれを教えるメリットが分からない。何かの罠である可能性を、どうしても考えてしまう。
「……私はね、エクリプスを解放してあげたいの。魔王退治なんかに囚われて、生みの親である人間にすら疎まれてまで遂行しようとする姿が、あまりに痛々しくて見ていられないのよ……私、エクリプスが好きだから」
「えっ…」
驚いて声を上げたが、すぐに合点がいった。ラミアはエクリプスを気に入っていると言っていたのだ。その意味が恋愛という意味の好きという感情によるものだったのなら、今回の提案の意図はなんとなく分かってきた。
「……人間でいいの?魔族じゃなくて?」
思わず聞いてしまうと、ラミアは悲しげに顔を伏せる。
「最初は…魔族に誘ったわよ。でもね……フラれちゃった……私が言っても、エクリプスは魔王を倒すのが使命だって譲らなくてね。だったら、人間になることをマスターであるあなたに勧められたら、聞いてもらえるんじゃないかと思ったのよ。……あなた、エクリプスと恋仲になりたいんでしょ?今のままなら、魔王様にエクリプスごと消されるか、魔王様を倒せたとしても、魔王様から生まれた私達同様、エクリプスも消滅するかの二択よ?なら、魔王退治なんか辞めて、二人で幸せになればいいわ。……エクリプスが存在できているなら、私は構わないから。まだ好きだけど、フラれた以上は大人しく眺めるだけにするわ。……まあ、もし破局でもしたなら、遠慮なくアタックさせてもらうけど」
最後には顔を上げて笑うラミアの顔をしばし眺めて、オルテンシアは少し悩んだ。ラミアの言う、エクリプスが好きだと言う気持ちには嘘はないように感じた。確かにこれから魔王と対峙しても、確実に倒せる保証なんてない。命を落とす可能性もあるし、魔王を倒したら、エクリプスは人格を失う可能性は高かった。しかしーー
「……あなたが、私達のことを応援してくれるのはありがたいけど、私は、エクリプスの気持ちを大事にしたい。私は、エクリプスが迷いながらも魔王を倒すと決意して進んできたことを知ってる。だから、あなたの提案には乗れない。それは、今までのエクリプスを否定することになるから……エクリプスを人間にしてあげたい気持ちはあるけど、それはエクリプスが望んでからにする」
「……生真面目ね。あなた。そういうところ、エクリプスにそっくりだわ。……弟子は師匠に似るものなのかしらね…」
ラミアは呆れたように言って溜息をついた。しかし、再びオルテンシアに目を向けた時には、恍惚とも取れる妙に嬉しそうな表情をしており、オルテンシアに緊張が走った。
「エクリプスの為にも、穏便に済ませてあげようと思ったけど……無理みたいね。やっぱり私には、こっちのほうが向いてるかも」
ラミアが言うと、突然オルテンシアの座るソファーから茨が生えてきて、オルテンシアの手足、首に巻き付いて、ソファーに拘束する。
「…っく!!」
棘が体に刺さり、オルテンシアは痛みで漏れる声を懸命に堪えた。
「あら?意外と我慢強いのねぇ。いいのよ。子どもらしく泣き叫んでも…」
ラミアは立ち上がるとオルテンシアに近づいた。
「エクリプスに、人間になるよう言いなさい。さもなくば、痛めつけるわよ」
ラミアは手に棘のついた鞭を持ち、オルテンシアに打ちつける。
「っがはっ…!!」
肩口に熱さを感じた刹那、それは強烈な痛みに変わってオルテンシアを襲う。泣きたくなんてなかったのに、勝手に涙が溢れてきた。
「ウフフ……痛いでしょう?でも、こんなんじゃ、痛めつけた内には入らないわよ。……どうする?私の言った通りにするなら、今すぐ止めてあげるわよ?」
オルテンシアは痛みと恐怖で、すぐにでもラミアの要求通りの言葉を言ってしまいたくなる。
「……で…でき…な……っぁあぁああ!!」
それでもラミアを睨み付けて、拒絶しようと口を動かしたオルテンシアだったが、言い終わる前に手足に巻きついた茨の棘が太く長く成長し、更に深くオルテンシアの手足を穿つ。
「何と言おうとしたのかしら?聞こえなかったけれど、生意気な顔をしていたから、きっとロクな言葉じゃないんでしょうね」
ラミアがオルテンシアを見下ろして冷たく笑う。
(……怖い。怖いよ……エクリプス…)
脳裏にエクリプスの笑顔が浮かんでくる。こんなことなら、散歩になど出なければ良かった。せめて宿の中に居れば……そんな、今更してもしょうがない後悔ばかりが脳裏をよぎる。
「っう…うう……」
オルテンシアが堪えきれずに泣き始めると、ラミアは顔に苛立ちを浮かべ、鞭を振るった。
「ガハッ!!」
先程より強く打たれ、オルテンシアは一瞬息が詰まった。更に間髪入れずに、二撃、三撃と打たれて、その度に短く悲鳴を上げては、体を跳ねさせる。
「さあ、早く言いなさい。でないと、あなたを殺してしまうわよ。……まあ、でも……あなたを失って絶望するエクリプスも、見てみたい気もするけれど…ね!」
「ぁああぁあああ!!」
言いながら、ラミアはオルテンシアの足の甲を思い切り踏んだ。オルテンシアは目を剥いて絶叫したのち、カクンと項垂れる。
「ヤダ!この程度で気絶するの?勘弁してよ…」
ラミアは呆れて首を振ると、ナイフを出現させて鞭と持ち替えると、ナイフを思い切り、オルテンシアの右手の甲に突き立てる。
「っあがあぁあああー!!」
それでオルテンシアは絶叫しながら目を覚ます。
「煩いわね……さあ、どうするの?エクリプスを人間にするの?それともここで死ぬの?」
ラミアは苦しそうに喘ぐオルテンシアに顔を近づけて問う。オルテンシアは焦点の定まらない瞳を徐々にラミアに合わせると、
「……い…や……」
やっとの思いで口にする。瞬間ラミアに腹部を強く殴られ、口から血を吐いては激しくむせ込んだ。
「こんなになっても、まだそんなことを言うのね……大した子だわ、あなた……でも、賢くは無いわね。ま、いいわ。やっぱりエクリプスに言わせなきゃダメね…」
ラミアがパチンと指を鳴らすと、唐突にエクリプスが現れた。エクリプスは突然場所が変わったことにまず驚き、次いでオルテンシアの無残な姿を見て顔面蒼白になり、声にならない悲鳴を上げては、傍に寄ろうとした。
「はい。ちょっと待ってー」
ラミアが言うと、エクリプスは突如出現した大きな鳥籠の中に囚われてしまう。
「マスターっ!!」
エクリプスがいくら叩こうが蹴ろうが、ビクともしない。更には睨みつけて鎌鼬を起こそうとしてみたり、炎を出したりしてみたが、いずれも効果はなかった。
「無駄よエクリプス。それは頑丈なうえに、魔法を通さない特別製の檻だから」
ラミアは微笑んでエクリプスを見ては、オルテンシアを指差した。
「エクリプス。あなた、今ここでこの子の血を飲んで、人間になりなさい。そうすれば、この子もあなたも生かしてあげる。でも……私の言うことが聞けないなら……」
ラミアは再びオルテンシアに鞭を振るった。
「ッガハッ!!」
オルテンシアが苦しそうに声を洩らす。
「やめろっ!!」
するとエクリプスが噛み付かんばかりね勢いでラミアを睨むが、ラミアは涼しい顔をする。
「止めて欲しかったら、魔王退治は諦めて人間になると言いなさい。この子の命と、魔王を倒す使命…あなたにとって、どちらが大事なの?」
「それはっ……!」
エクリプスが苦しそうに顔を歪ませる。
(ダメだよ……エクリプス…)
朦朧とする意識の中、オルテンシアは思う。ラミアは単に魔王退治を邪魔したいだけ。エクリプスが人間になったとしても、きっと自分を見逃してはくれない。エクリプス諸共、殺されてしまうだろう。自分を拷問するラミアの嬉々とした様子を見ていて、なんとなくそう思った。
「ーーわかり…」
「ダメえぇえーっ!!」
エクリプスが何を言おうとしたのか察したオルテンシアは、出せる限りの声を絞り出して叫んだ。驚いてエクリプスが固まる。
「煩いわね!」
ラミアが苛立たしげにオルテンシアの腹部を殴ったが、オルテンシアは呻きながらも、エクリプスから目を逸らさなかった。
(…ねぇ、エクリプス。聞こえるかな?)
オルテンシアはエクリプスに語りかける。いつもはエクリプスがオルテンシアの心の声を汲み取って、テレパシーを送ってくれていたが、逆は出来るのか、試してみたくなった。というより、今は苦しくて、声を出すことが出来ない。なんとかテレパシーで伝えるか、自分がエクリプスを見つめていることの意味を察してもらうしかない……。
『……聞こえていますよ。マスター』
「っ!!」
通じたことが嬉しくて、それに頭に響くエクリプスの声が優しく、心地良くて、オルテンシアの両目からは涙が溢れる。
(エクリプス……魔王退治を諦めたらダメだよ。あなたが剣でなくなったら、魔王は倒せない……それだけは、絶対ダメ。マスターの代わりなら、きっとまだいるよ。ジオーラなんかどうかな?強いし…)
本当は、自分を助けてと叫び出したい気持ちを必死に堪えて話す。死ぬのは、怖い。けれど、これまで魔王を倒す為にエクリプスがしてきた苦労や努力が……エクリプスを造った人達が、エクリプスに命懸けで託した想いが、ここで潰えるのは、もっと怖かった。だから、オルテンシアは必死にエクリプスに語りかける。
(目的を見失わないで。あなたさえ居れば、魔王は必ず倒せる。だから…)
『嫌です』
(え?)
オルテンシアが見つめるエクリプスの瞳には、強い光が宿っている。先程までの迷いは見られない。
(…嫌って…でも、それじゃあ…)
『魔王を倒す為に貴女を見捨てたりしたら、私は自分を許せない。そんなことをして魔王を倒した所で、一体どんな世界になると言うのでしょう?……いいえ。わたしは、魔王以前に、貴女に死んで欲しくはないのです。オルテンシア』
(ダメだよ、そんなの!私が助かる訳ないっ!きっとラミアの言う通りにしたって、私は殺されちゃう!でも、エクリプスが剣のままなら、ラミアはエクリプスに手出し出来ない。あなただけでも…)
『嫌です。……オルテンシア。今、この世界に貴女をおいて他に私のマスターになれる人は居ません。数年経てば、また見つかるかもしれませんが、私はそんなに待つつもりはありません。それに、以前言いましたよね?"貴女を、最後のマスターだと思ってお仕えします"と…あれは、嘘ではありません。貴女でないとダメなのです。……さあ、マスター。私に命じて下さい。"私を助けろ"と』
涙で濡れて、視界が悪い中見たエクリプスの目は、緩やかに細められ、穏やかな笑顔を見せている。そうして、オルテンシアに向って小さく頷いた。それを見るや、オルテンシアの中で何かが弾けた。しゃくりあげながら、震える唇を動かす。
「っ!……え…く、り……ぷすーーた、すけ…て…」
「承知しました。マスター」
エクリプスは力強く頷くと、静かに瞳を閉じる。少しして、カチン!と物音がしたと思うと、エクリプスが入っていた鳥籠の鍵が開いていた。
「なっ!?…そんな!エクリプスに鍵が開けられる筈はないわ!」
ラミアが狼狽えると、エクリプスは目を開けてラミアを見据える。
「はい。私では無理です。しかし……」
ピシィイイイッ!!
エクリプスがそこで言葉を切ると、突然大きな音がして、エクリプスの後方にあった壁に亀裂が入った。瞬間壁が崩れ落ち、光が射し込む。月明かり…だった。
そんな月光に照らされて、数人のシルエットが見える。
「アンっ!!エクリプス!!無事か!?」
今では聴き慣れた、力強い女性の声が空間に響き渡る。
「アンちゃん!!」
次いで小柄な女性が続く。
「!?……ジオーラ……ユースティティアさん!」
オルテンシアは、信じられないものを見たように目を見開き、声を上げる。
「どうやら、間に合ったようじゃな…」
更に長い髭を蓄えた老人…老魔法使いのオーガストが現れた。
「……そうか…アンロックの魔法ね…しかも高難度の……でも、どうやってこの異空間に干渉したの?」
ラミアが苦々しげにオーガストを睨みつける。オーガストはラミアをチラリと見ると、「エクリプスに導いて貰ったんじゃよ。テレパシーでな」と答えた。
「ちなみに、あたしの剣なら、魔法を切り裂ける」
ジオーラも負けじと声を上げた。
「なるほど…っ!?」
ラミアは悔しそうに呟いたが、次の瞬間、地面に仰向けに倒れた。一瞬でラミアの眼前へと移動したエクリプスによって、殴り倒されたのだ。
「よくも、マスターをっ!!」
エクリプスはラミアを睨みつけると、勢いよく蹴り飛ばす。
「ガハッ!」
ラミアは壁に激突して呻く。起き上がろうとするところに、どこからか突如現れた鋭く尖った氷が飛んできて、ラミアの四肢を貫き、壁に縫い止める。
エクリプスは苦しむラミアにゆっくりと近づくと、執拗に殴る、蹴るを繰り返す。
その頃には、オーガストやユースティティアによって茨から解放されていたオルテンシアは、オーガストの治療魔法によって、傷が徐々に塞がっていた。
「す、すごい…」
驚く程痛みが引いて、オルテンシアは声を洩らす。茨に穿たれた筈の手足も、何事もなかなかったかのように綺麗に治っている。
「もう大丈夫じゃ。しかし、体がダメージを受けたのは事実じゃから、まだ動かんほうがいい」
オルテンシアを抱きかかえながら、オーガストは穏やかに微笑む。
「ありがとう。オーガストさん」
「良かった、アンちゃん!助けに来るのが遅くなってごめんねぇー!!」
オルテンシアに追い縋って、ユースティティアは泣き出した。それを微笑んで見つめては、オルテンシアは静かに首を振る。
「これ、ユースティティア。あまり怪我人の前で騒ぐでない」
「ご、ごめんなさい」
オーガストにたしなめられて、ユースティティアは慌てて離れては、涙を拭った。それを微笑ましく見ていたオルテンシアだったが、
「おい!エクリプス!後はあたしがやるから、下がってろ!……え…エクリプス?」
不意に聞こえたジオーラの声に反応してそちらを見る。ジオーラの正面では、壁に張り付けにされたラミアを、殴り続けているエクリプスの姿があった。ラミアは抵抗できずにされるがままで、エクリプスはラミアの返り血を浴びることをもろともせずに、攻撃を続けている。それは、思わず声を掛けるのを躊躇うほどに狂気を感じる振る舞いだった。
「おい!エクリプス!」
その異常さを感じ取ったジオーラが、先程より強く声を掛けて近づくと、エクリプスが手を止めて振り返る。その表情は、目が血走って怒りに満ちていた。
「っ!!」
ジオーラが言葉を失って立ち竦むと、エクリプスは、ジオーラに向って右手を伸ばす。
「いかん!」
それを見たオーガストは瞬時に傍らに置いていた木製の背の高い杖を持ち、ジオーラに向けた。
「うわっ!?」
すると、ジオーラの体が浮き上がり、オーガストの傍に引き寄せられた。
「な、なんだ。オーガストだったのか、びっくりした……でも、助かったよ。ありがとう」
ジオーラはホッと胸を撫で下ろす。
「助かったって……ジオーラ、エクリプスさんがどうかしたの?」
状況が分からずに首を傾げるユースティティア。それにジオーラは頷いて見せる。
「ああ。あれはいつものエクリプスじゃない。正気を失ってるっていうか……今も、あたしに攻撃しようとしてきた」
「えっ!?」
それを聞いてオルテンシアは飛び起きる。
「これ!無茶をするでない。ここは、儂らに任せなさい」
オーガストはそう言ってオルテンシアを引き留め、ユースティティアに託す。そうしてジオーラに向き直った。
「お主の言うように、今のエクリプスはまともではない。恐らくオルテンシアを傷つけられて暴走したのじゃろう。あのままでは危険じゃ。魔物のように周囲の一切を破壊するかもしれん。儂とお主で止めるのじゃ」
「分かった!……けど、魔族は放っておいて大丈夫か?」
「ふむ…今は気絶しておるようじゃし、エクリプスが生み出した氷に縫い留められておるから大丈夫じゃろう。まずはエクリプスを止めるほうが先じゃ」
「わかった。なら、あたしが動いて隙を作るから、オーガストは隙に乗じて、エクリプスの動きを封じる魔法でも使ってくれ。それでいいかい?」
「承知した」
オーガストが頷くと、ジオーラは迷いなくエクリプスに向かっていく。エクリプスはジオーラを見ると、攻撃対象をジオーラに変更し、襲い掛かってきた。腕を鎌のように変形させて、ジオーラに斬りかかる。
「あれって、ヴィシャスの…」
オルテンシアが呟くと、オーガストは頷く。
「エクリプスは、恐らく自分が倒した魔族の力や能力を吸収出来るのじゃろう。そして、更に魔王に近づいてゆく…」
「じゃ、じゃあ、やっぱりエクリプスはこのままだと…」
「いや。魔王と同じになることはないじゃろう。少なくとも、お前さんが共におるうちは」
「私?」
「そうじゃ。お前さんがおる限りは、エクリプスはお前さんの剣という立場が残る。エクリプスがマスターに拘るのも、恐らくはそれが理由じゃ。不完全な存在であるエクリプスを、唯一定義出来るのが、エクリプスを剣として使うマスターなのじゃよ」
「マスターがいるから、エクリプスが剣で居られる…」
「だから、儂とジオーラが動きを止めることが出来たら、後はお前さんの出番じゃ。オルテンシア」
「!」
ーさあ、マスター。私に命じて下さい。"私を助けろ"とー
(そうか……私が助けてって言ったから…)
ひょっとするとエクリプスは、怒りに支配されながらも、自分が出した命令を守っているのかも知れないとオルテンシアは思った。ならば、自分が語りかければ、エクリプスの耳に届くかもしれない。
「くっ!…やっぱり強いなぁー、エクリプス」
ジオーラがエクリプスの攻撃を凌ぎながら呟く。力、スピード共にジオーラよりも格上で、ジオーラは、隙を突かれないようにするので手一杯だった。
「…まだかい?オーガスト…」
ジオーラが言うと、不意にエクリプスの動きが止まる。エクリプスの体に、太い木の枝が絡みつき、動きを抑制していたのだ。エクリプスは力を込めて枝を抜けようとするが、枝がより強くエクリプスを締め付けてくるため、上手くいかない。
「ジオーラ!大丈夫?」
オルテンシアが駆け寄る。
「ああ。けど、長くはもたなそうだな。あたしも、オーガストも…」
木の枝はエクリプスを締め付けるが、それに対抗するエクリプスの力も負けておらず、枝を押し退けては、また締め付けられることを繰り返している。オーガストは、魔法を維持するためにずっとエクリプスから目を逸らさずに力を込めている。額から大粒の汗を流しながら、苦悶の表情を浮かべていた。
「エクリプス……エクリプス!」
オルテンシアはエクリプスに声を掛ける。初めは枝から逃れることに集中していて無反応だったが、繰り返し呼んでいくと、やがてオルテンシアの方を向いた。エクリプスの瞳にオルテンシアの顔が映る。
「ありがとう。エクリプス。もう、いいよ。私は大丈夫だから…」
そう言ってオルテンシアが笑って見せると、エクリプスの動きが止まる。エクリプスが落ち着いたのを感じたのか、木の枝は消失した。
「……マス…ター……?」
「宿に帰ろう。エクリプス」
オルテンシアは、そっとエクリプスの左手に触れた。エクリプスは少し驚くようにしてから、笑った。
「はい。……すみません。取り乱して……」
「ううん。エクリプスは、私を助けようとしてくれたんだよね。お陰で助かったし、ほら!オーガストに傷も治療してもらったよ!すごいね!魔法って。跡も残ってな…っ!?」
オルテンシアが話していると、エクリプスがオルテンシアを引き寄せ、抱きしめる。
「……本当に、良かった……貴女を失うかと…」
「…エクリプス…」
エクリプスの温もりを感じて、オルテンシアは再び涙が込み上げてきた。
「痛かったですよね?……苦しかったですよね?……私はいつも、貴女に苦しい思いをさせてばかりで、ごめんなさい…」
オルテンシアからはエクリプスの表情は見えないが、声が震えていたので、泣いているのかもしれない。
「……ううん。エクリプスは、私を助けてくれたでしょ?……代わりは居ないって言ってくれて、嬉しかった」
「マスター…」
エクリプスはオルテンシアを更に強く抱きしめる。
「……お~い、エクリプス。あたしらも居るんだけどなぁ〜」
ジオーラが不貞腐れたように言う。エクリプスはオルテンシアを離すと顔を上げて、「もちろん。忘れていませんよ。私のテレパシーに反応して、駆けつけて下さり、ありがとうございました」と頭を下げる。
「別に礼はいいんだよ。あたしらは、仲間だろ?」
ニッと笑うジオーラ。それに同意するように、ユースティティアも、オーガストも頷いた。
「いつ、みんなにテレパシーを送ってたの?」
オルテンシアが聞くと、エクリプスは笑う。
「マスターが私に、テレパシーで話して下さった時に思いついて、念を飛ばしてみました。一か八かの賭けでしたが、オーガストさんやユースティティアは反応が早くて助かりました」
「へぇー、すごい!」
オルテンシアが感心していると、不意に空間が歪んだ。驚いていると、今まで居た黒い部屋は消失し、いつの間にか村の道の上に立っていた。
「あ!あの魔族、逃げやがった!」
ジオーラが周りを見渡して悔しそうに言う。
「仕方がないじゃろう。まずはオルテンシアとエクリプスが無事であったことで良しとしよう。……あの魔族には、また会うことになるじゃろうし…」
オーガストの言葉に、皆の表情が引き締まる。
「それにしても、外部の人間が簡単には入れないようにしていたこの村に、あの魔族はどうやって入ってきたんでしょう?」
ユースティティアの問いに、オルテンシアも先程までの出来事を振り返る。
ラミアは始め、キエルに扮して現れて声をかけてきた。オルテンシアがエクリプスを人間にしたいと思っていたことも知っていたし、エクリプスが不完全な存在であることをオーガストが仮定していたことも知っている様子だった。挙げ句に……
(私が、エクリプスを好きだって気持ちも知ってた…)
それらは、どこで知り得たのか?まさかずっと付きまとっていたのかとも思ったが、それならエクリプスが気がつく筈だ。キエルに化けていたのも気づいた訳だし……。
「ラミアは、人の心を読んだり、操ったりすることが出来た筈です。恐らく私達の動向を気にしていて、この村に立ち寄ったことを知ったのでしょう。あとは上手く門番に入れてもらえたかどうかしたのかと。気づくのが遅れて、申し訳ありませんでした」
エクリプスが頭を下げる。
「いや。あたしも油断してぐーすか寝てたし、お互い様だよ。魔族を甘く見てた。特にこれからは、魔王の城が近くなってくるからな。より激しい抵抗があると見たほうがいい。みんな、一人で出歩くのは避けよう」
ジオーラの言葉に皆頷く。
「……そういえば、なんでアンちゃんは捕まっていたの?なんだか、痛めつけられていたけど……」
ユースティティアが思い出したように言うと、オルテンシアは頷いた。
「あの魔族…ラミアは、私にエクリプスを人間にするように説得させるつもりだったの」
「エクリプスを人間に?…そんなこと、出来るのか?」
ジオーラは首を傾げつつ、オーガストを見る。オーガストは、難しい顔をしながらも、頷く。
「人間にする……というか、別の生き物として生まれ直すような魔法は、あったかもしれんのう……ちなみに、ラミアはどんな方法を勧めたんじゃ?」
「人間の血を飲ませればいいって…」
オルテンシアが言うと、オーガストは目を見開く。
「それはいかん!そんなことをすれば、エクリプスは魔族になっていたじゃろう」
「え?なんでだ?」
ジオーラが首を捻る。しかし、ユースティティアはどこか合点がいった様子だった。
「……なるほど…魔族に近い状態のエクリプスさんが、唯一魔族と違うのは、人間を殺したり傷つけたりしていないことだから、人間の血を取り込むことで、魔族として完成する……ということですか?」
「そうじゃ」
「……じゃあ、ラミアの言う通りにしなくて良かったんだ……」
オルテンシアはホッと胸を撫で下ろす。それを見て、エクリプスは怪訝そうに首を傾げる。
「マスターは、ラミアの言葉に嘘がなかったら、言う通りにするつもりだったんですか?」
「えっ?……ああ、その……いつかは、試そうかと……」
「マスター……私は…」
「エクリプス」
エクリプスの言葉を遮るようにジオーラが割って入り、エクリプスの肩に手を載せる。エクリプスがジオーラを振り返ると、ジオーラは首を横に振る。
「それ以上責めないでやってくれ。アンは、目的を忘れてる訳じゃない。ただ、目的を果たした先にエクリプスの消失があるのが、受け入れ難いんだよ。エクリプスがアンを大切に思うように、アンもエクリプスを大切に思ってるのさ。……な?アン」
ジオーラがオルテンシアを見ると、オルテンシアは俯きながらも頷いた。それを見てエクリプスは、フッと息を吐く。
「……私はただの剣です。魔王を倒す為の剣です。魔王を倒せればそれでいい……それ以上は望みません」
(…嘘だ)
前は確かに、人間になりたいと言っていたし、オーガストに魔王を倒したら人格が消滅してしまうかもしれないと言われて、落ち込んでいるように見えた。しかし、願いがどうであっても、エクリプスがすべき事は、魔王討伐以外にないということもまた、事実だ。
「……儂は、エクリプスとも他の皆とも出会ったばかりじゃから、出過ぎた真似をと言われればそれまでじゃが……」
オーガストが静かに話し始めると、皆オーガストに注目した。
「魔王討伐というのは人類の悲願じゃ。エクリプスも、その悲願を達成する為に生まれた……しかし、極論、人間は使命感だけでは目的を果たすことは出来ん。そこに自分の意志も無ければ、長続きはしない。それはエクリプスも、過去のマスター達を見て知っておるじゃろ?」
「…はい」
「ましてや、魔王の力は強大じゃ。力だけでなく、今や弱い人間を巻き込んで、権力という力も手に入れている……誇張ではなく、本当にエクリプスが最後の希望じゃと思う。エクリプスが使いこなせるかどうかが鍵じゃ。しかし……皆は、本当に魔王を倒す必要があると思っておるか?」
オーガストは皆の顔を見回す。そうしてジオーラに目を止めた。
「ジオーラ。お主はどうじゃ?」
オーガストに問われても、ジオーラの瞳は揺るがない。
「当然、魔王は倒すべきだ。あたしは魔王の自分勝手な振る舞いのせいで住処や家族を失った。あたし以外にも、弱い立場の人間はこれから先もそういう運命だ。もしかしたら、それは魔王じゃなくても、心根の腐った人間が領主や国王なんかだったら、同じかもしれない。けど、それは同じ人間同士だからなんとかなる。集団で決起すればいい。だが、人間ではなく、並の人間なら刃が立たない魔王なら、更に卑屈に、小さくなる人間は増えるだろう。あたしは、自分さえ生きられればそれでいいなんていう、小さい人間でいたくない。だから、戦う!」
ジオーラは見た目通りに堂々と言ってのけた。オーガストはそれを見て満足そうに頷くと、次にユースティティアに目を向ける。
「ユースティティアはどうじゃ?」
「…わ、私は……」
ユースティティアは自信無さげに目線を泳がせる。
「私は……直接的に魔王に何かされた訳ではないですし、生まれた頃から魔王が世界の頂点にいましたから、そういうものだと割り切ることも出来ましたけど……でも、おとぎ話のように聞いていた輝剣エクリプスが実在して、アンちゃんがマスターで……二人やジオーラが戦う様子を目の当たりにしてみて、協力したいと思ったんです……意志が弱くて、人に対して自分の意見を言えなかったせいで、みんなを危険に晒してしまいました。魔族に利用され、無残にも殺されてしまった人を見ました……私は、強くなりたいです。魔王を倒して、私が弱かったせいで傷ついた人達に、罪滅ぼしがしたいんです」
「ふむ。しかし、それをエクリプス達に託すことも出来るじゃろ?なぜ、旅に同行するんじゃ?魔王の城までついていくのか?」
オーガストが詰めるように問うと、ユースティティアは気圧されたように肩をすぼめたが、それでも真っ直ぐ前を向く。
「私は、みんなの力になりたい。ただ黙って見ていることがどんなに辛く、残酷なのか思い知ったから……もう、逃げたくないんです。占いしか取り柄はありませんけど、戦えない分、精一杯サポートします!だから、一緒に連れて行って下さい!」
ユースティティアは最後には、はっきりと言い切った。それをオーガストは優しい瞳で見つめては頷いた。
「では、聞くまでもないと思うが……オルテンシア。お主はどうじゃ?」
問われてオルテンシアはチラリとエクリプスを見てから、オーガストに向き直り、笑って見せる。
「私は、今にも死んでしまいそうなところをエクリプスに拾ってもらった。だから、その恩返しがしたくて魔王退治をするって決めた。でも、本当に魔王のせいで苦しんでいる人が居て、このままなら、私と同じように孤児になったり、餓死する人が増えると思ったから、戦うことにしたの。それに……エクリプスが、私を選んでくれたから……私は、私を認めてくれたエクリプスを信じてる。だから、必ず魔王を倒してみせるよ!」
強く輝く瞳をオーガストは眩しそうに見やって、頷いた。
「儂は、長らく魔王に自分の素性が知られるのが怖くて、この村から出られなかった。若い頃は、祖父はなんてことをしてくれたんだと、恨んだ時期もあった……じゃが、エクリプスが実在し、まだ戦ってくれていたのを知った今、儂は時が来たと思った。儂は今、この時の為に今まで隠れていたんじゃと…これはただの勘じゃが、エクリプスを心から大切に出来るオルテンシアなら、魔王を倒せると思うておる。じゃから、儂も戦う。皆の旅に連れて行って下され」
オーガストはオルテンシアに右手を差し出す。オルテンシアはその手を、力強く握り返す。
「もちろん!みんなで魔王を倒そう!私達なら、きっとやれるよ!」
オルテンシアが皆の顔を見回す。
「だな!」
ジオーラがオーガストとオルテンシアの手の上に、自分の手を重ねて笑う。
「はい!」
ユースティティアも倣って、ジオーラの手の上に自分の手を載せる。
「……エクリプス」
オルテンシアがエクリプスを呼ぶと、エクリプスも微笑んで、そっとユースティティアの手の上にに、自分の手を重ねる。
「よろしくお願いします。皆さん」
(きっと、大丈夫)
オルテンシアは、心の中で思う。これから先、どんな困難に見舞われても、ここにいる仲間達だけは、共に居てくれると確信出来る。必ず魔王を倒す。その想いを新たに、今、旅の仲間は一つに纏まろうとしていた。