中宮様の物語屋さん〜殿方は等しくBL要員です!転生腐女子の愉快な宮仕えライフ〜
某大河との関係はございません。
夢よりも儚き世の中を嘆きわびつつ、過去の栄華に思いを馳せている女がひとり。
「はぁ……男の愛を喰いてぇ……」
雅やかな美貌にはとうてい似合わぬ下賤な呟きを漏らしたのは、この屋敷の主人である。
退廃的な色気を纏い、流し目ひとつで男を狂わせそうな美女だが、女の本質は根っこまで腐っていた。
「あぁ……男と男が睦み合う絵巻物が読みてぇ……そもそも小説すらない時代ツラすぎ……」
よよと泣き崩れ、身も世もなく号泣する女の『中身』は、この時代の人間ではない。十二単衣ぽいものなんかを着こんじゃってるけど、女はバリバリの『現代人』だ。
「メシマズと不衛生と病気になったら死ぬ世界なのはもう時代だから諦めた。生まれた時からだし慣れた!でも、娯楽……娯楽だけは……諦められないっ!」
ワッと文机に泣き伏したまま、女は叫ぶ。
「古●記モドキと日本●記モドキに萌えを見出す日々は、もううんざり!出来上がった完成品のBLを寄越せぇ!!」
せぇーせぇーせぇー……せぇ……
と、山の向こうから声が返ってくるのを聞きながら、女はガクリと項垂れた。
女が転生したこの世界は、いかにも平安時代っぽい世の中である。
普段から十二単着る?とか、ちょっといろいろ気になるところはあるし、歴史上の人物の名前も微妙に違うので、きっと平安風ゲームかマンガの世界なのだろう。
だが、基本は平安時代だ。つまり文化レベルが平安。貸本屋なんてない。なんなら身の回りは、誰も娯楽本を持っていない。
「はぁ……かくなるうえは……自家発電しかあるまい…… 私が書くしかないッ!」
何度目かの決意をするが、女の手元にあるのは筆と硯と……あとは、まぁ、文を送る時に使う、薄ーい紙くらい。ガリガリ小説を書くには向かない。
「か、書こうと思っても、紙とペンすらまともに手元にないこの状況……!怨むぞ神様ッ」
かたく拳を握りしめて歯軋りする。憎むべきは、こんな半端な世界と半端な設定に女を転生させた神である。
女は、母方の血筋は数代前の帝の血を引いているという名門の娘だが、その母は十歳の時に死んでしまい、最近は父も新しい妾にぞっこんラブで、女のことも忘れがちなのだ。おかげで屋敷も荒れてきた。贅沢なんてとても出来ない。
「せめて良さげな紙が欲しい……仕事して自由に使える金を稼ぎたい…………はぁ、出仕しよかな」
ぽつりと呟く。
どんよりした顔で、長々とため息を吐きながら「出仕……出仕、かぁ……」と暗い声で繰り返す。
「うん……お誘いきてたしな……はぁーっ、『脱・社畜!貴族のお姫様生活最高かよっ!』とか言ってた私が自ら働きに出るなんて……」
前世はバリキャリ社畜だった女は、今世では絶対働かないでござると決めていたのだ。それなのに、現実は非情である。欲しいものがあるならば、自ら動き、掴み取らねばならないのだ。
「ううぅ、ちくしょう!」
かばっと立ち上がると、女は山に向かって絶望の遠吠えをした。
「あぁああああーーッ!働いたら負けなのにぃいいいい!」
「おやおや、まぁまぁ」
神様の意地悪ー!と夕焼け空に向かって雄叫び続ける、可憐かつ妖艶な十二単衣の後ろ姿を、呆れ顔の侍女たちが見守っていた。
「はれ、また姫さまがご乱心じゃ」
「ほぉっておけ、そのうち落ち着きなさる」
「出仕なさるとのお気持ちが変わらぬうちに準備じゃ」
「姫さまには良き婿殿を見つけてもらわねばならんしな」
「そうやそうや」
幼い頃からこの屋敷で女とその母を支えてきた数人の侍女たちは、遠慮ない口調で笑い合う。
「姫様はお顔立ちと御髪だけはお美しいでなぁ、殿方たちの目を惹くことじゃろ」
「文も上手に書きなさる」
「絵も絵師のようじゃ」
「それを言うならば歌もじゃ」
芸術の才にやたらと秀でた、変わり者の姫君を、侍女たちはとても可愛く自慢に思っている。
我らの姫様は、才能も能力もある、やれば出来る子なのだ、と。
「うちの姫様は、頭がおかしいこと以外は素晴らしいお方じゃからなぁ」
ほっほっほっと呑気な笑い声が響く少々貧相なこの屋敷から、歴史にに残る女流作家が生まれることになるのは、もう少し後の話である。
***
「本日より中宮様にお仕えいたします、薔薇式部でございます」
「よろしくお願い申し上げます」
そんなこんなで私は出仕した。
今をときめく、中宮百合姫様の元へ。
「あら、変わった襲色目ね」
「おそれいります」
一言目に渾身のお洒落を一目で読み取って頂き、感涙である。すでにハートを射抜かれていた私は、ときめきながら続くお言葉を待った。
「噂通り、面白そうな娘だこと。顔をお上げなさい」
まさに鈴を転がすような可憐な声に顔をあげれば、声から受ける期待値をはるかに上回る顔面がそこにあった。
「はわぁ……めっちゃ美少女……っ!」
「これ!薔薇式部!」
「いてっ」
思わず口から飛び出した素直な一言に、即座に叱責が飛ぶ。続いて割と容赦なくぺしりと扇で叩かれて、私は頭を押さえた。
「あなた中宮様に向かって、何を言ってるの!」
「だ、だってこんな美少女、絵画の中でも見たことありませんもの!え、神様、百合姫様の作画に力を入れすぎでは!?」
「あぁぁもうっ!相変わらず何を言っているのか分かりません!……誠に申し訳ございません、姫様」
面白そうに私たちを眺める百合姫様を前に、私をここに紹介してくれた癒し系美女がひれ伏して平謝りしている。
「この者は生まれた時から大層な変わり者でして。けれど古今東西の書物に異常に明るく、機転も異様にききますし、作り話が得意で無駄に面白いのです。姫様の無聊をお慰めするにはピッタリの人材でございますので」
わりと散々な評価だ。私は悲しげに眉を寄せて、長い袖で口元を覆った。
「おねぇさまひどい……」
「あなたのような奇天烈な異母妹がいて、私は胃が痛くて仕方ありませんよ!」
そんな私たち仲良し姉妹の掛け合いを、百合姫様は、つぶらな瞳を見開いてご覧になっていた。そして。
「ふ、ふふっ、おほほほっ、普段は穏やかな菫式部がそのようにプリプリしているのは初めて見るわ。そなたたち、面白いわねぇ」
天使のような百合姫様が、太陽のように笑う。本当に美少女。そりゃ後宮で天下取れますわ。私はしみじみと今日から主人となる方を見つめた。
「菫よ、気にするな。私はこの者が気に入りましたよ。薔薇や、のびのびと仕えてちょうだい。その方が楽しそうだわ」
くすくすと笑いながら仰る百合姫様は、天上の美貌に無邪気な表情を浮かべた地上の天使である。これはもう私の全身全霊をかけて、面白いお話をお聞かせし、お喜ばせするしかないと決意した。
「ありがとうございます、百合姫様。それでは毎晩の寝物語はお任せくださいませ!百でも千でも無限にお話し申し上げますわ!……いたっ」
張り切って胸を張った私に、おっとり系のはずの菫姉様が、再び扇をハリセン使いして叩く。
「姫様はご成人あそばされているのですよ!?寝物語は不要です!そもそも、あなたのような無作法者を、帝もおいでになる姫様の寝所に入らせるわけないでしょう!」
「えっ、では私は何をすれば!?」
「仕事をしなさいっ!」
もっともである。しかし。
「わ、私から創作昔話を奪ったら何も残らないのに……!?」
「お話をお聞かせするのも仕事の一つですが、それだけではありません!」
「では私は、いつどこで百合姫様にお話を申し上げれば……」
呆然としていたら、菫姉様がぷりぷりとしながらピシッと廊下を指差した。
「姫様が命じられた時に限りますが、あなたはあのへんで朗々と物語を読み上げていなさいっ!無駄に声が通るんですから!」
「……はーい」
「ほほほ、本当にそなたたちは愉快な姉妹ねぇ」
板の間で読み上げるのは足が痛いなぁとか思ったが、百合姫様が楽しそうなのでヨシとする。
働くのはとても嫌だったが、出仕することを決めて良かった。毎日こんな二次元レベルの美少女が見れるなんて、マジで眼福限りなし。
しかしその後。
「薔薇よ、薔薇。今夜の物語はなぁに?」
「はい、姫様。本日は、指先ほどの小さなお姫様が、葉っぱに乗って川を下り、冒険の果てに鬼を倒す物語ですわ」
「ほほほ、今日も面白そうね」
嬉しそうに笑う姫様は本当に可愛らしい。私室に下がったら必ず今見せて下さった笑顔を絵に残そう。私の画力ではこの美しさが表現し切れないのが残念だ。
「百合のところに勤める女房は、本当に面白い者たちだなぁ」
「お褒めいただき嬉しゅうございますわ。この者たちは、私の宝でございますの」
百合姫様と睦まじくお話しされている帝のお言葉も嬉しいが、誇らしげに仰る百合姫様のお言葉が何よりも嬉しい。私の胸は高鳴り、喉元にぐっと熱いものがこみあげた。なんてお仕えのし甲斐のある、素晴らしい主人だろうか!しかも美少女。言うことなしである。
「任せてくださいませ!今宵も最高に面白いお話をお聞かせ申し上げますわ!」
さて、私が日々気合を入れて読み上げる『今夜の寝物語』は大好評となった。
しかしその結果、帝と百合姫様にお聞かせするのを盗み聞こうとする不届者が続出した。百合姫様とは対立関係にあるはずの女御様に仕える女房たちまでも、こっそりやってくるのだ。トラブルが起きないわけがない。
「あらまぁ。……仕方ないわね、集まりを分散させましょう。薔薇式部、もう一度お昼にもお話ししてちょうだいな」
「かしこまりました」
そんなわけで昼の部も用意したのだが、結局毎回廊下の周りに多数の聴衆が押しかけるため問題となり、正式に物語り披露の場を設けられてしまうことになった。
「なんだか紙芝居屋さんみたい」
菫姉様が毎日青い顔をして、人々を仕切って読み聞かせ会場を切り盛りしてくれるのを見ながら、私は「今日はなんのお話にしようかなぁ」などと日々呑気に考えていた。
***
「あっ、薔薇式部!」
「げっ」
聞き慣れた声に呼び止められた私は振り向いて、厄介ごとの匂いに眉を顰めた。
「追われているんだ、助けてくれ!」
「またぁ?」
廊下をパタパタと足早に駆けてきた小柄な貴公子に、私はため息をひとつついて、仕方なく無人の部屋の屏風の向こうに隠してやった。
その少し後、廊下の曲がり角から、平安にしては筋骨隆々な熊男と、狐顔の神経質そうな男が我先にと争いながら現れた。
「おや薔薇式部、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、黒熊の大将に白狐宮」
厄介なのに出くわしちゃったなぁと思いつつも、扇で軽く顔を隠してにこやかに応答する。なにせお相手はお二人とも、帝と近めの血縁関係にあるお人だ。私も何代か前の帝の血を引いているらしいが、もはや皇族とは言えない身の上なので、このお二人には丁重にご対応せねばならない。
「白雪の君を見かけられませんでしたか?」
「しらゆき?どなたさまのことでございましょう?」
こてん、と首を傾げて私は惚ける。その通称で呼ばれるのは、私の知る限り一人だが。
「左大臣のご子息の、雪也様でございますよ。ご存知ありませんか?」
「あぁ、でしたら、あちらを右に行かれましたよ」
ひょいと指し示せば、愛想笑いを浮かべた二人は「感謝申し上げる」と告げて肩をぶつけ合いながら去って行った。
「……もう大丈夫よ、白雪姫〜」
「その呼び方はやめろ、薔薇式部」
嫌そうに顔を歪めて屏風の向こうから現れたのは、百合姫様に勝るとも劣らない美少女顔の青年だ。眼福である。
可愛いものが大好きな私は、膨れている雪也をニヤニヤしながら肘でつついた。
「なぁに?また追いかけられているの?ヒューヒュー、憎いわねっ」
「男に尻を追いかけ回されて喜べと?」
「まだ尻を追われているだけでしょう?喜びなさいよ」
「は?」
尻を掘られたわけじゃないんだから、と続けかけて、さすがに淑女の発言ではないな、と口を噤む。私も宮中で生きるために、多少は気を遣うことを覚えたのだ。
「あなた可愛いものねぇ〜、初めて会った時も男に襲われていたし。可愛すぎるってのも大変ね」
初対面の時も男にひん剥かれかけていた雪也を助けてやったのだ。無論くんずほずれつの現場に割り込んだわけではない。
ドッタンバッタン大きな音がしたので、「強盗よー!!」と叫んだのだ。人が集まってきたら、強姦男は慌てて逃げて行った。そして雪也は一人果敢に強盗に立ち向かった勇者として、帝からお褒めの言葉を賜ったのだ。
そんな事件をきっかけに雪也とは仲良くなったのだが、雪也はその美貌ゆえに、男性だけでなく女性人気も無駄に高いので、交友関係は秘密にしている。余計な騒ぎの種は蒔かない主義なのだ。
「薔薇式部も見た目は美女だし、書も和歌も上手いし、男たちには人気のはずなんだがな」
雪也の言う通り、私も見た目はわりと妖艶な美女なので、しょっちゅう火遊びのお誘いは頂く。だから否定もせず頷いた。
「まぁ、それなりに声はかけられるけどね」
一人で歩いていると玉石混淆の男どもから声をかけられまくるが、いつも冷静かつ淡々と接するように心がけているので、雪也ほど大きな問題になったことはない。みんな、変わり者の女に遊び半分で声をかけているだけだしね。
「ツンツンあしらってたら、すぐ散っていくわよ。貴族の若様なんて、根性のないやつらばっかりだからね」
おかげで高飛車で高慢ちきな賢しら女と言われたりもするが、別に実害はないので気にしていない。
雪也情報によると、一部の男達には
「あのじっくり冷たい目が良い」
「観察されている感じがゾクゾクくる」
と熱狂的な人気を博しているらしい。だが、心底どうでもいい。
私にとって殿方たちは等しくBLキャラ要員なので、恋愛対象にはならないのだ。薔薇に挟まる趣味はない。
「なんで女の君より、俺の方が大変なんだ?」
「そりゃあなたの方が押し倒しやすそうだもの」
「言い方ッ!」
膝を折って悔しげに床を殴りながらも、雪也も反論はしない。きっと分かっているのだ。己がとってもか弱く儚げな、ザ・受けだということに。
「まぁまぁ、陰ながらとっても応援しているから、せいぜい頑張りなさい」
「薔薇式部……」
私からの激励に感動しているらしい友の頬は赤らみ、瞳は潤み、あまりにも受け受けしい。生ぬるい目で友を見つめながら、私は心の中で涎を垂らす。
「どこかの素敵な殿方と、いつか真実の愛が見つかるから。ね!」
「見つかってたまるかっ!」
クワッと目を見開いて反論されるが、私は慈愛の笑みで頷く。
「大丈夫よ、誰の元にも平等に愛はやってくるわ」
誰とでも良いから早くくっつけ。そして私の前でラブラブしたり惚気たりしろ。真実の愛を見せてくれ。
「恋バナならいつでも聞くから、また声かけてねぇ〜!」
バイバーイと片手を振りながら、私は落ち込んでいる男を放置して歩き出した。
なにせ私はお仕事の途中でしたので。
***
「あれ?雪也、あなたどうし」
「ちょっと来てくれ!」
ひさしぶりにばったり会った雪也が、あまりにも窶れて悲壮な顔をしていたので声をかけたら、物陰に連れ込まれた。
「ちょっと、何よ!」
「……大変なことになってるんだ。助けてくれ」
「はぁ?」
密室に男女二人にも関わらず、ちっとも色気のない空気の中、泣き出さんばかりの雪也の台詞に眉を顰める。
「とりあえず、何があったのか教えなさい」
「……実は」
そして、ぽつぽつと語られた雪也の話を聞いて。
「なんで知らない間に、そんな面白そうなことになってんのよ」
私は唖然とした。
今、雪也は、左大臣のご令息といえども、ちょっとやそっとじゃお断りできないような高貴すぎる殿方二人に求愛されているらしい。
「ぜんっぜん面白くないからな!?切実だからな!?」
「切実なのが良いんじゃないの」
青い顔で泣きついてきた我が心の友・雪也に、私は真顔でそう告げた。
それにしても、美形は泣きそうな顔もそそられますね。ご馳走様です。帰ったらスケッチしなきゃ。
あ、日々せっせとお仕事に勤しむ甲斐あって、百合姫様から上質な紙を賜り、私は日々執筆に勤しんでおります。
百合姫様に献上する全年齢の物語と、私の私による私のためのBLな薄い本と、両方です。
しかし、日々妄想に勤しむ私を嘲笑うように、とんでもない現実を雪也はぶちまけてきたのだ。
「春闇院と夏宵宮に言い寄られているとか、とんだハーレクイ●ロマンスじゃないの!そんなトンチキ展開、妄想女の夢小説でしかあり得ないと思ってたわ」
病で退いたものの今なおカリスマ的人気を誇る色気の魔物・先帝春闇院と、若者たちの熱狂的支持を集める今をときめく東宮・夏宵宮。
「夢ならどれほど良かったか……!」
その二人から取り合われていると言う、この世の女の全てを敵に回しそうな幸せ者は、呻きながら頭を抱えている。そして雪也は、泣きながら私に縋りついてきた。
「頼む、薔薇式部!俺と結婚してくれ!もうそれしか道はないんだ!」
「はぁ!?」
唐突にガバリと頭を下げた雪也に頼みこまれ、私は素っ頓狂な声を上げた。
「意味不明だし、普通に嫌!私まだ結婚なんかしたくないもの!」
「そこをなんとか!」
あまりに必死に粘ってくる雪也からは、恋愛的な熱量を一切感じない。むしろ滲み出る悲壮感に、私はため息まじりに話の続きを促した。
「とりあえず、その結論に至った理由を教えてもらえる?」
しばらくシクシクと泣き濡れながら、悔しげに唇を噛み締めていた雪也は、重い口を開いた。
「……俺が男色家だという、まことしやかな噂が流れているんだ」
「今更?」
今までも男たちに追いかけ回されてばかりの雪也には、その手の噂がついて回っていた。それを示唆して茶化す私に、雪也は大変そそられる涙目で、私をきっと睨み、吐き捨てた。
「今回のは本気だ!どこかの誰かが、本気で俺を追い落とすために仕掛けているんだよ!」
なんでも出所がよほど信頼のおける筋らしく、現在では高位貴族のほとんどがその噂を半ば信じており、先日は帝からも直々にお尋ねがあったのだという。
「そなた、男が好きというのは本当か?」
と。
「帝の護衛も担当する俺に、そんな嫌疑がかかっていたら、もう、職を追われかねない信用問題なんだよ!俺が一番の危険人物みたいになっちゃうじゃないか!必死に否定したけれど、帝も随分とご心配なさっていた……もうおしまいだ……ッ」
「うーん、なるほど?」
いや、どうだろうね?帝は最近ご自分の同母妹である白椿宮を降嫁させる先を探しておられるそうだから、その関係で確認されたんじゃないかと思うんだけれど。
今の雪也に言っても余計パニックになりそうだからやめておこう。この上現帝の妹宮を降嫁させられるカモヨ?なんて話まで聞いたら気絶しそうだ。この男、肝が小さいからな。
「でもねぇ。そりゃあなた、今まで妻の一人も持っていないのだもの。仕方ないわ」
妻を何人も持ち、通ったり囲ったりするのが普通のこのご時世。良いご身分にも関わらずいつまでも独り身の雪也が、そう疑われるのも無理はない。
「俺だって妻を持とうとしたこともあったさ!」
けれど雪也は目を潤ませながら真っ赤な顔で、私に人差し指を突きつけて喚いた。
「君なぁ!?深窓の姫君との初夜だと緊張しながら向かったら、そこの父親が出てきて押し倒された俺の恐怖が分かるか!?次もまた押し倒されるのじゃないかと思うと、怖くてオチオチお誘いにも乗れないわッ!」
「それはまた濃い過去をお持ちで」
そんなことがあったのか。それは……同情申し上げる。天性の受けって大変なのね。
「え、じゃあヤられちゃったの?」
「蹴り飛ばして逃げたわッ!」
もしや童貞非処女とかいう幻の存在なのかと尋ねれば、ブチ切れられた。いやごめん、完全に興味本位だった。過去の傷を抉って申し訳ない。
「うーん。分かったけど、でもなんで私なの?身分も違うし、妻となるには不適切じゃない?」
「女であればいいんだ!」
「いや、言い方〜!」
よほど切羽詰まっているのか、素晴らしく酷い言い草である。さすがに突っ込んでしまった。
だが雪也はまったく気にせず、謎の理論で私を口説き続けた。
「男はもちろん、女も信じられない!女にも何度も騙されて押し倒されかけたからな!」
「そうなの!?」
話によると、嘘をついて誘き出されて既成事実をつくられそうになったり、謎の変な匂いのお香、おそらくは媚薬的目的に使われるナニカを使われて気分が悪くなったりしたらしい。子供時代には、押し倒されて実力行使に出られたこともあったとか。
「俺には信頼できる人間が君しかいないんだ!」
「あんた、可哀想ね……」
切々と言い募る雪也に、わりと心から同情した。顔が良すぎるとこんなことになるのね……。
「住まいも用意する、上質紙も好きなだけ使っていいし、出仕したければ止めない!我が家の所蔵する唐の国の書籍も、古今東西の様々な書物も、好きに読んで良い!」
「ほぉ?」
さすが私のツボを分かっている雪也である。魅力的な条件を提示してきた。
「とりあえず俺の妻として振る舞って、俺の噂を払拭してくれれば良い!君、そういうの得意だろ!?」
「んん〜、まぁねぇ」
現在、中宮様の物語屋さんとして、流行の作り手となっている私である。
私と雪也のラブロマンスを、物語の衣を纏わせて語れば、すぐに広まるでしょうね。
身分差の純愛、とうとう成就!みたいな感じで。出会い・愛の告白・新婚生活の三話完結くらいでいけそう。女子たちが好きな感じでね。
「うーん、まぁ、引き受けてあげないでもない、けどぉ……あなたの家に住むの、なかなかハードル高いわね」
雪也からしたら荒屋と言っても差し支えない屋敷で生まれ育った私である。左大臣様のご子息とは住む世界が違いすぎる。しかも雪也に昔から仕えてくれている人たちがいるお屋敷に住むとか、怖すぎる。身の程を弁えろとか言って、いびられそう。
そう心配したのだが、雪也は自信満々で首を振った。
「大丈夫だ!気にしなくてよい!私は三男で、父からもそんなに目をかけられていないし、私自身出世欲もあまりないし!私に付き従ってくれている面々は私が人間不信気味なことも分かっているから、女と結婚するだけで滂沱の涙を流して大喜びだと思うし!」
「そ、そう」
雪也って人間不信だったのか。
あまりにも悲しい説得力に、私は頷くしかなかった。
「あ、ただ……実はうちには一人、腹違いの兄が住んでいて」
「へ?あなたの家に?」
どうしようかなぁと思い悩んでいたら、思いがけない新情報が飛び出してきて、私はパチクリと瞬いた。
驚かせた自覚のある雪也は、多少気まずそうながらも説明を続ける。
「あぁ、私とは幼い頃から仲が良いんだが、母君は身分が低い上に幼い頃にお亡くなりで、父との折り合いも悪いのでね。病弱な方で外で働くのも難しいから、私が引き取ったんだ」
なにその美味しい設定。
「え、そのオニイサマと、あなたの関係は?」
「え?だから異母兄弟だが?」
「……なるほど、変なこと聞いてごめんなさい」
ワクワクしながら尋ねたが、雪也はその異母兄に何一つ含むところはないようで、透き通った瞳で答えてきた。穢れた己を突きつけられた気がする。ちょっと反省した。しかし。
「で、でも彼は、本当に女に興味がないから、同居しても安全だから!」
「は?」
続いた言葉に思わず真顔で雪也の肩を掴んだ。
「なにそれ詳しく」
「え?そこに食いつくのか?」
困惑顔の雪也が、私の勢いに少し身を引きながら家族の事情を説明する。
「いや、兄は生まれつき恋愛対象が男らしくって。でも本人は別に女性になりたいわけではないんだけどね、純粋に男を恋愛対象にしているだけで。でもまぁ、そんな訳で君と同居しても安全だから、安心して欲しい」
真摯に私の身の安全を語ってくれた雪也には悪いが、私は全然違う方向に感動して幸運を噛み締めていた。
「ぜんっぜん知らなかったわ!」
「あまり人聞きが良いことではないものでな……病弱ということもあり、あまり外にはお出にならないのだ」
今の時代、同性愛はそこまで市民権を得ていない。左大臣家ともなれば、よけいに醜聞を気にして隠していてもおかしくはない。
「芸術好みの方で、君とは話も合うと思うよ。普段はずっと乳兄弟の夜光が付き従っているが、君もたまにお喋りしてやってくれたら嬉しいよ」
しみじみと言う雪也の横で、私はごくりと唾を飲んだ。なにそのピュアBLの気配。ブロマンス?私がうまく立ち回れば、嫉妬からの激しい一夜へと結びついたりもする?
「その話、乗った!」
「え?本当か!?」
今私は、目を爛々と輝かせている自覚がある。何せ私は、BLめづる姫君なのだ。
「あなたとそのお兄様たちとの同居を条件として、あなたと結婚してあげる!あ、でも出仕も続けるけど!」
「お、おお?や、まぁいいや、ありがとう!」
私が出した条件にハテナを浮かべつつも、雪也が嬉しそうに華やいだ声をあげる。本当に可愛い顔をしているな、この男。私と結婚したとしても、絶対私より男に人気だと思う。
「いや、構わない!全然問題ない!むしろ宮中で俺と君が仲良く夫婦してる感じの噂を流してくれたら一石二鳥だから」
「おっけー!」
嬉々として赤べこのごとく頷く雪也に輝く笑顔を向け、私はパチリとウインクをした。
「あなたのラブコメも親友として観察したいしね!ぜひ近くで見させてもらおう!」
「いやちょっと待って!?」
私の発言に、一気に顔を青くした雪也が私に縋りついた。
「違うからな!?ちゃんと妻として振る舞ってよ!?僕はあの二人を追い払って欲しいんだからな!?」
「追い払う?無理無理」
そんな無茶振りされても困る。私、荒屋出身のただの一介の女房だからね?そのお二人、口を聞くのも畏れ多いお方たちですよ。
「それは自分で頑張って?先帝と東宮相手じゃ、私には荷が重いわ。私とあなたの身分差恋物語を流行らせるくらいはしておくから」
「ええぇえ!?」
真っ青になってムンクの叫びのポーズをしている雪也は、一体私に何を期待していたんだ。いくら常識知らずの変人と名高い私と言えども、さすがに前の帝と次の帝に無礼は働けませんよ。
「ま、私の名前は好きに使っていいよ!適当に話は合わせるから」
私はにっこり笑って、床に両手をついている雪也の肩を叩く。
「でもどっちかに呼び出された時は教えてね?押し倒されてくれることを祈って、茂みの影から覗いてるから」
「非協力的すぎる!このひとでなしめ!」
涙混じりの詰り声がやけに扇情的で、本当にこの男はオトコゴコロをそそるなぁと感心した。
「あはは、冗談よ」
笑って誤魔化しながら、私は内心願った。
はやく誰か、雪也を押し倒してくれないかしら、と。
……まぁ結局、雪也は何度も危うい目には遭ったものの、後ろの純潔は失わなかったんだけれどね。
チェッ。
***
さて、その後の私の話でもしますか。
無事に雪也の親友かつ妻として、一生安泰に暮らしました。
契約結婚した当初は、全然恋愛感情はなかったんだけれど、なんか情が湧いてしまってね。
私と結婚して二年後。
一人目の娘が生まれたあたりで、雪也に新しい結婚の話が出た時は、わりと複雑でした。
「……良い話じゃない。皇女様なんて」
「…………そうだな」
帝からの直々のお話だ。契約結婚の相手で、しかも大した後見もない私に、反対なんてできるはずもない。
しかも、私よりよほど暗い顔をしている雪也を前に、励ますより他になかったのだ。
「大丈夫よ!あなたも私と一緒にずっといて、もう女性と触れ合うことも怖くないでしょ?」
「……どうだろうか」
「大丈夫よ多分!たぶん!」
無責任にどんよりと落ちた肩を叩きながらも、私は胸にチクチクと棘が刺さったような気分だった。
しかし結局、雪也が実は女性恐怖症が完治していなかったことが、大々的に発覚した。
妹宮との相性を確かめたがった帝が一計を案じて、妹宮と語らっているところへ、何も告げずに雪也を呼んだのだ。
「ただいま御前に……うわぁ!?」
顔は見えないものの、思いがけず知らぬ顔の女性がいたことに、心構えができていなかった雪也は情けなくも腰を抜かしたらしい。
「あ、そ、そちらの、おか、おかたは」
動揺しながらも必死に取り繕う雪也に、帝はしばらく無言の後に、深いため息をついたという。
「お前、女子が苦手なのは治ったかと思っていたが、……違ったようだなぁ」
以前、男色の噂がたった際に、雪也は帝に
「女性が苦手なだけで、男を恋愛対象とするわけではない」
と伝えていた。
私と結婚して熱愛の話を流したことで男色の噂も去り、女と結婚したということは女性が苦手というのも治ったのだろうと思っていた帝は、ご自分の思い違いに気づいて力なく首を振ったらしい。
「薔薇式部が特別だったのだな。……まぁあの女子は変わり者ゆえ、特殊だものな」
妙な理由とともに私だけが例外だったのだと納得した帝に何度もため息をつかれて、降嫁の件は流れた。帝のご温情で、雪也が重度の女性恐怖症であることは露見せずにすんだのだが。
「な、情けない……」
「どんまい」
肩を落としてしくしく嘆く雪也に、私は複雑な面持ちでしょげかえった肩を抱いた。
「別に姫宮様と結婚したかったわけでは全然ちっともまったくないのだが……帝にはまるで濡れ鼠でも見るような目で、たいそう憐れまれてしまった……」
「あなたも大概不敬よね」
色々とあまりにもな発言に思わずツッコミを入れつつ、私は安堵の中で笑った。
「でも私も、あなたに他の奥様ができなくて良かったわ。言わなかったけれど、ちょっと複雑だったもの」
「そりゃそうだろう。俺だって君に他の男ができたら複雑というか不快だからな」
「あははっ」
雪也の言葉にじわじわと湧き上がる喜びは、きっと愛というものだったのだろう。
私は、その時に初めて、きちんと夫婦になったような気がしている。子供を産んだ後に、何言ってんだって話だけれどね。
私たちは、なんだかんだ時代には珍しく一夫一妻で通して、おしどり夫婦として有名になった。
あ、何気に子供も五人産みました。
私には身分というか後ろ盾もないしね、子供くらい産んで妻として雪也の出世にも貢献しとかないとね。……ってのは建前で、一人産んでみたらめちゃくちゃ可愛くて、ついつい励んで五人産んじゃった。
こんな諸々未発達な世の中なのに、みんな無事に成長してくれて母は感動ですよ。子供が推しになっちゃったので、育児期間は創作も少し控えめになりましたね。
もちろん百合姫様のところへの出仕も続けました。
受け受けしくてカワユイ旦那様と、天使の如くお綺麗な主人に仕えて幸せな一生でしたね!
あ、もちろん腐女子としての道も貫きましたよ!
お義兄様と乳兄弟の純愛の成就も、しっかり見届けました。
初夜の新枕も覗き見るつもりだったのに、雪也に見つかって引きずり戻されたけどね。翌朝の幸せそうにはにかんだお義兄様の様子が悶えそうなくらい可愛らしくて、隣に付き従う乳兄弟さんがこの上なく愛おしそうに見つめている様が尊すぎて、しんどすぎて鼻血が出ました。
夫をめぐる高貴な御二方による刃傷沙汰も、きちんと出歯亀してスケッチしまくりました。
あ、鮮血の赤に濡れた雪也の横顔はマジでエロくてやばかったです。雪也、まさに傾国の受け。
私もさすがにどっちか死んじゃったらマズイなって思ったので、悲劇のヒロインのごとく泣きながら登場してお二人を諌めました。なんとか内々に収めることができたので、帝からお褒めの言葉とご褒美をいただきましたわ。棚からぼたもち。
ついでに、夫とライバル兼親友である右大臣のご子息との、危うい友人関係の行く末もバッチリ目撃しました。
お互いに対抗意識といきすぎた親愛の情が拗れて、愛憎うずまく展開になったりして、非常に美味でした。
雪也にとっては数少ない信頼のおける人間であり友人なので、無意識な執着や依存とかもあってね。右大臣のご子息は、学問も芸術も、なんでも少しずつ雪也より劣るとかで、劣等感を拗らせていたりしてね。でも雪也は自分より武術に長けて男らしいアチラさんに憧れていたりしてね。うーん、現実でもあんな美味しいブロマンスあるのね。
実に充実してましたね。
いやぁ、良いモノがいっぱい見れて、最高の人生だったわ。
雪也は色んな男たちに言い寄られてくれるので、そばに居たら本当に退屈しなくて済んだのよ。妄想を超えた現実が全速力でやってくるのだもの。鴨ネギどころじゃないわよ。
そんなわけで、人生で遭遇した全ての萌えと滾りを、私は一本の長編小説に纏めたんですよ。
それが、歴史に残る傑作
「薔薇物語〜男ふたりの愛と悲しみのものがたり〜」
ってわけ。
後世には、どうやら小説好きな名もなき女が、暇な暮らしの中で夫の周りの人間関係からヒントを得て執筆されたとか言われているらしいです。ほぼその通りですね。本人自らネタを探し回ったってこと以外はね。
まぁそんな名作を著しちゃった私なんですけれど、後世では「小説の主人公のモデルは夫なのか、もうひとりは男性化させた自分(つまり私)なのではないか」などと喧々囂々議論されているらしくて、あの世で爆笑しています。
違う違う!
作者はどのキャラのモデルでもありませんよ?
だって私、薔薇に挟まる趣味はありませんので。
2年前に書き殴ったネタを掘り起こしたら書きたくて仕方なくなり、ひとまず書きたいところだけ書きました。
色々間違ってるところもあると思いますので、よろしければ優しく教えてください……いつの日かBLシーンと陰陽師キャラを足して連載版にする時に、感謝で拝みながら参考にさせて頂きます……!→【連載版はじめました。下にリンクあります】
さて、周りの人間をキャラとして物語的に消費するという、ある意味ひとでなしな主人公のお話でしたが、勢いのままに書けて楽しかったです!
お馬鹿な短編を読んでくださり、ありがとうございました!