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第一章

「急ぎなさい、オフィーリア。今日はクラウン様がいらっしゃる日。粗相は許されませんよ」

朝から北館が慌ただしい。ヴァイオレットを起こしに行く。今日はヴァイオレットの婚約者_____ノーザン国第二王子のクラウン・ノーザンが訪れてくる日だ。クラウン・ノーザン。「暁の淑女」の攻略対象の一人。スカーレットと出会う前はヴァイオレットに骨抜きにされている、という設定だった気もする。ヴァイオレットはクラウンを出世のための駒としか見ていない。今からめんどうなことになりそうだ。

「ヴァイオレット様、失礼いたします」

「ん……オフィーリア?」

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「それはもう。今日の予定は?」

ヴァイオレットは朝からシャッキリとしていて、ネグリジェの胸のリボンを解くところだった。

「本日はクラウン様がいらっしゃいますが」

「ああ、クラウン様が……」

「今日のドレスはいかがいたしましょう」

「あの方の瞳と同じ、青がいいわ」

「青色ですね。ラトゥナ」

「かしこまりました」

ラトゥナがドレスを見繕っている間に、ヴァイオレットを化粧台に座らせ髪を梳かす。さらりと手を滑る絹のような髪がうらやましい。

ラトゥナがヴァイオレットを着替えさせる。ヴァイオレットの指定どおり、絹の深い青のワンピースだ。ゆったりとしたフォルム、下半身はマーメイドスカートのようになっている。腰帯をゆるく整えて、仕上げに同じ色のリボンと髪を編み込む。メイクを施し、香水をかけ、完成だ。

「お食事の準備ができております」

「ええ、ありがとう」

ラトゥナとヴァイオレットが朝食を食べに行っている間に部屋の掃除とベッドメイキングを施す。舞った埃を取り除くため、大窓を開く。

「……はーっ」

ここ数日でオフィーリアとラトゥナの日常は呆気なく様変わりした。オフィーリアはヴァイオレットの新たな側近として仕事を割り振られるようになり、作法や護身術を叩き込まれるようになった。ラトゥナも折檻を受けたことに対する補填か側仕えとして昇進し、二人揃って慌ただしい日々を過ごしている。

ゴンザレスは王立魔法騎士団という国の警備を担当する魔法師たちの元へ送られたそうだ。今頃地下牢の中だろう。そんな無駄な考えを頭の端に追いやりながら、オフィーリアは手帳を開く。ヴァイオレットの予定と、自分の仕事を事細かに記録したものだ。今日は王族がやってくることを抜きにしても、忙しない日だった。朝から昼までお茶会の給仕に回り、午後はナイフを使った剣術の稽古。夜には本館の当主さまとのお食事会。やることがみっちりだ。このヴァイオレットが朝食に行っている間の僅かな時間、オフィーリアは掃除に取り組みながらこの先の未来について考えるのが日課だった。今日のお茶会は「ゲーム」のストーリーの進行度を把握するまたとないチャンスだった。今はまだ年が明けていないことからも、恐らく革命の火種が燻り始めてはいない。このあとのヴァイオレットの行動がオフィーリアの未来を決めるのだから、しっかり見届けなくては。にしても。

「ヴァイオレット様がなにか企んでいるように思えないのよね……」

オフィーリアの口から不意に漏れたため息。側で仕事をしていても、ヴァイオレットがゲームのように悪巧みをしている様に見えず、オフィーリアは困惑していた。勿論就任したてでまだ信頼を勝ち取っていないのもあるだろうが、にしたって気配もないものだから、オフィーリアは重ね重ね困惑していた。

呟いてもこの部屋には一人。答えは帰って来ない。ぼうっと待っていると、ヴァイオレットが戻ってきた。「少し一人にして」と命令され、ラトゥナとともに部屋を退出する。

「そうだ、オフィーリア。ジェゼールさんが探してたよ」

「そう? ありがと、ラトゥナ」

そんな会話を交わしてから厨房へ足を運ぶ。今ならジェゼールは仕事に勤しんでいるはずだ。厨房ではシェフや侍女、下男たちが慌ただしく働いている。

「コラそこ! 食器を雑に扱わない!」

ジェゼールの鋭い声が聞こえてきた。オフィーリアはジェゼールに近づき、その背中を軽く叩く。

「何かご用ですか?」

「ああ、来たね新人さん。お嬢様から月光茶のリクエストがあったから、淹れてくれる?」

「はい、わかりました」

月光茶という聞き慣れないお茶を淹れるのにも随分慣れたものだ。最初は前世になかった独特な紅茶を美味しく淹れるのに苦労したが、夜な夜ないろいろな工夫をして飲んでいたらいつの間にか慣れてしまった。手をシャカシャカ動かして、手際よく紅茶を淹れる。そこでカーン、と鐘の音が響いた。本館から聞こえる魔法の鐘の音が、カーン、カーンと続けて三回なる。来客の合図だ。

「オフィーリア、お茶は私が運ぶから、お迎えに出て?」

「承知しました」

月光茶の入ったポットをジェゼールに託し、使用人用の階段を駆け下りる。ちょっと躓いてしまったが、そこは御愛嬌だ。一階まで降りきってから深呼吸をして体を沈めて、決して走らず、しかしゆっくりともしない感覚で歩いていく。メインの階段下でヴァイオレットと合流して、その後ろをこれまた合流したラトゥナともについていく。北館の扉が開いて、寒々しい雪景色が現れた。

「お嬢様、こちらを」

ラトゥナが上着を着せる。ヴァイオレットは小声で「ええ」と返事をした。緊張しているのかその顔はやや曇っている。連れたって玄関門まで行き、遠くからやってくる馬車を迎えた。

「ああ、いらっしゃった」

ヴァイオレットは背筋をぴんと伸ばした。馬車は玄関門で停止し、降りてきた御者が仰々しく扉を開ける。降り立った青年に、オフィーリアは息を呑んだ。海を閉じ込めたような青い瞳に、烏青色の髪がよく映える、美しい男。ヴァイオレットの婚約者にしてこのノーザン国第二王子、クラウン・ノーザンだ。

「ごきげんよう、クラウン殿下」

ヴァイオレットはカーテシーをしながら恭しく出迎えた。オフィーリアも深く頭を下げる。

「やあ、ヴァイオレット。出迎えありがとう。そのドレス、とても似合っているよ」

「ありがとうございます、殿下。出迎えにお礼を言っていただかなくても。当然のことですわ」

「また照れて。……おや、ゴンザレスの姿が見えないけれど?」

クラウンはきょろきょろと側につくオフィーリアたちの顔を見て、それからゴンザレスを探す。ヴァイオレットは少し微笑んだ。

「殿下には紹介していませんでしたわね。わたくしの新しい側近、オフィーリア・スフィーですわ。彼女のお茶はとても美味しいのです。今日も淹れたのでしょう?」

「はい、僭越ながら」

「そうか。それは楽しみだな。では、行こうか」

骨抜きにされている、という割には周りを見ているようだ。新王の槍玉に上げられる程度には観察眼もあるらしい。クラウンがヴァイオレットの腰を抱いて、館に入っていく。オフィーリアは先頭を歩き、彼らを案内した。北館の東側にある室内庭園。魔法での環境管理と庭師の努力により、年中美しい花を咲かせている。中央の二組の椅子に二人が座ってから、オフィーリアはポットの月光茶を注いで出す。

「こちら、月光茶にございます」

「ああ、すまないね。いただくよ。……ほお、コレは…!」

クラウンは出された月光茶を早速と一口飲む。それから感嘆のため息をついた。

「どうです、殿下。オフィーリアのお茶は」

「素晴らしいな…」

ヴァイオレットも月光茶を飲み、機嫌を良くする。オフィーリアは何も言わず、頭を下げて給仕用のワゴンの横に立つ。

「……それでだ、ヴァイオレット。君が私をトワイライト邸に招くのは、これまでで3回だ。しかも、その3回はどれも普通の話はしなかったね」

クラウンの纏う雰囲気が優しげなものから王が纏うような鋭く、固いものに変わる。その視線は紅茶のカップを持ったままのヴァイオレットをまっすぐ見据えていた。

「……ええそうです、殿下。わたくし、あなたにご提案がございますの」

「ふむ、提案か。新事業のことかい?それとも、君のことだから旅行とか……ひょっとして、なにか私を巻き込んで事件を起こす気かな?」

クラウンが意地悪そうな笑みを浮かべる。

「有り体にいえば、そうですわね。……クラウン殿下」

ヴァイオレットはカップのお茶を一口飲むと、丁寧な動作でソーサーに置いた。緊張しているのか数回深呼吸をしたあと、意を決したように口を開いた。

「新しいノーザン国の王になる気は、ございませんこと?」

ガタッ、と音がした。オフィーリアが視線を向けると、クラウンが驚いたように立ち上がっていた。青い瞳が限界まで見開かれている。オフィーリアも突然聞こえてきたそれに、驚き半分、理解半分といった心情だった。

「まあ、殿下。茶会の最中に席を立ってはございませんわ」

目に見えて動揺するクラウンとは対象的に、ヴァイオレットは落ち着き払った態度だった。言うべきことを伝え、まるで自分の使命を果たしたかのような誇らしげな表情をしている。

「いや……ヴァイオレット。君は、何を言っているかわかってるのか?」

「もちろんですわ。わたくしはこの国を収めるガイア国王を王座から引きずり降ろし、ノーザン国をクラウン様に治めていただきたいのですわ」

オフィーリアにはヴァイオレットの真意が読めなかった。「ゲーム」通りならばクラウンを王に据えるのは、自身の地位を高め国一番の女になるためだ。しかしオフィーリアの眼の前のヴァイオレットからは、そんな気は感じられない。むしろ、もっと高尚な目的のために動いている気さえする。それは彼女の悪役令嬢としてのポテンシャルの高さからか。心の内でため息をつくと、オフィーリアは空いたヴァイオレットのカップに紅茶を注いだ。

「私でなくとも、兄上がいるだろう?」

クラウンは動揺を一度隠し、変わりに困惑をあらわにした。ヴァイオレットがなぜ第一王子で現王太子であるカウル・ノーザンにこの話を持ちかけなかったのか。それがクラウンの中で気がかりなのだろう。ヴァイオレットはそんなことかとでも言うようにケーキをつまんだ。

「わたくしは殿下の婚約者。愛する者の地位向上を願ってはいけませんの?」

「そ……れは、嬉しいけどね。」

クラウンが眉根を寄せる。どうやら乗り気ではないみたいだ。

「第一、そんな無謀なこと、できるわけがないだろう?」

「あら。殿下はそんなことを心配なさってるの?もう、手立てはうっております」

ヴァイオレットは庭園の一等暗い場所に視線を投げた。そしてそこに手招きの仕草をする。

「お客様をね、もう一人呼んであるんですのよ」

暗闇から人影が躍り出てきた。その姿にオフィーリアは愕然とした。石の道を踏みしめる革靴の音。肩につくくらいの深紅の髪。モデルのような美貌。

「紹介いたしますわ。」

「お初にお目にかかります、クラウン殿下」

人影はクラウンたちの前で跪いた。そして、優美な笑みをたたえて顔をあげる。

「彼女はわたくしの協力者……スカーレット・メルーア様ですわ」

「よろしくお願いいたします」

それはまるで、「ゲーム」のように。

オフィーリアの眼の前にあらわれた。


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