前日譚その7
朝会中、いつ言おうかとタイミングを図っていると、ジェゼールが密かに囁いてくる。背中の痛みはまだ少し残っていた。
「昨日、何があったの」
「お出しする紅茶を間違えてしまって、鞭で折檻を受けました」
「せっ!?」
ジェゼールが素っ頓狂な声を上げる。オフィーリアは咄嗟にジェゼールの口を塞ぐ。ダーラがこちらを睨んでいた。オフィーリアが軽く頭を下げると、ダーラは呆れた目でオフィーリアとジェゼールを見たあと視線を戻す。
「折檻って、誰から?」
「ゴンザレス様からですね」
「ええっ……それ、本当?」
「本当です。見ます?」
シャツの裾をめくってジェゼールに背中を見せる。ジェゼールはその跡を見つめて絶句していた。
「それは……お嬢様の指示?」
オフィーリアがどう返答しようかと思っていると、静寂をダーラの声が切り裂いた。
「オフィーリア・スフィー」
「はいっ!」
咄嗟に背筋を伸ばし、こちらを見つめてくるダーラの瞳を見つめ返す。私語を咎められたかと戦々恐々としていると、ダーラの口から意外な言葉が飛び出す。
「ヴァイオレットお嬢様がお呼びです。直ちにお嬢様の元へ」
「はい! ……はい?」
言われたことを噛み砕くのにたっぷり3秒、オフィーリアは硬直した。そのうちに朝会は終わり、ダーラは話は終わったとばかりに去ってしまう。隣でジェゼールが憐れんだ目をオフィーリアに向けていた。
「行ってらっしゃい、新人さん。無事を願ってるよ」
そして肩を押して北館へと向けさせる。さっさと北館の中へ入っていった。オフィーリアはラトゥナに肩を叩かれて我に返る。
「また叩かれそうになったら、逃げてよ」
「わ……かった。いってくる」
ラトゥナは走って行ってしまった。オフィーリアは北館に入り、一目散にヴァイオレットの部屋の前まで行くと、その扉を心做し強めに二回ノックする。ゴンザレスの「入れ」という声が聞こえた。
「失礼いたします、ヴァイオレット様。」
お嬢様というのがなんとなく躊躇われて、ヴァイオレットの名前を呼ぶ。ヴァイオレットは文机の上で書き物をしていた。
「来ましたわね、オフィーリア。いくつか聞きたいことがあります」
ヴァイオレットの後方で、ゴンザレスが「余計なことを言うな」とでも言いたげに睨んできた。ヴァイオレットはそれに気が付かず、鋭い視線を向けてくる。
「まず、昨日わたくしはあなたにアッサムティーを淹れるよう頼んだはずだけれど、なぜウバが出てきたのかしら?」
「私のミスです、申し訳ありません」
「アッサムティーの茶葉が切れていたわけではないのね?」
「はい」
オフィーリアはできるだけ不遜な態度に見えないよう、精一杯頭を下げる。「本当に申し訳ありません」と謝罪を重ねると、ヴァイオレットは頭を振った。
「オフィーリア。わたくし、別にあなたのミスを責めているわけじゃありませんのよ。ただ、聞きたいことがありますの。あなた、何故昨日謝罪にこなかったの?」
「!」
「ミスは誰にだってあります。ミスを許すのも上の者の努めです。でもね、謝罪もなしに許すわけにはいきませんわ。トワイライト家の侍女たるもの、いつだって誠実に生きなさい」
やはり、ヴァイオレットは折檻の事実を聞かされていない。でなければこんな発言が出るわけがない。オフィーリアは確信した。ゴンザレスをちらりと伺うと、再度強く睨んでくる。オフィーリアは不安げな顔を作り、ヴァイオレットと視線を合わせた。
「ヴァイオレット様。もしかして、お聞きでは、ないのですか……?」
「なにをですの? 昨日は謝罪を聞いた覚えはなくてよ」
「私は昨日、ゴンザレス様からその……折檻を、受けたのですが。ヴァイオレット様の指示ではないのですか……?」
オフィーリアがそれを口にした瞬間、ゴンザレスの纏う空気や表情が頑張るのがわかった。ヴァイオレットは文机の椅子から立ち上がり、ゴンザレスを振り返る。
「ゴンザレス? 折檻とは、どういうことですの?」
ヴァイオレットの鈴のような声が強張る。ゴンザレスはヴァイオレットの視線から逃げるように、オフィーリアの方へ大股で近づき、胸ぐらを掴んだ。
「お前ェ! 余計なことを!」
そして拳を振り上げ、力任せにオフィーリアを殴ろうとする。オフィーリアが咄嗟に目を瞑ると、ヴァイオレットの声が空を切り裂いた。
「結界の魔法!」
オフィーリアを覆うように金色の結界が現れて、輝きとともにゴンザレスの拳を跳ね返す。続けてヴァイオレットが魔法を放つ。
「拘束魔法」
ヴァイオレットの指先から放たれた紐のような魔力がゴンザレスの胴体に巻き付き、拘束する。
「ゴンザレス、あなたは……」
「ヴァイオレット様、私は!」
「言い訳無用ですわ! トワイライトに仕える人間として、あるまじき行いですわ!」
ヴァイオレットが履いていたヒールをゴンザレスの体に突き刺した。痛そうだなた、どこか遠い思考で考えていると、オフィーリアを包んでいた結界が音を立てて割れた。
「オフィーリア、その机の、黒いベルを鳴らして」
「は、はい!」
ヴァイオレットの文机に並ぶ2つのベルのうち、見慣れないデザインの黒いベルを取り上げ鳴らす。館が騒がしくなり、ヴァイオレットの部屋の扉を蹴破るように用心棒の下男がなだれ込んできた。
「お嬢様! ご無事ですか! ……って、ゴンザレス、様……?」
「来たわね。ゴンザレスを捉えて、王立魔法師団に突き出してちょうだい」
下男たちは拘束されているゴンザレス様を見て鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。ヴァイオレットは肩をすくめて、オフィーリアを引き寄せる。
「このオフィーリアに折檻をしたと」
「は、はあ。ですがお嬢様、その侍女が嘘をついている可能性は?」
「でももだってもございません。さっさと連れて行って」
冷ややかにヴァイオレットが言い切る。オフィーリアが圧倒されていると、下男たちがゴンザレスに枷をつけて連れて行ってしまった。
「……オフィーリア、折檻の時のことを聞いてもよろしくて?」
振り向いたヴァイオレットのその瞳は、嫌に曇っていた。






