前日譚その6
オフィーリアが鞭で叩かれるシーンがあります。そういうのが苦手な方は飛ばしてお読みください。
西館の客室は北館よりも豪奢だ。それがオリーブの好みなのか、かつてここに住んでいた当主の兄の好みなのか、ヴァイオレットは聞いたことがなかった。オリーブを通してヴァイオレットが呼んだ客は、オリーブとヴァイオレットに挟まれながらも平然と座っていた。
「今日は来ていただき感謝するわ。話したいのは、20日後のクラウン様とのお茶会のことよ」
オリーブは形だけの同席で、ヴァイオレットの客人の話に口を挟まない。ヴァイオレットは固く巻かれた羊皮紙を客人に見せながら、「革命」の計画を説明している。オリーブにとっては面白くあるが関わらない方が良い面倒事でもあり、しかし関わらないわけにいかない事でもあった。予め説明されていた計画を聞き流しながら、ヴァイオレットの侍女が淹れたという紅茶に口をつける。そこで手を止めた。アッサムを飲む時に嗅がないような、独特の匂いがする。
「……ヴァイオレット」
「どういたしましたの、お姉様?」
「アッサムの茶葉を切らしているの? これはウバではない?」
オリーブがそういうと、ヴァイオレットはきょとんとした顔で紅茶を飲む。客人もティーカップを顔に近づけ香りを嗅いでから紅茶を流し込む。ヴァイオレットはそれがアッサムでないことに気が付き、唖然とした。
「どうして?」
ヴァイオレットが呆然と言う。傍でそれを見ていたゴンザレスが眉根をよせた。
「ねえ、ゴンザレス。わたくし、オフィーリアに『アッサムにしなさい』と頼んだ筈ですわよね?」
ヴァイオレットは信じられないと言った風にゴンザレスと目線を交わす。ゴンザレスは一言「……確認して参ります」と客室を出ていった。
厨房に荒々しい足音と、怒鳴り声が聞こえる。来たか、とオフィーリアは隣のジェゼールに気付かれないよう口角を上げた。
「オフィーリア・スフィーはどこにいる!」
厨房全体にゴンザレスの低い怒鳴り声が響き渡った。静まり返る中、オフィーリアは他の侍女やコック、下男たちの視線を受けながらゴンザレスに駆け寄った。勿論怯える演技は忘れず。
「はい、何かありましたでしょうか」
「……少し来い」
ゴンザレスが顎でヴァイオレットの私室とは反対方向を指す。地下につながる階段の方面だ。オフィーリアは有無を言わさず連れて行かれ、地下に押しこめられた。長い階段を下ると、無機質な廊下に扉が並ぶ場所があった。その奥の部屋まで寄ると、ゴンザレスに突き飛ばされる。中には一人下男がいて、オフィーリアを拘束して鳩尾に蹴りを入れた。
「かはっ」
感じたことのない感覚に思わず口を開くと、そこに猿轡のような物を押しこめられた。口を動かせずにいると、下男はやることが終わったのか部屋を出ていき、ゴンザレスとオフィーリアだけが残される。自ら飛び込んだ袋とはいえ恐怖で振り返れずに、がたがたと体が震えていることだけがわかる。目前は暗闇に包まれていた。
「よくも、お嬢様の品格を貶めてくれたな!!」
ゴンザレスの咆哮のような叫びとともにオフィーリアの背中に鞭が炸裂した。乾いた音とともに焼け付くような痛みがオフィーリアを苛む。
「ぁ゙ア゙っ!!」
思わず溢れ出した叫びは誰にも届かずに消える。普通に生きていれば感じないであろう強い痛みに、オフィーリアの目からは小さな粒の涙がぽろぽろと溢れる。続けて乾いた音とともに痛みが次々と背中に打ち付けられ、オフィーリアはただ叫ぶことしかできない。
「お前と言い、あの侍女といい! どうして命令が遂行できない!」
「ゔぅ、があっ! あ゙、あっ……」
「どうしてお嬢様を貶めて平然としていられるんだ!」
ゴンザレスのともすれば狂気とも捉えられる叫びは、オフィーリアの恐怖を加速させていく。怖い。怖い。助けを求めたい気持ちでうめき声が出るが、舌は押さえつけられて回らない。
「お前のせいでお嬢様はまた!」
鞭はどんどん勢いを増して、オフィーリアの背中に赤い跡を刻んでいく。オフィーリアは何も考えられず、ただ泣きながら痛みに耐えていた。数分そのまま叩かれ続け、耐えきれなくなったオフィーリアの体が崩れ落ちると、ゴンザレスはようやく鞭を振るう手を止めた。
「こんなものにしてやろう」
「はぁ、はあ……あ」
肩を上下させて息を整えていると、入ってきた下男によって猿轡が外された。ゴンザレスは躾は済んだとでも言うように部屋を出ていった。下男はオフィーリアを労るようなことはせず、拘束を外しながらオフィーリアに「お嬢様や旦那様にバラしたら解雇だと思え」と囁く。オフィーリアはしばらくその場で呆然としていたが、やがて涙を拭い立ち上がった。地下の階段をやっとの思いで登りきり、厨房を覗く。時間が経ち人気は少なく、ジェゼールの姿ももうなかった。別館へと戻り、救急箱を手に自室の扉を押し開ける。
「おかえり、オフィーリア。……オフィーリア?」
ラトゥナが寝支度をしていた。オフィーリアの赤く腫れた目元をみて、怪訝な声を出す。
「オフィーリア、まさか……」
「私も、叩かれた。痛いわね」
ラトゥナはがたりと身を乗り出した。「何をしたのよ!?」と悲鳴じみた声を上げる。
「ちょっとね、お嬢様にお出しする紅茶を間違えたみたい」
「ええっ」
オフィーリアは背中に軟膏を塗る。昨日見たときより半分は減っているが、それは仕方がないことだった。
「でもね、計画通り。」
「え? 計画通りって、わざと叩かれたってこと?」
「そう。かなり痛かったけど、これで大丈夫よ」
ラトゥナを安心させるつもりで言ったのだが、ラトゥナはオフィーリアの予想とは一転、涙を堪えるような顔をしていた。
「ラトゥナ……!」
「馬鹿ね、オフィーリア! オフィーリアが痛い目に合ってるのに、喜べるわけないじゃない!」
ラトゥナは目を潤ませ、オフィーリアの背中を見る。ラトゥナ程ではないが赤い跡が夥しく刻まれていた。
「こんなになっちゃって……」
「ごめん、ラトゥナ。でも、大丈夫だから」
明日が楽しみだ。オフィーリアはラトゥナに笑いかける。ラトゥナは涙を堪えるような顔のまま、暫くオフィーリアの跡を眺めていた。