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苦手な方はご注意ください。

西夏国奇譚外伝 左慈翁篇

********************

左慈翁(さじおう)先生


ご無沙汰しております。

先日、垓下(がいか)で項羽が倒れ、劉邦が天下制覇を成し遂げましたね…。

現在、論功行賞も無事に済み、各地には諸侯が赴任しつつありますが、かつて項羽が支配していた楚国には、当地出身の韓信が新・楚王として国を治めるために封ぜられる事に相成りました。

この韓信という御仁は、戦時には並ぶ者の無い戦略家であり、未だ負け知らずの強者ですが、内政面では、(いささ)(こころ)(もと)なく、彼の今後が危ぶまれて仕方ありません。

勿論(もちろん)、人には適材適所がある事は心得ておりますが、失うには惜しい人物と心得ます。

そこで先生に白羽の矢を立て、御尽力を願う事にした次第です。

無論、強制は出来ませぬ所以、受けて頂けなくともやむを得ないところです。

しかしながら、もしその人柄を見て頂く機会が御座いましたなら、一度、(じか)に会って見ていただきたい。

その上で『煮るなり焼くなり』好きにして頂いて構いませぬが、もし見込み有りと思われるならば、助けてやって頂けませぬか?

もし必要とあらば、私も可能な限りの支援をお約束致す所存です。

宜しく御検討されたく、願う次第です。


西夏国 太子 夏叡【花押】

********************



「ふん!他人事だと思いおって…相も変わらず遠慮の無いお方じゃ…。」


左慈翁はそう呟くと、書簡を(たた)んで机の上に放り出した。


『……』


彼は蜀出身の高名な軍略家で、かつてはあの范増と心を通わせた同志とも言える仲であった。


互いに立身出世を嫌い、山中に隠棲する身であったため、何度も会う機会があった訳ではないが、左慈翁には放浪癖があり、才能がある者が好きで、その顔を拝むという趣味があったせいか、縦横家でも無いのに、東奔西走するという時期があった。


そんな時に、とある山中に偏屈な人物が居ると聞きつけて、わざわざ山に登り、出会ったのが切っ掛けである。


話してみると確かに変わり者の頑固親父だが、かなり独自の理論に通じており、ふたりは乗っけから意気投合した。


それが范増(はんぞう)だった。


范増は左慈翁の話す『荀子』の思想に共鳴した。


特に『性悪説』には至極興味を示して、その真髄(しんずい)を知りたがった。


左慈翁は弟子はなかなか取らない。


教えたらそれで終い…これがもともと性に合わない。


教えた端から責任が生ずる…そう想っての事だった。


但し彼は山間の隠棲者(いんじゃ)だし、自分も独自理論を教えて貰った以上、教えない訳にもいかない。


等価交換の理屈である。


そこで、彼の()っての願いを聞いてやる事にした。


彼はとても感銘を受けた様だった。


その場はそれで済んで、左慈翁は范増に別れを告げたが、互いにそれから不定期に気が向くと、手紙のやり取りをする様になった。


そして時には左慈翁が范増に会いに出向いた。


ふたりは互いの立場など気にするでも無く愉しそうに酒を傾けたものだった。


そしてある日の事、左慈翁宛に范増から1通の手紙が届いたのである。


それまでの互いの消息を確認する程度のものでは無く、左慈翁にとっては衝撃的なものであった。



********************

左慈翁殿


(わし)は山を降りて、項羽という青年の軍師に就任した。

今は秦の都・咸陽(かんよう)を占領してそこにおる。

そなたの住む蜀からは比較的近いだろう。

左慈翁よ…良かったら一度項羽の顔を拝みに来ないかね?…来たら儂がお前を歓待しよう…。

何なら一緒に働くかね?


西楚国 軍師 范増

********************



范増は、左慈翁を介して荀子の思想に触れた事で、その思想に共鳴した様だった。


そしてそれを実践すべく、山を降りて、項羽という青年を自分の力で教育しようと考えたのだった。


早速、左慈翁は返書を(したた)めた。



********************

范増殿


そなたが山を降りるとは驚いたな…。

もしそなたがそれ程に打ち込める相手なら確かに一度観ておく価値はありそうだ。

早速、伺うとしようかな。

歓待は結構だ。

そなたと一晩飲めれば良い。

一緒に働くつもりも無いから余計な気は回さぬ様に。


左慈翁

********************



そしてその直後に放浪癖のある左慈翁ならではの、身軽さで項羽の陣にフラりと現れたのであった。


范増はあれ程に戒めたにも(かか)わらず、左慈翁を項羽に推挙していた。


しかも『自分が鳳雛(ほうすう)なら彼は臥龍(ふくりゅう)である…。』そう、のたまわったらしい。


会うなり項羽は左慈翁を歓待した。


そして、自分のために働いてくれれば、范増同様に尊意を持って接しようと持ち掛けて来た。


左慈翁は困惑した。


確かに項羽は一代の英傑に見えたものの、根が傲慢であり、唯我独尊を地で行く様な人物に見えた。


彼が本当に『荀子』の教育理念を理解しているのか甚だ怪しいと思わないではいられなかった。


確かに教育というのは基本的に人を選んではいけない…。


それは左慈翁も重々承知しているが、彼はその思想の外に存在する『狂気』に見えたのである。


『范増殿もかなり現実との狭間で悩んでいるに違いない…。』


左慈翁はそう想って、范増に『荀子』の理念を伝えた事に初めて後悔を覚えていた。


それだけの気持ちにさせる(まが)々しい気を項羽が放っていたからであった。


左慈翁は直ぐに『仕えるつもりの無い事』、『自分は臥龍などでは無い事』をはっきりと伝えた。


それを聞いた項羽は、然も無駄な事をしたという呈で、左慈翁をぞんざいに扱った。


左慈翁はムッとすると、退出を希望した。


すると項羽は突如として豹変して、左慈翁を殺すように命じたではないか?


左慈翁は然も可笑しいと言わんばかりに、


「礼節を(わきま)えぬか!若造!」


と怒鳴りつけたのである。


項羽は頭に血が登り、矢継ぎ早に刀を抜くと、切りかからん勢いであったが、范増の一喝と、その指示によって、一番近くに居た鍾離眛(しょうりばつ)龍且(りゅうそ)が止めに入ったため、事なきを得たのであった。


こうして左慈翁は無事に項羽の幕間から退出する事が出来たのだが、直ぐにも姿を隠さねば命の保証はかなり危ういと言えた。


今ならまだ鍾離眛(しょうりばつ)龍且(りゅうそ)が抑えているから、逃がせる目もある。


そこで范増は季布(きふ)に命じて、今すぐに客人を逃がすように命じた。


季布は軍師の命には忠実な男で、頭も切れる温厚な人物だった。


すぐに范増の意図を理解した。


范増は、左慈翁に陳謝した。


「儂の浅はかな行動で御主(おぬし)には迷惑をかけた…。無事を祈っておる。また会う事もあろう…。」


そう言うと季布を(うなが)す。


左慈翁は妙な予感に囚われていた。


ひょっとしたらこれが今生(こんじょう)の別れになるのではあるまいか…と。


左慈翁は頭を下げて礼を述べた。


いずれにしても彼が機転を効かせなければ、自分の首は既に胴体から離れて居たに違いない。


左慈翁は自分の想いを彼に伝えて、用心深く行動する様に言うべきか迷ったが、けっきょく…


「范増殿!(かたじけ)ない…御主も身体だけには気をつけてくれ…また会おう!」


そう言うに(とど)めたのだった。


途中、大司馬の周殷(しゅういん)に呼び停められたふたりであったが、季布が巧く取りなしてくれて、左慈翁はひとまず咸陽からの脱出に成功出来たのである。


その後は、弟子の夏叡が彼を守り、完全に虎口(ここう)を抜ける事が叶ったのであった。


夏叡は西夏国の太子であるため、常に彼を守る近衛(親衛隊)が姿を替えて、何気なく傍に潜んでおり、いざという時には、彼のひと声で姿を現すので、この時も彼らは近衛である黄金の騎士団に守られて、無事に事無きを得たのであった。


興味のある方は『西夏国奇譚・韓信編』に詳しく述べて要るので読んでいただきたい。


左慈翁は范増の行く末に不安を感じずには居られないのであった。


しばらく経つと、その不安はいみじくも的中する事になる。


范増は漢軍軍師・陳平の離間の策に嵌まり、項羽との信頼関係がやがて破綻すると、追放処分を受けて放逐されたのだ。


范増は故郷を目指して帰る途上で、自戒の念に(さいな)まれて、自噴するように口から血を吐き亡くなった。


やがて范増から左慈翁に1通の手紙が届いた。


それは遺言状の様な意味合いが感じ取れた。



********************

左慈翁殿


先日は儂の不徳から、そなたを危険に巻き込み、すまない…。

儂は漢軍軍師・陳平の策に嵌められ、項羽の小僧はすっかりこの儂を疎んじる様になった。

あやつは見込みがあると踏んで、唯一の弱点である人間性を高めてやれば、きっと将来良い王になると考えて儂は今まで頑張って来たが、それは叶わぬ夢となってしまった。

恐らくあの小僧が端から儂を(おもね)り、利用するだけのつもりで、儂の教えを軽んじていたせいなのだろう。

儂は教える相手の器量を見誤ったのだ。

そして、(さら)には儂自身がそなたから教えを受けた真髄を曲解していたのかも知れぬ。

儂は自分の気持ちを押しつける事が『教化』だといつの間にか想い違いをしていたのかも知れんな…。

今この時、はっきりと感じるのは、御主が項羽に面会した際に、瞬時にそれを看破したのだという事だ。

御主は何とかそれをこの儂に伝えようと悩んだに違いない。

が!それは誤りだ。あれで良かったのだ。

あの時の儂では恐らく御主の言葉も耳に届かなかったに違いない。

せっかくそなたが教えてくれた真髄を生かせず、無駄にした儂を許して欲しい。

儂は間も無く逝くが、そなたはこれからも沢山の弟子を育てて欲しい。

儂はそなたに会えて、ひと華咲かせる事が叶った。

礼を申す。有り難う。

御主と酒を傾けた日々は忘れぬよ。

願わくばもう一献、傾けたかったな。

では身体を慈愛せよ、友よ…。さらばだ。


范増

********************



左慈翁は人の運命の(むご)さを感じずにはいられない。


彼は善き友人であり、得難き同志であった。


互いの事をこれだけ理解し合えたのも彼の他には在るまい。


それを自分の徳の足り無き行いから、むざむざ死なせる事になった事に、(かえ)(がえ)すも自責の念を感じずには居られなかった。


彼は目を輝かせながら、あの日『荀子』の真髄を問うた…。


自分はそれを好意で教えた…。


しかしながら、そのために范増は死ぬ事になったのだから、人の運命とは不思議なものである。


『……』


左慈翁自身は荀子の後年の弟子である。


兄弟子には、韓非(かんぴ)李斯(りし)など高名な人物が居たし、浮丘伯(ふきゅうはく)張蒼(ちょうそう)などは、現在も第一線で活躍しており、左慈翁も声が掛からない訳でも無かったが、多少偏屈なところが災いして、せっかくのお声掛かりを無下に断ったり、せっかく職を得ても、気に入らない事があると、そのまま放り出して逐電してしまったりしていた。


ところが一旦気に入ると、まるで自分の人生を全て賭けるくらいの情熱を示して、熱心に教えるのだった。


そしてもっとも左慈翁の気持ちを揺り動かし、情熱を傾けさせたのが、先に述べた西夏国太子の夏叡である。


彼は聡明なだけではなかった。


『人の道とは何ぞや…』


という事に対して常に考えている風変わりな男で、その答えが見つからないまま死ぬのは、


「真っ平御免だ…」


と公言して今もそれを追い求めていると言うのだ。


もともと荀子の思想である『性悪説』は、教育理念を(みなもと)としている。


孟子の『性善説』と度々、対比されるのは、この荀子自身が、孟子の思想を否定して、『性悪説』を唱えたからに他成らぬが、だからと言って、


『人の根本は元々悪である。所以に正しく導かねば成らぬ。』


という解釈は、それを読んだ人の二義的な解釈の産物であり、荀子自身はそこまで強堅な主張はしていない。


彼は、本来人間とは弱い存在であり、弱いからこそ心が揺れるし、時には欲望に負ける。


その生来、欲望的存在に過ぎない人間も、後天的努力(学問を修める事)によっては、その行いを正す事が出来るだろう…と言っているに過ぎない。


つまりその人の本来持つ性根は変えられないが、礼を学ぶ事により、それを正す事…それが荀子の学びの根源にある。


要は『教育に力点を置く事』を理念の源としているのだ。


左慈翁は、范増の事を振り返り、自分の教えた『性悪説』に魅了されて、自分の命と引き換えにそれを実践した彼を羨ましく想いながらも、後悔の念が残らなかった訳でもなく、


『教える事の喜びとその結果、付き(まと)(せつ)無さ』


を常に心の内に内包していたと言ってよい。


彼にとっては、


『教えれば良く、後は知らぬ…』


そう想い切れない切実な想いが在ったのである。


夏叡という人物は、左慈翁の力説するこの想いを真摯に受けとめる事が出来た唯一無二の人であったかも知れない。


彼は自分の生が尽きるその日まで、その答えを追い求める励みになったと言って、感謝の意を示した。


そして自分の追い求めるものの根底にある物を探求するための道しるべになると信じていたのである。


『……』


左慈翁は、一旦放り出した書簡を再び手に取ると、それを読み返した。


『ふん、まぁ確かに若君の言う事にも一理在るか…』


左慈翁は憎いまでのこの申し出に有無を言わずに飛びつく気はまだ無かった…。


しかしながら『面白いかも知れぬ…』とも思った。


そこで『まぁ顔を見るぐらいなら』と気持ちを切り換えて承諾する事にした。


気が変わると彼は早速、返書を(したた)めた。



********************

西夏国太子 夏叡様


お手紙拝読致しました。

お申し出の件…(うけたまわ)る事にしました。

但し、最終決定はまずは相手にお会いしてからに致したく思います。無論、(わたくし)眼鏡(めがね)に叶えば承りましょう。早速に出立致します所以、詳しくはまたその後にご相談致したくお願い致します。


左慈翁

********************



こうして左慈翁は楚の都・淮蔭(わいいん)に向けて出発した。


気持ちも新たに、心も穏やかで足も軽やかだった。


「さて…汗明(かんめい)行くぞ♪」


左慈翁は馬に跨がると、手綱を軽く叩いて合図する。


馬はすぐに反応して走り始めた。


左慈翁はこの時期の儒者には珍しく馬に乗る事が出来た。


馬の名は『汗明』と言った。


夏叡が師である左慈翁に感謝の気持ちを込めて送った馬であり、馬に乗る為の教練を担ったのも彼であった。


師匠が東奔西走出来る様にとの配慮であったのだろう。


この馬は汗血馬(かんけつば)と呼ばれる西域産出の馬で1日百里(50km)以上を走破する事が出来た。


この時代は中華にもこうした馬はまだ無く、珍しい物だったが、血の(ごと)く汗を流す馬を見て、気味悪く思う者は(かず)()れども、盗もうとする変わり者も居なかったので、道中安心して移動する事が出来たのである。


これより200年後の後漢末の動乱期に、赤兎馬(せきとば)という馬が出現して、呂布(りょふ)から関羽(かんう)(あるじ)を替えながら、大活躍をする話が三國志演義(さんごくしえんぎ)に書かれており、その中では1日千里(500km)を走る馬として登場する。


勿論(もちろん)これは、羅漢中(らかんちゅう)の書いた小説なので、恐らくは誇張された表現ではあろうが、この時代…西域の馬はそれだけ優秀だったのだろう。


漢の皇帝・劉邦より4代後の5代皇帝・武帝の時代に、わざわざ汗血馬を手に入れるために、西域に軍を出して、多数の馬と3千頭の繁殖牝馬を奪い取ったという記録が残っているので、この頃にはそういう名馬の存在は一般的に成っていたと思われる。


西夏国は秦の都・咸陽の北西に位置しており、商業を国の根幹と位置付けている商業国家であるため、既にこの時代…西方の大宛国との商取引により、汗血馬は優秀な血統として国内でも生産が進んでいた。


さらには北方の騎馬民族との友好関係により、その交配も進んでおり、国内で独自血統も産まれていたので、左慈翁が手に入れた馬は、その気に為ればもっと走ったかも知れない。


現在の距離にして、西安(シーアン)から上海(シャンハイ)までおよそ1388km有り、今なら高速道路に乗ってしまえば、車でおよそ14時間で目的地に着くが、この時代庶民が気軽に移動出来たとは想えず、出来たとしても徒歩では、何ヵ月も掛かった事だろう。


しかしながら左慈翁は、この『汗明』のお陰で1ヶ月程で目的地に到着する事が出来たのである。


淮蔭(わいいん)に到着した左慈翁は、城外に立てられた公札を目に止めると、馬の手綱を持ちながら、それを眺めた。


公札にはこう記してあった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

①楚国復興のため動ける者は力を貸して欲しい。労役を課すものでは無いが、早期復興のため、手伝う者には謝意を示すものである。

②復興のためのプランを持つ者には、客卿(かくけい)として政務に参与して頂きたい。その上で復興の先頭に立ち、ご指導を賜りたい。我こそはと思う者は申し出る様に。 *以上*


楚国王 韓信

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



左慈翁は公札を読み終えると「フフン…」と相槌を打ちながら、入城を願い出て淮蔭城内に無事に入る事が出来た。


城門をくぐって城内に入ると街がある。


このあたりは、日本の感覚とは異なる。


中華の歴史を見るに、恐らくは清朝の時代までの中国の街は四方を城壁に囲まれた城の中に有り、さらにその内側に王や諸侯が住むお城(屋敷)が存在する。


イメージとしては、外壁の中に内壁が存在する感じであろうか?


漢字の国構え(ロ)の起源はここにある。


そしてその中に王が存在する事を意味して、国家を表す『国』という字が出来たのだ。


中華の歴史は王朝の衰退と勃興の繰り返しなので、内乱に際して身を守れる様に、このような街造りがされたのだろう。


左慈翁は早速、楚王・韓信に面会を求めるべく内門に向かった。


するとそこには、屈強な身体の韓信兵が二人、長い槍を頭の上で交差させて、直立不動で立っている。


彼が公札を見て来たのだと伝えると、取次の兵が応対に出て来てくれた。


そして直ぐ様、「御案内します。どうぞ!」と言い招き入れてくれる。


城門前の韓信兵は交差させていた長槍を天に向かって平行に持ち、道を開ける。


左慈翁と取次の兵が中に通るや、再び槍を交差させて、道を閉じた。


そのキビキビとした動きは、相当訓練されている。


『ホホウ♪』


彼はさも感心したように、顎髭(あごひげ)をしゃくると、ニコニコしながら愉しそうに内城門を抜けた。


朝政の間に通されるとそこには、韓信を中心にしてその両脇を幕僚達が固めて居る。


左慈翁は、彼らに堂々と対面して、悪びれる事なく相対した。


彼は背は高いが華奢である。


そのため韓信ら軍人から見れば、甚だ頼り無さ気に写るかも知れない。


そのせいか、幕僚達はひと目見た瞬間から乗り気が無さそうな態度を隠さない。


さりげなく横目で韓信に何かを訴えるような仕草を見せる者すらいる始末であった。


『ここで臆しては何にもならぬ…。』


左慈翁はそんな幕僚達の様子を意地悪そうに俯瞰(ふかん)しながら、いかにも愉快で仕方が無いと言った様子で、ひとりほくそ笑んだ。


ところが、この場で只ひとり、そんな静かな応酬には全く興味が無い!と()った呈で、その輪に参加する事なく、目を輝かせながらワクワクしている人物がいた。


言わずと知れた韓信その人である。


韓信は人を姿かたちでは判断しない。


なぜなら韓信にとって、人は能力が全てであり、どんなに(みにく)不様(ぶざま)な姿をして居ようが、小汚い(ころも)に身を(まと)って居ようが、能力を最大限に発揮して、その結果を出してくれさえすれば良いからである。


この時代には珍しい変わった物の考え方が出来るのが韓信であり、だからこそ常識に囚われて脱け出す事が出来ない凡人どもを翻弄する事が出来たといえる。


左慈翁は、大きな希望と関心を以て自分を見つめているこの韓信という男に、初見でとても好印象を受けた。


そこで、さりげなく佇みながらも、彼の仕草をじっと伺うように、観察していた。


『愉快な(おとこ)じゃ…。愉しめそうじゃわい♪…』


彼は弟子の夏叡に乗せられて、ここまで来た事に感謝していた。


『さて…どう出るかな?』


左慈翁は、ほくそ笑みながら韓信の第一声を待った。


韓信は「ウオッホン!」という幕僚の声音に気がつき、然り気無くそちらを見た。


李左車(りさしゃ)だ…。


李左車は目で仕切りに合図して来る。


『客が待ってるのに何してるんです?』


そう言った呈だった。


韓信は興味津々になりすぎて、相手を観察していたせいか、自分の客を待たせているのに気がついて、想わず恥いった。


『ご老人、私が韓信だ。今日はよく来られた。早速、公札を見てくれたそうだが、何か策はありそうかな?』


韓信は焦っていたせいか、単刀直入になり過ぎた事にすぐ気がついたが、もはや遅い…。


元々、答えを早く知りたがる悪癖(あくへき)を持っているとは言え、甚だ性急に過ぎた様だった。


悪気は全くと言って無いのだが、合理的に考えるきらいが有るために、無駄な作法を省き、簡潔を棟とする辺りが、他人から嫌われ、処世術の欠如と言われる所以なのだが、本人には至って自覚が無い。


『性急なやつだのぅ…(笑)ちょっと焦らしてやるか…。』


左慈翁は、ムッとするような態度を見せて、素知らぬという風な顔を見せたまま、そっぽを向いた。


その様子を見た幕僚達は口々に『無礼であろう!』と息巻いて、今にも斬り殺しかねない勢いである。


韓信は慌てて『待て!』と言いながら幕僚たちを制止した。


それに呼応するように、李左車も、


『大将に恥をかかせるな…』


と眼光鋭く身内を威嚇する。


そして想わず吐息を吐いた。


左慈翁はその様子を嘲笑の眼で見つめていたが、『ホウ…』といった呈で、韓信の方を向き直ると、『フフン!』と呟く様に鼻白く笑ってみた。


彼にとってはこの会見そのものがテストなのである。


ゆえに時には相手をじっと観察し、時には怒らせる様な事をわざとしたりする。


人は感情的になる時に本性が見え隠れするもの…反応を見ている訳である。


左慈翁はこんな事を平気でやるから、変人だと思われるし、煙たがれる…。


項羽に殺されかけたのだって正直その実、半分以上は自分の責任なのだが、儒者という者はそうは考えない。


自分の信ずる事の出来る、(あるじ)足るか?


そう言う理由で時に大それた物言いをする。


相手を試している訳だが、試された側からすれば、甚だ心外な事である。


なるべくそう言う人とはお近づきになりたくはなかろう。


左慈翁は儒者の中でもその辺りが行き過ぎる嫌いはあったのではなかろうか?


『こうしたらどうする?』


一度始めたらとことんやる…それが左慈翁という男なのだった。


彼は、腹のそこから声を張り上げるように、


「それが、教えを乞う者の態度か!」


と捲し立てた。


華奢な身体つきの客人の、どこからそんな声音が出て来るのか不思議なくらい、その大きな声は部屋の中を(こだま)した。


韓信自身はその咆哮(ほうこう)のような怒号に思わず面喰らってしまった様だった。


ところが、端から見た目の姿を(さげす)み、相手を格下に見ている幕僚達からすれば、話しは違って来る。


自分達が推戴する王が舐められたのだ。


幕僚達はその言葉に息巻いて、口々に『何おう!この無礼者がっ!』『もう勘弁成らぬ!』とそれぞれに刀に手をかけて飛び出さんばかりの勢いである。


韓信は再び慌てて彼等を制止せねばならなかった。


「待て!この私に恥をかかせるつもりか?刀を置け!」と怒鳴りつける。


そして、こう言い放った。


「落ち着いて話を聴けぬ者はここから今すぐに出ていけ!」


と命じた。


未だ怒りで肩が震えている者も居たが、他ならぬ王のお言葉である。


幕僚達は皆、襟を正して従った。


ただひとり…その場の混乱からは、まるではぐれてしまったかの様に涼しげな目で傍観している者がいた。


李左車だった。


彼はこれが、客人の仕掛けた茶番だと既に理解して居たので、蚊帳の外に居る事にした様だった。


左慈翁はその李左車の立ち居振舞いも見逃していない…。


『冷めた奴がひとり…か…』


韓信は、直ぐに立ち上がると、左慈翁の側まで歩み寄り、膝立ちに座るや両手を合わせて拝手しながら詫びた。


「どうか御無礼の段、平にお許しを!」


するとここで不思議な驚きがあった。


あんなに猛り狂っていた幕僚たちまで、立ち上がり、韓信の後ろで座すや、同様に拝手して口々に詫びたのである。


ある意味さすがは、天下の英雄、楚王韓信の幕僚達であった。


伊達に死線を乗り切って来た訳ではなかった。


韓信の二度に渡る制止により、主の意図を察したのである。


ふと見ると、李左車も遅れる事無く混ざっている。


『ほぉ~冷めてはいるが、抜け目もないか…』


左慈翁は李左車と韓信の人柄の対比を愉しんで観察していた。


彼もかなりのひねくれ者なのだ。


韓信は続けて、自分の不明も詫びた。


「ご老師殿、私は賤民の出自ゆえに礼が出来ておりませぬ。無礼があれば、お詫び致します。是非ご教授を賜りたい。」


根が真面目で摺れていないのが、この(おとこ)の長所であり、物事を常に利的に捉えて礼を(ないがし)ろにするのが、致命的な短所である。


左慈翁は韓信の一連の行動を見届けると、一定の評価をした。


『ここまでは合格じゃ…』


そして韓信の両の手を取り、立ち上がらせながら、こう応えた。


「さすがに王様は善き配下の方々をお持ちのようだ。感服しましたぞ。私の方こそ御無礼致した。お許し下され。」


韓信も幕僚達もこの言葉に安堵の息を吐いて、左慈翁に対して、改めて拝手した。


『なかなかしっかりとした主従であるな…。これならこの先見込みがあるわい。面白いやつもひとりいる様だしのぅ…。』


左慈翁はそう独り御馳ながら、改めて韓信主従を見直すのだった。


「皆様お立ち下され!皆、皆様の結束と覚悟を拝見し、感じ要りましたぞ!これなら、何事も為せましょうぞ!」


彼は韓信主従の結束の強さこそ、今後の力になるに違いないと考えて安堵したのだった。


左慈翁はひとまず韓信主従の心を掴んだ事に満足感を覚えていた。


何を為すにしろ、相手がこちらの言葉に素直に耳を貸す姿勢が無ければ、その推進力は半減してしまうに違いないからである。


『少し強引なやり方ではあったが、彼等の懐に入る事は出来たようじゃのぅ…。』


相手がまず自分を信じる事。


それがなければ何事も始める事は出来ないからである。


『掴みはまず成功したようじゃが、ここからが本番じゃて…。』


相手にこちらを心底、信用させるためには、まず相手が求めている物を与えてやり、その原動力を最大限に発揮させるには、腹の底から納得させた上で、行動させる必要があったからである。


実際に復興の原動力と成るのは、大勢の労働力に他ならない。


そのためには、労働力となる大勢の者達に直接指示を与える者が、その本質を理解していなければならないし、その上の者はより深く理解を熟成していなければ、推進力は必ず停滞するだろうからだ。


『そのためには、まず将を得よか…。』


韓信を納得させること!それが叶えば8割方は成功と言えるかもしれない。


『さて…この御仁はかなり才能豊かな…軍事脳の持ち主らしいが、はて、どう切り出すべきかのぅ…。』


同じ話をするにしても、アプローチの仕方によっては相当に、相手の受け入れ方も変わって来ると言うものなのだ。


左慈翁はこれ迄の経験上、その事はかなり実感していたので、少々思案していた。


すると、何とも良い具合に、韓信本人から助け舟を出して来たのであった。


韓信としては、今のこの良い雰囲気を壊す事なく、話の続きを実現したかった。


そのためには、この客人と二人だけで話し合いを持つ事が最善の道と判断したのであった。


韓信は、客人を自らの政務室に招き、和やかな雰囲気の中でゆっくりと(くつろ)ぎながら対峙する事を選んだのである。


これは図らずも左慈翁にとっても願ってもない提案であった。


韓信は幕僚を一旦下げて、客人を伴い退出した。


左慈翁は他の幕僚と下がって行く李左車を眺めながら、『毛色は違うが面白い…』と感じていた。


韓信は政務室に戻るや上座に客人を座らせて、自分は再び膝立ちに座るや、頭を下げた。


老師(せんせい)どうか非才の私にご教授をお願い致します。」


韓信はそう言って改めて拝手する。


左慈翁は立ち上がり、韓信の手に自分の手を添えて立ち上がらせると、ニコニコ微笑みながら頷いた。


「王よ…頭をお上げ下され!不才の身では有りますが、必ず力に成りましょうぞ!」


韓信は改めて左慈翁に上座を勧めたが、彼は(かたく)なに此これを固持した。


「王様♪…王様は十分私に礼を尽くされました。そのお心を忘れないで下されば良いのです。」


そう言って韓信に「ど~ぞ♪」と上座を譲る。


韓信も()れに応えるように「ど~ぞ♪」と言って下座に(うなが)した。


『項羽とはやはり器が違うようだ…。』


あの時のわだかまりから、想わず比較してしまう。


左慈翁は下座に据すわると、韓信を見つめた。


「本当によく来て下された。」


韓信は改めて礼を述べた。


そして「では早速…」と簡単な説明に入る。


左慈翁は説明を聴きながら、差し出された書簡を広げて、説明に順次て確認して行く。


説明を聞き終えた後もしばらく目を通していたが、

ひと言『ふむっ…』と呟くと、書簡を置き、頭を上げて韓信を見た。


「老師…如何いかがでしょう?」


韓信も左慈翁の顔を見ながらそう聞いた。


「まぁ…焦らず地道に行う事じゃな♪」


左慈翁は笑みを浮かべながら、韓信を見た。


「どの道…今日明日で目覚ましく状況が覆る事など無いからのぅ♪」


彼は再び書簡を手に取ると、眺めながら言葉を続けた。


「内政とは時間の懸かる物なのでな。」


韓信も頷きながら聞いている。


「そうだのぅ…計画的に取り組めば、(いず)れは結果が出るものだが…但しじゃ!正しいやり方で進めなければ、けして上手くは行かぬものじゃ…どうじゃ?ここまでは良いかな?」


韓信は頷き、そのあと続くであろう老師の言葉をワクワクしながら待っている(*^^*)♪


(^-^;『ほほう…正に目が輝いておるな…。まぁそれだけやる気があるのは良い事だかのぅ♪』


左慈翁は『フフン』と満足げに頷くと、韓信の用意した書簡をまとめて、手に持つと急に立ち上がった。


韓信は突然立ち上がった老師を怪訝に思い、いったい全体急にどうしたのかと、慌てた様子でこちらを見ている。


「王よ!少し時間を下され…。何事も急いては事を仕損じまする。」


左慈翁はそう言うと、手に持った書簡を韓信に手渡し、「また後日…。」と言って頭を下げると、スタスタと帰ろうとする。


韓信はびっくりしてしまって、急いで書簡を机に置くと、咄嗟に老師の腕を掴んで引き留めた。


「老師お待ち下さい。いったい急にどうしたのです。私は全く訳が判らないのですが…。」


それはそうだろう。


韓信にとってはあと一息で『金言』が聴けると、ハラハラドキドキしながら待っていたのに、ものの見事に透かされたのだから、当然といえた。


すると、掴まれた腕を振りほどくでもなく、そのまま振り返った左慈翁は、掴まれた腕に自分の反対側の手を添えると、優しい笑みを浮かべてこう応えた。


「王よ、あなたのやる気はしかと受け止めましたぞ!此の短期間の間によくあれだけの資料を揃えましたな…。なかなか出来るものではありませぬ。わしはあなたのやる気に真剣に報いようと決心したのです。だから今すぐに具申するのは、適当でないと考えました。よく考えて準備をした上で、出直して参ります。」


彼はそう言って再び頭を下げた。


老師(せんせい)…。』


韓信はその言葉に感極まっていた。


やっと見つけた助言者を、突如失うのではないか…という思い込みがさせた行動ではあったが、相手の本音が聴けたのだから結果オーライと云うべきなのだろう。


『有り難うございます…。』


韓信は腕をそっと離すと、両手を合わせて拝手した。


そして、


「申し訳ありませぬ。ご無礼をお許し下さい。」


と、陳謝した。


左慈翁は、相変わらず優しい笑みを浮かべながら、


「良い、良い♪」


と言って腕を擦った。


『さすがは、天下の大将軍であったお人じゃ…握力が強いのぅ…だがやる気はジンジン感じたのぅ♪』


そう思いながら、韓信を見た。


韓信は『やってしまった…。』と反省…しきりのようである。


左慈翁は思わず苦笑した。


一連の駆け引きの中で、観察し、恫喝し、試した。


そうするうちに、韓信の真心に触れて、心底こやつを助けてやろうと、気持ちは固まっていた。


直ぐに具申するプランが固まっていないのは、韓信に伝えた通り本当だ。


だが、当初は…弟子に頼まれて顔を見てから…と思って来たのだから仕方がない。


左慈翁は韓信を見つめながら…思った。


『しかし…今後はちと考えんといかんな…。腕が痛くて敵かなわん(笑)』


立ち上がり退散する刹那、左慈翁の悪戯心がさせた行為であった。


『この際こやつをもう一度試してやろう♪』


最終試験のつもりで、冷たく去るポーズをとったなら、韓信はわしを引き留めるだろうか?


『結果は合格じゃ♪…じゃがその代償は…痛かった』


老人は腕を擦りながら、決意を新たにしていた。


「王よ♪必ず期待に応えましょうぞ♪お約束致します。」


左慈翁はそう言って拝手した。


「この左慈翁…心血を注ぎます所以ご信頼下され。以後お見知りおきを♪」


そう言うと、退出した。


韓信は期待を込めた目で彼を見送っていた。


その目は再び光輝いていた。



「待たせたな…汗明♪」


左慈翁は、案内してくれた取次官から大切な馬を受け取ると、手綱を引きながら、声をかけた。


「これから斉国までひとっ飛びせにゃあならん…頼むぞ♪」


汗明は理解している様に「ブルルルッ♪」と応える。


すると、目の前にはひとりの男が待っていた。


李左車だった。


李左車は冷めていた表情は完全に拭いさって、ニッコリ微笑むと、


「左慈翁先生…ですな?李左車と申します。」


そう挨拶した。


左慈翁は、『ホホゥ♪』と然も面白いと言った呈で立ち止まると、「左慈翁じゃ…」と相槌を打った。


李左車は悪戯ッ子の様な顔つきをすると、


「先生にお会い出来て感激です…夏叡殿にも宜しく伝えて下さい!」


そう言いながら笑っている。


『こやつ何者だ…』


左慈翁は余り出し抜かれるのは好きではないが、若君が絡んでいる事ならばやむを得なかった。


何しろ夏叡という男は、人脈が広く師の左慈翁すら、もはや考えが及ばない高みにある時があるのだから、今回も何かサプライズがあってもおかしくはなかったからである。


「若君をご存知か…。」左慈翁は呟いた。


「ええ…たぶん私だけですがね…太子だと知っているのは…。他の者には叡鞅で通っていますから、お間違い無き様に♪」


李左車はそう言うと、先程の非礼を詫びた。


「先程は失礼を…ですが私は顔に出るたちでしてね…けして韓信殿を軽視している訳では無いのです。むしろ尊敬しています。ですから、どうか大将を宜しくお願いします。人前では言いませぬが、私は王よりも大将軍の彼が好きなのですよ…私に出来る事は何でもしますから、助けてやって下さい。」


そう言うと深々と頭を下げたのでした。


そして「では失礼!」と言って走り去って行きました。


左慈翁は『フフン♪』と笑うと、そう言う事かと理解した。


『若君も判っていたのだな…。』


左慈翁は苦笑した。


彼は気持ちも新たに汗明に跨がると、一路斉の都・臨淄(りんし)を目指す。


弟子のひとりである斉国宰相の曹参(そうしん)を訪ねるためだった。


楚の隣国である斉の国は既に復興が成りつつある。


そこで協力を要請するつもりであった。


左慈翁はそこで落ち合う予定の若君に、端から乗せられていた事にようやく気づいたが、心は穏やかだった。


無論、韓信を何とか助けたいという気持ちは本物なのだろう…。


しかしながらその二義的な気持ちの中で、范増を失った悲しみから、自分を立ち直らせようという想いが若君の中にあったのだとようやく気づいたのだ。


左慈翁は夏叡の優しさに感謝した。


そして今は亡き友・范増に誓うのだった。


『友よ…わしはそなたの言葉を忘れぬ…必ず新たな弟子を助けてみせるぞ♪』


汗明は主人の気持ちを代弁するかの様に、勢いよく晴れやかに街道を疾走して行った。


西夏国奇譚外伝・左慈翁篇【了】

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