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山谷さんはモンスター  作者: 浦島草(池田不眠不)
プロローグ
2/3

時蝿

続きを書けちゃったので続けます。

以降は不定期更新でぼちぼちと。


 それは山谷風雅が高校に入学して間もない頃の出来事だった。


『お前はハズレだな』


 豆腐のように白く、針のように細長い手足。昆虫を思わせる翅。そして、頭部は青白い光の球。サイズ感はピーターパンに出てくるティンカーベルを思わせるが、それを見た時の風雅が抱いた印象は「蝿」だった。


「な、なんだとう……」


 休日、暇を持て余して部屋でごろごろと怠惰を貪っていた時に、突然現れたそれがいきなり失礼な事を言うものだから、風雅は反射的に喧嘩腰になってしまった。


(って、え? なにこいつ? エイリアン?)


 危険な生物かもしれないとか、そもそもこれが現実なのかとか、後から思考が追いついてくる。どうして自分はこう、ノリでものを言ってしまうのか。とりあえず自分の手の甲をつねってみたが、痛い。夢ではない。


(ええっとぉ、しまった、このあとどう続けよう。『いきなり乙女の部屋に侵入してきて何様だ』……いやいや、刺激してどうする。サイズは小さいけど、手足がこう、刺してきたら痛そう。いやたぶん死ぬ。ヤバい生物特有の異常な白さだし、毒とか持ってたりする?)

『巻き戻せば済む程度の窮状であれば、我等が飛び回る必要もない』


 益体のない思考を回す風雅をよそに「蝿」は勝手に意味不明な言葉を投げ掛けてくる。映画に出てくる宇宙人みたいな、ダブって聞こえる感じの中性的な声だ。

 風雅は自室の出口を盗み見て、駆け込んでドアに鍵をかけるシュミレートをすると、どうにかして「蝿」の気を逸らす方法を考えた。日本語を話しているのだから、こちらの言葉は通じると考えていい。

 まずは会話だ。風雅はベッドから身を起こして居住まいを正す。


(『どちら様でしょうか』……これで行こう、丁寧にお伺いを立てる感じで。不足の事態に対して慎重になりすぎるという事はないって、授業でも言ってた。)

「あのぉ、どちら様でしょうか……」

『我等は時蝿である』


 話のできる蝿らしい。というかやっぱり蝿だったのか。時蝿はそれ以上の説明をしないままに、風雅に話しかけてくる。


『我等の出現に対して退路を確認する冷静さ、まず会話を試みる判断力、表情ひとつ変えない胆力……地力があるだけに、収穫に値しないのは惜しいな』


 うるせえ表情筋がニートなのは生まれつきだ、こっちは気にしてんだよ。と言い返すだけの度胸はなかったので、風雅は先を促す事にした。どうやら時蝿はこちらに用がないという事を言っているらしい。

 収穫とかいう物騒な単語を出すあたり、願ったり叶ったりである。逃げようとしていたのがバレている以上、どうにか穏便に帰ってもらう方が良さそうだった。


「ええと、」

『収穫には値しないが、我等が女王に連なる輪廻。汝の前途にはそれが必要だろう』

「ひえっ」


 時蝿がギラリと光さえ放ちそうな鋭利な腕を持ち上げる。風雅は言いかけた言葉を悲鳴で飲み込む事になった。

 恐る恐る「蝿」が指し示す方向に視線を向けるが、そこには机。正確には、机に置かれた風雅の腕時計しかない。

 年頃の女の子が使うには古いデザイン、簡素なつくりの腕時計。小さな見た目からは想像もつかない頑丈さで、一度誤って地面に落として運悪く通りがかりの同級生に踏まれてしまった事があったが、キズひとつ付かなかった。

 それは風雅が中学生になった時の、祖父からの入学祝いだ。悲しいことに、貰ったのと同じ年に形見になってしまったが。

 「蝿」はその腕時計を指し示して、奇妙なことを言い出した。


『使い方を教えよう』


 何を言っているのだろう。というか早く帰って欲しい。風雅の頭には疑問符が浮かぶばかりであったが、とりあえず話を合わせる事にした。


「使い方も何も、これ時計なんですけど」


 嫌な予感を感じながら、風雅は至極まっとうに言い返した。時計は時間を確認するものである。それ以外になんの用途があるというのか。


『お前にはそれが時計に見えるのか』

(いやいやいや、こわいこわいこわい! 頼むから勘弁して!?)


 この似非マスコット、祖父から代々受け継いだ腕時計に、一体全体何の因縁があると言うのか。風雅は雲行きが怪しくなってきたのを察知した。

 確かに魔法少女もののアニメは好きだが、自分がなりたいと思っていたのは小学生までだ。というか時蝿の見た目的に、悪の組織側の方がしっくりくる。高校生活一年目にしてとんでもないイベントがあったものである。


『正体を現すがいい』

「あっちょっと、やめ……」


 風雅の静止も虚しく、時蝿は小学生サイズに巨大化すると机の上の腕時計に向かって腕を振り下ろした。バキリと小さく硬質な破壊音が風雅の自室に響き渡る。


「えええええぇ……」


 あまりの事に、言葉にならなかった。時蝿のいきなりの暴挙もそうだが、単純に大きくなったその見た目のインパクトは筆舌に尽くしがたいものがある。刃物の如く尖った手足は、先程までの「刺さったら痛そう」という印象がまだ可愛いものであった事を否応なく分からせてくる。

 今の時蝿は似非マスコットと呼ぶのも烏滸がましい。もう立派に「逆らったら殺される」レベルの脅威、エイリアンだ。


『見よ』

(もう十分見せつけてくれてますがな! 異常な光景をよお!)


 危険生物にツッコミを入れる度胸はないが、風雅はもう思考を放り出して叫び出したいくらいだった。言われるがままに視線を向けると、腕時計に向かって振り下ろした時蝿の腕は先端がひび割れていた。

 あれ、意外と手足は脆いのかも。時蝿に対する脅威度をわずかに下方修正する風雅だったが、直後に目に入ったものがその情報を吹き飛ばした。


「う、腕時計……」

『に、見えるか。これが』

「L字の鉄の塊…………かな……」

『お前に分かりやすい言葉を選ぶなら、ハンドガンという呼称が相応しい』

(いやあああああああああああ助けてえええええええええええ!!)


 風雅は心の中で絶叫した。

 銃刀法は単純所持で有罪、悪の組織どころか普通に犯罪者である。この物語はフィクションであって、決して女子高生に銃の所持を推奨するものではない。山谷風雅は西洋人種の血が濃い家系だから金髪碧眼というだけで、見た目以外は普通の日本人高校二年生に過ぎない。

 白銀に輝くそれは自動式拳銃と呼ばれるタイプの……いや銃の種類などどうでもいい。これが警察に見つかったらめでたく前科一犯の女子高生である。自分の物ではないと主張したいが、出自を辿ればこれが自分の物以外の何物でもないことは明らかである。元が愛用する腕時計である以上、風雅の指紋がついたままという可能性も十分にありえる。ファッキンゴッド、前世でどんな悪事を働いたらこんな目に会うというのか。


『使い方を教えよう、手に取るがいい』

「はい……」(いやああ知りたくない触りたくないいいいい!)


 お祖父ちゃんごめんなさい、形見の腕時計がエイリアンによってハンドガンに変えられてしまいました。風雅はこの鉄塊をいかに生涯隠し通し、あるいは秘密裏に処分するかについて必死に考えながら、逆らったら殺されそうな見た目のエイリアンに従って、白銀に輝く物体を手に取る。

 手には取るが、その前に。

 鉛筆をそっと近づけたり、丸めた教科書でペチペチと叩いたり、つついたりしてみる。行為に意味はないが、得体の知れない物体Xを躊躇いなく素手でキャッチするのは気が引けるというものだ。

 あわよくば時蝿が呆れて帰ってはくれまいか、という期待も少しあったが。


『…………』

「あ、はいすぐ、今すぐに持つ。持ちます」


 ス……と鋭利な腕が持ち上がりかけたのを視界の端に捉えたので、風雅は無駄な抵抗をやめて謎の物体Xを持ち上げる。誰だって命は惜しい。

 ずっしりとした重量、金属特有の冷たい硬質な感触。それらの感覚は、これが決して玩具ではないと言うことを主張しているようだった。


(うわあああ持っちゃったよおいやだああああ! 日常返してえええええええ!)


 心の中でいくら叫んでも誰も助けには来てくれない。

 出来の良いモデルガンは重さも感触も本物そっくりで、内部構造を少し弄るだけで本物と同じになるなんて話をニュースで聞いたような気がした。水鉄砲しか触ったことのない風雅には、これに殺傷能力が備わっていないことを祈るしか出来ない。


『お前が知る銃火器と威力は変わりない』


 慈悲は無いのか。


『安全装置を外し、狙いを定めて引き金を引けば弾丸が発射される』

「ひえっ」

『目を閉じては見えないだろう、これが安全装置だ、これと、これが照準。引き金は分かるな。持ち方は…………』

「はい、はい、へえ……なるほどなあ……」


 部品を指し示しながら親切に銃火器の使い方を教えてくれるのは結構だが、時蝿に鋭利な腕をこちらに向けられるたび、風雅は生きた心地がしなかった。というか泣きそう。

 もしもこれをビビりだの先端恐怖症だのと思う人間が居たのなら、小学生サイズのマネキンが日本刀をこちらに向けて来る様子を想像してみれば良いのだ。存在しない観客に謎の憤慨を抱きながら、時蝿先生の指し示す部品と名称を一致させていく。


「ありがとう時蝿、さん。使い方は分かった、分かりましたので。そろそろお帰りに……」

『まだ分かってはいない』

「まだ説明してない部品……あ、分かった、弾倉。弾を入れるところ」

『それについての説明は不要だ』


 そんなわけあるか。使い方を教えるって言ったわりに、時蝿は適当だ。それでは弾丸を使い切ったらただの鉄の塊になってしまうのに。

 そもそも使う気もない風雅にとっては、どうでもいい事だが。


「じゃあ次は一体何を?」

『まずは教えた通りに構えて、安全装置を外せ』


 風雅は土下座した。


「いやもう本ッ当にマジで勘弁して下さい」


 虚勢を張ることもそろそろ限界である。プライドなんかクソ喰らえ、風雅は自分がこんなにも鮮やかに土下座のできる人間だという事を初めて知って、その才能に涙を禁じえなかった。

 撃てというのか、銃火器を、今ここで、自分の部屋で。狂ってやがるこのイカれエイリアン。


(どうせ狙うなら貴様の心臓を最初に撃ち抜いてくれるわ!!)

『我等に向けて撃て、当てるまで続けろ』

「えっなんて?」

『我等に向けて撃て、当てるまで続けろ』



 ごめんなさいさっきのは嘘です。撃たないから今すぐ母星に帰りやがって下さいお願いします。心の中で悪態をつくことさえ許されないのかこの世界は。自分勝手に世界に絶望しながら風雅は己の不運を呪った。

 閑話休題、時蝿が群体の中の一個体である事を風雅は言葉の端々から感じ取っていたが、どうやらこのエイリアンは一人称でも我等と呼ぶらしい。それにしてもこれ、NOとは言えない流れだが、従ったとしても社会的な死が脳裏に見え隠れしているんじゃなかろうか。

 だって銃だ、銃。確かに風雅は父方の祖父が西洋人なお陰で、見た目だけなら金髪碧眼だが、ここは日本のど真ん中であって、ロサンゼルスじゃない。単純所持だけでもヤバいのに、発砲はアウトだろう発砲は。一発で当てなければ部屋に穴が空くのではないだろうか、銃声が近所の人に聞こえたらどうしよう、出掛けている家族にバレたらどう説明すればいい?

 時蝿の心配はしていない、自分から撃てというからには多分撃たれても平気なのだろう。敵は銃が効かない生物であることがほぼ確定である、わーい詰んでるひゃっほう。

 風雅の思考は千々に乱れていた。いきなり出てきたエイリアンが女子高生に銃を持たせて使い方を教えこんで、「最初の的は私ださあ撃て」と仰るのだ。正気度全壊待ったなし、直視するには狂気があまりにも濃厚すぎる。


「もう嫌だ…………」


 土下座体勢のまま、少し泣いた。嫌なことがあって泣いていても、誰かが慰めてくれるのは小学生までなのだろうか。心が折れた風雅を、時蝿は労らない。


『涙を流すと視界が滲み、照準が不正確になる』

「えぇ……」

『泣き止め』

「………………クスッ」


 あまりの冷酷無慈悲さに、一周回って可笑しくなってしまった。頭のキャパシティを越えて、ネジが外れてしまったのかもしれない。

 傍から見れば無表情(少なくとも他人からはそう見える)のままで泣いたり笑ったりするという、矛盾した喜怒哀楽を披露している風雅も、時蝿に負けず劣らず不気味ではあるのだが、今それを指摘する者はこの場にはいない。

 風雅は眉ひとつ動かさずニコリともしない鉄面皮(少なくとも他人からはそう見える)のままで「ハハ……」と、乾いた声を唇の端から漏らし、幽鬼のようにふらりと立ち上がった。

 これはゲームのチュートリアルだ、そう思うことにしよう。既に自分の中でゴミ箱行きが確定したクソゲーでも、とりあえずさわりの部分だけは最後まで遊んでみるものだろう。

 あと少し、時蝿が満足するまで付き合ってやろう。こいつが帰ったら、まずはこの物騒な鉄塊を鍵付きの引き出しに入れて、コンビニでアイスを買って食べるのだ。お母さんに電話して、晩御飯にマグロ丼をねだって。ああ、上に刻み海苔とトロロが乗ったやつがいい。あとのことなんか知ったことか。


『驚嘆に値する。これほど感情の制御に長けた個体は稀だ』


 今こいつなんて言った? 風雅の中で何かが切れる音がした。


「……はは」


 感情の制御? 誰が感情を制御してるだって? 宇宙人の目にさえ、そんなに無表情に映るのか。というか、よりにもよって頭部が発光体の、顔のない生き物がそれを言うのか。表情筋の未発達ぶりをここまでストレートに煽られたことが、かつてあっただろうか。

 抑揚のない笑い声を漏らして、風雅はゆらりと立ち上がると、教えてもらった通りに、安全装置を外し、両手で白銀の金属をしっかりと握り、構え、撃鉄を引いた。照準の凸凹が、時蝿の身体の胸の辺りで重なる。

 こんな理不尽に負けるものか。私は今日のことを明日には綺麗さっぱり忘れて、何食わぬ顔をして当たり前の生活に戻るんだ。


『それでいい』

「ねえ時蝿」

『引き金を引け』

「撃ったら、帰って」

『ダメだ』

「帰れ」

『まだダメだ』

「じゃあ死ねクソ虫……!」


 私の人生から、消えろ。

 風雅は引き金を引く。引いてしまった。鼓膜が破裂しそうな音と、肩が外れそうな衝撃が返ってきた。


「……ぁたっ」


 バランスを崩して尻もちをつく。勢い余って本音が口から出てしまったが、気分は悪くなかった。硝煙というやつだろうか、煙っぽい匂いが不快だ。髪についたらどうしてくれる。


『クソ虫か、ユニークな呼称だ』

「あ、なんかすいません。つい本音……が…………」


 視線を上げると案の定、時蝿はそこに悠然と浮かんでいた。予想はできていた、風雅から言葉を奪ったのは時蝿に銃弾が効かない事ではなく、撃たれた時蝿の胸の辺りに浮かんだ物体だった。


「なに、それ」


 見れば分かる、弾丸だ。それは時蝿に接触する前の位置で空中に留まっており、まるでそこだけ時間が止まっているかのようだった。

 期待はしていなかったけど、撃ち殺すのは不可能だ。予想以上のデタラメに、風雅は眉尻をぴくりと苛立たせた。

 引き金を引いたことで心のスイッチが切り替わったのだろうか、それは意外と悪くない気分だった。今の自分を支配しているのは、絶望でも恐怖でもないのだから。


(隙を見せたら、帰る気がないなら、もう一度撃ってやる。このエイリアン、絶対家から叩き出す)

『弾丸を止めたのはそのガラテアの力ではない。説明に必要なので我等がここに留めている』

「ああそう、時蝿って名乗るだけはある……ガラテア?」


 聞き慣れない単語に風雅は首を傾げる。この銃のことを指しているらしいが、風雅には分かる、この銃はそんな名前じゃない。

 確か、亡くなった祖父は腕時計のことを、それとは別の名前で呼んでいた。


『お前の血筋に連なる者の手によってそのガラテアは創造された。戦火の記憶と、愛する時への願いを込めて』


 そうだ、祖父も『この腕時計は受け継いだものだ』と言っていた。腕時計を作ったのは祖父の父親で、風雅からすれば曾お祖父ちゃんである。家族と共に過ごす時間を永遠に刻むようにと、頑丈に作った特別製の腕時計。


『時計職人の末裔にして、我等が女王の輪廻に連なりし者、山谷風雅』

「あーはいはい、そういうのもういいから早くして」


 度々出てくる輪廻がどうのという文言からどことなく不吉な予感を感じるが、風雅のテンションは適当だった。下手にツッコむと話が長くなりそうだし、もう一秒でも早く日常を取り戻せたら後のことはどうでもいい気分だ。

 時蝿はどこまでこちらの話を聞いているのか、取り合う事なく語り続ける。


『適合者よ、ガラテアに刻まれし銘を呼ぶがいい』


 手の中の鉄塊が熱を持つような錯覚を覚えた。我が名を呼べ。そう誰かに言われたかのような気がした。不思議と、風雅は口に出すべき音の羅列を知っている。

 その名は、


「……メフィスト」


 口にした直後、銃がするりと手の中から滑り落ちて、そのまま捻れて手首に巻きつく。

 白銀の重たい鉄塊は、腕時計に戻っていた。


「も、戻った…………」

『次で説明は最後だ』

「え、最後? 今、最後って言った? それって時蝿さんの用事が終わりって意味で合ってる?」

『いかにも』


 最後。その言葉をどれほど待ち望んだことだろう。風雅は内心で小躍りしたい気分だった。

 やっと終わる! 良いぞ良いぞ、そのままさっさと母星に帰れ虫野郎。腕時計が元に戻った事と、強制的チュートリアルじみた非日常の終了が重なって、風雅は深く安堵のため息をついた。


(いよーっし! イエス、イエエエッス! あはっ、コンビニで買うアイスは何にしようかな〜!)


 風雅は学校での古典の授業を、もう少し真面目に聞いておくべきだったかも知れない。

 かの昔、清少納言という人が徒然草に記したエピソードに「高名の木登り」という話がある。内容は割愛するが、要約するとこういう話だ。

 人間は危険な時に失敗するのではない、安心した時に失敗するのだ。


『今からこれをお前に返す。本来、お前自身に向けて使うものだ』


 時蝿の胸元、空中に留まっていた弾丸が反転する。その意味を、風雅は咄嗟に理解できなかった。できていれば、せめてその後の醜態は避けられたかも知れない。


「?」


 弾丸が自分に向かっているという認識が追いつく間もなく、疑問符を浮かべる風雅の額を、何かが強烈に殴りつけた。


ーーーーーーーーーーーーーーー


 破壊、激痛、喪失、虚無。

 視界が真っ白になって、世界が剥がれ落ちたペンキのように剥離していく。

 全ては夢、全ては偽り。そう語りかけてくるかのように、確かにそこにあったはずの時間が実体を失い、記憶の中の残影へと置き換わっていく。

 跳躍時間、十五分。

 時の濁流を遡って意識が連れ戻され、山谷風雅の生涯という名の河に、新たなる流れが生まれた。


ーーーーーーーーーーーーーーー


「……ッア、ヴ、アァああああああああああア"ッ!!」


 誰もいない自分の部屋で、風雅は産声を上げた。


「あ"ッ……は……!? ぅぐ、ぅうあッ、あ、アッ? ア……あぃい"イッ…………エ"ほッ……ゔ、おオッ、エ"ッ……お、ボォ」


 「痛い」などという感覚はない、そんな可愛らしい表現ができる感覚ではなかった。

 全身がガクガクと震え、まるで言うことを聞かない身体は心と切り離されたかのようだった。涙を流すよりも、汗の量が尋常ではない。ベッドから転げ落ち、立ち上がることを忘れてしまった身体は四つん這いの状態。言葉にならない声を上げながら、宙に手を彷徨わせて床を汚している。

 風雅の意識はそれを、どこか冷めた心地で見下ろしていた。喉が焼けるような感覚は、きっと実際に胃液で焼かれているのだろう。

 世界がぐるぐると回転している。回る視界の中に、白く細長い四肢をもつ小人大のシルエットが点滅するようにして、現れた。


『お前はハズレだな』

「え"ぅ……ぉ、お"ェ、ッ」


 意味もなく振り回した手が机の柱に当たって、その痛みで切り離されていた意識と身体が重なる。気持ち悪い。脳みそがぐわんぐわんと揺れて、内臓がひっくり返っている。

 撃たれた。銃で、頭を。誰が? 自分が? 正確には撃たれたのではなく、銃弾が頭部を貫いて頭蓋骨を破壊して、それから、それから……人間は、頭を銃弾で貫かれたら、どうなるのだったか。

 死、という単語が脳裏をよぎる。思い出すな思い出すな思い出すな。どうして生きているとか、なにが起きたとか、細かいことはどうでもいい。


『巻き戻せば済む程度の窮状であれば、我等が飛び回る必要もない』

「ぞれ、も"、ぎいだ」


 それ、もう聞いた。

 焼けた喉にムチを打って、風雅は再度現れた時蝿に向かい、掠れた声を上げた。


『………………』

「……ッの!!」


 風雅は沈黙する時蝿を睨みつけ、手首に巻きついていた腕時計を外し、投げつけた。時蝿に当たる直前に腕時計は減速してゆき、空中でピタリと止まる。


「チッ……!」


 やっぱりそうなるのか。風雅は舌打ちをして、それをひったくった。

 敵だ、敵だ、敵だ。こいつは絶対に許さない。恐怖よりも先に激情が目の中に火花を散らした。こいつに今、何をされたのかを理解している。

 殺されたのだ、この狂った化け物に。


『収穫には値しないが、我等が女王に連なる輪廻。汝の前途には……』

「メ"ッ、フィ、ス、トォーーー!!」


 激情のままにその名を呼んだ。握りしめた腕時計が捻れて形を変えてゆく。

 白銀に輝く、重たいL字の鉄塊。使い方は知っている。安全装置を外し、両手で支えるように構えて、撃鉄を引き、照準の凸凹は、青白く光る球体のような頭部に重ねる。


「使い方は、知ってる。消えろ、時蝿ッ!!」


 震える手を必死に押さえつけながら、風雅は掠れた声を振り絞った。不気味なくらいに思考が冴え渡っている、すんなり理解できる。

 方法は問わず、この銃から出てくる銃弾で死ぬと、時間が巻き戻るのだ。名前を呼べば銃と腕時計の形を入れ替える、それがメフィスト。これだけ理解できれば十分だった。

 デモンストレーションは二度とごめんだ。時蝿に銃弾が効かないという事も、狙う場所が正しいかもどうでもいい、必要なのは徹底抗戦の意思を示すこと。

 震えが邪魔だ、呼吸を止める。まだ追いつくな、恐怖。


『…………』

「…………」


 耳鳴りが聞こえた。自分の心臓の鼓動を感じた。それだけが聞こえるほどに、シンと静まり返った部屋の中で、白い小人のような化け物と風雅は睨み合う。


『ごめんなさい』

「………………は?」


 嘘みたいな言葉が時蝿から出てきたので、ビックリするくらい低くドスの聞いた声が出て、風雅は自分が逆上している事に気づいた。今日は十六年間の人生で一番声に感情が乗っている日だ。

 今鏡を見たら、生まれて初めて「怒った顔の自分」を見れるかも知れない。


「すぐに時蝿を退かせます。大変な目に合わせてしまって、ごめんなさい」


 時蝿の発する声が変わっている。中性的で重なったような冷たい声ではなく、どこか幼さを感じる、落ち着いた女性の声だ。声に聞き覚えはないが、風雅はその正体に心当たりがある。


「時蝿の、女王」


 声の印象はむしろ姫と呼んだ方がよさそうだが、時蝿はそれの事を我等が女王と言っていた。苦笑するような気配とともに、「女王」は風雅に答える。


「私はそんなに大した存在ではありません。直接そちらにお詫びに行けないため、時蝿越しで申し訳ないのですが、できる限りのお詫びをいたしましょう」


 時蝿よりは話の分かりそうな雰囲気だったが、コレの親分だと考えるととても信用などできない。これ以上関わり合いになりたくない風雅は、少しだけ思案して、結論を出した。


「じゃあこれ綺麗にして、さっさと帰ってもらえますか。そして二度と私の前に現れるな」


 風雅は銃を下ろし、自分が撒いた床の汚れを指差してそう言った。汚れからは、吐き気のする酸っぱい臭いが漂っている。最悪だ。


「あら、これは大変。ちょっと待ってて下さいね」


 女性の声が呑気に答えると、時蝿が風雅と同じくらいの背丈になり、ペコリとお辞儀をしてしゃがみ込む。

 女子高生サイズの時蝿は、鋭利な腕で床を拭う仕草を始めた。


「…………雑巾とか、貸そうか?」

「すごい人。あんなに怒っていたのに、もう冷静なんですね」

「…………」


 冗談ではない、ふざけるな。まだ怒ってるし、むしろずっと怒髪天だし、欠片も、これっぽっちも冷静などではない。

 生まれつき表情との連携が上手く取れていないからよく誤解されるけれど、どうやら人間じゃない存在から見ても、風雅はそういう人間に見えるらしい。

 どういう仕組みになっているのか、床の汚れは綺麗さっぱり消えていく。やらせてみて実感したが、人に処理させるのは恥ずかしい。やはり自分でやれば良かっただろうか。


「ご心配なく、お洋服失礼しますね」


 しずしずといった様子で時蝿が近寄ってきた。「女王」が遠隔操作しているのだろうか? どこか人間臭さを感じる丁寧な手つきで、時蝿の腕が風雅の身体をなぞる。風雅はTシャツに短パンというラフな格好だったため、汚れはそれほどでもなかったが、有無を言わさぬ手際で警戒する間も無かった。

 胸元に多少垂れていた程度の汚れが、べたついた不快感と共に消えて無くなる。まるで魔法だ。時蝿は訓練されたメイドか何かのように一歩退き、「女王」の声は昼食のメニューでも聞くような気軽さで問いかけてくる。


「ところで、それはどうしましょうか」


 言われて、ハッとする。時蝿の頭部には目がないので分かりにくいが、「女王」が操作するそれの目線は、明らかに風雅の手に握られている鉄塊に向けられていた。


「ただの腕時計に戻した方が、良いでしょうか?」


 是非そうして欲しい、というのが正直なところだった。しかし風雅は、その妙な含みのある言い方に引っかかりを覚える。


(……時蝿は最初、私にメフィストの使い方を教えるって言った。私の前途には必要だろうとか言って。私の前途とやらに何かがあるの?)


 こんなもの必要ないと、そう吐き捨てるべきだ。時間を遡るなんて聞けば夢のような道具だが、その度にあのおぞましい体験をするのか、もう思い出したくもない最悪の体験を繰り返すのか。

 二度と使うものか。そう思っているのに、一抹の不安が風雅の手に銃を握り込む感触を押し付ける。本当にこれを捨てていいのか。今、風雅は分水領に立っている。


「……戻してもらったら、私はどうなるの」

「おそらく、あなたは今通っていらっしゃる学校を卒業できないでしょう」


 数秒、「女王」の言ったことが理解できなかった。


「その前に死ぬから?」

「そうです」

「…………ははっ」


 「女王」の馬鹿げた余命宣告にか、それとも馬鹿みたいに冴え渡った自分の直感にか。風雅は思わず笑ってしまった。


「私ね、タロット占いしか信じない事にしてるの」

「残念ながら予知でも予測でもなく、既知の確定情報です」

「あんたの予定、の間違いじゃないの?」


 挑発の言葉が口をついて出てきた。さっき自分を殺した相手の親玉に対して、我ながら大胆だ。

 なぜだろう、恐怖はまだ追いつかない。死を経験したからなのか、武器を持っているからか。それとも、決して使うまいと思っているのに、いざとなったら時間を巻き戻す手段があるからなのか。


「あなたが信じるかどうかは、問題ではないんです。問題なのは、あなたがそれを捨てるかどうかという事」


 「女王」は肯定するでも否定するでもなく、風雅に声を投げかける。


「あなたの意思で選んで下さい。その銃を手放して、何の力も持たない人として死ぬか。平凡な日常を手放して、理不尽に抗った人として死ぬか」


 哀れむような優しい声だった。心の底からどうでも良さそうな、無責任で無関心な優しい言葉だった。形だけは風雅の意思を尊重しているが、それ以外の全ては尊重しない。

 酷い話だ、どちらにしろ近いうちに死ぬらしい。ほんの少し、遅いか早いかの違い。


「そう、あんたの言い分は分かった」

「では、どうしますか? 山谷風雅」


 うまく乗せられてしまったのかも知れない。きっとそうだろう。それでも風雅は、無力というものがどれほど人を惨めにするのかを知っている。弱さが何の役にも立たない事を知っている。

 理不尽に抗え。だなんて、とんだお笑い種だ。あんた達だって理不尽そのものじゃないか。


「私は平凡に生きてみせる、あんたの言う通りにはならない。起きて、メフィスト」


 だからそのために、こいつは手放さない。

 風雅は再度、両手で白銀の鉄塊を握り込んだ。安全装置を外して撃鉄を引き、躊躇いなく時蝿の頭部に照準を合わせる。我ながら才能があるのかも知れない、嫌な才能だ。


「その選択を尊重しましょう」

(誘導しといて、いけしゃあしゃあと……)


 メイドさんの仕草のまま、時蝿が恭しくお辞儀をする。スカートをつまみ上げるような形で持ち上げた鋭利な腕の先端から空間が捻れて、生身の腕が現れていく。


「え、あの、なに? 終わったんなら早く帰って欲しいんだけど」


 無駄だとは思ったが一応言っておいた。この数十分だけで風雅は何度「帰れ」と言ったのだろう。


「直接ここにお伺いできないので、似姿だけで失礼します。私が諸悪の根源と思われるのも豪腹ですし、顔くらいは見せておきませんと」


 姿を現した「女王」は、全身真っ白のメイド服を着た黒髪の少女だった。いや、本来黒であるべき箇所も白い衣装を、メイド服と呼称するのは語弊があるだろう。海外のホラー映画にでも出てきそうな怪人物だ。

 スカートを摘んだ姿勢から顔を上げると長い黒髪がさらさらと流れる。肌は色白だが黄色人種の色彩で、瞳の色だけが深い青だった。

 歳の頃合いは中学生くらいだろうか、可愛らしく、そして気味が悪い顔だと思った。なんて青いのだろう。その瞳の青は、風雅が鏡の中で見慣れている色彩だ。


「既に時蝿から聞いたと思いますが、あなたは死んだあと、巡り巡って私になります。あなたにとっては、だから何? という話ですけど」

「いや、そんな頓珍漢な話は聞いてな……あー、言ってたかも」


 輪廻がどうこうとか言ってたかも。欠片も興味のない話だ、風雅には関係ない。

 けれど、「女王」が風雅の未来を知っていると言い張る根拠は何となく分かった。いや、それでもやっぱり、だから何? という話だけれども。己の明日も分からないのに、死後の話なんかされても困る。


「私って生まれ変わったらそんな美少女になるんだね、なんか得した気分。ありがと、さよなら」

「まあ、取り付く島もないですね。今のうちに不可避の死に抗うヒントを引き出しておこうとか、未来のことが分かるなら宝くじ一つでも当てておこうとか、思わないんですか?」


 そんな事を言われても、信用ならないし興味もないのだから仕方ない。だいたいこの手の自称未来人の話は、聞いてしまうことで碌でもない未来が確定してしまうというのがお決まりのパターンなのだ。

 でも、それならば一つだけ。風雅はこの侵略者にずっと聞きたいことがあったのだった。


「いつまであんたここにいるの?」


 風雅は引き金を引いた。鏡があれば今の自分は相変わらずの無表情だが、きっと青筋を立てているだろう。

 堪忍袋の緒なんかとっくの昔に切れている。人生二度目の発砲、化け物相手に後悔はない。来ると分かっていれば、轟音も衝撃も大したことはないものだ。腕時計に戻せると分かっている以上、拳銃の隠し場所を考える必要もない。

 戦闘開始だ、クソエイリアン。


(まずは弾丸を跳ね返した力の正体を探る!)


 風雅は二発目を打つ準備をしながら、弾丸の跳ね返しに備える。


「……くく、あっははははは! なにそれ躊躇なし!? キレッキレじゃない!」


 見れば、頭部がガラス細工のように砕けた純白のメイドが哄笑を上げている。その豹変ぶりよりも、銃弾が跳ね返ってこない事の方が風雅には驚きだった。


「弾、跳ね返さないの?」

「あははははは、あはっ、あはは! 省エネよ省エネ、というかツッコむところそこ!?」

「……本性表すの早くない?」

「はははははははぅえほっ、えほ……いや、面白すぎて無理でしょこんなの!」


 笑いすぎて咽せるほどらしい。


「まあ、あんたはそういう女なんだろうなとは思ってたよ。私の生まれ変わりだっていうなら、尚更」

「ぷは、最っ高!」


 相手のテンションが急上昇するのと反比例して、風雅の思考は冷えていく。銃弾を跳ね返した力はエネルギーの消費が激しいので出し惜しみしている、とは相手の弁。

 また馬鹿なことをした。撃ったは良いけど状況は完全に不利だ、情報的なアドバンテージは相手にある。相手は得体の知れない化け物、こちらは銃を持っているだけの女子高生。気分は最高だ。

 ついでにもう一発食らわせとけ。


「うひゃあっ! あははは、躊躇なし! こわー! めちゃくちゃ怒ってるじゃん、いやほんとごめんなさいね。悪いとは思ってるんだよ?」

「だから撃たれてくれてるわけ?」

「まあね、何事も練習は必要でしょ」


 喉が砕けても平気で喋っている相手に何を躊躇しろというのか。悪びれもしない相手の性格の悪さが却ってやりやすい、感謝などしないが。


「とりあえず全身撃ち抜けば消えるかな」

「わ、ぶっ飛んでるう。でも弾数足りるかなあ?」

「さあ、知らない」


 とりあえず撃った。撃った。撃った。撃った。

 撃って、撃って、撃った。八発目は弾が出ない。という事は、最初の一発を含めて弾倉は九発だったのだろうか。それとも、巻き戻す前に撃った一発を含めて十発か。


(今はどうでもいい、そんな事より)


 最悪だ、仕留め切れていない。白メイドの首から上の右半分と両腕は完全に破壊され、ガラス細工のように砕けて落ちた。七発は当たったが、二発は例の不思議な力で宙に留められている。


「あらら、残念だったね」


 小馬鹿にしたような「女王」の声とともに、宙に浮いた弾丸が床に落ちる。白い陶器の破片を撒き散らしてヒビと穴だらけになった白メイドは、しかし倒れたり消え去る様子はない。それどころか、時蝿はふわっとしゃがみ込むと砕けた肩を床に向ける。素人目に見ても隙だらけなその仕草に風雅が疑問符を浮かべていると、床の破片がゆっくりと浮き上がって、肩口に吸い付いていく。


「ズルじゃん……」

「空になった銃で殴りかかってみれば? ぼやっとしてたらこのまま再生しちゃうけど」


 「女王」の時蝿越しの視線は期待の色を隠そうとしない。風雅は完全に遊ばれている。


「腕が直ったら反撃に回ろっかな、面白いもの見せてよ」

「帰れクソガキ」


 風雅は白銀の鉄塊を振りかぶって再生途中の腕に殴りかかるが、銃弾で撃ったときほどには砕けない。


「ほらほら、がんばって」


 時蝿の動きは俊敏ではないが、軽く身を捻って狙いを逸らしてくる。殴って片腕の半端に再生を遅らせる間に、反対の腕が再生していく。


「このっ……!」


 冗談じゃない。風雅などひと刺しで殺せそうな明確な凶器であるからこそ、最初に両腕を粉々にしたというのに。一度でも反撃を許せば死ぬのは風雅の方だろう。

 このまま鉄塊で手足を殴り砕いたところでジリ貧になるだけ。発砲時の光で目がチカチカするし、部屋に立ち込める煙の匂いも不快で最悪。何より弾を撃ち尽くした以上、風雅にはこれ以上打つ手はない。


「………………ふー」


 風雅は殴るのをやめた。


「うん、お疲れ様。早くも詰みの状態だね。もう一度時間を巻き戻してみる? あはは、でも弾が無いね、無理だね」

「うるさい……メフィスト」


 宙に留められていた二発の銃弾が音を立てて床に落ちる。風雅は名前を呼んで銃を腕時計に戻した。「女王」の言う通り、詰みである。

 もっとも、それはメフィストが通常の拳銃であれば、の話だが。


「メフィスト」


 それは「とりあえずやってみよう」程度の思いつきだった。風雅が再度名前を呼ぶと、メフィストは再び白銀の鉄塊となってその手に収まる。


(やっぱり、さっきより少し重い)


 ヒントはあった、メフィストが腕時計から銃になった時に、なぜ最初から弾が入っていたのか、時蝿はなぜ弾倉について教えてくれなかったのか。

 普通の銃とはリロードの仕方が違うからだ。仕組みは分からないが、変形のときに弾も補充されるらしい。


「うわ、それもう気づくんだ。冷静すぎて引くんだけど」

「そうでもないよ」

「そんな仏頂面で言われても説得力ないよ……?」


 それにしても、生まれ変わったらこんなに表情筋の働く人間になるのか。そう思うと不思議と希望が芽生える風雅だったが、こんな性格の悪い異常者に生まれ変わるのかと思うと憂鬱だった。

 一秒でも長く生きてやろう。


「撃つのはあと二、三発かな」

「おっ、なになに心理戦? そういうの得意そうだよね」

「そうじゃない、よっ」

「おわっ!」


 風雅は殆ど両足と胴体だけになった黒髪の少女を蹴り飛ばして、ベットに縫い付けるように心臓のあたりへと銃口を押し付けた。マネキンのような硬質な手応えがゴリゴリと伝わってくる。わかっていたけれど、メイドの格好は貼り付けた立体映像のようなものに過ぎない。


「脆い先端から順に狙ってみて、あんたはここに近い箇所を撃たれた時だけ、銃弾を止めてきた」

「考えなしに撃ってたんじゃないんだ?」

「あんたはここを守ってた、弱点か何かだよね」

「ふふ、密着状態から連射すればバリアも抜けるって?」

「……帰れエイリアン。私の勝ちだ」


 どちらにせよ、このまま引き金を引く以外の選択肢はない。背中にじわりと汗をかく風雅だったが、そのとき「女王」が時蝿越しに柔らかく笑うような気配がした。


「正解。けど、そういう分の悪い賭け、命懸けの場面ではやらない方が良いよ」


 忠告めいた奇妙な敗北宣言だった。負け惜しみというにはあまりにも毒がない。


「最後に一言だけ聞いてあげる。そうしたら今度こそ、来世までさようなら」


 風雅は引き金にかかった指に、力を込めた。もうこれ以上、お前達のお遊びには付き合わない。それを聞いた「女王」は、クスリと笑った。


「またね、風雅ちゃん」


 弾は一発で十分だった。

 撃ち抜かれた胸を中心に、「女王」を形作っていた時蝿の身体が砕けて、床に散乱した破片が雪のように溶けて消えてゆく。

 何もかもがデタラメだ。きっと「女王」は風雅の来世とやらに戻って、時蝿は時蝿で、きっといくらでも替えがきく存在なのだろう。


「さて、コンビニに行く前に部屋を片付けなくちゃ……」


 周りを見渡すと、部屋には穴の一つも空いておらず、硝煙の匂いも綺麗さっぱり消えていた。


「どこまでもデタラメなやつ」


 異常にリアルな夢だったのかも知れない、風雅の気が触れただけだと言われた方がよほどリアリティのある話だ。


「そんなわけないけどね」


 確かにここで、自分の部屋で化け物と殺し合った。

 それが夢ではない証拠は、依然として風雅の手の中にずっしりと収まっていた。けれど、もう一度名前を呼べば、ひとまずは何事も無かったかのような日常が帰ってくるのだ。

 これは後で知る事だが、その日近所で銃声を聞いたなんて話も全く聞かなかった。そうなるように「女王」が計らったのだろう。

 最後に名前をちゃんづけで呼んできたのは、どう考えても悪質な呪詛の類としか思えないが。


「意外と気が回るやつだった……のかな」


 あとになって足が震え出すと思っていたが、いつまで経っても恐怖は追いついてこない。死ぬような目にあった。というよりは、一度は死んでしまった筈なのに。

 風雅は生き物として絶対に落としてはいけない感情を、巻き戻した時間の中に置いてきてしまったような、そんな気がした。

 外に出ると、うららかな春の日差しと小鳥の鳴き声。その日買ったアイスの味を、風雅はもう覚えていない。


 残された高校生活、風雅は極力メフィストを使わずに青春を謳歌してやろうと思っていた。

 この時は、まだ。

「タイムフライ」

カテゴリー・ガラテア4号

適合者・該当なし

形状・頭部が青白い白光球体の、妖精めいた人型実体。蟲のような羽根と鋭い四肢を持つ。


飛べ、喰い漁れ、かき集めろ

女王が未来をお望みだ

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