メフィストの銃声
初投稿です。
短編として書きましたが、続きを思いついた時のために連載に設定しています。
事実上の短編です。今はまだ。
2022/6/9.続いたので続けます。
「山谷、俺と付き合ってほしい」
「うん、分かった」
告白の場面、というやつだ。
学生服を着た少年と少女、人の気配の無い校舎の裏、観客は花壇の花と焼却炉だけだった。
少年の声は緊張でいささか固く、わずかな震えすら混じったものだった。その一方で少女は顔色ひとつ変えず、ほとんど間を置かずに答えを返した。
「えっ、いいの……でしょうか? え、あの、了承って意味で?」
「うん、私は河上くんとお付き合いしますって意味で」
あまりに呆気ない、まるで最初から用意された台詞をそらんじるかのような即答。少年は面食らったという風に目をパチパチと瞬かせると、視線をあちこちに彷徨わせながら左側の首筋を掻く。
「蚊でも止まった? まだ春先だけど」
「いや、そうじゃないんだが」
(う、う〜〜〜ンん……これは良いのか? いや、良くないよな……)
少年は困惑していた。どうにも「ひゃっほー、両想いだぜ! やったぜ!」などと飛び上がって喜んでいい感じではない。
少女、山谷風雅の表情からは何の感情も伺えない。色素の薄い金髪が風に揺れ、空の青を反射しているかのような青い瞳が、こちらを見ているだけだ。
(綺麗な色してるよな)
見惚れている場合ではない。表情に乏しいのは山谷風雅の平常運転ではあるが、それにしても平常に過ぎる。今しがた男子からの告白にイエスと返事をした女子の反応としては、不自然さすら感じるというものだ。
(ここまで無表情で言われると、本当はノーと言われたのを、ショックのあまり俺の脳が幻聴でイエスに変換したのだ。という方がまだ説得力がある!)
軽く首を振ると、河上少年は恐る恐る、確認を取るように口を開いた。
「……本当に良いのか? その、俺と」
「うん」
「山谷が」
「うん」
「恋人になるって事で」
「指を指して確認しなくても、ここには河上君と私しかいない。でしょう?」
「うん、まあそうだよな」
「そうだよ」
やはり感情の伺えない青い瞳は、揺らぎすらしておらず、これを両想いだと納得できるはずがない。河上三郎太は青二才といえども、自惚れの深い方ではないと自分では思っている。
両想いになり得なくとも告白にオーケーが貰える理由に、心当たりはあるのだ。むしろ他に考えられない。
「えっと、もしかしてなんだけどさ、山谷」
「なに?」
「死にたくないから、付き合ってくれるんかなって」
光沢を放つ鱗の生えた肌、牙、二本の触覚、六つの複眼。首から上は、まるでドラゴンか何かをモチーフにしたつくりもので、凡そ人間とは思えない。
ちょっと顔が怖い、という程度の問題ではない。河上三郎太は、制服を着た人型のモンスターである。
(…………やっぱりその方向に行くんだね)
「えっ」
口の中で何かを呟いたあと、少女はあっさりと肯定を返した。
「なんでもない。そうだね、河上くんは見た目がモンスターみたいで、ここなら助けを呼んでもすぐに人は来なくて、私は死にたくない」
そうだよな、山谷でもそう思うよな。無謀だったと、三郎太は自嘲する。山谷風雅は、三郎太の人とは違いすぎる外見に、最初から恐れでも好奇でもなく、まるで普通の男子を見るのと変わりない視線をくれる少女だったから。
「別にさ、断られても取って食ったりしないよ」
「そうなの?」
あまりにも透明な表情で、首を傾げられてしまった。三郎太は項垂れる。ああ、やっぱりそういう事かと。
「そうだよ、食べないよ」
自分で思っていたより俺は自惚れ屋だったらしい。三郎太の頭はすっかり冷えていた。彼女も他の人間と何も違わない。
『何か奇妙な生き物が居る』という扱いには慣れていた。遠巻きに好奇の目を向けられたり、知らない子供に「怪人がいるー!」と指を指されたことも数えきれない。
「虫とか食べてそう」「人間も食べてそう」「口の中に謎の男がいそう」「大葉入り餃子が好きそう」「あの頭になる前の記憶が無さそう」なんて噂を幾度も聞いた。後半のは、何かのマンガのネタなのだろうか。
比較的仲の良いクラスの男子ですら「それ系のモンスターとして見ればイケメンの部類だから」という、いまいち慰めにならないフォローを入れるのが精一杯のようだった。どうやら人類としてはアウトらしい。
仕方がないと、むしろ恵まれている方だと、三郎太は自分を納得させていた。生まれつきこうだというのに、親が自分を捨てなかっただけで、類い稀なる幸運だと思わざるを得ない。
だから、隣の席にいて、好奇の目を向けずに、ただ普通に接してくれただけの、二回昼食に誘ってくれた程度の関係の女子に。山谷風雅に対して、『彼女ならば』などと思ってしまったのだ。
決して、決して彼女に幻滅したわけではない。何を勘違いしていたんだろうかと、改めて身の程を思い知っただけだ。だけど、ならばせめてと思わずにはいられなかった。
「俺は人間を食べたりしないし、母星に連れ去ったり、解剖したり、脳にチップを埋め込んだりもしないんだよ」
「ああ、河上くんって宇宙系だったんだ?」
「地球人だよ、ついでに言えば草食系だ」
「草食系は女子を呼び出して脅迫とかしないと思う」
脅迫っすか。告白とすら思われてませんでしたか。三郎太は鈍器で後頭部を殴られたような思いだった。
しまいにゃ本当にパクッとやるぞ、こんにゃろう。喉まで出かかった言葉をどうにか堪えて、代わりに出てきたのは盛大なため息だった。
「じゃあ、もう行っていいよ。告白が脅迫にしか聞こえない状態の女子と付き合いたいわけじゃないし」
「それってどういう事?」
「嫌々ながら付き合ってほしくないし、何なら完全に冷めたし、もう帰れっていうか一人にしてくれって事だよ。言わせんな恥ずかしい」
いっその事、振ってくれれば良かったのだ。君だけはずっと人間扱いしてくれていて、せめて人間としての返事を貰えると思っていたのに。
振るならちゃんと振って欲しかった。普通の男子高校生として、普通に恋をして、普通に失恋して、求めていたのはそういう些細な事だったのに。そういう些細な事が、河上三郎太という少年にとっては大変な贅沢だったらしい。
耳を塞いで蹲ると、青空の下の暖かな校舎裏は昏い深海のようだった。
一人で生きよう。もう自分の青春には何も期待するまいと決意を固める三郎太の耳には、どんな言葉も届かなくなったかのように思われた。
「うん。じゃあ死ぬしかないね、私」
「…………は?」
ん? えっ、今なんて?
本当に耳が遠くなったのかと、三郎太は思わず振り返った。
「死ぬしかない」
そこだけ切り取られたかのように、いやにはっきりと聞こえた。
間違いなく幻聴ではない。
「私だって、死ぬのは痛いから嫌なのにな」
「え、あの、山谷さん? 何の話……」
視界の中には、クラスメイトの少女の山谷風雅がいる。相変わらず透明な表情を、している筈だった。
(なんだよ、その顔)
笑っているのに、泣いているようで、透明さなんて欠片もなくて、青い瞳はどこまでも深く濁っていて、それで。
「なんで、銃……」
白く輝く重たい金属が、彼女の手に握られていた。
「河上くんが悪いんだよ」
破裂するような轟音。まるで映画の俳優みたいに、自分の側頭部を撃ち抜く風雅の姿が、三郎太の複眼に焼き付いた。
「河上くん、私と付き合って」
「…………」
しばらく、何が起きたのか理解できなかった。たった今、頭から血を噴いて倒れた山谷風雅が目の前に立っていて、校舎裏で、周りには誰もいない。もちろん、彼女の手に銃なんか握られていない。
白昼夢だと、そう思うにはあまりにも匂いがリアルで、硝煙と、鉄のようなあれは、血の匂いだったのだろうか。
「河上くん、河上くん?」
「…………あぇ」
喋っているし、立っている。山谷風雅だ。
青い瞳、透明な表情。生きている山谷風雅が、そこにいた。
そうだ、生きている。頭を撃ち抜いたのに。
「返事をして、河上くん」
「え、あ、はい…………はい?」
何もおかしな事はない。
その筈だ、さっきの光景は夢だったのだから。山谷風雅は最初から死んでなどいない。
目の前にいる彼女が現実で、その彼女から何を言われたのかについて、ようやく思考が追いついてきた。
そうだ、彼女から告白されたのだ。その返事を今求められている。もちろんOKと答えるべきで、むしろこちらの方から告白をする予定だったのだから、何も不都合はない。
「なんか疑問系だったように聞こえたけど、イエスって事でいいのかな」
「あっいや、イエス、イエスだ」
「そう、良かった」
「付き合う、よ。俺は山谷と付き合う……付き合うんだよ、な…………?」
「そうだね」
よく分からないが、そういう事になった。
「じゃあ、その、一緒に帰ろうか?」
「手を繋いで」
「エッ、ワッ、手!? 手っすか」
「いきなり過ぎたかな」
「そんな、い、良いよ全然良いよ! あの、俺、手汗ヤバかったらごめん。ウロコのとこは汗かかないんだけど」
「知ってる。拭いて」
渡されたティッシュで手を拭きながら、三郎太は山谷風雅を覗き見た。透明な表情、青い瞳、色素の薄い金色の髪が微かに揺れている。
いつもの、三郎太がよく知っている山谷風雅だ。当たり前の事なのに、どこか嘘みたいだった。
「じゃあ、はい」
そして差し出された手を握ろうとして、硬直した。
「……………………っ」
気持ち悪い、吐き気がする。浮かれた言葉を吐く自分を、冷めた視線で見下ろす自分がいた。なんて都合のいい、夢みたいなフワフワとした状況だろう。夢なんじゃないか?
流されるな。三郎太の本能的な部分が警鐘を鳴らしていた。いくら振り払おうとしても、鼻の奥から硝煙の匂いが消えない。
(やめろやめろ、そうじゃない、違う筈だ。さっきのが悪い夢だったと考えるのが自然だ!)
「河上くん?」
三郎太の葛藤は顔に出ていたらしい、山谷風雅が透き通った視線で覗き込んで来た。悪夢の中の濁った青と、その瞳が重なる。
「あ、ィや…………」
三郎太は叫びそうになる喉を必死で抑えつけた。代わりに出てきたのは掠れた奇妙な声だ。
確かに好きな女の子から告白されるなんて絶対にあり得ない事だが、それが目の前の現実なのだ。そう、本当ならこちらの方から……
そこで、小さな違和感が喉に引っかかった。
「ぼうっとして、どうしたの?」
「あ、のさ。山谷、さん」
夢だ。あれは夢で、こちらが現実だ。警鐘を鳴らし続ける本能を黙らせるために、三郎太は確かめずにはいられなかった。
「うん、山谷だけど」
「呼び出したのは、俺の方だよな」
「そうだね」
「俺の方から告白するのが、その、スジじゃないか? なんて」
「河上くんの告白はもう聞いたし、今度は私の番かなって」
なんだ、そういう事か。
…………そういう、事って。どういう事だ?
「そっか、そっか。俺、もう告白してたか」
「うん、そうだね」
その言葉に安堵を覚えた、筈だ。相変わらず、本能は警鐘を鳴らし続けてる。
(そうだ、悪い夢に決まってる、山谷が拳銃自殺なんてするはずがない。だいたいどこから出したんだあの銃。山谷はそんな事をする奴じゃ……)
そう、自分に言い聞かせた直後だった。
「やっぱり疑ってるね、こんな事はあり得ないって」
「え……?」
「河上くんの方から告白したのは事実だよ。私と河上くんの主観ではした事になってるから、それはしたのと同じこと。記憶として残っている事実は、時間を遡っても無かったことにはできないんだよ」
ギチリと、抑揚の少ない声が思考の歯車に挟み込まれた。
「え、なんて?」
「あ、これじゃ分かんないか。分かりやすく言うと、河上くんが私をここに呼び出して、告白して、私はOKして、うん、そう。なんか面倒くさい事になっちゃったから」
少女は右腕をゆっくりと上げて、その仕草はまるで焼き直しのようだった。指で作ったピストルがその側頭部に架空の銃口を突きつける。
三郎太は急速に喉が干上がるのを感じた。ダメだ、このままではいけない、何か、何かを言わなければと言葉を探して。
「あ、山谷、やめっ!!」
「ばーん」
「………………ッ!!!!」
「ってやって、リセットしたの。三十分ちょっと、無かったことにしたって言うのかな?」
山谷くんて、そんなに口が開くんだね。などと言いながら、細い腕がゆっくりと降りる。あっけからんと、まるで隠す事など何も無いとでも言うかのように、山谷風雅は宣言した。
「私が時間を巻き戻したの」
三郎太の錆びついた思考の歯車が、急速に回り始める。銃も濁った瞳も現実で、あれは白昼夢などではない、巻き戻された時間の記憶だ。だが、感情は思考に追いついてくれない。
「な、んで」
「自分を撃たないと巻き戻せないから」
「は?」
「不便だよね、痛いし」
「そ、そういう事じゃなくて、あれは夢」
「私は確かに自分の頭を撃ったよ。撃って巻き戻した、何度も、何度もだよ。痛いからあんまりやりたくないのに。河上くんが悪いんだよ」
「な、なんで俺が、俺が何したって言うんだよ!?」
「河上くんが好きだから、河上くんと恋人になれないなら死ぬしかないから。なのに河上くんは最初から私と付き合う気なんか無いから。そんなの、私からすれば脅迫と同じだから」
意味のわからない事を、言われている。信じがたい事を、まるで練習でもしてきたかのようにすらすらと。
「…………」
「私の方から告白するパターンは二回試してみたけど、ダメだったの。悪戯か冗談としか受け取ってくれない。それどころか、河上くんは逃げた、私から」
「そんな事、俺はしない」
「するよ。したよ」
「だ、だっておかしいだろ! 俺は、俺は山谷が、その、好きで、俺の方から呼び出したのに」
「今日、河上くんから告白してくれたパターンは私にとっても突然だった。びっくりするやら嬉しいやら」
「だったら!」
「と思ってオーケーしたら、自分から付き合ってくれって言い出した癖に、全然両想いだって信じないの。今みたいに」
「……」
「疑って、信じてくれなくて、やっぱり逃げた。ねえ、酷いと思わない?」
「してない、俺はそんな事……」
「したんだよ。その時の河上くんは連れてきてないから、覚えてないだけで」
覚えていない。記憶に存在しない事を言われてもどうしようもない。三郎太は冤罪にでもかけられたかのような心地だった。
だが山谷風雅にとっては何度も無かった事にした過去の、歴としていない事実なのだ。
「私も頑張ったけど、頭を撃つと痛いし、死ぬし、疲れたし。役立たず、無かったことにする力なんて」
山谷風雅が何を考えているのか、何を言っているのかも、分からない。
「だからいっそのこと、覚えててもらう事にしたの。目の前で死んでみせて、一緒に過去に連れてきて、全部ぶちまけて、私の方から脅迫する形でもいいやって」
分からないまま、彼女の右手首に巻かれた腕時計が解けて、空中で捻れて、白いL字の物体となって、その手の中に収まっていく光景を見た。
青い目は、底なし沼のように深く、深く濁っている。
「山谷、やめろ」
「河上くんは私と付き合うしかないの。私はそれ以外の結果を認めない」
ふたたび彼女の手に握られた白い鋼の銃から、カチリと。安全装置を外す音がした。
今度は、銃口は三郎太の足元に向いていた。
「ばーん」
「っあ、や、め…………っ!!!!」
「私のこと好き?」
「っ好きで、でずっ!」
「ちゃんと言って」
「ひ、ぐ、ず、好きです!!」
「私と付き合うよね」
「あっ、つ、付き合う! だからっ、山谷、だから……!!」
耳を塞ぎながら喚くように口から溢れたのは、懇願だった。あの音が鳴ったら、人が死ぬ。
たった一発の銃声がまだ、三郎太の頭の中にガンガンと鳴り響いているようだった。
「撃たないよ。好きな人のこと、撃てるわけない。でも」
言葉と同時、三郎太の足元に向いていた銃口が持ち上がって、少女自身の側頭部に突きつけられる。
「や、やめっ、それも!! ……それもっ、ダメだぁ、から、だから……!」
頼む、と。乾き切った喉で、笑えるくらいに情けない声が出て、三郎太は自分が泣いている事に気がついた。
「ごめんね、怖がらせて」
まるで立場が逆ではないか。そう三郎太は思った。怪物みたいな外見の自分が、同い年の少女に怯え、泣かされている。
白く輝く拳銃が、破裂するような音と硝煙の匂いが怖い。何より、それを平然と自分自身に向ける山谷風雅という少女が怖かった。
「やめて、やめてくれ山谷、山谷風雅。自分のあ、頭を、撃つとかっ! そんなの、もう、やめて、やめてください」
もう、鼻水混じりの声だった。足が面白いくらいにガクガクと震えていた。三郎太は、今まで生きてきて、こんなにも自分で自分が情けないと思った事はない。
「優しいね」
違う、そんなんじゃない。ただ怖いだけだ。嫌なだけだ。三郎太は首を横に振る。
「私のこと、本当はもう好きじゃないよね。こんなに怯えさせて、見たくもないものを無理やり見せて、脅してるんだから」
でも、と少女は続ける。手の平の白い凶器をもてあそびながら、淡々と、感情の無い声で。
「河上くんはもう私のこと好きって言うしかないんだよね。ね、なんか優越感感じるね」
だったら少しは嬉しそうな顔をして欲しいものだ。そして三郎太は、もう一度首を横に振った。それは違う、と。
「あ、あの、俺。山谷、聞いて、聞いてくれる?」
「なに」
「俺、いま山谷のこと、すげー怖くて、怖いけど。自分でっ、自分でもどうかしてるって分かってんだけど!!」
つっかえながら、嗚咽を飲み込むようにして三郎太は言う。
聞くべきことも言うべきことも他にある。なのに、何故かこれだけは絶対に言わなければならない気がしたのだ。
「俺、まだ山谷のこと好きなんだ。付き合うから、逃げないから。だからそれ、そんなものは、捨ててくれよ」
嘘はなかった。好きな女の子が銃を持っているのも、時間を巻き戻したとか、わけのわからない事を言われるのも、目の前で死なれるのも、怖くて仕方がない。
けれど、それで山谷風雅という少女に対する想いが無くなるのかというと、どうにもそうではないらしい。
三郎太は、今初めて山谷風雅に心からの本当の告白をしたのかも知れなかった。
「ふーん、そう? 便利だから捨てない」
「うごぁァァァ…………!」
バッサリである、三郎太は奇妙な呻き声を上げて膝から崩れ落ちた。暴力と恐怖の前に、少年は哀れなほど無力だった。
人生で最も無様な姿を晒す少年に背を向け、でも、と少女は続けた。
「嬉しいよ。私は三郎太くんと違って、その言葉を信じる。銃は捨てないけど」
三郎太はなんと答えれば良いのか分からなかった。それはどうやら三郎太の告白に対する、山谷風雅なりの正式な返答のように思えた。
面と向かっていても感情の読めない彼女が背を向けながら言葉を虚空へと投げる姿に、何か彼女なりの儀式めいたものを感じたのかも知れない。
その姿には、まるで今までは壁越しに会話していたのではないかと思わせるような、奇妙な緊張と説得感があった。
「私も河上くんのこと好きだよ。私なんかのことを好きになってくれたところ、人と接する事に臆病なところ、勇気を出すときにも予防線を張る小心者なところ、一人で昼食を食べてるときにちょっと背中を丸めてるのが可愛いところ、」
ストーカー特有の目線というか、趣味の悪さが垣間見えるのは気のせいだろうか。などというツッコミを、三郎太は喉に押し込んだ。誰だって命は惜しい。
「河上くんが知らない河上くんの魅力を、私はたくさん知ってるよ」
けれど、その一言に心臓が跳ねた。
「あとね」
くるりと振り返って、山谷風雅は地面に手をついたままの三郎太の側まで寄ると、ひょいとしゃがみ込んだ。
三郎太は視界の中で、彼女の手の中の白い銃がぐにゃりと腕時計に戻って、彼女の手首に巻き付くのを見た。見た目が変わっただけなのに、銃の形をしてないというだけでこうも威圧感が消え失せるものなのか。
無意味に安堵する三郎太の頭の上の方に、少女の手が伸びてきて、ひんやりとした指が触れる。
「ふわっ!?」
「触手がこんにゃくみたいな感触してるところ、大好きなの」
「…………それは、どうも」
(え、顔、顔が近い。なんか花の香りする。ていうかなにこの、何? え、謎に恥ずかしいんだが。頭の触手なんて、家族にだって触られた事ないんだが。ていうかなんで感触知ってるんだ!)
山谷風雅は、時間遡行者である。三郎太はその片鱗を見たような気がした。
「毎日触りたいな」
「………………人前じゃ、なければ」
自分が知らないだけで、それも巻き戻した時間での経験なのか。
三郎太は何も訊かない事にした。その話題は彼女が三郎太の知らない所で自分の頭を撃ち抜いた話に直結している。恐ろしくて、聞けるわけもなかった。
その内心を知ってか知らずか、細く冷たい腕が少年の腕に絡みつく。表情は読めないが、心なしかいつもより弾んだように聞こえなくもない声が、耳をくすぐった。
「今日から恋人ね」
「は、い」
「毎日一緒に、お昼ごはんを食べようね」
「はい……」
こうしてめでたく、河上三郎太にはいつでも時間を巻き戻せる銃刀法違反の恋人ができた。この物語はフィクションであり、銃の所持及び使用を推奨するものではない。
「私達、両想いだよね」
「…………そうですね」
両想いであり、拒否権は無い。不思議なことにこれっぽっちも嬉しくなかった。
「じゃあ、手を繋いで帰ろうか」
「あの、俺、今手汗すごいけど」
「拭いて」
正直なところ、山谷風雅がどこまで本気なのか、何を考えているのかも分からない。
渡されたティッシュで手を拭きながら、もしかすると、そんなにも手を繋いで帰りたかったのか、などと三郎太は思った。
「利き手を塞げば少しは安心できるでしょ?」
「あ、そういう……」
気遣いだった。恐る恐る繋いだ手は、やはりひんやりとしている。
「これからは風雅って呼んでね、三郎太くん」
「………………はい」
少年の精一杯の返答に、少しだけ少女の口角が上がる。頭を撃ち抜く時のような虚ろなものではない。その表情はとても可愛らしいと、三郎太はそう思ったのだった。
「山谷の笑顔、初めて見たかも」
「……撃っちゃおうかな」
「なんで!?」
深く深く濁っていても、相変わらず、山谷風雅の青い瞳は綺麗だった。
「メフィスト」
カテゴリー・ガラテア6号
適合者・山谷風雅
形状・腕時計⇔銃に変形する
異能:適合者が銃形態で自身を撃ち殺す事で、それを目撃した人物と使用者の意識を過去に連れ去ることができる。
最大跳躍時間は引き金を引いてから約1時間。連れ去る意識は適合者が選ぶ。
忠誠:適合者に服従し、手放す事を良しとしない。
無尽:弾丸が尽きない。