永遠の夏に遊ぶ
えー、僕は後藤といいます。職業は、見ての通りのサラリーマンです。
ここは、変わった話や奇妙な話が語れる場所だと聞いて来ました。ええ、僕にもあるんです、奇妙な経験が一つだけ。
僕が育ったのは、山間にある田舎の小さな町でした。よく言えばのんびりした、悪く言えば自然と田畑以外は特に何もないところです。それでも僕らはそれなりに楽しく過ごしていました。
あれは確か、小学五年生くらいの頃でした。当時の僕らのクラスメイトの一人に、ユウイチくんという子がいました。あ、ユウイチくんというのは仮の名前です。ユウイチくんはどちらかと言うと内気で、あまり僕らとはつるんだりしない子でした。僕もクラスメイトとしてはしゃべったりはしますが、それほど親しくはしていませんでした。
ユウイチくんは、僕らが集まって遊びに行こうという時も来たことがなかったし、学校が終わってもさっさと帰ってしまったりして、付き合いが悪い奴だと思われていました。だから、特別仲間外れにしていたわけではないのですが、少し孤立気味でした。
そんなある日です。
学校が終わり、僕らはめいめいに帰途についていました。その日は特に誰とも約束はしていなかったので、僕も寄り道をせずに家へ向かっていました。
ふと見ると、数メートル前にユウイチくんの後ろ姿が見えました。ユウイチくんと僕の家は同じ方向にあるので、それ自体は何もおかしなことはありません。
だけど、その日のユウイチくんはいつもと少しだけ違っていました。ユウイチくんの家は向こうの十字路を右に曲がった方向にあるのですが、ユウイチくんは左に曲がったのです。そちらは山の方へ行く道でした。
何となく興味がわいて、僕はユウイチくんの後をつけてみました。ユウイチくんはどんどん山の方へ歩いて行きます。ユウイチくんは一体どこへ行くんだろう? 僕は内心首をかしげました。
ユウイチくんはしばらく山道を歩いていましたが、やがて横道に入って行きました。細い道を通ってユウイチくんが行きついたのは、少し開けた空き地の隅に建っている、古い物置のようなトタン屋根の小屋でした。
小屋に入って行こうとするユウイチくんは、気配を感じたのか、ふとこちらを振り向きました。僕はあわててその辺の木の陰に隠れましたが、咄嗟のことなので全く隠れられていませんでした。
「誰かいるのか? 出て来いよ」
ユウイチくんが声をかけて来ました。
「わかってんだよ。そこの木の陰にいるだろ」
僕は仕方なく、そこから出て来ました。ユウイチくんは、ついて来ていたのが僕だとわかっていたようでした。
「やっぱ後藤か。そんなとこで何やってんだ」
「ユウイチくんが家とは違う方へ行ってたから。どこへ行くのか、気になって」
「……誰にも言わないと、約束出来るか?」
ユウイチくんの問いに、僕はうなずきました。
「うん。約束する」
僕の答えを聞いて、ユウイチくんは小屋のドアを開けました。
「ここは俺の秘密基地なんだ。誰にも言わないのなら、おまえも入れてやる」
小屋の中は意外と片付いていました。部屋の片隅には、何冊かのマンガ本が積まれています。
「俺ん家、妹と弟がいてさ。家に置いといたら落書きされたりするから、気に入った奴はここに置いとくんだ」
「よくここに来るの?」
「たまにな。家は狭いし、弟や妹の世話もしないといけないし」
それから僕は、聞くとはなしにユウイチくんの話を聞いていました。ぽつぽつと話すユウイチくんの言葉の端々から、彼の家庭の事情が垣間見えて来ました。
父親が病気で働けなくなり、母親が働きに出ていること。
母親は忙しく、父親は家でぼんやりしているだけで、家の家事とかまだ幼い妹と弟の面倒を見たりとかを一手にやっていること。
妹や弟はかわいいけれど、たまにうっとうしいと思ってしまうこと。
家のことをやらなければならないので皆と一緒に遊びには行けないけれど、時々ここに寄り道して一人で遊んでいること。
ここは昔どこかの農家の土地で、使われなくなった物置小屋が放置されているのを知っていたので、秘密基地にしたこと。
……恐らくユウイチくんは、ヤングケアラーだったんだと思います。妹や弟だけじゃなく、親の面倒もみていたんじゃないかと。そんなユウイチくんが唯一息抜き出来る場所が、あの秘密基地だったんです。
今大人になった自分だからこうして言葉に出来るだけで、その頃の僕はここまでわかっていたわけではないんですが、子供心にも何となくユウイチくんの気持ちを感じ取っていたんでしょう。僕は秘密基地のことは誰にも言いませんでした。
それから僕とユウイチくんは、時々秘密基地で道草を食っていました。と言っても、家の仕事があるユウイチくんはそれほど時間があるわけでもなく、いられるのは五分から十分くらいです。
短い時間を使って、僕らはマンガ週刊誌を読んだり、ゲームをしたり、サッカーをしたり、時には一緒に宿題をしたりしました。精一杯遊んで、でも少し物足りない気持ちを抱えて家に帰っていました。
そんなゆるやかな付き合いは、僕らが中学校に上がるまで続きました。
中学校に上がってから何ヶ月かして、突然ユウイチくんの父親が亡くなったんです。事故だと言われていましたが、大人が噂している内容を聞くと、どうやら本当は自殺だったようです。今にして思えば、父親の病気も実は鬱病だったように思います。
父親の葬儀が済んでから、ユウイチくんの一家は母親の実家に行くことが決まり、引っ越して行きました。それから、僕も秘密基地に行くことはなくなり、そのまま大学進学を期に地元を離れたんです。
――僕の奇妙な経験は、ここからになります。
大学生になって、僕は成人式のために帰省していました。最近はお盆とかに行うところもありますけど、僕の故郷では成人式は一月の成人の日に行います。準備があったり、親に顔を見せたいのもあって、僕は前の日に故郷に戻っていました。
実家でのんびりしていて、僕はふと秘密基地のことを思い出したんです。あそこは今どうなっているんだろう。気になりました。何故か、居ても立っても居られなくなったんです。
僕は散歩に出るふりをして、ふらりと家を出ました。子供の頃に散々通った細い山道を辿り、秘密基地のある空き地に出る……というところで、目の前に柵が立っていました。空き地は閉鎖されていて、入ることは出来なかったんです。柵越しに見ると、物置小屋も撤去されています。僕らが遊んだあの場所は、もうありませんでした。
少しがっかりした気分を味わいながら、その場を去ろうとした時です。
不意に、空気が変わったのがわかりました。
冬の空気から、夏の空気に。木々の色合いも冬の枯れた色から、夏の緑に。冬のくすんだ空から、夏の高く青い空に。冬の弱い日差しから、夏の強い日差しに。
そして、柵の向こうには、紛れもなくあの秘密基地が建っていました。そのドアが静かに開くのが見え、中から一人の少年が出て来ました。
ええ、それはあの頃のままのユウイチくんでした。
ユウイチくんは秘密基地のドアの前に立ち、黙ってこちらを見ていました。僕は何か声をかけた方がいいのかどうか、戸惑っていました。
すると、僕の中から何かが抜け出たような感触がありました。気づくと、柵の先にもう一人、少年の後ろ姿が見えました。彼はパタパタとユウイチくんの方へ走って行きました。
ああ、あれは僕だ。何故だか素直にそう思えました。
――ユウイチくん、遊ぼう。
子供の僕の声がしました。
――おう、何して遊ぼうか?
ユウイチくんがそう答えました。
二人は連れ立って、秘密基地に入って行きました。
僕は二人に何か言おうとしたように思います。
ですが、気づくと辺りは冬の景色に戻っていて、物置小屋もなく、ただ寒々とした空き地があるばかりでした。
それが何だったのかわからないまま、僕は翌日成人式に出席し、大人として大学に戻って行ったんです。
それから十年程した、つい先日のことです。
僕の卒業した小学校の同窓会が開かれることになりました。同じクラスだった連中や先生も出席し、会場はにぎやかでした。あの頃から変わらない奴、あの頃とは見違える奴、色々いました。
そんな中で、僕に声をかけて来た奴がいました。
「よう、後藤、久しぶり」
……そうなんです。それは確かに、ユウイチくんでした。元気でやっていたんです。聞くと、母親の実家から学校に通い、今では地元の役場に勤めているそうです。
「この前、妹が嫁に行ってさ。俺は彼女もいないのに、先越されちゃったよ」
そんな軽口を叩くユウイチくんの口調も表情も、昔とは違って穏やかになっていました。僕とユウイチくんはそれからしばらく、思い出話に花を咲かせていました。
「秘密基地かあ、懐かしいな」
「もうあの建物はなくなってるよ」
「だろうなあ。……今だから言うけどさ、おまえとあそこに行く度に思ってたんだよな。『このまま、ずっとこうやって遊んでたい』ってさ」
それを聞いて、僕の中で何となく腑に落ちました。
あの冬の中の夏の光景が。
あれは、ユウイチくんがあの場所に置いて来た、「童心」なんじゃないでしょうか。まともな子供時代を送れなかった彼が、思う存分子供として遊ぶ為の、もう一つの夏の時間なんじゃないか。元よりユウイチくんには夏休みもあってないようなものでしたし、夏を思いっ切り遊びたかったんだと思います。
そして、その遊びに付き合えるのは僕しかいません。彼の秘密基地の一員である、僕しか。
僕の中に残っていた「童心」が、大人になって行く僕を離れ、ユウイチくんの元に遊びに行ったのでは。
僕は、そう思ってしまったのです。
ひょっとしたら誰もが、大人になる時に自分の「童心」をどこかに置いて来ているのかも知れなません。そして「童心」達は、ここではない時間で永遠に遊び続ける。
あの失われた秘密基地で垣間見たように。
……僕の話は以上です。
聞いてくれて、どうもありがとうございました。