第1章1話 「入学式」
――バス内での喧騒が、耳に入ってきた。
喧騒の正体は三名ほどの不良の仕業だ。
それに、周りを見ても俺と同じ制服を着た者は誰一人居ない。
理由は簡単、俺が今日から通う学校『鴻鵠鴎鵝学院』は入試するのが困難だからだ。
そのせいで受験合格者が酷く少ない。当然、この地域では数名程度だ。
俺は目を擦って前を見る。
バスのモニターには、『次は鴻鵠鴎鵝学院前』と映し出されていた。
――次が降りる場所だ。
一旦荷物を整理し、スマホの画面を開く。
途端、スマホの画面に時間が表記された。
やばい、もう八時だ。
入学式が始まるまでは後五分程度。果たして間に合うのか?
二分後。
溜め息を吐いて、バスの席を立った俺。
そう、『鴻鵠鴎鵝学院前』にバスが到着したのだ。
俺は急いでバスを出て、外の空気を吸う。
もう間に合わないな。
どうせ間に合わないのなら、せめてゆっくり行こう。
俺は自分の周りを見るが、誰も生徒は居ない。生徒は皆、疾っくに校内へと入ってしまったのだろうか。
まあ、取り敢えず歩いて校門まで向かおう。
昨日の振り返りと、友達が出来るかどうかの不安を脳内で思い浮かべる。
幼馴染――川波紡戯が死んでしまったこと。
なるべく思い出したくはなかったが、どうしても考えてしまう。
そして友達作りについて、一つしなければならないことがある。
それは、
――隣の席の奴に声をかけることだ。
挨拶をするか。それとも世間話をするか。どちらか二つの選択肢に絞られる。
俺的には前者がいいと思う。
俺は暫く歩き、眼前に聳え立つ鴻鵠鴎鵝学院の姿を目にする。
三年前に建設されたばかりの新設校だから、外装は綺麗だ。
そう、俺は記念すべき三年目の生徒だ。
しかも入学式遅刻の。
「急いだほうがいいっすよ。遅刻になっちゃうっすよ」
「もう遅刻だろ」
俺は後ろからの声へ振り返らずに言の葉を返す。
そして後ろから金髪のチャラそうな男が俺を追い抜いた。
慌てて目の前を走り行く男は、そのまま校門を潜った。
俺もその後にゆっくりと続き、遂には靴棚へと着いた。
靴棚の上にはクラスの番号と生徒達の名前が記載されていた。
俺は合計四つある張り紙に目を通す。
「俺はA組か」
そのまま自分の名前が彫られた靴箱へと靴を入れる。
そして、この学校内で使用する専用のシューズを履いた。
溜め息を吐きながら、俺は教室へと向かう。
数分ほど歩き、俺は男性の声が耳に入ってくるのを感じた。
多分どこかのクラスの先生の声だろう。
そして俺は、緊迫して生徒が全員着席している教室の扉を静かに開けた。
すると一勢に皆の視線が俺に向けられた。
「おはようございます」
と、今話をしていた先生に小さく会釈をし、誰も座っていない席へと座る。
教室内でざわざわと生徒達の呟きが聞こえる。
――多分俺のことを話してるんだろうな……。
俺はまた溜め息を吐いて椅子に腰かける。
すると隣の席の少女が俺に声をかけた。
「君、最初から遅刻って……どうしたの?」
俺は少し驚いて、隣の席の少女を見る。
短い黒髪が嫋やかな美少女だ。
美少女は俺を見て微笑んでいる。
だが、その様子は彼女を彷彿とさせた。
――紡戯みたいだな。
そう思えてしまうほど、可憐だった。
俺はその時間、先生の話に耳を傾けるよりも、ずっと彼女を見ていた。
軈て先生の長い話が終わり、休み時間でクラスは賑やかに。
俺は黙って席に着き、本を広げる。読む本は、最近買ったラノベの一つ、『堕天使の憐憫』の最新刊だ。この本はまだ家に十冊ほど持っている。因みに最新刊は十一巻だ。
だが、本と孤独を楽しむそんな俺に声がかけられる。
「何読んでるの?」
俺は驚いて肩を跳ねさせ、後ろを振り向く。
そこには、先ほど声をかけてきた美少女がいた。
「これは俺が好きな本なんだ。題名は『堕天使の憐憫』と言ってな……」
「やっぱり長くなりそうだからいいや。で、君は自己紹介してないでしょ?」
「自己紹介……?」
「そうだよ」
俺は一つの考えを思い浮かべる。
もしかして、俺が学校に来る前に自己紹介が既に終わっていた。ということなのか?
それだったらまずい。
友達が少ない俺にとって、自己紹介は大切な儀式だった。
自分のことを紹介すれば、友達作りのきっかけになるからだ。
だから、ここで一人でも多く自分のことを紹介せねば……。
「――俺は微睡紅。お前は?」
「私は許宮明理。よろしくね」
明理は天使の様な笑みを浮かべて言う。
取り敢えずのところ、俺は自己紹介が出来て一安心した。
もう、隣の人に話しかけるという目的は達成だ。
「よしっ」
「――?」
突如ガッツポーズを決める俺を、不思議そうに明理は見つめる。
そしてまじまじと俺の顔を覗き込む様にして見る。
明理は顔を近づけてくる。
顔が近い。明理の心音が聞こえそうなほどの咫尺だ。
俺は平静を保ちながら、一つ謦咳をする。
「そういえば、遅刻はどうしてしたの?」
「それは……」
俺はある日の夜を思い出した。
あの惨状が記憶に甦り、俺は恐怖で呼吸が荒くなる。
瞑目して深呼吸をし、遅刻の理由を説明した。
「そ、そんなことがあったんだ……なんか、聞いてごめんね」
「別にいいんだ。お前が気を遣わなくてもいい。いずれは話すことだったからな」
俺の話を聞いて涙目になっている明理。
明理は人に気を遣いすぎだと思うのだが。
まあ、後で利用できるな。
「何かあったら相談してね」
「あ、わかった。じゃあ」
俺は本を開いて再び読み始める。
すると今度は、
「――私はこのクラスの学級委員長です。今日、あなたが遅刻してきたことについて詳しく聞かせてください」
俺は本を閉じ、前に立つ赤髪の少女を見る。
腕を組んで偉そうに俺を見下げる少女は、如何にも学級委員長だそうなのだ。
「で、俺に何の用ですか?」
俺は淡々と言った。
すると、少女の柳眉がぴくりと跳ねた。
少女は金の双眸で俺を睨んでいる。
「だから! あなたが遅刻してきた理由を聞いてるんです!」
「あ、そうなのか」
取り敢えず、俺は聞いていなかったふりをする。
まあ、理由を説明するか。
「――の夜、幼馴染が殺害されて俺は夜眠れなかったんだ。それで、今日は遅れてしまったんだ」
「そうだったのですか……」
驚いたかの様に少女は言う。
「ごめんなさい。私としたことが聞いてはいけないことを聞いてしまったようです」
「俺のことは気にしなくていいから」
「わかりました。今日の遅刻は流石に許してあげます」
ふう、と俺は安堵の吐息を零し、再び本を開く。
俺は本を読んでいるふりをしながら、去っていった学級委員長の姿を目で追う。
多分彼女は『虚偶凛音』という人物で間違いないだろう。
俺はスマホを出し、画面を開く。
「ちょっと、紅君。学校にスマホ持ってきちゃ駄目だよ」
「そうなのか? 知らなかったな……」
俺に向かって明理は注意する。
だが明理の言ったことは何かおかしい。
俺は今日の朝、学校のパンフレット全てに目を通しておいた。
だが、スマホを持ってきてはいけないなどとは書かれていなかった。
どういうことだ?
何度も言うが、そんなことはどこにも記載されていなかったはず。
そうとなれば明理が虚言を吐いている可能性もあるが、その確率は明理の真剣な眼差しからはとても感じられない。
ならばこういう時こそ。
「なあ凛音。この学校の校則を教えてくれないか?」
「校則? 私は全く知りませんが……」
どうして学級委員長でもあるお前が知らないんだよ。
普通に考えると、学級委員長は知っているのが当たり前なんじゃないのか?
クラスの代表さんよ、しっかりしてくれ。
今度俺は先生に尋ねた。
「スマホを持ってきてはいけないだと? 校則にはそんなの存在しないが」
「そうなんですか」
俺は席へと戻る。
先生から発せられた衝撃の言葉が脳裡に焼き付いた。
「明理、嘘を吐いたのか?」
「え、嘘じゃないけど……って、ごめん。それ私が中学の時通ってた学校の校則だった。あはは……」
俺は明理を睚眦する。
「あははじゃないだろ。兎にも角にも次から間違えるなよ。――俺が困る」
最後の一言だけ強く言い、俺はスマホを取り出す。
俺はスマホの画面を開いて、ゲームのアイコンをタップする。
そしてゲームアプリを起動した。
すると先生が俺を凝視して、
「ゲームをするのは校則違反だぞ」
と言った。
俺はスマホの電源を消し、ポケットに仕舞う。
「本が邪魔されて読めないし、携帯ゲームも出来ない。これ、もう終わりだな」
俺は溜め息を吐いて机に凭れる。
そして俺は気付けば眠ってしまっていた。