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夕方

2話完結です。

東京の土産があるから。

ヤツはそれだけ言って、電話を切った。


トウキョウ、の、ミヤゲ?


あたしの頭の中でその言葉は意味を成さず、ただ茫然とツーツーと鳴っている受話器を片手に立ち尽くす。夕飯の準備手伝いなさいよ!と背中から母さんの声が突き刺さった。



***



気付いたら大学二年生になって、誕生日を迎えて、あたしは“オトナ”になっていた。


あたし“たち”は、か。


ゴールデンウィークがやってきて、学校へ行かない日も二日目。

華やかとは程遠い田舎の片隅、そこがあたしの家だ。奥まった細い道にはほとんど人通りもないので、あたしはTシャツにジーンズ生地のショートパンツ姿というだらしない恰好で、縁側に座り込んでサイダーを煽っている。


しゅわしゅわ。喉を駆け下りる泡が気持ちいい。


母さんは買い物で、父さんは仕事で(祝日なのにご苦労なことで)、弟は友達と自転車で出かけて行った。つまり今、あたしは一人きりだ。

怠けてないで手伝いなさい、と口うるさくする人はいない。


細長いグラスの底に残っていたサイダーを一気に流し込むと、かりんと氷が鳴った。



良いお天気で、丁度いい気温で、冷たいサイダー。最高だ。



「ヒナちゃん、ひとり?」

「あ、武田のおばさん!こんにちは」


申し訳程度に生垣で目隠しされている縁側に、ひょっこりと顔を出したおばさん。

ふっくらと優しい笑みからは想像もできないが、お隣の武田さん家の権力者サマだ。重そうな買い物袋を左手に下げたおばさんは、にこにことしながら勝手に縁側まで上がってくる。

おばさんは微笑んだまま、ひょいとあたしの顔の前に果物ゼリーを差し出した。


「わ、いいの?ありがとう!」

「いいのよ。玄一郎が突然帰ってくるって言うから、買い物したついで」


果物ゼリーで上がり気味だったあたしの気分は、途端にしゅんと下降した。


「ゲン、帰ってるの?」

「まだよ。今日の夕方には着くって言っていたけど」


ゲン、武田玄一郎。


見た目に似合わず、随分といかつい名前を付けられたものだ。

あたしは、ふーん、と鼻を鳴らす。どおりでおばさんの買い物の荷物が多いわけだ。そうして見ると、おばさんの笑顔もいつもより眩しく見える。


「去年の年末だって帰ってこなかったのに、どういう風の吹き回し?」

「さあねぇ、男の子の考えることはわからないわぁ」

「変なの…」

「玄一郎、ヒナちゃんに会えるの楽しみにしているって」



そんなわけないじゃない。へんなの。



それじゃあねぇ、と呑気に間延びしたおばさんの声に手を振って応える。何となく興ざめした気分になって、重い腰を上げた。

傍らに置いてあったグラスの氷は、もう跡形もなくなっていた。





***





思い出す光景は、いつも夕方。

赤く光るアスファルトの道を、ランドセルを背負って歩いている。ゲンはべそべそと泣きながら、あたしの着ているパーカーの裾を引っ張りながら、あたしの後ろについてくる。


小学生になったんだから、「女の子みたい」って言われたくらいで泣いちゃだめだよ。

だって、ぼく、女の子じゃない、のに。

わかってるって。じゃあ、今日から“ちゃん”付けやめるね。ゲン、ね。


あの頃のゲンは、泣き虫で弱虫。そして女のあたしも顔負けの、それこそ女の子みたいに、ものすごく可愛い容姿の子供だった。そのせいでワンパクな男の子達から、よくからかわれて、いつもあたしの後ろを金魚のフンみたいに付いて回った。

正直、そんなゲンをうっとうしく感じると同時に、ささやかな優越感みたいなものもあった。


ヒナちゃん、ヒナちゃん。


放課後になると、そうやってあたしの名前を呼びながら、いつも嬉しそうに駆け寄ってくるんだ。あたしがちょっと嫌そうな顔をすると、途端にしゅんと眉を下げたりして。からかわれると、絶対泣きながらあたしのところにやってくる。

武田のおばさんがよく口にした“名前負け”という言葉を学んだのは、ちょうどそんな頃だ。



いつからだろうか。


ゲンがあたしを“ヒナちゃん”と呼ばなくなったのは。


泣きながら、あたしのところへ来なくなったのは。


学校で、一緒にいることがなくなったのは。


帰り道を二人で歩かなくなったのは。


毎日、話をしなくなったのは。



いつの間にかゲンは、あたしの知っていた弱虫で泣き虫の男の子じゃなくなっていた。背が伸びて、顔つきがすっと大人っぽくなって、声が低くなる。どうしよう、ってあたしに相談しなくなる。ぼく、じゃなくて“俺”になる。


あたしを“雛子”なんて呼ぶ。


そして。



俺、東京の大学行くことにしたんだ。



裏切られた、って思った。

約束なんかしていないのに。いつも、ずっと変わらないと思っていた。ゲンの隣にあたしがいて、あたしの隣にゲンがいる。そんなの、もう随分と昔のことだったのに。


いつからか、あたしは学校でゲンと話さなくなって、一緒に帰らなくなって。ゲンは泣かなくなって、あたしのところに来なくなっていたのに。

それでもあたしは、ゲンの隣にいる気になっていたなんて。






そしてゲンは、東京へ行った。


意図せず、男の子の名前が恩師と同じになってしまった(笑)

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