♯9 バンギャ
「ねぇ、郁ちゃん! 昨日、晶君見たよ!」
興奮気味の千尋がいつものように店の奥にある郁の部屋に飛び込んできた。
「そう」
郁は興味なさげに目の前の発注書を記入している。
「晶君、すっごくカッコよかった!」
その言葉に郁の手が止まる。「見た……って、もしかして、ライブ?」
郁がやっとこっちを向いてくれたことに千尋は満面の笑みである。
「そう! 友達がね、追っかけしてる『BLASTERS』っていうバンドなんだけど、何か急遽ギターが1人抜けちゃったんだって。それで、晶君が助っ人にって」
「助っ人ねぇ……」
そう言いながらコーヒーメーカーから千尋の分を注いで渡す。
「友達もね、前のギターの子よりカッコいいしうまいって! も~、こないだ会った時とはべっつじんじゃーん!」
千尋はブラックコーヒーをふぅふぅと冷ましながらゆっくりと啜る。
「別人よ、ギターを持ってる晶はね。で? どう? 惚れちゃったのかしら?」
目を細めて意地悪っぽい笑みを浮かべる。
「ま~たそんな意地悪なこと言ってぇ~。私が郁ちゃん一筋なのわかってるでしょぉ~?」
「……その恰好で言われてもね」
郁はロングヘアのウィッグをつけ、ひらひらとしたチェック柄のワンピース姿の千尋を見てため息をついた。
「でも~、『女・千尋』としてはぁ、ファンになったかもです!」
そう言って、わざとらしく敬礼をしてみせる。「妬いちゃう? ねぇ、妬いちゃう? 郁ちゃん!」
「……男の千尋だったら、妬いたかもしれないわね」
素っ気なくそう言って、発注書に視線を戻す。
「んもぉ~、郁ちゃん、かっわいい~い!」
千尋は満面の笑みで郁に後ろから抱き付く。
「……女の時は止めてもらえないかしら。そういう趣味ないから、私」
表情を変えずに郁は電卓を叩いた。
翌月、また晶がデザイン画を持って来た。
「毎回毎回思うんだけど、あなたの頭の中ってどうなってるのかしらね」
奇抜なデザイン画を見ながら苦笑する。
「……真っ二つに割って見せようか」
郁が勧めた簡易椅子に大股を広げて座り、面倒くさそうに答える。
「結構よ。まぁ、不思議と売れるから、文句はないんだけど」
「だったら言うな」
顔を背けてコーヒーに口をつける。
「……ところで」
眉間に深いしわを刻んで郁をにらみつける。「アイツは何なんだ」
「アイツって誰のこと?」
思い当たる節はあるが、わざと知らないふりをしてぺらりと書類をめくった。
「こないだ店にいたやつだ。紗世さんじゃないな」
「紗世さんの弟」
「お……?」
目を丸くして「お」の口のまま固まっている。これはこれはなかなかレアな表情ですこと。郁はその顔を見てくすくすと笑った。
「そして、私の恋人よ」
「……お前はオカマが好みだったんだな」
だから普通の男とは合わなかったのかと納得する。
「オカマじゃないわよ。彼は女装が好きなだけ」
「同じだろ」
「同じじゃないわよ。あなただって、男装が好きなくせに」
「好きでやってるわけじゃ……」
晶は憮然とした表情で冷めたコーヒーを飲んだ。
「最近、どのサポートのライブでも最前列にアイツがいる」
「でしょうね。何かファンになったみたいだから」
「ファン? お前の彼氏だろ?」
「あら? 別にそんなの浮気にもならないじゃない? それに、女の姿の時だけって言ってたもの」
晶は右手で瞼を覆ってため息をついている。
「それに、私と同じ顔の晶のファンになるなんて、やっぱり私のことが好きなのね」
郁はそう言ってけらけらと笑う。
「付き合いきれん、お前達には」
残ったコーヒーを一気に飲むと、そう吐き捨てて、部屋を出た。