プロローグ
1940年2月16日 地中海 ターラント近海
地中海は欧州の内海である。古くはギリシャやエジプト、フェニキアと言った国々が栄えた数千年昔の古代より交易が盛んに行われ、人々が行き来した海である。それは20世紀も半ばに指しかかろうとしている現在においても変わることはない・・・否、前世紀の末に紅海と地中海とを結ぶスエズ運河が開かれて以降は従来までの喜望峰周りの航路から新たに地中海を経由することができたこともあって、欧州とインド洋をそしてアジアをつなぐ回廊としての役割が新たに加わったと言えよう。
さて、そんな地中海のど真ん中を一つの艦隊が西に向かって航行していた。
先頭を走るのはイタリア国旗を掲げたイタリア海軍のアルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦の二番艦バルトロメオ・コレオーニ。そのすぐ後方には日本海軍の最上型軽巡洋艦の一隻たる阿賀野。そして特型やら初春型などの雑多な駆逐艦達がヨタヨタとついて来ていた。さらにその後ろには10隻近いタンカーや貨物船と言った商船たちがのんびりと煙を吐きながらついて来ていた。
だが、その最後尾にはとんでもない船がいた。
21世紀の現代社会ならば間違いなく違法建築物に指定されるであろう恐ろしく細長くかつひょろ長い籠マストが聳え立ち、前部には二基の連装主砲が。そして籠マストと煙突とをはさんでそれぞれ主砲塔が一基配置されている大型艦・・・まごうことなき日本海軍の戦艦「扶桑」である。
だが、戦艦といってもケースメイト式に配置された副砲を含めて主砲以外の武装は全て撤去され、その主砲ですら本来ならば後方にあるはずの五番、六番砲塔はその姿がどこにも見当たらない。
そしてそれどころか、本来日本海軍の軍艦ならば必ず艦首に装着されているはずの菊の御紋も影も形もなかった。それもそのはずで、この戦艦扶桑はいまや日本海軍からその所有者を変更してしまったのだから・・・。
「・・・どうしてこうなった。」
今にも崩れ落ちそうな面白い形をした扶桑の艦橋にて一人の真新しい大佐の階級章を付けた壮年の士官の姿があった。彼の名は来島義男・・・いわずと知れた転生者である。どうやらこの世界線では海軍士官になれたようである(チッ)。現在彼は扶桑の艦長として艦橋に立っていた。
ただし、戦艦の艦長としてではない。現在の彼の身分は来島義男特務艦長である。つまり、軍艦の艦長とは認められていないのである。現在の彼の年齢は52歳。通常ならば中佐ではなくすでに少将か中将になっていてもおかしくはない。だが、彼は相変わらず中佐のままである。いや、大佐になったのもつい1ヶ月ほど前である。つまりあまり大成できなかったと言うわけである。
そんな彼が、なぜ特務艦になってしまったとはいえ、この大型艦の艦長に任命されたのであろうか?元々、鎮守府の資料室長や倉庫番、雑役艦の乗員、要港部の司令などと言った日陰の窓際族的職務を歴任してきた彼は、そろそろ退役もしくは予備役ま近かと言う状態であった。そんな彼がなぜか特務艦状態とは言え戦艦の艦長である。
なぜこうなったのであろうか?
それは数年前の1934年の暮れにまでさかのぼらねばならない。
1934年、操砲訓練の真っ最中に、扶桑は第四砲塔が突然爆発。原因は火薬の温度上昇による発火であると断定された。その他にも、ここで艦内での乗員のいじめなどが明るみに出てきたりしたこともあって、海軍内は大騒ぎになったりする。お陰で、大掛かりな人事異動などが行われることとなった。まぁ、それはいい。問題はその後の扶桑の処遇である。
曲がりなりにも日本海軍が誇る世界でも一応、一線級の戦艦である。なので、修理して再就役させるべきであると言う声が上がったが、もう10年もすれば艦齢30年に達するような老朽艦をそこまで後生大事に修理する必要があるのか?という声が上がった。まぁ、確かにそれは間違いではない。ということで、折角だしスクラップとして売ってしまい、一年後に予定されていた第二次改装用にとっておいた資材と資金、それにこれから掛ける予定の維持費などをそっくりそのままこの後予定されている長門および陸奥、そしてA120こと壱号艦などに流用しちまおうと考えたのである。万年ボンビーな日本海軍としてはそれが最適であったのだ。なお、山城は少し予定が遅れて長門などよりも後の改装となったのだが、第3砲塔を撤去して機関を入れて27ノットを発揮できるような改装が行われるなどした。
さて、こうして戦艦扶桑はめでたく(?)スクラップとして解体を待つ身になったわけではあるが、問題は解体先であった。なにしろ大型艦を解体するためには相応の施設を長期間使用せねばならない。だが、1930年代半ばごろから日本はワシントン条約の解除を待って軍拡の道を爆走している。とてもじゃないがこのデカブツを解体できるほどの余裕はない。標的艦にするのもアリだが、なんかもったいない。と言うわけで野ざらしになっていたのだが、ここで、一つの国が手を上げた。それがイタリアである。
イタリアは1935年にリビアとアルバニアで油田が発見されて以降、経済が回復傾向にあり、そのため国内の鉄の生産価格が高騰していた。アルプスを越えた向こう側にあるドイツ様やフランス様から買おうにも両国共に海軍力の強化など軍拡を始めており、とてもじゃないが鉄を手に入れる余裕などない。
そこで、野ざらしになっている扶桑に目を付けたのである。まぁ、解体する手間はあるがそれでも膨大な鉄があるわけである。なので、丁度よいのだ。また、船である以上、本国まで持ってきて解体すればいいのでわざわざ船を雇うと言う面倒なことをする必要もない。と言うわけで、まさに渡りに船であったのだ。
ただ、イタリアは経済が回復しつつあったとは言え外貨が不足していたこともあって、仕方がないので現物交換・・・もっと言えば石油と交換することにした。だが、話がつめられていくうちにあっという間に時は1939年になってしまった。ラテン系は非常にのんびりとしているのだ。この年の夏、よせばいいのに無駄に几帳面なドイツはポーランドに侵攻してそれに伴って英仏が対独宣戦布告史上二度目の世界大戦が始まってしまう。当然ながら英仏はドイツの海上航路を遮断してしまうが、イタリアはリビアからの石油をドイツに輸出してドイツの経済を支える一助となっていた。もっとも、レートは通常よりも3割ほど高めに設定していたが。
・・・おっと、話がそれてしまったようだ。と言うわけで日伊がドイツとの同盟国である以上、英国がその貿易に神経を尖らせるのは当然と言えば当然ではある。だが、それに対抗するかのように日本は輸送船団を仕立ててイタリアへと向かうことにした。日本国内ではこの頃親独派が勢いづいており、それに押される形で扶桑のイタリアへの売却およびその他のレアメタル・・・例えば銅や錫、マンガンなどなどといったものをたらふく積み込んだ商船隊とそれを護衛する艦隊を出動させた。復路では、イタリアの石油(精製済み)に加えてドイツからの工業機械を積み込む予定であった。
だが、ここで問題が発生した。誰をこんな言っては悪いがどうでもいい任務に投入するかと言うことである。日本海軍はロンドン海軍軍縮条約などの影響によって多くの士官が予備役に放り込まれるなど大規模なリストラが行われていた。その中でも特に条約に賛成した者が多く含まれていたりしたのだ。義男も条約には賛成していたが、当時の彼の身分は一介の少佐でしかなく、おまけに馬公の警備府にて倉庫の指揮官というナの倉庫番をしていたこともあって誰からも注目されることなく・・・というかむしろ忘れ去られたような状況であったため、条約を生き抜いた。だが、いい加減に士官が不足していたこともあって、丁度よいのでこいつをイタリアにてスクラップにされる扶桑の艦長に任命したのであった。そして、上層部の計画ではかえってきたらこいつと船団の司令官を揃って予備役入りさせるつもりであった。つまりは実質的な営門大佐であるというわけだ。
そんなわけで、雪深い稚内の事務所にて熱燗にブリやホタテやタラ、そして蟹を思う存分食べて幸せな顔をしていた義男と一緒に、やはりのんびりとふかしたジャガイモにバターを塗って頬張っていた要港部司令官の老大佐に出師命令が出たのである。
「お前ら二人揃って輸送船団を率いて欧州まで逝って来い!」・・・と
「まったく・・・なんで俺が欧州くんだりまで行かなきゃならんのだ・・・」
「まぁ、そういっても始まらんよ」
ぶつくさと艦橋で文句を言う義男をたしなめるように言ったのはいつの間にか義男の背後に立っていた一人の老人であった。
松浦伝助少将である。現在はこの輸送船団の護衛部隊の司令官を務めている。
「あ、司令。申し訳ございません」
「いや、かまわん。しかし、北海道にいたと思ったら気がつけばインド洋を渡り、いまや欧州だ・・・まったく、私自身も思ってもみなかったことだ」
そう言うと松浦はため息をついた。
その姿は義男と同様に疲れ果てているように思えた。無理もない。なにしろ彼らは怒涛万里の海を越えに越えてはるばるイタリアまでやってきたのである。いや、疲れ果てているのは義男や松浦ばかりではなく扶桑の乗員たちも例外ではなかった。ただでさえ、扶桑は廃艦が決まって乗員たちがほとんど根こそぎかっさわられていたこともあって、新しくやってきたのは旧式艦やあちこちから無理やりかき集めてきた要員たちであったのだから。下から残っている要員はバラスト代わりに積んできた砲弾などの整備のために載せてきた砲術科の一部と機関科の連中だけであった。乗組員の大半は慣れていない上に、この大航海である。それは疲れもするというものだ。それに、その他の艦艇の将兵たちの他に。今や彼らは地球を半周すると言う大航海で誰一人として例外なく疲労困憊していたのである。
「だが、こうして何とか大過なくイタリアにやってくることができた。」
「しかし、これからが本番と言えるのかもしれません。」
奥から一人の大佐が現れた。洞院鋤恒という海軍大佐であった。この艦隊・・・通称C部隊の参謀長を務めている男であった。洞院というナからも分かるようにこの人、華族である。洞院男爵家という家の三男坊なのだが、洞院家は古くからあるとはいってもその生活は厳しかった。一般的に、華族というものは基本艇に金持ちだと考えられているのだが、実際にはそんなのはごく一部でしかなく、大半は一般家庭よりも収入がちょっと上と言う程度でしかなかった。その収入も儀式やら冠婚葬祭やらの行事で消えていくため、華族というものは実は割と貧乏であった。洞院家もその例外にはもれず、鋤恒は仕方がないので海軍兵学校を受けることにしたのだった。華族ならば一応ある程度下駄ははかせてもらえるのだ。と言うわけで、順調とは行かなかったがそれなりに出世し、横須賀で参謀を勤めていたところに今回呼び出しがかかかり、この部隊の参謀長に任命されたのであった。
「どういうことかね?」
「イギリス海軍が攻撃を仕掛けてくる・・・なんてことではないでしょうか?」
義男の言葉に洞院はこくっと傾いた。
「そのとおりです。」
「それでは、イタリアのみならずわが国まで戦争に参加してしまうということになるぞ?いかな大英帝国としても世界中で戦火を交えるというのは、なかなか厳しいのでは?」
松浦が怪訝な顔をしてたずねたが、そこに義男が反論した。
「しかし、それができればこれまで鬱陶しいものであったリビアからの石油をドイツに流入させることはできなくなります。そしてわが国やわが国やイタリアを使っての希少金属の輸入も・・・」
また、義男に加えて洞院も自らの分析で補足を付け加える。
「加えて、わが国は遠く太平洋に面しております。同盟国たるフランスも健在ですし、いくらかの戦力をアジアに回すことも不可能ではないのでは?」
「つまり、わが国の存在は我々の安全を確保するには十分ではない・・・ということか。」
「ですので、我々としましても、戦闘の準備だけはしておくべきかと」
う~んと松浦が悩む姿を見やりつつ、義男はさらにその先を考えていた。
(それに・・・俺たちには石油がない。北満州やら遼東の油田はまだ発見されていないし、せいぜい、平壌平野の小規模油田が発見されただけだ。これだけじゃ乗り切れない。遅かれ早かれ東南アジアへの進出をせねばならなくなるが、そうなると今度はアメリカも出てくる。加えて、現在の独仏国境は平穏そのもの。フランス海軍と英国の本国艦隊とH部隊で独伊の海軍は封じ込められるし日本は適当に回した艦艇とアメリカで挟み撃ちにすれば油のない俺たちはジ・エンド・・・あの葉巻野郎、そう読んでるんじゃないだろうな?・・・いや、まさかなぁ)
義男は無理やり作り笑顔を浮かべようとしたが、気分が晴れることはなかった。
こうして、さまざまな思惑と憂鬱を乗せて船団は一路イタリア海軍の要衝タラントに入ろうとしていた。
どうも、今回は艦隊というお題でしたのでかなり手間取りました。この作品は元々二次創作用としてプロットを組んでいたのですが、今回はそれを使ってみることにしました。いずれ、pixv様かハーメルン様あたりでどこかのアニメキャラを用いてやってみたいと考えています。
さて、折角ですので今回は主人公は義男にしました。つまり、別府造船所のIFルートの一つですね。この世界ではバタフライ効果(と言うことにしておいてください)でリビアと朝鮮半島で油田が発見されています。お陰で国内開発に忙しいイタリアは史実と違って西欧での戦いに参戦する気はないようです。ですが対ドイツ支援はかなりのもの(大油田がありますしね)ついでに日本にも売る余裕があります(他にもルーマニアに油田がありますしドイツはソ連からも石油を輸入していましたので、それほど高値では売れませんしね)
その代わりに鋼材価格は上昇してそうです。当時のドイツは自国だけではなく、イタリアや東欧諸国にも粗鋼を輸出していましたし。と言うことで、解体が大変でもてあまされていた扶桑を石油でバーター交換することにしました。ついでにマンガンなどの希少鉱石で中立国イタリアを介してドイツ製の工作機械も輸入するつもりみたいです。
さて、この艦隊がどんな運命がまっているのでしょうか?