勇者と聞いて
ドアを抜けるとそこはやはり民家程度の木造建築だった。決して雪国や北海道ではない。すべてが立派だが普通な部屋だ。今日は暖かいので暖炉もお休みをもらっている。期待していたのと違うと思ったのは自分だけで、思い込みというのは時に悲しい結果を生むものだ、とミヤフィは溜息を吐いた。
「この方々の冒険者登録に来たのですが」
地球では受付は可愛いお姉さんだと相場が決まっていたのだが、ここでは違うようだ。
「兵士さんが来るとは珍しいな。任せてくれや。俺が登録したからにゃあ、絶対にCグレード以上に・・・って、ありゃ? もしかして登録するのって、その可愛らしい小さなお嬢ちゃん達かい?」
受付に座っていたのは筋肉隆々としていて如何にも強そうなオッサンだった。
「そうです。私はリタ。こちらは主のミヤフィです」
「・・・はっ!? 冒険者登録をしに来ました、ミヤフィです!」
予想外の事が起こりすぎて振り切れていたミヤフィはリタの振りで気が付いて、慌ててお辞儀をした。
「礼儀正しい嬢ちゃん達だな! 俺はジャストゥだ。よろしく、ジャスと呼んでくれや。冒険者たるもの、挨拶は基本だ。何せいつ死ぬか分からねえからな!」
そう言ってガッハッハ、と豪快に笑った。
「(気のいいオッサンだな、顔に傷があるけど・・・やっぱり強い魔物と戦ってついたんだろうな、格好いい!)」
厨二病的発想は一度身に付けばそう簡単には離れない。顔の傷跡、確かにそれは男の子なら誰でも一度は憧れるものかもしれないが、こちらでは傷が残るような重傷を負った証拠に他ならず、冒険者が危険な職業である事を示唆するものでしかない。実際彼は大怪我で現役を退いている。
だから、ジャストゥは急に語気を強めた。
「で、なんだ姉ちゃん。その格好で来たって事は国の指示なんだろうが、ここに居るのはちびっ子とそのお世話係という所か、そんな弱っちそうな奴らが冒険者なんて、政府はいつからそんな外道になっちまったんだ?」
俺みたいになるかも知れない仕事なんだぜ? とまくしたてるジャストゥ。先程までとは違い、目が笑っていない。
一気に場が冷え込んだ。魔法の仕業ではなく、雰囲気が凍りつつあった。
「それは・・・」
言い淀むペシュトロミレイア。彼女はどういう決定がされたかは知らされていたが、経緯は知らされていなかった。適当な事を言ってしまうとミヤフィ達から反感を買う恐れがあった。言葉を考えて考えて顔から汗が噴き出し始めたその時。
「私が決めました。だから大丈夫です。私はオダワラを倒しましたから」
割り込んだのはミヤフィである。この状況で口を開けるのは彼女だけだろう。子供が危険な仕事をしようというのだ。それを決めるのはその子自身でないとならない。それに強さを示せば納得してくれるだろうと考えた。彼女はオダワラを倒したのはあくまでも偶然という立ち位置にいるが、それは安心させる為の方便だ。
「何!? 本当なのかそれは!?」
窓口の机が揺れた。周りの冒険者は驚かない。
「本当です」
ペシュトロミレイアを見て、それが嘘ではないと気付いたジャストゥは溜息をついた。
「はあ・・・ミヤフィちゃんは強いんだな。ごめんな兵士さん。そりゃ冒険者だわ」
ペシュトロミレイアに向けた言葉だったが、ミヤフィに引っかかった。
「そりゃ冒険者ってどういう事ですか?」
「なんだ嬢ちゃん、知らねえのか? まあ無理ねえか。冒険者っていうのは強いやつしか駄目なんだ。弱かったら日銭も稼げねえんだよ。いや実際ギリギリ稼げるけど。だからこの国では兵士の方が楽だぞ。修行しなくていいからな。でだ、逆に強ければ強いほどリターンがでかいんだ。だからこの国では強い奴は冒険者、ちょっと強いって位の奴は兵士なんだ」
「オダワラを倒したから私達は強いという事ですね」
「・・・おう」
修行と聞こえた気がするがミヤフィは無視した。努力は嫌いだが得意だ。でないとギターなんて弾けない。雅はやった事はないが、プロは一日八時間友達がいなくなるまで練習するという。他にも、お酒は有名にーー。
「まあ、そういう訳で登録、お願いします」
変な思考を首を横に振り彼方に吹き飛ばして頼んだ。
「・・・おう?」
ジャストゥは呆れて、というより不思議そうに登録用紙を取り出した。厚手の羊皮紙だ。きっちりフレーム取りがされていて、《名前》、《種族》、《年齢》、《グレード》と書いてあった。
「そしてこれだ。魔法器械『真実の羽ペン』」
ジャストゥは一本の羽ペンを取り出した。
「このペンは真実と違う事、嘘を書くと色が変わるんだ。さらに書こうとした事を勝手に書いてくれる。勿体無いから絵を描いたりするなよ?」
「何それ凄い! 書く書く! 早く貸して!」
ミヤフィは身を乗り出して、折角リタが仕込んだ敬語も忘れて手を差し出した。
「じゃ、じゃあグレード以外を書いてくれ」
頷いてミヤフィは紙面と向き合う。この程度の魔法器械でどうしてそんなに喜ぶのかと思われつつも、名前に『ミヤフィ=ダールグリュン』と書こうとしたところで、リタに止められた。
「ミヤフィ様、名前だけで良いと思いませんか? 一般人は普通苗字は無いですし、他の冒険者から反感を買うかもしれません」
「そうなんだ。それもそうだね」
因みにダールグリュンというのは過去の大魔法使いの名前をアルテミアが店名に使ったものを苗字にしたのだと、かつてリタは聞いていた。
「種族は何て書けば良いのかな?」
種族にはまだ疎いミヤフィである。
「『人族』です」
「かしこまりー」
サラサラと『人族』という文字が書かれていく。ミヤフィはやっぱり凄いな、と感心していたが、書き終わってもペンは動き続けた。
「・・・あ」
そして、止まった。『:勇者』という文字を続けて。
「(どうしようこれ)」
インクの色は変わっていない。ここで周りに驚かれるとここにいる人々に勇者である事がスキャンダラスに伝わってしまう。噂が広がると実際面倒臭いだろう。
「ね、年齢は?」
「四歳、ですよね?」
当然インクの色は変わらなかった。注意力を別の枠に移す事に成功した、と思ったミヤフィだが、ジャストゥは偶然後ろを見ているだけで、騒がれるのも時間の問題だった。
「よし、それじゃあ《グレード》の所に触って、固有魔力を流してくれ。そうすれば、勝手にグレードを教えてくれる。最初は一からだな」
「はい」
ミヤフィは固有魔力を作って、普通の魔力と分離してからグレードと書いてある部分に流し込もうとして、失敗した。魔力を込めてもその側から抜けて行くのである。
「あら?」
ジャストゥはグレードの部分を覗き込み、その薄い紫色を見てほうほう、こいつは、と呟き尋ねた。
「おい嬢ちゃん、もしかして固有魔力だけを込めてないか? 凄いな、普通純粋魔力も混じるもんなのにってかそれを前提に作られた紙だからある程度混ぜて使ってくれ・・・種族の所、これ何だ?」
グレードの部分を見て種族の部分をついでに見るのは当然だろうが、ミヤフィは悪戯が見つかった時のように、自分の枠線がジグザグになるような衝撃を覚えた。無論アニメキャラでも漫画のキャラでも無いので、枠線など無いのだが。
「えっと・・・」
「なに、勇者、だとっ!?」
ジャストゥは大声で驚いた。言い訳をする暇など無く、その声はその部屋にいる冒険者全員の耳に入った。ミヤフィは会館のショボさに驚いて耳の長い人がいた事も、賑やかだった事も意識していなかったが、二三十人は冒険者がいて、ほぼ全員が一気に振り向いたので衣擦れの音が揃っていた。ただ一人だけ特に速かった冒険者がいた。
全員まずジャストゥの方を見てその後彼のすぐ正面にいる踏み台に乗った女の子の方を見た。踏み台を用意したのがリタだとは誰も気づいていないが、「あの子は今登録に来たんだよな」と誰かが呟いた。それを聞いて、「持ってるの真実の羽ペンだな」と、「じゃあ本物か?」と連鎖した。
そして一瞬の間をもって、「本物だな」「勇者か」「ああ、勇者ね」と結論付けて、「勇者だとおおおお!?」と冒険者会館は一種のパニックに襲われた。
一人がミヤフィの側に来て「色が変わって無えぞ!?」と叫んだ。
「本当かよそれ!」
「ギルマスに報告だ!」
「まじかまじかまじか!?」
各々がそれぞれの反応をした。誰もが一度用紙を見た後建物から出て行って、一気に建物から人がいなくなった。ペシュトロミレイアは人混みで揉みくちゃにされていた。
そんな中一人呆然とするミヤフィ。
「勇者って、そんなに凄いの?」
「はい。私も最初は驚きました。何しろ勇者召喚が成功するのはその種族に危機が迫っている時だけですからね」
「は?」
冒険者会館は、さらに静かになった。
◇
その後なんとか手続きを終えた一行はペシュトロミレイアが所属する兵舎に向かった。手続き自体はすぐに終わるものだったので心配は無用だったが、一つだけ明日絶対にやりたい重要な事について色々な職員に聞いて回った結果、思ったより時間が掛かってしまった。その間に数人の冒険者から絡まれたが、明後日ここに冒険者証を取りに来る、急いでいるから、とミヤフィが丁寧に伝えると、しどろもどろな態度で下がっていった。概ね後ろに怖いメイドさんがいたからだろうが。
会館を出てしばらく歩き、日も暮れだした頃に兵舎前に到着した。
「ちょっとこの辺で待っててくださいね、すぐ準備してきますから!」
もうすぐ上がりで嬉しいのか、声が上ずっていたような気がした。ペシュトロミレイアはてってってと駆け足で兵舎内に消えていった。
さて、彼女が戻ってくるまでの間、普通は暇を持て余してお喋りでもするところなのだが、今のミヤフィにとって、話すという行為は目的である。
「リタさん、勇者が危機関係だって、どうして今まで教えてくれなかったんですか!? 凄く重要な事じゃないですか! 人族の危機なんですよ!? というか軍隊とか関係無く戦う運命じゃないですか!」
頬っぺたをむっと膨らませて怒るミヤフィ。身長差から必然的に上目遣いになり、リタの背筋はゾクゾクしていた。ミヤフィは途中で前世ではこのような事は絶対にしなかったと気付いたが、もう恥ずかしさは湧いてこなかった。
「ええと、ミヤフィ様は賢いから知っているものと思って・・・」
一方リタは全く申し訳なさそうに謝った。実際その伝説は普通の子供なら誰でも年上の誰かから聞かされるものである。誰でも知っている物語、歴史なのだ。リタはミヤフィの記憶を知っていた訳ではないので気が付かなくても本当に悪くないのであるが、怒られている最中に幼女の可愛さに悶えるのはどうだろうか、と突っ込む人は誰もいない。
「・・・はあ、まあ怒っても仕方ないか・・・今すぐ教えて下さい」
「・・・はい」
リタは勇者の伝説を語り始めた。かつては口承でしか伝えられなかった、原初の物語は、昔々誰々がいました、からではなく、昔々ある出来事がありました、から始まった。