ダールグリュン家の午前中
ダールグリュン家の一日に迫るッ!!!
ダールグリュン家の1日はメイドのリタ=クァルテットの不思議な起床から始まる。
「はわわ〜あああああ」
狂ったように背伸びをしたり、釣られた魚の様にビクンビクンしたり。本人曰く、寝起きが悪いので強制的に起こしているらしい。
目を覚ました彼女はベッドから降りた。
「『消流水』!」
彼女は水属性上級魔法『消流水』を発動し発生した水で顔を洗い、汚れた水が床に落ちる前に消してしまう。簡単に言えば、水量が変えられる上下水道の魔法である。
魔術の同時発動をするためには、右手で花丸を書きながら左手で星を書きつつ脳内では二種類の文章を読む、というような四つ以上のマルチタスクを操る必要がある。
それから彼女はおもむろに寝間着を脱ぎ、同様の方法で全身を洗った。
一般に、高度な魔法の行使を誰かに依頼すると馬鹿高い依頼料を取られる。そこらの下級貴族が見れば卒倒するような光景だった。
全身を綺麗にした後、彼女はメイド服に着替え、仕事を開始する。リタ一日の最初の仕事は朝食を作ることだ。彼女はキッチンに向かい、食材の準備を開始した。
「今日のメニューは・・・パンにルタスとトマトとミズファのサラダにミルクにジャムに・・・魔大豆焼きですね」
この世界の食べ物は、地球と似通っていた。さらに名前まで似ていた事は、ミヤフィを大いに驚かせた。
魔大豆は基本的には大豆だが、周辺の魔力密度が高い状態で成長すると、魔力を吸って美味しくなるという性質を持っている。ハンバーグ状にすると美味しい。
癖のある味で好みが分かれるのだが、ダールグリュン家の血筋の人間は、何故か代々必ずこれを好物としている。
朝食から主人たちの笑顔が見られると、彼女は鼻歌交じりに調理を開始した。
日の出と共に街は輝き始め、住み手たちは一日の活動を始める。ミヤフィ=ダールグリュンの朝は、前の世界と比べると格段に早くなっていた。とは言ってもこの世界では標準的であるのだが。
彼女がいるのは子供部屋、両親の寝室の隣の部屋である。壁の防音は元々完璧だったが、三歳の誕生日以降、明かりは魔力灯になった。
壁紙はシンプルな白で、窓は大きく一つ、縦にスライドして開けるタイプだ。
この部屋には、母のシルヴィアの意向で可愛いぬいぐるみが数体とおもちゃ、父のアルテミアの意向で絵本や簡単な「ものの本」と木剣が、メイドのリタの意向で魔術教本や難しい「ものの本」が置かれていた。
貴族の娘の部屋らしく、真面目な本ばかりだ。しかしながら、その内容はミヤフィが今やりたい事とは全くフィットしていなかった。
「あー、ギター弾きたいー」
最近の口癖である。他人の前では言っていないが。
ミヤフィ=ダールグリュン、年齢四歳三ヶ月。魔力耐性が無く危険なため、三歳になるまで家の敷地外に出されていなかった彼女は、母親の子守唄しか聞いたことがなかった。
前の世界では軽音楽部でリードギターをしていた程音楽が好きだった彼女は、死ぬ程音楽に飢えていたのだった。
日の出と共に目覚めた彼女が一日の始めに行うことは、魔力生成の練習だ。魔力ダメージ耐性が低いのは魔力が0だからではなく魔力に体が慣れていないからだということを教えてもらったからだ。自分の魔力を鍛えねばならない。小さい頃はやるだけ上達するかもしれないし。
(『呼吸と共に取り込んだ魔力を継臓に蓄える』か・・・。肺に取り込んだ空気から魔力を・・・いや、『継臓』で呼吸するイメージで・・・)
魔法を習い始めるときには、魔力生成を始めに練習するのがセオリーとされているが、単に魔力を取り込むだけでは十分な効率で吸収することは出来ない。
魔力生成を効率よく行うには魔力操作が欠かせないのである。
今ミヤフィは、空気中の魔力をどのように取り込むかという初歩を練習している。何故そんな練習をしているのかといえば、それは魔力操作を通して魔力の性質を分析しているからに他ならない。
ミヤフィはこれまで純粋魔力についての記述がある本に出会った事はない。
外出できるようになってから、何度か本屋に行ったことはあるが、やはりそのような本は無かった。
『この世界では全ての人が生来魔法を使えるのが当たり前なので、魔法の研究をした者が居たとしても、純粋魔力についての研究をした者はいなかった。すなわちそんな本は存在しない』
そう思った彼女は、自分で研究しようと考え、いつも起きてから朝食までの間にその時間を取っていた。
そして、いくつかの収穫を得た。
「やっぱり、魔力を蓄えるところは継臓で間違いないね。でも、それ以外にも・・・」
「ミヤフィ様、おはようございます。そろそろ朝食のお時間です」
結論を言葉に出してまとめようとしていたところ、ドアがノックされた。
「いまいきまーす!」
魔力の研究とは言っても、今のミヤフィにとっては魔法<ご飯である。お腹をすかせた少女は元気よくドアへ駆け出した。
日が昇って少し時が経ち、朝食の配膳が始まった。既に食卓には家族が揃っており、漂う魔大豆焼きの香ばしい香りにそわそわしながら待機している。そこにリタが朝食を運んできた。
「皆様お早うございます。今日の朝食のおかずはルタスとトマトとミズファのサラダに・・・魔大豆焼きですよ」
「やったー!」
好物に子供らしくはしゃぐミヤフィ。最早元青年の面影はないが、元から素はこのような性格だった気がすると本人は思っている。
「では、いただこうか」
嬉しさを隠せていない家長のアルテミア。
「はい、お召し上がりください」
ニコニコと嬉しそうに言うリタ。いつもならはしたないミヤフィを少し叱るのだが、作った料理が美味しそうに食べられるのはやはり嬉しいらしく、珍しくスルーしたのだった。
「母なる大地に祈りを」
アルテミアの合図に合わせて両手を握り合わせて黙祷をする。こちらでの『いただきます』だ。しばらく祈った後、食事が始まった。
「行ってくるぞ~ミヤフィ~すりすり」
「パパ、いたいいたい」
にこやかな朝食が済んだ後、準備を済ませた父は出勤する。玄関先でミヤフィは時々抱っこされるのだが、父のほっぺすりすりはどの世界でも楽しく、そして痛かった。
「あなた、遅刻するわよ?」
「あ、そうだな。行ってきまーす」
一通り健全に娘の感触を味わった父は、幸せそうな背中を見せながらスキップで出勤するのであった。
午前中は、皆で家事をする。
この国では、ある一定の階級以下の貴族は家事全般を従者に任せっきりにすることはない。主に三歳までは自分の着替えや身だしなみを整えることを学び、それ以上になると家事を学び始める。
貴族たるもの様々な教養を身に着けるべし! と先人が言ったのだ。それにお金が少ないことも理由の一つではあるが。
というわけで彼女は洗濯の手伝いをしているのだが、勿論この世界では手洗いだ。洗濯板を使う。合成洗剤もない。元現代人の彼女が「面倒だなぁ」と思うのも仕方のないことである。
そこで、彼女は魔力操作の練習を兼ねて魔力で洗濯機を模倣した。
「ひゃっほおおう!!汚れ物は洗浄だ!」
遠心脱水のような速さで水洗いをしているので、嵐の大波のような音が立て続けに起きている。
軽口を叩きながらこれほど複雑な魔力操作が出来る様になっているあたり、魔力操作は既に達人の域に達していたりはするのだが、本職の魔導士を見ていないので彼女はそうは思っていない。リタも純粋魔力をこんな使い方はできないし、しない。彼女の場合、手洗いが洗濯機より早いのである。
「ミヤフィ様、純粋魔力をそんなに複雑に操ることができればこの世界では達人級ですよ? 教養のためにも、洗濯板で洗ってください。それにうるさいです。あと、今の言葉遣いは淑女にはふさわしくありませんからね?くれぐれも、気・を・付・け・て・く・だ・さ・い?」
「は、はーい」
半年前からこのような問答は続いていた。今世を受け入れてから、ミヤフィのおてんばっぷりには磨きがかかっている。相手がおてんば娘なのでと、リタの説教はミヤフィの足を震えさせる程の剣幕となっているのだが、仕上げで結局洗濯板を使うのだからとミヤフィは魔力洗濯機をやめていない。
そうして毎日足を震えさせるトレーニングに励んでいるのであった。
そのあとはいつも掃除をする。掃除は流石に純粋魔力に使い道が無いので普通にやっている。標準装備はほうきとちり取り、仕上げに雑巾だ。
リタは掃除機並みの効率で掃除をする。ママの攻撃力然り、パパの防御力然り、この世界には化け物しかいないのかと思うミヤフィであった。
こうしてダールグリュン家の午前中は過ぎていく。




