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ラビリンス

作者: 杏樹 充



             1


「おはよう、皆さん」

関東大学心理学科教授、安藤の講義がはじまった。

教室は、いつもはガラガラなのに、今日はほぼ満席。

「普段からみんながこんなに出席してくれていれば、私もクビになんか

ならなかったのにな」

今日は安藤の最後の講義。彼の講義はあまりにも難解で、学生達から評判が悪かった。

しかし最後に教授が、いま研究中の実験を学生達の目の前で披露するという話が広がり、教室にどっと学生達が集まった。

「まだ実験段階だから、本当はみんなに見せたくはないんだけどな。

まあ、お別れの挨拶だと思って、観てやってくれ」

学生達は黙って教授を見つめていた。いったい何をやらかすのか、

期待と興味と、そして半分ひやかしで学生達は集まっていた。

「あいつ失敗しないかな。そしたら、思いきり笑ってやろうぜ」

安藤教授の講義についていけず単位を落としていた学生からしてみれば、

今日の実験はかっこうの仕返しの機会であった。


「ひとり、誰か手伝ってくれないか?なに、ただここに横になってもらうだけだから」

「…」

「じゃあ、加藤君にやってもらおうか」

「え?俺!?」

周りがざわついた。なぜなら、加藤は安藤の講義で単位を落として留年が確定したのを、学生みんなが知っていたからだ。いわば反安藤の代表みたいなもの。

「私は君達によく思われてないのはよく知っている。でもこの実験が終わったとき、

きっとみんなは私の講義を理解してもらえるでしょう」

「な、何をすればいいんですか?」

「このベットで寝ていてくれればいい」

「はぁ…」

加藤はしぶしぶベットに横たわった。

「あ、あとこれを飲んで」

「な、なんの薬ですか?」

「ただの睡眠薬だよ。ほんとに寝てもらうためにね」


数分後、加藤はほんとに寝てしまった。

「さあ、皆さんは他の人間の夢を観たことがありますか?」

もちろん学生全員が頭を横にふった。

「では、こちらのモニターを見てください」

加藤の頭にはいくつもの電極が貼りつけられ、

それが教授のノートパソコンにつながっていた。

プロジェクターがその内容をうつしだしている。

「みなさん、夢とはいったい何なのでしょう。深層心理に沈んだその人間の考え、願望、または抑圧された欲望なのでしょうか?いえ、違います。実は、誰かに見させられているのです」

学生全員があっけにとられた。

「教授、誰かって誰ですか?」

「それはまだ解りません。ただ、夢とはこちらが好きなように選んで送り出した映像を、あたかも自分がその中にいるような感覚で見せることができるのです」

教室全体がまたざわついている。

「では、それを実演します」

安藤教授がキーボードを打ち始めた。

「まずは…女の子とデートでもしてもらいましょうか」

モニターに女の子が写しだされた。

「場所は…渋谷のセンター街で」

見慣れた渋谷の街並み。

「教授、これは本当に加藤の夢なんですか?ただ教授の映像をモニターに映しているだけじゃないんですか」

「必ずその質問がでると思っていました。だから私を一番嫌っている加藤君に

実験に参加してもらったんです。私の味方なんて絶対しないでしょうから」

全員が息をのんでいる。

「加藤君、起きてください。加藤君、加藤君」

「ん…ほんとに寝ちゃってました」

「夢は見ましたか?加藤君」

「はい…」

「どんな夢でしたか?」

「ん…たぶん渋谷のセンター街で、女の子と歩いていたような…」

「はい、それでは実験を終了します。みなさん、お元気で」

安藤は出て行ってしまった。

「おい加藤、ほんとに見たのか?その夢?」

学生全員が加藤につめよった。

「うん…たぶん…見た」



                2


「加藤君、ちょっとコーヒーを入れてくれ」

「はい、教授」

ここは安藤教授の自宅兼実験室。あの講義をきっかけに、加藤は助手としてここに住みついていた。

教授はコーヒーをすすりながら、

「加藤君、神様はいると思うかい?」

「いや、そういうモノには興味がないので…」

「すべての人間に夢を見させている者の存在を信じるかい?」

「う…ん…まだ解りません」

「そんなことをして、得するのは誰だろうね」

「ん…それも解りません」

「物理学の世界でも、今は神の存在を否定できなくなっている。面白いとは思わないかい?私の研究でもし神と呼ばれる何かの存在を証明できたら。

今まで人類が積み上げてきたものは根本的から崩壊するよ」

「いいんですかね、そんなことをしてしまって」

「いいんだよ、それが進歩というものなんだから。でも、人類どころか動物、植物、さらに地球、宇宙そのものを支配する何かの存在があるとしたら、正直、私も怖いけどね」

「教授はどうしてこんな研究をされているのですか?」

「むかし夢で見たものが、現実に起こったからだよ」

「どんな現実なんですか?」

「妻と息子が死んだ。交通事故で。その一週間前にそれをを夢で見た」

「…」

「もちろんその頃はそんな夢はまったく気にしてなかったけど…現実になってしまった。

最初から解っていれば、妻と息子はまだ生きていたかもしれない」

突然、教授は立ち上がった。

「ちょと出かけてくる」

「あ、はい」

玄関を出て行く安藤教授の肩が少し震えていたのを、加藤は気づかなかった。


「おい加藤、あんなに嫌っていた安藤教授の家に、なに住み着いてるんだよ」

「そうだよ、みんな加藤は裏切り者だって言ってるぜ」

学生仲間は、加藤の変貌ぶりに不信感たっぷりだった。

「だって、俺、体験しちゃったんだもん、あの講義の実験で。確かに安藤教授は難解だけど、あんな体験させられたら、そりゃ興味もわくよ」

「だからってさぁ」

「まあ、俺はどうせ留年だから、好きなことさせてよ。じゃあな」


加藤が教授宅に着くと、教授はいなくて紙切れが一枚、机の上に置いてあった。

----電子レンジの中にハンバーグを置いておいた。食べてくれ。----

「教授って、以外にいい人なんだな」

コンビニ弁当のハンバーグだけど、けっこう旨い。朝から何も食べてなかったこともあり、加藤は遠慮なくたいらげてしまった。

「食いすぎたぁ、なんか眠くなってきた…」


「加藤君、加藤君」

「ん…教授ですか?」

「こんなところで寝てると、風邪ひくよ」

たしかに、ソファで寝ていた。布団もかけずに。

「はぁ、すっかり寝ちゃってました。いただいたハンバーグを食べ終わったら、眠くて眠くて」

「そりゃそうだろう、睡眠薬が入っていたんだから」

「えっ!?」

「ちょっと加藤君に、また実験の手伝いをしてもらったんだ」

「そ、それってひどいですよ」

「ははは、ごめんごめん。でも、まだ実験は終わってないからね」

「どういうことですか?」

「今も君は夢の中にいるってこと」

「はぃ?」

「そう、この部屋も、いま君の前にいる私も、実在ではないってこと」

「そんな…」

どう周りを見ても、実在としか思えなかった。

「それに、加藤君、先日の講義の実演も現実じゃないんだよ」

「え…」

「いま本当の君は、ある場所でずっと眠り続けている。もう何年も。いま君が思い出せる過去は、みんな仕組まれた夢の中の出来事なんだよ」

加藤は訳が解らなくなっていた。

「僕は、ぼくは…」

「実態であるのは、君の中の意識だけ。あとは幻なんだよ。だって現実世界に、安藤教授という人はいないから」

「うっ、うゎあああああ」

加藤は家を飛び出した。なにがなんだか、解らなくなっていた。気が変になりそうだった。

「僕は、ぼくわぁあああ」

キキッキィィィィ!どん。

「きゃあぁ、あの子ひかれた!救急車!救急車!!」


目が覚めると、加藤は白い部屋にいた。窓からの陽射しが眩しい。

「病院?」

どうやらそのようだ。

加藤は起き上がろうとした。でも起き上がれなかった。なにかおかしい。

「あ、足が…ない」



                      3


「加藤さんが起きたようです、安藤教授」

「そうか…永かったな」

加藤を担当して10年、安藤は少し肩の荷が下りた気がした。

「おはよう、加藤君」

加藤は布団にしがみついて、ふるえていた。

「足が、あしがぁぁ」

「そう、切断するしかなかったんだよ。10年前の、あの事故で」

「あ、安藤教授!」

「おや、私のことを覚えていてくれたのかい?10年間ずっと眠っていたのに」

「じ、じゅうねん…」

「ちょっと興奮してるね。薬を打とう」

「今度はなんの薬ですか!」

「気持ちを落ち着かせる薬だよ。ほら、腕をだして。暴れないでくれよ。拘束なんてしたくないから」

「ここはどこですか」

「病院だよ。関東大学付属病院」

「なに科ですか?」

「なにって、外科だよ」

「なぜ安藤教授がここに…」

「なぜって、君の担当医だからだよ」

「医者…心理学の教授じゃ…」

「なにを言ってるんだい。私はずっと医学部の教授だよ」

「う、うゎああああ」


「無理もない。相当なショックなんだろうな」

「精神科にまわしますか?」

「いや、一時的な興奮状態だろうから、このままでいいよ」

「いま、親御さんに連絡をとりました。目が覚めたって」

「まだ面会は無理だろう。いま会ったら、錯乱状態になりかねない」

「どうしますか?」

「さっきの薬には睡眠薬が入っているから、そのうち寝るよ。また目覚めるかどうかは分からないが」

加藤は眠った、死んだように。



                        4


目を覚ますと、そこは病院ではなかった。見慣れた天井、見慣れた部屋。

「ここは…安藤教授の家…」

「おはよう、加藤君」

そこには、教授が立っていた。

「あ、あなたはいったいなんなんですか!」

「ははは、ごめんごめん。ちょっとやり過ぎちゃったかな。安心しなさい、足だってちゃんとあるでしょ」

「足が…ある」

切断されたはずの足は、ちゃんとあった。

「今は現実なんですか、それともまだ夢をみているんですか?」

「現実だよ、加藤君。お疲れ様」

加藤はどっと倒れこんだ。

「もう勘弁してください。ほんとに気が狂いそうでしたよ」

でも、本当にリアルな夢だった。現実としか思えなかった。

「僕、ここを出ます。もう教授の実験に使われるのは嫌です」

「そうか…また気が向いたら、遊びにおいで」

「すみません、もう来ません。またこんな思いをするのは嫌ですから」

「そっか、まあしょうがないよな。でも、君のおかげで貴重なデータが取れたよ。ありがとう」

「じゃ、さようならです」

ムッとした顔で、加藤は玄関を出て行った。そのうしろ姿を、安藤教授はじっと見つめていた。

「まったくろくな人じゃないよ、あいつ」

とりあえず加藤は自分のアパートに帰った。見慣れた部屋。加藤はやっと安らいだ気分になれた。

「もう、あんな目には遭いたくないよ」

やっとゆっくり寝られる。布団も敷かず、加藤は眠った。



「加藤さんはまだ寝たままです。起こしますか、お母さん」

「いえ、このままにしてあげてください。このまま夢の中にいたほうが、きっとこの子も幸せでしょう。よろしくお願いします、安藤先生」


END
















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