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偽聖女と追放された私ですが、お忍び魔王の瘴気を薬草茶で癒やしたら、極上に甘やかされる件

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/07/15


雨のしずくが、乾燥させたミントの葉を叩くような、かすかな音が部屋に満ちていた。


すり鉢の中で、乾いた薬草が擦れ合う音が、静かに響く。


手元の天秤に載せたのは、ほんの数グラムの「月見草」の根だ。


「お姉様、行かないで! お姉様が偽物だなんて、そんなの絶対に嘘よ!」


聖都の冷たい石畳の上で、妹のステラが私のドレスの裾を掴んで泣き叫んでいた姿が、今も脳裏に焼き付いている。


ステラは、本物の「聖女の光」を宿して生まれた、心優しい私の自慢の妹だ。


けれど、大教会のギブスン司祭たちは、その幼いステラを自分たちの操り人形として完全に管理したかった。


だから、ステラの精神的な支えであり、薬草の知識で人々の病を治していた私を、彼らは邪魔に思ったのだ。



『ルチアは妹の聖なる力を吸い取る偽聖女である』


そんな見え透いた嘘の汚名を着せられ、私は聖都を追放された。



ステラは必死に私を庇ってくれたが、私は彼女の耳元で優しく囁いた。


「大丈夫よ、ステラ。私はこれで、ずっとやりたかった薬草の研究に没頭できるわ。だから、泣かないで」


あの時の私は、悲しさよりも、ようやく教会の堅苦しい規則から解放されるという清々しさで胸がいっぱいだった。


前世でハーブセラピストとして忙しい日々を送り、過労で倒れた私は、この魔法と精霊の存在する世界に生まれ変わっていた。


生まれ持った魔力は微々たるものだったが、前世の植物学の知識と、この世界の魔法薬草の特性を組み合わせることで、私は独自の薬草療法を確立していた。


追放されて移り住んだこの「霧の森」の奥深くは、王都では手に入らない貴重な野生ハーブの宝庫だった。



私は小さな木造の家を建て、小さな温室を作り、誰にも邪魔されないハーブ研究の生活を始めた。


その暮らしは、驚くほど平穏で、満ち足りていた。


そう…あの日、激しい嵐が森を襲うまでは。




「……う、ぐ……」


激しい雨風が窓を叩く夜、玄関の扉の外で、重い衣服が擦れるような音と、くぐもった呻き声が聞こえた。


私が警戒しながら扉を開けると、そこには全身傷だらけで、泥にまみれた黒衣の青年が倒れ込んでいた。



彼の体からは、漆黒の霧のような、禍々しいオーラが揺らめき立っている。


それは、教科書に載っている「魔族の瘴気」そのものだった。


「……人間、か……。殺すなら、今のうちに……殺せ……」


青年は片目を開け、私を憎悪に満ちた瞳で睨みつけた。



彼の魔力は完全に暴走しており、体温は燃えるように熱い。

放置すれば、彼自身の魔力によって肉体が焼き尽くされてしまうだろう。


「殺したりしませんよ。ただの怪我人を放っておくほど、私は暇ではありませんから」



私に恐れる様子がないのを見て、彼はわずかに目を見張った。


私は彼を室内へと引きずり込み、暖炉の前の長椅子に寝かせた。


青年は私を警戒し、鋭い爪を立てようとしたが、指先一つ動かす力も残っていなかった。


「……なぜ、逃げない……? 私は、魔族だぞ……」


「魔族だろうと人間だろうと、私の前ではただの患者です。じっとしていてください」


私はすばやく、お湯を沸かし、乾燥させた「竜血ハーブ」と「紫紺草」、そして熱を冷ます「氷精の葉」を絶妙な比率で調合した。


魔族の瘴気の暴走は、魔法による攻撃ではなく、体内の「魔力循環の急性不全」だ。



前世の知識で言えば、交感神経が極度に過緊張を起こし、血液の循環が滞っている状態に近い。


私は淹れたての温かい薬草茶を、木のカップに注いで彼の唇に当てた。


「ゆっくり飲んでください。熱いですが、体内の暴走を抑える効果があります」


「……毒、か……?」


「毒なら、わざわざ手間をかけて淹れたりしません。いいから飲んでください」


青年は観念したように、少しずつお茶を口にした。


一口飲むたびに、彼の青白い頬に微かな赤みが戻り、体を覆っていた黒い霧がしぼんでいく。



「……何だ、この感覚は……。暴れる魔力が、静まっていく……」


「竜血ハーブの成分が、あなたの魔力導管を物理的に拡張し、氷精の葉が脳の熱を奪っているのです。さあ、全部飲んで、朝まで休んでください」


お茶を飲み干した青年は、驚いたように私を見つめ、それから吸い込まれるように深い眠りに落ちていった。



翌朝、目が覚めると、青年は長椅子の上に端座していた。


朝の光の中で見る彼は、漆黒の髪と、深い紫色の瞳を持つ、息をのむほど整った容姿の青年だった。


「気分はいかがですか」


私が尋ねると、彼は複雑な表情で私を見つめた。


「……信じられない。あれほど荒れ狂っていた瘴気が、完全に安定している。長年私を苦しめていた頭痛すら消えている」


彼は立ち上がり、私の前に立って一礼した。


「私は魔王クロム。魔界の裏切り者に奇襲を受け、この森に逃げ延びた。人間を憎み、絶望していたが……君に命を救われた」


「私はルチア、ただの薬師です。魔王様だろうと、私のハーブティーが効いて何よりです」


私が微笑むと、クロムの耳の端がかすかに赤くなった。



「……クロムでいい。敬語も不要だ」


それから数日間、クロムは私の小さな木造小屋に滞在した。


怪我の治療という名目だったが、彼は驚くほど私に対して過保護になった。



私が重い水桶を持とうとすれば、すかさず奪い取り、薬草の採取に行こうとすれば「危険だ」と言って私の手を引いて歩いた。


「クロム、私はこれでもこの森で一人で生きてきたのよ?」


「以前はそうだったかもしれないが、今は私がいる。君のような華奢な娘が無理をするべきではない」


強大な魔王であるはずの彼は、私に対してだけは、壊れ物を扱うように優しく、そして強引だった。


彼が淹れてくれる紅茶を飲みながら過ごす時間は、私の心を少しずつ温めていった。



しかし、その穏やかな時間は、唐突に破られた。


「見つけたぞ、偽聖女ルチア!」


小屋の周囲を、甲冑を着た教会の聖騎士たちと、あのギブスン司祭の配下たちが包囲した。



ギブスン司祭は、エルザの聖なる力が弱まり始めたことに焦っていた。


実はエルザの体調を裏で維持していたのは、私がこっそり淹れていた薬草茶だったのだ。

その事実に気づいた司祭は、薬草の処方箋を力ずくで奪い去るために、私のもとへ追跡部隊を送ったのだった。


「大人しくその身を差し出せ!さもなくば、この汚らわしい魔女の家ごと焼き払う!」


騎士団の隊長が叫ぶ。


私は外へ出ようとしたが、クロムが私の肩を静かに押さえた。


彼の紫色の瞳が、冷酷な光を放つ。


「人間どもめ。私の恩人を、何と呼んだ?」


クロムが扉を開けて外へ出ると、その身体から、凄まじい威圧感の黒い魔力が立ち上った。


周囲の木々が激しく揺れ、聖騎士たちの馬が恐怖で狂ったようにいななく。



「魔、魔王……!? なぜこのような場所に魔王がいるのだ!」


騎士たちは恐怖に顔を青ざめ、武器を持つ手を震わせた。



クロムは彼らを一瞥し、冷たく言い放つ。


「この娘は、私の唯一の救い手だ。彼女を害しようとする者は、魔界の敵とみなし、魂ごと消し去る」


彼が指先を掲げると、漆黒の魔法陣が空中に展開された。



だが、私は慌ててクロムの腕を掴んだ。


「待って、クロム! まだあなたの魔力導管は完全に修復されていないわ! これ以上強い力を使えば、また魔力が暴走して身体が壊れてしまう!」


クロムは驚いたように私を見下ろした。



「ルチア。なぜ私の心配を……。私は魔王だぞ」


「魔王だろうと、私の患者です! これを使って!」


私は懐から、精神を瞬間的に安定させる「紫紺草の濃縮香油」を取り出し、彼の胸元に振りかけた。



清涼感のある香りが広がり、クロムの荒れ狂う魔力がすっと収まる。


クロムは深く息を吐き、それから愛おしそうに私を見つめた。


「……分かった。君の言う通りにしよう」


彼は魔法陣を収め、ただその圧倒的な眼光だけで騎士たちを威圧した。


「命が惜しければ、二度とこの森に近づくな。聖堂のギブスンとやらに伝えろ。次にルチアに手を出せば、聖堂ごと塵にしてやるとな」


その言葉と同時に放たれた微かな波動だけで、騎士たちは武器を放り出し、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。



静まり返った霧の森で、クロムは私に向き直った。


彼の大きな手が、私の頬にそっと触れる。その手はとても温かかった。


「ルチア。人間に絶望していた私が、君のおかげで、もう一度世界を信じられるようになった」



彼は私の目を真っ直ぐに見つめ、私の手をとった。


「私の国へ来てほしい。魔界の私の宮廷で、君の薬草園を作り、君の好きなだけ研究をしてほしい。私は、君の淹れるお茶を一生聞き続けたい。……いや、君を一生、私の隣で愛し、守り抜きたいのだ」



それは、契約でも何でもない、魔王の本気のプロポーズだった。


私は、彼の不器用な過保護さと、その温かい瞳を思い出し、ふっと微笑んだ。


「喜んで、お供します。でも、私の特製薬草茶は、毎日ちゃんと残さず飲んでいただきますからね?」


「ああ。君の淹れるものなら、毒であっても飲み干そう」


クロムは嬉しそうに微笑み、私の手を引き寄せてその甲に優しく口づけをした。


森の奥の小さな家を後にし、私たちは新しい未来へと歩み出す。


私の淹れる温かい薬草茶の香りが、私たちの歩む道を優しく包み込んでいた。

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