6.女の矜持
その後、皇后の崩御は病死と発表された。
親王殿下の病死を受けての心労によるものと公式発表された。
皇后の崩御と言うことで、殿下の即位の時期について多少周りから懸念の声があがることを心配したが、それに触れる者は居なかった。
長年の悪しき慣習にメスを入れてくれた御仁を早期望む声さえ上がっていた。
皇后の葬儀としてはとても質素で、近親者だけで執り行われた。
不貞の子では? と揶揄されながらずっと目立たないように暮らしてきた。
養父の家で気を使いながら小さくなる彼女の唯一の希望が、光の君と過ごす時間だったのだろう。
そんな彼女が、自分と同じ境遇だけれど強く生き、キラキラしている彼に恋心を抱くのはそう時間はかからなかった。
やっと、長年の夢が叶うと心躍って参内した日、彼女の夢は悪夢の如く踏みにじられた。
彼女は籠の鳥となり、自分で息をするのを止めた。
彼女の生きる唯一の希望は「皇后」としての役割を果たすことで、自分の存在と生への肯定だった。そのプライドだけで、魑魅魍魎が渦巻く後宮の中で必死に堪えてきた。
今上が退いたことで、その唯一の「矜持」がポキンと折れた彼女は、仏に縋ることで自分の精神の安定を図った。ついには焦がれる仏に自分がなることを望んだのだった。
後宮と言う、魔物が巣くう迷宮の中で「悲しい」と言うことが出来なかった、いや、言う人さえ居なかった一人の女性の遺髪を手にした男がポツリと呟いた。
「どうか、次世ではお幸せにおなり下さいませ」
「宣、行くぞ」
兄が弟の肩を軽く叩いた──
◇
それでも時は、無情にも何事もなかったかのように皆に平等に流れて行った。
「では、行ってくる。後でな?」
「行ってらっしゃいませ。貴方」
あの日以来、彼は月命日である日に誰とも言わず、手を合わせている。
彼が彼女に出来る精一杯の供養だろう。
親族ではない、妻を持つ天子となる男が、他の女性を偲ぶのは御法度である。
でも、私達はそれから決して目を背けてはいけないのだ。
継承していく者の責任として。
私は宮の片隅にある、小さな一輪挿しの水を替えて手を合わせた。
──どうぞ安らかに。
「今日は暑くなりそうねぇ」
私は下女が干している洗濯物が風に揺れるのを見ながら、呟いた。
「前に進まないとね」
「行ってらっしゃいませ。御方様」
「後を宜しくね? あ、後で文和堂さんに頼んである氷菓を、執務室に持って来て貰らえる? 貴女達の分もちゃんとあるから、あと冷やし飴も買っていいわよ」
私は、彼女らに自分の給金の一部を渡した。
「有り難う御座います! 御方様!」
若い下女達は嬉しそうに私を見送ってくれた。
「では、行って来ます」
彼女らに係る経費は光様が全て自費で支払っている。だから、おやつの差し入れぐらいは私も手伝いたい。
「そろそろ金鉱石の追加注文の対応しないとね。今日も忙しくなりそうだわ」
既に季節は夏を向かえていた。
あ!! 浴衣!!
忘れるところだった!!
──トントントン
「凛花です」
「入れ」
珍しく光様の声がした。
今日は誰も居ないのかしら?
「あら? 今日は珍しくお一人ですか?」
私は一人でポツンと机に向かって仕事をしている夫にたずねた。
しかし、この部屋ってこんなに広かったかしら?
普段は誰か、彼かが出入りして忙しく仕事をこなしていたから、広いとは感じなかったが、こうして二人になると、何となく気恥ずかしさを感じた。
「惟光は、財務にこの掛け合いに行っておる。支宣は長谷部と金の話しだ、あと、その他も諸々と出ておる。俺と二人じゃ嫌なのか?」
夫は私を少し意地悪そうに上から見下ろす。
「誰も、そんなことは申しておりませんよ? 御寂しいところでしたのね? ちょうど良い時に来ましたわね?」
「お前が居ないと寂しい」
そう言って、光様が私の背後から強く抱きついて来た。
あれだけのことがあったのだ。
しかも、誰にもその気持を伝えることはせず。
気丈に今日まで振る舞われていた。まるで何事もなかったかの如く。
それでも残された私達は生きて行かなければいけない。そして私達は民全員の親なのだから。
「ほらほら、こんなに仕事が溜まっていますよ? 立ち止まる暇は御座いませんわよ? 皇太子殿下?」
私は抱きしめたい気持ちをぐっと堪え、彼に発破をかける。
ここで抱きしめてしまったら、互いに傷の舐め合いになってしまう!
何方かが倒れそうになったら、それを背負って歩くのが夫婦だ。
今、彼の頭を撫で、抱きしめ口づけをするのは違う。
だって私は、私にしか出来ない仕事があるから。
「仕方ないなあ、主様に言われたら、下僕は働きますよ。でもたまにはご褒美を頂戴したく思います。皇后陛下」
そう言って、殿下は片膝をつき両手を前で組み臣下の礼を私に取った。
「今日は水饅頭を用意しましたよ? 貴方?」
そう言って私は彼の手を取り、立たせる。
「では、二個所望します」
殿下はまだ立ったままで、手を組み臣下の礼を崩さない。
「皆には内緒ですよ?」
「御意」
彼は、私の耳元で優しく呟いた。
護られるだけの女ではなく、彼の隣に対等に立つ。私はそんな夫婦になりたい。
それが私の妻としての矜持だ。




