8.自由とは
紫の君、光の君、麗しの君。国の華。天女様。彼の呼び名はいくつもあった。
普段の彼の佇まいから、勝手に周りが呼び出した物ばかりだ。
ただ、たまにそれはとんでもない方向へ向かう。
「誰だ? 此処に置いたままにした奴は? 今すぐ出て来い!!」
朝から至るところで怒号が鳴り響く。
元々は仕事には厳しい御方だ。ただ今日はソレが尋常じゃないぐらい厳しかった。
宮にいる全ての者がピリピリしていた。
ミスする者が勿論悪い。間違えたことは何一つ彼は言っていない。
ただ、あまりにも鮮烈過ぎる。
凍り付くぐらいの美しい貴人が、今は氷の鬼神になっていた。
「これ計算した奴だれぞ? 桁間違えてる! 出てこい!!」
紙束を投げる。
「先日のお話なんですが、先方があの値段では渋っておりまして……もう暫くお時間をと……」
「あ? 渋る? もう暫くって何時だ? その話し先週も同じこと言ってなかったか? 何日までにでは話しがつくのか申してみよ!! お前の給料何処から出てるか考えろ!!」
「先月の米の値段より、今月が上がって来ており、どうやら市井で買い占めをしている者がいるとの噂でございまして……どうしたものかと? 此方も悩んでおりまして……中々達しは出してはいるのですが……色々と」
「噂?? どうしたものか? それを考えるのが、お主らの仕事ではなかったのか? 糧務長官殿? 達し出して治まるなら、政など要らぬわ!!」
「で幾ら上がってる?」
「えっと……ちょっと。お待ちを…………えっと、あれ? 此方の紙でなくて、あれ? 何処に書いてあったかなあ?」
「三百と二十~五十を推移しております」
側にいた信が即座に答えた。
「宣!」
──ついに雷が落ちた。
文官のトップは太政大臣を務める支宣にあった。
直ぐさま、御前に膝まづいた男は主の朝からの洗礼は各部署からは聞いていた。
だが対応に遅れていた部署もあったのだ。
「なぁ? 一つ聞いてよいか? お前の仕事は何だ? 支宣よ?」
声は優しい。言葉も荒くなく比較的丁寧な問いかけだ。
ただ、皆は知っていた。
こういう時の彼が一番怖いことを。
「わたくしの監督不足で御座います。一週間、あ、いや、三日だけわたくしに御時間をください! 改善致します。現状で考えられる最善を尽くします」
支宣はこういう時、絶対に出来ない目標、夢を語ることはしない。現実的に具体的に自分が出来る精一杯を提示する。
「良かろう。して?」
「一時的に値の介入に入ります! 後三ヶ月持たせば新米が出回ります! それまで先導します!」
支宣の出した提案は博打とも言える手だった。
新米が出回るまでの残り三ヶ月間、市井に出回る正規品の米を一旦全部国が買い取り、キロ三百で値段を固定して販売させる。と言うとんでもない金の掛かる案だった。そうなれば、当然買い占めて高く売っていた業者の米(密売品)は売れなくなって行き、最終的には値崩れをおこす。
が、逆に買い取るだけの金が維持し続けれるか? が一番の賭けだ。値崩れする前に金が尽きたら全て失う。
財源のやりくりの目星が正確に頭に入っている支宣にしか出せない案だった。
「良かろう」
殿下は無言で去って行った。
執務室に残った皆は安堵と、変な緊張の汗でざわついたままだった。
「御方様、お願いが御座います」
珍しく、支宣様が私に頭を下げてくる。
「御方様のお名前をお借りして「白珠」「桃水晶」「反物」などの販売を急ぎ許可を頂きたいのですが」
支宣様の眼は真剣だった。
なるほどね、値の張る物の中で、加工に比較的時間が掛からずに直ぐに現金化出来る物を他国に売り、外貨を増やして財源を確保するってことね。そういうことなら協力しましょう。
「ならば支宣様、こうしては?」
私は、支宣様を奥の部屋に呼んだ。
こういう話しは彼が一番分かり合える。いらぬ主語などなくても話しが通じるから楽だった。
「それは此方としても有難いお話では御座いますが、殿下が御赦しになりますかねぇ?」
「もとより、私達は民あっての地位。こんな時に使わなくて何時使うのです? 反対するようなことがあれば、わたくしが説得します!」
「時間がありません。さっそく取り掛かりましょう」
私達の密談は直ぐに終わり、関係各所に通達した。
とは言え……私の仕事は。
難敵の攻略であった。
◇
珍しく、日の高いうちから自室に篭られて茶を啜っておられる。
ほんの少しだけ酒をお召しになった様子だった。
自宅で、お一人でお酒をお召しになることは滅多になかったので少し驚いた。
「何かつまみをご用意しましょうか?」
私は声を掛ける。
「いや、一杯だけだから必要ない。それより此方へ座らんか?」
先程までのピリピリした雰囲気は解かれ、今は普段とあまり変わらない。
「宣に何を頼まれた?」
流石は殿下。いきなり直球できた。
しかも恐ろしいぐらい、お見通しだ。
「交易品に私の紋様を使う許可と、私の名で広める許可です。と意匠の販売許可です」
「なるほどな。それがどれだけ外貨を産むか、お手並み拝見とするかな」
殿下はすっと立ち上がり、少し笑いながら私に盃を預けた。
「売って見せます!!」
こうなったら売るしかない! 意地でも売ってやる! 私は力強く答えた。
「少しは俺に頼っても良いんだぞ? 凛花さんや?」
「出来るところまでは、頑張ってみます!! それでもな時はお願いします」
「相変わらず、気の強い女子よの」
「ふふふ、殿下が好いた女子ですから」
私は少し意地悪そうに言った。
「困った跳ねっ返りじゃわ」
──キャッ
殿下が私を抱き上げ、寝所に連れて行く。
「声出すなよ? まだ日が高い」
いつもより激しい時間が朝まで続いた。
殿下の中で、何かとの葛藤があったのかもしれない。
──「立てるか?」
「……」
「朝餉を持ってきてやるから、待ってろ」
そう言って、殿下は部屋から出て行った。
あの日以来、何度も殿下と夜を共にした。
時折、殿下が本能を隠せないぐらい激しくなる時がある。
決して怖いとか、嫌とかではない。
寧ろ、私にだけ見せる彼の本当の姿。普段被っている化身を脱いで自由になる瞬間。
それを受け止めれる唯一選ばれた存在であることの嬉しさ。
でも、彼の心の奥底に眠っている獣を、私は宥めることが出来ているのだろうか?
彼の自由を解き放ててあげることは出来ているのだうか?
──安らかで居て欲しい。




