6.童返り
支宣は昨夜遅くまで悩み抜いた結果、そろばんを弾きながら「計画書」を作成していた。
窓の外は既に朝焼けであり、もうすぐ朝の鐘が鳴ろうとしていた。
机の上に出来上がった「計画書」を置いたまま、彼は机に伏せて寝ていた。
それから暫くして、部屋のドアを叩く音がした。
「ハッ! しまった! あのまま寝てしまっていた!」
急いで支宣は身支度をして、私室を後にした。
殿下は?
姿の見えない主を不安に思い、紀恵を探した。
「紀恵さん。殿下は?」
「あら? 支宣殿。おはよう。よく寝れたかい? って、目の下にクマがあるじゃないか! ちゃんと睡眠は取らないと駄目だよ? ああ、殿下ならとっくに登庁しておいでだよ?」
「有難うございます!」
しまった!
支宣は急いで執務室へ向かう。とは言え職場である執務室は殿下の住まいの宮からは直ぐの距離だ。
「内宮」何に住まいを建築出来るのは皇族だけだ。
武官などの夜勤がある職の者用に、必要各省には「詰所」は存在する。
殿下の宮に私室を持つ支宣の通勤時間は10分とかからない距離だった。
「遅くなって申し訳御座いません!!」
支宣は頭を深々と下げた。
「ん? 別にゆっくりで良かったのに? たまにはゆっくりしたらどうだ?」
!!
この方に仕えて何年もなる。そんなことを言われたのは初めてだった。
「殿下……どうなさいましたか?」
恐る恐る主にたずねた。
「どうって? 別に何も他意はないぞ? たまにはお前もゆっくりしないと、老けるぞ?」
「老けるって……まだ十六になったばかりで御座います……」
「背が伸びんぞ?」
「……先日大きくなり過ぎ! と、申されたではないですぁ?」
支宣が主を少し横目で見た。
「殿下、此方で宜しいでしょうか?」
見慣れた声の男を支宣が見る。裕進?
「ああ、そこに置いといてくれ。裕進、そこの山のは財務へ回して良いぞ」
「承知しました」
「殿下、完了しました」
「では、各省へ回して後、会議の日程を。裕進に参加させろ」
「承知しました」
ワナワナワナ……
何だ? この目の前で繰り広げられている光景は?
支宣は自分の目の前で起こっている現象に驚きと、そして深いショックを受けていた。
殿下が! 殿下が!
──自分以外の者に仕事を頼り、任せている!!
ふらり──。
目の前で起きている現象に目眩がしそうになり、不覚にもバランスを崩し、倒れそうになった。
「おい!!」
一早く異変に気づいたのは主である光君だった。
「おい! 大丈夫か? やはり疲れが溜まっておるのだろ? 今日はもう良いから帰って休め! これは命令だ!!」
「い、言え、問題ないです。ちょっとバランスを崩しただけで……」
支宣は主に肩を借りていた手をすっと話した。
「馬鹿もん!! 倒れてからでは遅い! いいから帰れ!」
珍しく声を荒らげた。
最近はあまり強く叱責することはなく、比較的穏やかだったから支宣は驚いた。
──カチャ
静かに執務室を後にした。
私室に戻り寝台に仰向けになる。
目を閉じてじっと横になるが、寝不足で眠たいはずなのに、頭が冴えて眠れない。
そうか……側には既に凛花様がおいでになる。
そして仕事においても裕進や、他の者も成長してきている。
殿下……私がお仕えする御方は今や天上人。
ずっと側に居たからその身分の重さを、時に軽く感じてしまっていた。
本来、御尊顔を拝謁することさえ赦されない御方。
支宣は、主を急に遠い存在に感じ、そして寂しさと、いつかは離れないといけない覚悟をしなければ、と思うと無意識に頬に冷たい物が伝っていた。
そのまま彼は眠りについた。
──薄暗くなった部屋に人影が、そして懐かしくも、慣れた匂い。
仄かに香る伽羅の薫。
私は飛び起きた。
「起きたか?」
「いつからそこに?」
朝出る前に綺麗に片付けていたはずの机に、書類の山が積み重なっているのを見て主に聞いた。
「今来たところだ」
彼は、いつもと同じ自信に満ちた神々しい笑顔で答えた。
嘘つき。
机の上にある山になっている書類の背表紙はどれも見覚えある物だった。
そう、倒れる前の執務室で、殿下の机に置いてあった今日の分の仕事だ。
支宣は主の優しさに、無意識に涙が出ていた。
「なぁ、お前最近泣き過ぎだろ? お年頃か? 支宣くん?」
いつもの、いたずらっ子の顔の殿下だった。
「泣いてません!」
「ふーーーーーーーーん。ならもう帰るぞ? 良いのだな?」
そう言って殿下はすっくと立ち上がる。
行かないで! そう叫びたい気持ちをぐっと堪え、答えた。
「どうぞ、お帰りくださいませ。ご心配をお掛けしました。もう大丈夫ですので明日はちゃんと出仕します」
ちゃんと言えた……
「支宣よ、思いは時にはちゃんと伝えんと伝わらんぞ。それが誰であろうとな」
主は背を向けたまま言い放った。
ずるい御人だ……こんなにも心を掻き乱される。
「お、お側にずっとおりとう御座います」
「お前は馬鹿か? 今更何を」
殿下が手を掛けていたドアを離し、此方を向いた。
「手の掛かる子じゃのう」
そう言って殿下が寝台に座った。
「だって……私なぞもう用済みなのではと思うと……」
「お前は阿呆か?」
「………」
「だって殿下には凛花様がおいでですし、裕進や他の者もどんどん育っておりますし、私が居なくてももう殿下には……」
「で?」
殿下が少し意地悪そうな顔をして聞いてきた。
「皇太子、いや、天上人になられてしまえば、私のことなぞ……」
「だから、離れたいと?」
「離れたいだなんて!!」
私はいつの間にか、殿下の衣の袖を掴んでいた。
「宣。俺は男にはその気はないぞ?」
そう言って殿下が少し笑った。
「……私だってそういう気は御座いません」
支宣が衣の袖をパッと離した。
「宣も惟光も、凛花と同じぐらい俺にとっては特別な存在だ。あ、凛花とは、またちと違うのう。そこは許せ」
「兄上とは同じですか?」
柴犬の目で主を見つめる。
「お前それは惟光に悪かろう? 一応そこは俺も差を付けんようにはしているつもりだぞ?」
「……」
両親も居ない、本当の兄弟も居ない、身寄りの無い支宣に生きる場所を与えてくれた唯一の人が、彼だった。感謝の気持ちは勿論だが、支宣にとって彼は親であり、兄であり、慕う人であり、心から尊敬する人であった。
彼は仔犬のように拗ねる泣き虫な男の頭を撫でてやる。
「もう童ではありませぬが……」
「今日のお前は童も変わらぬではないのか?」
そう言って殿下がまた頭を撫でた。
「惟光には内緒だぞ?」
そう言ってニヤリと笑う。
「凛花様には言っても良いですか?」
「変な勘ぐりをされると面倒なのでやめとけ」
「……ですね」
「で? 離れたいのか?」
「……意地悪言わないでください」
照れくさそうに支宣は主に答える。
「湯浴みでもするか?」
「ご一緒しても?」
「どうしようかなあ~~」
「ご一緒したいです!!」
「お前それさぁ、人が聞いたら勘違いされるから、やめろよ?」
「先程、思いはちゃんと伝えろっておっしゃったではないですかぁ」
支宣がむくれた。
その後、また仲良く二人で湯船に浸かったのでした。
支宣の恋愛対象は間違いなく女性です。




