4.恋の季節
──軽い眩暈に襲われた私は、陣幕の中、間に合わせで作った簡単な寝床に横になっていた。
小中高と一貫教育の女子高に通っていた私は、恥ずかしながら男性経験はなく、ましてやずっと勉強ばかりの毎日を過ごしていたので、恋愛などと言うものは何処か別の種族? いや、キラキラした人達がすること。だとずっと思っていた。
だから今のこのモヤモヤした、こそばゆいような、なんとも言えない気持ちを恋と言うのか? 全く気づいてもいなかった。
寧ろ、何もかもが始めて見る世界、光景、生活、全てが新鮮で、恋心よりも、そっちで毎日が頭が一杯だった。
目にする物全てが珍しく、匂立つような艶やかで絢爛豪華な絵巻物──。
眩暈がするのは、当たり前だった。
そして、なんとも不運なことに彼女の周りには同年代の恋バナができるような女友達や、同僚は居なかったのである。
寝床に横たわる娘の上に掛けられた薄紫色の最高級とも言える上質な絹衣は、本来の主に置いていかれ、少し寂しそうにみえるのは考えすぎだろうか──。
「どうだ? 凛花? 気分は?」
「殿下。すいません。折角の花見に……」
「いや、気にせずとも良い。最近「ご飯」のことや、その報告書や、新しいメニューの開発と、毎日忙しくしていたからなぁ、疲れが溜まっていたんだろう。すまなかったなぁ。ゆっくり休め」
「いぇ、もう大丈夫です」
そう言って私は床から起き上がろうとした。
「凛花。大丈夫?」
「凛花ちゃん!」
「おーい。凛花さん。大丈夫か?」
両親と、中将様、いつもの面子が心配そうに陣幕の中に入って来た。
私は、いつもの光景にちょっと安堵し、大丈夫の意で両手を前に突き出し軽く左右に振ってみせた。
床からは自分の足で、ひょぃっと降り、折角なので皆が待つ、花見の宴の席へ足を踏み入れた。
既に、酒を呑み、ほろ酔い加減で頬を赤くしている者や、歌や舞を披露する者。中には袴を捲り上げ何故か相撲をとっている者までいた。
宴の席に用意された、重箱の中は、殆ど残っていないことを見ると概ね「花見弁当」は大成功だったようだ。
「凛花、少し食べるか?」
そう言って光様が小さな重箱を私に差し出した。
桐箱で出来た三段重ねの重箱。身分の高い者ように用意した、個別の弁当箱だった。
従者方には、大きめの折り詰めから皿に取り分け数人で一緒に召し上がって貰ったが、流石に、光様はじめ、中将様に皆と一緒に。とは言えないからだった。
横になっていたせいか? 少しお腹が空いてきていた。
「ありがとうございます。戴いて宜しいですか?」
「頂くと言うか、作ったのは私ではないけどね」
そう言ってちょっと照れくさそうに笑う光様が少し可愛く見えた。
「で、殿下……。そのように近くでじっと見られては食べにくいです」
「あ、すまぬ」
暫くの沈黙の後──
「殿下……」
「すまぬ」
「欲しいのですか?」
「…………」
光様の好物の卵焼きを箸で取り、弁当の蓋の上に乗せた。貴人に対してこのような振る舞いは無礼なのは承知だったが、近くに取り皿がなく、致し方なかった。
すると、光様はその蓋の皿を私に押し戻した。
そしてじーーっと私の目を見つめる。
こ、これは……。
昔買っていた愛犬トイプードルが、おやつをお座りして待っている時の目だ!
従順にそして、「よし!」と言う声を聞くのを今か今かと待っている目。
これは反則である。仔犬のような目でのおねだりは、こんな目をされて否を唱えれる者がいたら、私は一生その人に従うだろう。
仕方なく、私は卵焼きを一切れ箸で掴み、無作法にも手皿で、殿下の口に入れた。
「うん。美味い!」
そういった殿下の尊顔は、満面の笑みだった。
「殿下……。そろそろ自分で食べてくださいな?」
「次は、その芋が良い」
「殿下……」
なんだ、このやり取りは? と、遠目で見ていた父はワナワナし、母は目を細めて見守り、トイプードルは行ったり来たりを繰り返し、近くを通る者を警戒しながら出来るだけ人払いをしていた。




