23.花見
やんごとなき御方の思いつきではじまった「お花見会」の準備で皆が慌ただしく動いている中、一際豪華な調度品が並ぶ部屋の窓前の腰板に座って、少し開けた窓から外の鶯に煎餅の屑を投げている者がいた。
その屑をチュンチュンと啄む鶯は、まだ幼いのかどことなく不安定な足取りだ。
強めの風が吹くと、よろけながら低く飛んでいった。
ホケッ、ホケ キョッ──
「下手よな。そして弱い」
そう言ってピシャリと窓を閉めた。
──「自由に飛ばしてやるほうが良いに決まっている。あれにとっての幸せだろうか……」
誰も居ない部屋で呟いた声の主の手は強く握られていて、小刻みに震えていた。
「さぁさ、弁当の用意も出来ましたよ」
そう言いながら、パンと手を叩き、皆を集合する合図で手招きするに女衆。
突然の花見と言っても、皇弟君が宮廷内で催す宴。いくら非公式な「散歩」と言ってもその御身分に見合う準備が必要な為、急遽、皇弟君の侍従衆と、太政大臣家の従者、侍女、その護衛に中将閣下の腹心数名が緊急召集された。
総勢30名にのぼる、ちょっとした一個団体だった。
女達は手分けして「花見弁当」を作り、茶や茶菓子の用意もする。
男達は出来上がった物を荷車にどんどん積み込んでいく。
全ての荷が積み込まれたあと、豪華な御台を誂えた牛車が庭前に停まっていた。
通常外出時に使う外が見えなく覆っている馬車ではなく、御台に帳をかけているだけの輿であり、引くのは馬ではなく、神の遣いの牛だった。
「うわ~~平安絵巻! 源氏物語だわ~」
って言っても見たことないけど……。昔子どもの頃に三月になれば飾っていた、雛飾りを少し思いだした。黒塗の牛車の車輪を回すと流れるオルゴールの調べ。
目の前に広がる、雅な風景に私は息をのみ、思わず自分の口を手で押さえていた。
「凛花、こちらへ」
そう言って同じ紫色の衣を纏った長身の貴人が、にこやかに白く艶やかで長い指を揃えて手を差し伸べた。
その優しい声に吸い込まれるように私は自分の手を上に重ねた。
「出ったーつ」
低い大きな男性の声を合図に、牛車が動き始めた。
「キャッ」
想定外の揺れに私は思わず声をあげてしまう。
「すいません」
私は隣に座る貴人に小さく謝る。
だが、無言でその貴人は微笑んだ。
が、肩にいつの間にか回された手。嫌な気持ちはしないが、これいつ離してくれるんだろう? と、
少し思った。
時折、紫の君が扇子を開き口元にあて、小声で話しかけてくる。宮廷内の建物を説明してくれていた。
「昔ねぇ、和子の時、夕暮れになってもまだ外で遊びたくてねぇ、駄々をこねたらあの木の前に立たされてねぇ。乳母殿に怒られたんだよ。だから今でもあの木は苦手なんだ」
そう言って紫の君がはにかみながら笑った。
「まぁ? そんなやんちゃだったのですか? 光、あ、殿下って?」
執務室内、私達数名以外がいる時に御名を呼ぶことは決して許されない。「皇弟殿下」か「大公殿下」のどちらかになる。通り名として「紫の君」と勝手に皆が御呼びしているだけで、「光る君」や「光様」などの呼び方は本来、もっての外だった。
「光で良いよ」
「まだ、死にたくないので……」
「ハハハッ。それはないよ。本人がそう呼べと言っているのだから、何なら書に書いておこうか?」
そう言って、真面目に私の顔を見ながら言う。
何言ってるんだ。この人。そんなことでわざわざ書き留めたとて、禁忌を侵すほど愚かな者は居ない。
わざわざ、自分から火に入る必要などない。
「いえ。結構です。殿下」
そう答えると、少し淋しそうな顔をされたように感じた。
何となくだが、胸の奥に痛みを感じ、少し申し訳ない気持ちになってしまった。
その後、肩に触れていた手がより一層強くなったような気がしたのは気のせいだろうか……
「凛花、見てごらん、桜が咲いているよ」
先の一件から暫くの沈黙が続いていたが、その間それでも右肩の手が離れることはなかった。
そう言うと、紫の君が、輿の帳を開け、外の護衛に手招きした。
その後、御者の声で、一行は停止した。
どうやらこの辺りで「花見」を行うらしい。
侍従達が手早く準備をし、陣幕も張られた。
従者の一人が大きめの傘をさし出し、殿下が輿の前に出された踏み台を降りる。
私が、降りようとしたら、殿下が手をそっと差し出した。私は行きと同じように、そっとその手に自分の手を重ねて踏み台を一歩下りようとした時、強い風が吹き、ぐらついた。
「キャッ」
「危ない!」
従者の声と共に、私はふわりと浮いていた。
伽羅の薫りに包まれて。
「殿下……。もう大丈夫です。下ろしてください」
「静かに。風の音が聞こえるだろ? 春の唄だ」
私の願いなど、聞いてないような涼やかな顔で、ゆっくりと微笑むその尊顔は、春の優しい陽差しを受け、薄紫色の衣が桜の花びらに染まり、淡い光立つ薄紅色に煌めいていた。紫の瞳はキラキラ輝き、正に絵巻からそのまま抜け出した「源氏の君」そのままのお姿だった。
そのあまりにもの美しい姿にか、むせ返るような甘い伽羅の薫にか、私はのぼせそうになり軽く眩暈がし、無意識にその腕を強く掴んでいた。




