9.呼び出し
──トントントン
また入口の戸を軽く叩くものがいた。今度は軽くゆっくり丁寧な感じだ。
「支宣様に急の用向きで御座います」
戸の外から男性の声がした。
光様はそっと奥の執務室に一旦入られ、それを確認した支宣様がゆっくり扉を開けた。
「何事だ? このような刻に?」
あれから色々あって時間を忘れていたが、とうに外は薄暗くなっていて、先程刻を告げる鐘がそう言えば鳴っていたような。
朝7時と正午と夕16時の三回、時間を知らせる宮廷内の鐘が鳴る。
宮仕えの仕事は基本的に定時は16時終了だ。
あくまでも定時であって、ここにいる方々は夜中もずっと仕事に追われる日々は少なくない。
やんごとなきあの御方ですら、例外ではなかった。
とは言え高位の者に付く側近の従者に定時などは関係なく、男女共に主に呼ばれたら基本24時間馳せ参じるのが当たり前だ。
支宣様をたずねてきた、この男性は支宣様より少しばかり歳が若くみえる。
トイプーとは違った、どちらかと言えば支宣様よりの柴かスピッツ系? 単なる色白なので、和風な雰囲気の男性だった。少し小柄な感じが親しみがわいた。
彼は私の存在に気づき、丁寧にお辞儀をしてから支宣様に用向きを話す。
「先程情報部より、此方が届きました」
黒漆器の上等な盆には一通の手紙のような物がのせられていた。
支宣様は一礼し、両手で手に取り、裏を見る。そこには朱の封蝋。小菊と鈴蘭の蝋。
皇家の?
この国には、国に貢献した家には家紋として花紋を帝より賜る。
太政大臣家が藤であるように、高位の方を市井で口にする時に、名前や役職で呼ぶのは不敬にあたるからと、民は藤の家の〜〜ご当主、藤の家の惣領息子様などと。
そして、その中でも至高の花は菊の大輪。今上様である。
今上様の正妻の皇后陛下は少し小さめの菊の花に自分の花紋を添える。
菊の花の大きさには大小は違うが血縁の濃い者までが使用が許される。
小菊と鈴蘭の花紋。
今上様のご生母、皇太后様の御印であった。
支宣様の顔付きが一瞬にして変わる。
届けに来た男性は、役目を果たすと私に軽く会釈をして丁寧な挨拶口上を述べ、部屋を後にした。
隣の部屋の扉がゆっくり開く。
「来たか……」
支宣は主に、手紙を渡す。
光様が、さっと目を通すと長机の上に置いた。
支宣様が殿下の方を見て確認し、手紙を手に取った。
「三日後! ……」
支宣様がいつになく小刻みに震えていた。顔は硬直し青白く変色している。
何ごとかしら?
「頼んだぞ。支宣、貞舜」
そう言って、光様は少し笑った。
「笑いごとでは御座いませぬ! 今からどうやって! とりあえず衣装を早急に、時間がないので今回はある物を」
「ならぬ。銀糸の凰の紋様に龍胆の花を刺し、地は薄紫を用意せよ。後は紫水晶と、銀糸を二日で作らせろ」
「御意…」
支宣様は挨拶も、そこそこに走って部屋を出て行った。
「凛花、数日時間を俺にくれないか?」
「え?」
「すまないが詳しくは移動途中だ。貞舜、李俊、急ぎ支度を。左大臣家へ参る」
「御意」
「え? 左大臣家? 中将様のご実家へ?」
「さ、凛花。参りますよ」
え? 何で?? は?
「車の御用意が整いました」
早!! 父様いつの間に?
「行くぞ凛花」
へ? え? えええええええ?
半ば押し込められた感じで馬車に突っ込まれた私は、左大臣様の邸宅に行くすがら馬車の中でとんでも無い話をされることとなったのだ。
◇
まるで人攫いにあったかの如く馬車に押し込められ、そして事の経緯を聞くと、これまた理解不能で。
お茶に誘われたが、その御相手が何ともな御方。それゆえ何が起こるか分からない為、それに備えて、秘密裏に対策の為に中将様のご実家をお借りすると言うことらしい。
対策とは所謂勉強だろう。私を「政務秘書官」に任命する際、最終的なお口添えをして頂いたのは、皇太后陛下だと聞いた。だから、その職に値する人間か、口添えしたに足る者かのテストだろう。
そこまで言われたら、やるしかないでしょう!!
「力を貸してやりたいのはやまやまだが……こればっかりはなぁ。できることなら代わってやりたいが、凛花お前をご指名だ」
「……何でこうなるんですか」
私はあまりにも強引で無茶苦茶な話に、光様は全く悪くないのだが他にあたる人も居なく、むくれた。
「だから、先程からずっと謝っておるではないか。別に俺は何もしなくても今のままでも全く構わぬのだぞ?」
「今のままで良い訳ないでしょうよ!」
「……。お前ならきっとそう言うと思ったからこそ、意に沿わぬがこうして一応は準備をと思い、左大臣家に向かっておるのではないか? そう怒るなって。そんな気張らなくても俺は全然良いんだって」
「貴方様が良くても、私が困ます! 絶対嫌で御座います!」
「分かったって……許せと申しておるではないか……」
そう言って、光様は私の肩にご自分の手をのせて来た。
今そのような戯れをしている時ですか! と言う顔で私はギィーっと唇を噤み、置かれた手を掴み、直れの目でじっと見た。
すごすごと手を離し、少しシュンとなった光様が可哀想に若干思えたが今はそんなことに構っている場合ではない。
あと三日、いや二日半で皇太后陛下の御前に出仕しなくてはいけないのだ。
表向きは「お茶をご一緒にどうですか?」と軽い感じの言葉で数行。
簡単な時候の挨拶の後「三日後の二時。奥の離宮へ参られよ」
と、否は聞かないと言う命令とも言える招集令状だった。
来いと言われて素直にはいはい。と参上して良い御方ではない。
今上帝のご生母様、皇太后陛下である。光様にとっても母上様である。
とは言え、三日後は……
急過ぎでしょう!
そんな中、無事? 太政大臣家に到着した私達は、そそくさと離れに通される。
今回の「呼び出し」は非公式なこともあり、あまり周りに騒がれたくないとの光様のご意向で、こうして皇弟殿下のお越しにもかかわらず、最低限の出迎えしか敢えてしていなかった。
◇
「なぁ、凛花って教える必要があるのか?」
聡明な娘とは思っていたが、これ程とはな……
中将様のご実家の侍女の一人がそっと言う。
「貞舜様、計算、地学、文学、自然学に至るまで我々が凛花様に手ほどきする必要は無いかと思います。寧ろ我々が教えを請うぐらいでありますので」
凛花の為に用意した各教科の指南役は、今は凛花の前に皆集まり何やらメモを取りながら色々と凛花に教えてもらっていた。
「では凛花様、この石を計る場合ですが、体積と申されるものは水の中にいれたら?」
「そうです。水没法と言い、水の中に入れて水面が上昇した分を計測すれば大体の体積がわかります」
「なるほど。では次は私の質問を宜しいですか?」
『待ちなさい!』
「凛花さん、此方へ」
そそくさと、侍女衆が講師達を連れて行った。
「時間がありません。次を」
◇
「此方の指導も必要ないようで御座いますね」
姫のたしなみである琴に舞。
琴は生まれて初めて触ったので最初はつま弾き方に慣れず多少は戸惑ったが、そこは2歳から15年続けたピアノ歴、楽譜は読めなくとも一度聞けば問題ない。
コツを掴めば一曲や二曲はどうってことない。最後はアレンジも加えてみた。
舞もバレエ歴14年。最近はしていなかったので多少身体が硬くなっていたが、回転数の少ないピルエットや、アラベスク程度なら難なくまだ出来る。さすがに黒鳥の32回転グラン・フェッテは今はもうできないと思うが。
書道は一応六段。珠算2級、暗算1級。英検1級、他に華道、茶道、絵画に着付け教室、フラワーアレンジメントに、馬術に至るまで大抵の「習い事」は幼少期より行っていた。小、中は学校では「手芸クラブ」だった。レース編みや、クロスステッチをはじめとする刺繍他、簡単な物なら問題ない。
「あやつに出来ないことなぞあるのか? まさか馬まで乗れるとはなぁ……とんだ跳ねっ返りだな」
「なんだか嬉しそうですね? 強いてあげるなら初心なところでしょうか?」
「……それが一番だ難儀だ」
そう言って紫の君は大きくため息をはいた。
でもその顔は清々しく、瞳には未来を見据えた強い意志が現れていた。
「俺も負けてはおれぬな……そろそろ逃げてばかりでは」




