17.親友
──「紀恵、凛花は?」
支宣は驚いた。
兄上がいるのにも関わらず、御自身で母屋の玄関戸を開けられた。
それに普段常に堂々としている主のこの心配そうな御顔。
本当に凛花様がお悪いのか?
支宣は不安で堪らなかった。
普段から冗談では言っていたが、もし? 本当に皇后の身に何かあれば、それは……
笑い事では済まなくなる……
だが?
それにしては兄上は特に普段と変わりない?
「あら今上様? 随分お早い御帰宅で? ご心配には及びませんよ。ただ明日を控えておりますから、大事を取って本日はもうお休みになられました。はいはい。殿方は邪魔で御座います。後は私共にお任せ下さい」
白い前掛けをした背の高い女が、俺達を外に追い出そうとした。
「邪魔って……」
惟光がポツリと言う。
「では、頼んだぞ」
主はその長身の女に短く言い、書斎に向って無言のまま歩きだした。
兄が後を付いて行ったので、自分も急ぎ付いて行く。
「ん? まだ何か用か? 帰って良いぞ? 明日はお前達も早いことだし」
「今上、一杯だけやりませんか?」
珍しく兄上が主に酒をすすめる。
明日は大事な日であり、夜明け前から儀式がはじまると言うのに……
「……」
主は何も言わない。
それを見た兄上がそそくさと、酒の用意をしはじめた。
今上の側護衛の勝手知ったる……である。
「お前、人の家を……」
主が兄上を少し睨んでいたが、あまり怒っている様子でもない。
何だろう? この兄上の嬉しそうな感じは? 結婚の儀の祝いの席であれだけ泣いていたのに??
そう、この兄ときたら司会を任されていたと言うのに、泣いてばかりて。代りにと途中務めた父上も結局泣いてばかりいたのだ。
結局はその尻ぬぐいが私にまわってきたと言うのに……
この浮かれようは?
「さぁさ、乾杯だ。今上様おめでとうございます!」
「……」
「?」
「宣、何黙っている! ちゃんと祝辞を述べろ!」
そう言って兄は弟の頭を叩いた。
「ちょ、何ですか? 兄上いきなり!」
「今日は目出度い日なのだ! 良いから祝うぞ!」
「飲んだぞ? 帰れ」
主が短く言う。
「いやいやいや。それは流石にねえ? やっぱりちゃんとお祝いしましょうよ? ね?」
「祝いはもう終わったではないか」
主が面倒くさそうな顔をした。
「水臭いではありませぬか? 嬉しい時は嬉しいってちゃんと言って下さい! 光潤様!」
珍しく兄上が主に声を荒げる。
「お前酔ったのか?」
主は少し呆れ顔を浮かべた。
「今上!」
「まぁ待て惟光よ。嬉しい気持ちは勿論あるが、俺も今朝、聞かされたばかりだぞ? まだ実感がわかぬわ」
「え? 朝?? え???」
兄上が今日一番の驚きの顔を見せた。
「俺も流石に驚いたわ。神殿を出た時にいきなりだぞ? 有り得ぬだろ?」
主は少し苦笑いしていたが、兄上は先程以上に驚いた顔をする。
「えええ? 儀式終わって直ぐに?」
「あーーそれでずっと今日不機嫌そうな顔しておられたのですか?」
「え? 不機嫌?? 何の話しですか?
「え?」
兄上が俺の顔をまじまじと見る。
一瞬の沈黙があったが?
「え? と言われましても……」
何のことかさっぱり分からず、俺は主の顔を見上げた。
「子が出来た」
此方を見ることなく小声でポツリと短く言う。
あまりにも感情のない言葉だった為、俺は驚きのあまり再度確認する。
「え? 本当に御座いますか?」
主は無言のままだったが、兄を見たら無言で頷き、嬉しそうに笑った。
「兄上! 何しているのですか! 酒を! 早く!」
「はあ?? お前まだ十六だろう! 一杯だけって言うたではないか?」
「は? 何を言っているのですか? 御祝しないと駄目でしょうに! 何馬鹿なことを!!」
支宣は珍しく本気で今上に怒りをぶつけた。
「馬鹿って……」
主が呆気に取られていたが、それでも弟は主を睨んだままだった。
「いや……まだ初期ゆえ、あまり周りが騒ぐと、もしもの時にあいつが苦しむだろ? な?」
主が諭すように弟に優しく言う。
「それとこれとは別ではないですか! 周りや皇后の前で騒いだりはしませんよ。でも我々の前ぐらい、ちゃんと喜んで下さいよ!」
「そうですよ? 光潤様。我々の前でまで天子様の役になるのはお止め下さい。親友として父となる貴方を祝いたいのです」
「面倒な奴らよのぅ……」
そう言って主が天井を仰いだ。
◇
「お前ら流石にもう帰れって、俺、夜中に起きるのだぞ? 帰れ!!」
「でんかぁおめれとうごじゃいまあすぅ」
「しゅんこくばんざーぁい! おめでろうございまあす」
「帰れ酔っ払い!」
酔いつぶれた二人に、竹馬の友の嫽が二人の結婚祝いに持ってきたまだ、誰も使ってない新品の最高級羊毛布団と毛布を掛けてやった。
そして黒髪の男の頭を軽く撫でながら……
「まさかあんなに餓鬼だったお前と、こうして酒を酌み交わすようになるとはな。大きくなったな。友よ。ありがとう」
気持ち良さそうに兄と頭をくっつけて寝ている男に呟いて、部屋を後にした。
ほんの少し前、紫色した空に宵の明星が輝いたはずが、気づけば既に暮れて、漆黒の空にはまるで宝石箱をひっくり返したかの如く星が煌めき、靄一つ掛かっていない月明かりが優しく廊下を照らしていた。
「明日は晴れそうだな……」




