12.初耳
──昨夜の雪がまだ庭に残っていた。
肌寒い朝の中、彼方で殿下の怒り声が聞こえた。
「お前ら! 帰れ!!」
結局昨夜はお泊りになったようですね。
「本当に仲が宜しいことで」
少し三人が羨ましく思えた。
そして本当の意味で彼を支えてくれている親友達に私は心から感謝している。
帝である重圧からほんの一瞬でも忘れることが出来る時間をこれからも大事にして行って欲しいと願った。
──「有難う御座いました。お二人ともお気をつけてお帰り下さいね?」
私は二人を玄関まで見送りに行く。
「気をつけると言っても直ぐそこですけどね……」
支宣様が苦笑いした。
「兄上殿。正月ぐらいは弟を実家に引っ張って行ってくださいね?」
私は惟光様に言う。
「しかとこの惟光承りました」
「兄上!」
「たまには帰ってやれよ。為時が次男であろう? お前は?」
「……」
「では、お邪魔しました」
そう言って兄が弟の首ねっこを引っ張って去って行った。
◇
「帰ったか? 阿呆兄弟は?」
殿下が呆れ顔で出てきた。
「あらあら、冷えますよ? 此方に」
湯浴みに行かれたのであろう。が、髪からまだ雫が垂れていた。
基本自分で乾かすようなことはしない。
産まれながらの皇子である、
「なぁ、髪切ってもいいか?」
「え? 切りたいのですか?」
「面倒だから」
御自身で乾かさないし、洗髪しないのに? と私は思ったが敢えて言わなかった。
「ん? 今日は紀恵さんが?」
「ああ」
基本今は殿下の湯浴みや、着替えの世話は私がするか、紀恵さんか侍女頭ぐらいである。
まぁやんごとなき御方の為仕方がない。
「あら? でも伸ばしはじめたのではなかったのですか? 悪魔、あ、あれ以来」
本人からではなく、為時様から聞いたことがあった。殿下は昔は今のような長髪ではなかったことを。
「ん? 別に伸ばしていた訳でもないぞ? 単純に切る機会が特になかっただけで気づいたら伸びていただけだぞ?」
「え?」
えええええええええ?
いいのか? そんな理由で!!
紫の君の象徴とも言える、その綺麗な御髪を!
切る機会が特になかったから放置していただけって……
「殿下……それは言わないでおきましょう……民の夢が壊れますから」
うん。言っては駄目です。
妄想とは大事なことでして。生きていく上では大事なのです。
「まぁお前が切るなと言うのであれば?」
私は殿下の綺麗な髪を梳かすのが好きだ。黄楊櫛を入れれば入れるほど艶が出て香油を塗る必要がないほど麗しい。
「あ、香油いらんぞ?」
「はい」
私も髪がベタ付くのはあまり好きでなないが、殿下もあまり好まない。
「凛花。おいで」
呼ばれるまま私は彼に包まれた。
こうして私達は、久しぶりに夫婦の時間を緩やかに過ごしていた。
あと一週間程したら、一世一代の大仕事が待っていることを忘れるかのように。
◇
「殿下、くすぐったい」
「なぁ、寝所でまで殿下って言うのやめろよ?」
「だってぇ……」
「前にも言ったろ? 誰にも名前を呼ばれることがないって」
「……じゃぁ? 光潤様?」
「様要らん」
「あ! 今更だけどさぁ、皇族って全員「しゅん、じゅん」付きますよねえ?」
殿下が私の言葉にちょっと驚いた顔をした。
「ん? あながち間違ってもないが、皇族全員ではないぞ? あくまでも親王にだけだぞ?」
「え? なら香瞬皇太后様は?」
彼女は女性であるのに「しゅん」の文字が授けられていた。
「あ、国母には与えられる」
「え? そうだったのですか!!」
「だから、お前が親王を産んだ場合、皇太子か東宮に立った時点で授けられる」
知らなかった……驚きの事実判明!!
「え? なら、私の両親は??」
私は以前から少し気になっていたことをこの際だから聞いてみた。
「ああ、あれな……」
ほんの少しだけ間があいた。
「貞舜は先帝の従兄妹だ。本来は降家する際に返上するのが常であるが、先先帝と大公がそのままにしただけだ」
「えええ? 母様って皇族? だったのですか?」
「先先帝の子の内親王だけでも山程おるゆえ」
珍しく殿下が不快そうな顔をあからさまに見せた。
「……父上は?」
「ああ、李俊か? 李俊は元々は春国の起源ではない。東国の王家の血筋だ。元々の名が李俊であっただけで、わざわざ変える必要も? と思っただけではないかなあ? その辺りは俺もあまり詳しいところまではな、餓鬼だったから聞かされてない。李俊は元は先帝の影だ」
「ええええ? そうだったのですねぇ」
ただの熊ではなかったのか! 今日一番の驚きの瞬間だった!!
「先史は、惟光のところで前に習ったろ? あ、でも皇家の裏までは流石に教えて貰ってないか……」
そう言って殿下が少し言葉を濁した。
流石、建国五百年超の中心、魑魅魍魎渦巻く密室後宮と皇家の裏話である。
愛と憎悪の巣窟。そんな場所を彼は妖怪共の吐き溜と忌み嫌った。
うん、心が不健康に壊れて行くのも分かる気がする。
もし、殿下が側室を! となると、私だって冷静でいられるはずはない。
初恋の人が殿下で本当に良かった。
ん? 私の初恋って殿下だけれど、殿下の初恋って? 安岐様よねえ?
ってことは……
「お前、今何考えてた?」
鋭い!
「……ねぇ怒らないから正直に答えてね?」
「ん? 何だ? 隠していることはないぞ?」
「前にさぁ、安岐様のことは初恋であったのか? 今となったら分からないって言ってましたよねえ?」
私は殿下の顔を見ながら質問した。
「うーん。そこはなぁ嘘をつくつもりは全くないが、今のお前に持っている感情とは明らかに違うことは確かだ。と言うしかなぁ。そもそも恋愛とか好きとかそういうの以前に近くにいた同じぐらいの女が安岐しかいなかったのもあるしなあ? それは前にも話したろ?」
「はい……」
皇族が簡単に恋愛できる環境ではないことは承知している。ほぼ見合い結婚である。家柄だけで勝手に決められる時代。
「ん? それじゃぁ気に入らぬのか? 初恋と言うのが安岐であるか? と聞かれたら微妙と答えるしかないぞ?」
殿下が私の顔をのぞき込む。
「……いや、そうではなくてですねぇ……」
「何だよ? 言えよ?」
「……初めての御相手だったのかな? と、ちょっと思って……」
「フッ。ハハハッ。何だそっちか?」
笑い事ではないです……居なかった時期に嫉妬しても仕方ないことはよく分かっておりますが……
「ないよ。元服して直ぐだぞ? 一応これでも皇弟だぞ? 流石にそれはないわ」
そうなんだ……え? ちょっと待って?? でも初めてじゃなかった感じでは?
って殿下? 何で背を向けた? ちょっと!!
「殿下? でんかーーーーーー!」
私は殿下の耳元で叫んだ。
「お、おい! 人が来る、やめぬか」
殿下が慌てて私の口を手で押さえた。
「正直に言いなさい? いつでしたの?」
「待て待て待て。まぁ落ち着け? な?」
殿下が少し慌てた表情で言う。
「怒らないから正直にどうぞ?」
「今上以外の皇族の存在意味わかるよなあ?」
「……一応は」
「皇族の親王がある程度の年になると、子を作れるかどうか調べる慣わしは?」
殿下が真面目な顔をして聞いてきた。
「何となくは……詳しくはちょっと……」
昔あっちの世界でも聞いたことはあった。巫女とかそういう世界? 詳しいことは分からないが。本当かどうかすら。
「もしかして、巫女とかの??」
「まぁ似たようなものかな」
「年頃になるとな……色々とあるのだ厄介ごとが」
それ以上は聞くなと言わんばかり、殿下は再び背を向けた。
「なるほどね、それでお姉様方にお世話になっておられたのですね?」
「……言うなもう」
背を向けたまま殿下が小さな声で答えた。
「ごめんなさい……」
「阿呆。そんな餓鬼の頃の話し聞いても意味なかろう?」
「だってぇ……」
「お前以外愛さないし、愛を注ぐことはないから安心しろ」
「……はい」
そう言って殿下が優しく口づけをした。
「でも、ちょっと妬いたお前も可愛いな?」
「殿下!! 浮気は駄目ですからね?」
「しないって。ないって。それより殿下やめろよ」
こうしてまだ夕刻から、寝所の布団の中で久しぶりにゆっくりと夫婦の時間を沢山楽しむことが出来たのだった。




