10.特別手当
木枯らし吹く季節。足早に秋が過ぎ去り、只今冬将軍真っ盛り。
「寒っ!」
思わず寝所で声が出た。
「んーー」
殿下はモゾモゾとくっついてくる。
無事にクリスマスを祝うことが出来、子供達にも飴は大好評だった。
そして、私は殿下に手編みの短めの襟巻きをプレゼントした。
部屋は暖炉が用意されていて、かなり温かくはなっているのだが、やはりこの季節、布団から出るのが億劫になるのは、どの世界でも同じなようで、流石の殿下も先程から子猫のように丸くなりくっついて来ていた。
「殿下? そろそろ朝の支度に、離れて下さいな?」
起きようと思ってもしっかりホールドされていて、動けないのだった。
「やだ」
駄々っ子のようにごねる。
「やだじゃありません。遅れますよ?」
「行かない!」
「こら!」
普段なら次期皇帝陛下、別に重役出勤でも誰にも咎められることはない。
実際、先帝も、現在隠居中の今上も内裏(政を実際行っている場所)に顔を出すことは滅多になかったと聞く。後宮での遊興に日々耽っていたのだ。
この御方が珍しいぐらい、殆ど毎日と言うぐらい内裏の執務室に出向いている。
時間はまちまちではあるが、比較的ちゃんと朝から出勤していた。
超がつくほど、仕事熱心で真面目な御方である。
そんな彼だから、一日ぐらいは休んでも? と言ってあげたいのだが、今日は流石に無理な日である。
本日、御用納めの日であり、臣下に向け殿下が挨拶を行う日であった。
「ほらぁ。遅刻しますよ?」
「宣にやらせとけばよかろう?」
実際今上の時代は為時様が代理でされていた。先帝時も然り。
「はい。起きて!」
私の声に、殿下が渋々寝台から起き上がり座った。
ちょ、上着ぐらい羽織ってくださいよ……
目の前に綺麗に割れた腹筋が鎮座した。
朝から色気のダダ漏れは止めて貰って良いですか?
目の毒で御座います。
朝の殿下はいつもこんな感じだ。
少しぼんやり眼で眠そうにしている。
気怠そうに首をかしげながら、目を閉じたまま髪を掻き上げた後、正面を向いた瞬間に綺麗な瞳が現れる。その目が私は大好きだ。特等席で毎日見えるこの幸せな時間。
「着替えますよ! 早く!」
今日の殿下は式典に顔を出すのみなので、朝餉は召し上がらない。
「凛花~~髪結って~」
本日は正装の為、烏帽子の中に全て髪を纏めて入れる為、その長い髪を私に結ってくれと所望された。今までは殿下の侍女が行っていたが、最近この御方、私に言ってくるのだ。
「簪、鳳凰ので宜しいか?」
「ああ」
着替えを終えた殿下に、扇子を渡す。
「有難う。行ってくる。執務室で待っているだろ?」
「そうですねぇ一応私も皆に挨拶したいですしねえ?」
「なら、これ着て来いよ?」
殿下が揃いの礼服、凰が背に描かれた殿下自ら意匠した衣を指さした。
「でも、殿下は今日は違うのでは?」
殿下の今日の装束は上下黒の礼服であった。式典用の無地の黒で、襟紋にだけ鳳凰を抜いたものだ。殿下の装束にだけ内衿に赤が重ねられている。
天子様と呼ばれる唯一の御方には禁色と呼ばれる色が存在する。日本でも古来からあることは知っていたが同じような慣習がこの国にもある。
春の日差しを思い浮かべる黄褐色。今上がお召になる束帯だ。
だが、敢えて彼は御自身の即位の礼の生地にその色を選ばなかったのだ。
全てを変革する新時代の祖となるために。
「良いのだ。それで」
そう言って殿下が微笑む。
何処までも独占欲の強い御方であった。
そもそも私の服の全てがこの御方のデザインなので、どれ着ても同じだと思うのは私だけかしら?
出仕する夫を見送りながら少し疑問に思ったが、私も呑気にしている訳にも行かず寝所を後にした。
「結~~用意お願い」
「承知しました」
既に化粧道具や襦袢などの用意がされており、紀恵さんが殿下が命令した衣を運んで来た。
着替えの介助の時以外、紀恵さん以外の者が鳳凰に触れることは許されていなかった。
揃いの鳳凰の簪を挿す。
少し懐かしい気持ちになった。
あれからまだ一年も経っていないことに少し驚いたが、これを見るたびに懐かしく感じる。
今だに殿下からは「求婚だったのに」と恨めしそうにたまに言われる曰く付きの簪でもあった。
さて、臣下でない私達は式典には入れないため秘書室で殿方の帰りを待つ。
殿下の執務室で待っても良かったが、それだと誰も入れないから私一人で待つのは寂しかったので、皆と待っていた。
「御方様、饅頭召し上がります?」
「御方様、甘茶飲まれます?」
「うんうん。頂くわ!」
そう言えば、朝ごはん食べてなかったわ!
秘書の女の子達と皆の帰りを待つ。
男性文官、女官は臣下であるから式典参加中であるが、ここに残っている「秘書」は殿下の私設秘書で臣下ではない。元々殿下の宮にいた侍女が殆どで、殿下の身の回りのことを私が多くするようになったので変わりに執務の補助をしている者達だ。
元々は侍女と言うこともあり、比較的のんびりしている感じの子が多い。
そもそも有能な侍女は全員女官としてバリバリ働いていたからだ。
でも私はこのまったり感が結構好きだったりする。
「煎餅召し上がります?」
「うんうん」
て、君らお菓子持って来すぎでは? と若干思ったが。
皇太子殿下の侍女をしていたぐらいの子らだ。当然高官の娘や有力豪商の娘など、金に裕福な家の娘ばかりであった。中には文和堂の三女も混ざっていた。
「何やっているのだ? お主ら?」
あ! 帰ってきた!
「あ、殿下! お帰りなさいませ。大福お召し上りになりますか? 甘茶も御座いますが?」
秘書の一人が殿下に言う。
元々は殿下の側近の侍女である。着替えから湯浴みまでの仲である。こんな感じになるのは致し方ない。
「凛花に持たせてくれ」
そう言って殿下が執務室に消えていった。
こういうところは殿下はきっちりしていた。元侍女と言っても絶対に慣れることはしない。
そして侍女達もそれ以上殿下に距離を詰めることは絶対になかった。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
「大福お食べになりますか?」
「あーでももう少しで昼餉か? 紀恵が作っているか」
「今日はこのままお帰りに?」
「そうだなぁ。たまには二人でゆっくり酒でも飲むか?」
「承知しました」
──トントントン
「入ります」
そう言っていつもの面子が挨拶にやって来た。
殿下が執務室の金庫を指差す。
私が金庫の鍵を殿下から受け取り、中の小箱を殿下に渡した。
仕事納の日。所謂ボーナスの支給日だ。
式典の後、各省庁で上司より手当が支給される。大臣の三人は殿下の直属となり長官は殿下である。
そして為時様も相談役として殿下の直属の臣下であった。
「前へ」
左大臣、太政大臣、右大臣の順で並び、その横に為時様が並んだ。
殿下より一人ずつに紙に包んだ金子が渡される。
その額、約三百万……
まあ夏のボーナスがないからそんなものか? と。
「凛花、前へ」
「え? 私も?」
「皇太子妃殿下も給料出てるだろ? なら特別手当もでるわ。阿呆」
「え? そうなのですか??」
ちょっと嬉しいかも!
私にも同じ金額を殿下が渡してくれた。
「ねぇ? ならば殿下には特別手当は無いのですか?」
私は疑問に思い聞いた。
「え?」
「そ、それは……」
「これって公費からですよねえ?? 皇太子妃に出るなら、皇太子にも出るのが普通では?」
「え?」
え??って 私何かおかしいこと言いましたか?
「皇太子も皇后も帝も同じ人間なのに……何か可哀想です」
そう言って目の前の女は少し悲しいそうな顔を見せたが、直ぐに驚きの行動に出た。
「では、私のを半分こしましょうね?」
そう言って私は先程頂いた金子をちょうど半分にして、殿下に渡した。
「ハハハハッ。流石凛花! 最後まで笑わせてくれるのぅ」
殿下が大笑いしている。
ええええええええ?
そんなに笑うことでした?
こんなに笑う理由がわからなかったので、無意識に支宣様を見た。
「帝自らより戴いたものをですよ? あろうことか素手で受け取り、しかも目の前で半分にして、帝本人に裸で返すことは、到底我々愚民にはできませぬ」
あ、そう言えば皆、扇子出してたわ!!
私は殿下の机の上にある金子を再び手に取り慌てて自分の胸にあった懐紙で包んで、殿下の机の上に置いた。
「えへへ。ごめんなさいね? 殿下?」
「ハハハッ。それでこそ凛花だ。少し安心したわ。最近悩んでおったようだしな? 今のままで良いのだ。そのままのお前でずっと変わらずに居てくれるだけで、余は何も望まぬ」
そう言って殿下は私の額にそっと口づけた。
「で、殿下!」
皆が居る前で……
「春国の宝ですね。御方様は」
惟光様がポツリと言う。
「愛妻息災が国の泰平よ」
為時様がにっこり微笑んだ。
「まぁこれぐらいでないと、歩く兵器の嫁は努まりませんね」
おい! そこ!
相変わらずの減らず口くんにその後すかさず拳骨の特別手当がお見舞いされたことは言う間でもなかった。




