2.天高く馬肥えない秋の陣(2)
──「馬鹿なこと言わないで下さい!」
支宣は主に声を荒げた。
「他に最もな案をならば申してみよ」
殿下は、怒ることなく諭すように弟に言う。
「宣よ。もし? で政はしてはならぬのだ。絶対ない。でないとな。余の背には何百万、いや何千万以上の民がおる。其れらを危険に晒す可能性がほんの少しでもあるなら、どんなことをしても避けねばならん。分かるな?」
「しかし! もし! で殿下に何か……」
「宣!」
兄上が袖を引っ張り、無言で首を横に振る。
「何もせずに危険に震えて待つなら、今出来ることに掛けてみるほうがましであろう? 心配ない。余は人外なのであろう?」
「殿下!」
「阿保、泣くな。まだ、生きとるわ!! 勝手に人を殺すな、阿保!」
そう言って殿下が弟の頭を優しく撫でた。
「馬用意しろ、惟光、影のもだ」
殿下が天井を見た瞬間に数目の男達が音もなく舞い降りた。
人数を俺に伝える為だ。
「馬場にてお待ちします」
急ぎ俺は部屋を出た。
「宣、留守を頼んだぞ」
「御武運を。絶対無茶しないで下さいよ!!」
「俺を信じろ。凛花を頼む」
◇
俺達は北の民の領内にある大川の下流を目指した。
何かの時にはどんなことをしても殿下の御命だけは御守する為に影を同行させた。
「気温が下がってきたな。好都合だ。惟光よ、合図したら退去しろよ? その防寒具では凌げぬかもだ」
「……」
直ぐに逃げれる用に用意し、俺達は水面を見る。
「馬上からでも?」
俺は殿下にたずねた。
「そこは変わらん。ただ問題は馬だ。まあ、その時は頼むぞ?」
そう言って影を殿下が見た。
馬が怯えて動かなくなる可能性があるからだ。
「頼んだぞ? 駿光」
殿下が一番の愛馬に話しかける。
自身の名を唯一授けた名馬だ。
駿光の妹が駿蘭である。
「行くぞ」
殿下の声により周囲一帯の温度が一気に冷える。
凍りつくような空気に馬が鳴き声をあげたが、駿光だけはピクリとも動かず、主とまるで呼吸を合わせているが如く静かに刻を待つ。
水面が渦を巻きはじめた。
水面から冷気が上がり出し、水面の揺れが段々無くなり静まり返る。
殿下の周りに青白い気が纏う。
温度が更に下がった。
瞬間殿下が片手を横に上げた。
俺は合図と同時に反転し退却体制を取る。
──ピリ、ピリピリ、バリバリバリッ
更に温度が下がった瞬間、影が殿下を抱き上げ抱え、離れたところで待機していた馬に飛び乗り、殿下を毛布で包む。
影が水面を確認し、手を挙げた。
その合図で俺達は一気に退却した。
このまま夜を迎えたら危険な為、一気に加速する。
主が留守の駿光は何事もなかったかのように迷うことなく、付いてくる。
しかし、とんでもないことをする人だな……
毛布に包まれた隙間から見える瞼に被る長い睫毛が凍っていた。
宣が知ったら俺殺されるかも? と思いながら帰りを急いだ。
都内の市井の門を潜り、そのまま外宮の実家に向かう。
父上が既に待機していた。
影に背負われたまま殿下を中に連れて行く。
直ぐに医官殿が殿下の脈を取る。
「問題御座いません。このまま温めて暫くすれば、お目覚めになりましょう」
「良かった」
「無茶を為さる。また我々は貴方様に助けられましたな」
そう言って父上が涙した。
「宣に伝えて参ります。御方様にも無事を」
そう言って俺は鷹を呼ぶ。
それから暫く眠りについた殿下を、医官殿と交代で見守る。
廊下が明るくなり、足音が鳴り響く。
襖を、勢いよく開けて人が入ってきた。
「馬鹿でしょう!」
宣は泣きながら主が横になっている布団に被さる。
「何でこんな危険を犯してまで! 馬鹿でしょう!」
泣きながら布団を叩く弟を俺は制した。
その時だった。
「重い」
殿下の意識が戻った。
先程まで青白く、冷たさを感じた顔が、一気に温度が戻ったように、ほんのり頬が染まる。
「医官殿!」
俺は医官殿を呼ぶと同時に宣を殿下から引き離した。
医官殿が急ぎ参上し、脈を取ったり、四肢に異常がないか問診をする。
目や指先に至るまで可動を確認して行く。
皆が固唾を呑んで結果を待つ。
「大丈夫です。問題ありません。但し一週間は安静にし、滋養に良い物を召し上がり、身体全体を休めて下いませ」
皆は泣きながら医官殿に何度も頷く。
「何か小さなことでも変わりあれば連絡を」
そう言って医官殿は次の間に去った。今晩は念の為、当家にお泊り頂くことになっている。
「泣くな阿保」
そう言って、殿下が俺達の頭をを寝たまま寄せた。
「凛花に言うなよ」
殿下はそう言ってまた、眠りについた。
殿下の側を離れようとしない弟に付き合って、隣に布団を敷き三人で並んで横になった。
彫刻のような美しい顔で眠る殿下が、本当に息をしているか? 不安で俺達は何度も夜中に確認をした。
◇
「心配かけたな」
彼は仲良く眠る兄弟にか? 誰か分からないくらい小さな声で呟やいた。
──ピィー
小さく口笛を吹いた瞬間、何処からともなく影が舞い降りる。
「宮へ」
そのまま影が主を背負い、東の空がほんのり白くなる中、消えた。
──カタン
寝台に主を降ろしそのまま消えた。
男は上質な布団と伽羅の薫に包まれ、再度深い眠りについた。
◇
殿下の影から明け方手紙を受け取った私は、殿下の寝所で静かに彼が目覚めるのを待っていた。
「りんか?」
少し寝ぼけた顔で殿下が私の名を呼ぶ。
「お加減は?」
私は殿下の頬に手を添えたずねた。
殿下が答えなかった。
それが答えだった。
「もう少しお眠り下さい」
そう言うと殿下が無言で寝台をトントンと二回軽く叩く。
私は殿下の意を受け、側に横になる。
殿下はそのまま、私に寄り添い眠りについた。
「もう無茶はお止めくださいね?」
私は子供のように丸くなって寝ている彼の頭を撫でながら呟く。
綺麗な長い睫毛が少し揺れていた。
「殿下?」
「もう少し此処が良い」
愛おしい童のように少し甘えて言う彼の頭をずっと私は撫でていた。
「湯浴みのご用意をしましょうか?」
「んーー此処が良い」
「大きな赤子で御座いますねぇ。後で、ではご一緒に入りましょうね?」
「ああ」
「お疲れ様で御座いました」
「凛花ぁ。腹減った」
「直ぐに用意しますね。今日は粥ですよ?」
そう言って立ち上がろうとする私の手を殿下が掴み、離そうとしないので紀恵さんを呼んでお願いした。
◇
「凛花ぁ。卵がいっぱいのところが良い」
「はいはい。光くん。お口開けて下さいな」
「茶」
「茶は無理ですって。咽せてしまいますよ?」
「茶」
「もぅ……」
そっと自分に含み、彼に飲ませた。
「茶」
「殿下!」
「茶」
「御自分で!!」
「茶!」
この後、駄々っ子のように茶をせがまれたのは言う間でもなかった。
皆の命を救ったのですものね。今日だけは童に戻っても仕方ないですね。
「茶!!」
「粥全部食べてからです!!」
「茶が良い!」
「粥も御自分で食べますか?」
「……凛花がやる」
「なら、黙って食べる!!」
「……」
医官殿からは一週間絶対安静と言われたが、それに黙って従うような御方ではなく、三日程嫁に甘える生活を送ったあと、職場に復帰した。
が、皆に帰ってくれ。寝ておいてくれと泣きつかれ、結局は宮でゆっくり過ごすことになった
秋の訪れが日に日に早足で近づいてきていて、外の木々も赤や黄に色付きはじめていた。
本格的な、天高く馬肥ゆる秋。の到来だった。




