10.氷の微笑
──「あ、そんなことをしに来たのではなかった」
いつもの「シ」の音には違いないが、耳障りが良く柔らかな声とは異なり、少し強めのメゾフォルテに近い声がした。
私は驚いて声の主の方をすかさず見た。
それは、私だけでなく、もうひとりの御仁も同じだった。
「凛花さん、やってくれましたねぇ」
その声は「シ」ではなく、明らかに「変シ」の音。所謂フラットである。
早くない? 私が陳情書を出したのって昨日の退勤後、寮に帰る前だよ?
──宮勤めになってから、養夫婦宅を出て、宮殿敷地内(内宮勤務者用寮)に引越しした。
とは言え、実家である料理屋は修練場の門を出て直ぐの所にある。
「な、何のことでしょうか?」
声が幾分普段より上ずっているのが自分でもわかった。
「どういうことか説明してもらいましょうか? 凛花ちゃん?」
そう言いながら、後光様は手に一枚の紙をピラピラさしながら微笑む。
──ただしその目は笑ってはいない。
今日は暖かな小春日和だったが、部屋の温度が一気に下がり、南極大陸に居るような気持ちだった。まぁ南極に行ったことがないから分からないのだが……きっとそれぐらいの体感と言えばわかってもらえるだろう。
一瞬の寒気に、中将様も腕をさすっていたが、きっとこれが初めてはないのだろう。
特に何も言わず、出口のドアにそそくさと向かおうとしていた。
「右大臣中尉」
低く、腹の底から出たような声が短くした。
トイプードルの耳がシュンとたれて、お座りをした風貌の中将様が、ドアノブから手を離し、すごすごと戻ってきた。
ヤバイ。これはやらかした?
いくら多少仲良く? いや打ち解けたような? 気がしたと言っても、片や皇位継承権第二位の皇弟君、そこに小さく丸まって座っている方も、姉を皇后に持つ国内最高位臣下だ。
そんなやんごとなき方相手に直接手紙、いや直訴状? 私としては嘆願書のつもりではあったが、そもそも平民がやんごとなき御方に「願い事」をするのが許されるはずがない。
分かってはいたが……
だって、ここのお菓子どれも不味いし、可愛くないんだもーーーーーーん!!
しかも、ここの食事って不味い。
作業自体は丁寧にすべてされているのが素人の私が見ても直ぐにわかるほど、雅で美しい。
が! 如何せん味が……
クソ不味い。薄いのだ。
どの料理も少しの塩味と出汁の味のみで、病人食か? と言うぐらい薄味だ。健康の為には良いのかも? だが、これでは働き盛りの若人や、武官などの体力勝負の仕事の者は物足りないのでは? と思った。
で、「提案書」を提出してみたのだが、提出先が分からなくて帰りに「大臣行き」の箱に入れたのがミスったか? 中将様宛の箱だったはずだけどなあ? ちゃんと「大臣行き」って書いてあったはずだが??
後光様に手招きされて、私と中将様は長テーブルのソファに座った。
後光様は、テーブルの上に私が「大臣行き」の箱に入れたはずの紙を広げて置いた。
当然内容は読まなくてもわかる。だって自分で書いた物だから。
「あちゃぁー」
トイプードルが小さな声で両手を頭にあてて嘆きながらボソっと言った。
あ、やっぱり平民が直訴は御法度ですか? 打ち首拷問は嫌です……まだ生きたいです。
とりあえず謝ろう! 素直に謝れば、仲間、いや少し知り合いのよしみで減刑してくれるかも?
「申し訳御座いませんでした!」
私はソファからすっくと立ち上がり深々と頭を下げた。45度のお辞儀より深いのでは? ぐらいの勢いで。膝裏がプルプルする……つりそう。でも今はそんなことを言っている場合ではない。生きるか、死ぬかの瀬戸際だ。
「ハハハッ、凛花さん。座りなさい」
後光様が「シ」の音で少し笑いながら言った。
いつもの声だ!
「先ず一つの間違いね。凛花がこれを入れた箱には何て書いてあったかい?」
はて?
「大臣行き」だったような? 私はゆっくり答えた。
「「大臣行き」と書いてあったと思うのですが?」
「箱が何個あったか覚えているかい?」
??
確か正面に1つと、後ろに1つ? で合計2つだったような。
そのままを答えた。
「なるほどね。それは仕方ないね。多分昨日午後に箱を開けた者が置き場を間違えたんだろうね」
?
何のことを言っているのか分からない私に、中将様が謎解きをしてくれた。
「いいかい? 凛花さん。「提案書、報告書」を入れる箱がある所は、昨日君が行った場所であっている。情報部の部屋前だ。ただそこには箱は本来1つしか置いていないんだ」
え? 1つ? 2つあったけど???
私の? な顔に頷きながら中将様が続けた。
「箱の面には「大臣行き」と書かれている。大臣は二人しか居ないからねぇ、直接こちらの執務室に届けられない慣例になっている理由は伝えたよね?」
それは、登庁最初の日に教わった。国のツートップ、いわば政を行っている者へ、直接会って書状を渡す時に便宜をはかってもらいたく金品を同時に持ち込む者が居たり、中には女性を等と、あの手この手を使い所謂「賄賂」を渡そうとする者を防ぐ為だ。
あと、内密に私欲の願い事や、秘密の願い事が出来ないように、すべては一旦平等に「箱」に入れて「情報部」の検閲を受けてから両大臣の元へやっと渡ってくるのであった。
その話だと、箱に入れてから、中将様の元に届くまでには、四〜五日以上はじゅうぶんかかる? と思っていたのだが。しかも中将様の元ではなく、なぜか、光様のところに?
中将様を通り越して? 中将様も私が「提案書」を入れたことを知らない様子だったし……
「情報部の人間が、置き忘れたみたいだねぇ。ちょっと困った方々ですね」
「は、誠に申し訳御座いませんでした。私よりきつく言っておきますゆえ、何卒……」
中将様は、すっとソファより一旦立ち上がり、片膝を床につけ、臣下の礼の中でも最敬礼の姿をとった。
「惟光、立ちなさい」
「はっ」
中将様はすっくと立ち上がりそれでも、手を組み礼をした姿は崩してはいなかった。
「凛花、今回のことは箱を管理している者達の誤りではあるが、君もちゃんと確認はしないとね? 凛花が入れた書状は私宛に直通の「大大臣行き」の箱だよ」
そう言って光様はちょっと残念そうに苦笑いされた。
はっ! そういえば「箱」の大きさと色が違った!
「ただ、惟光? 私直通の「大大臣行き」箱の存在を、ちゃんとお前は凛花に予め教えていたのかい?」
「……誠に申し訳御座いませんでした殿下」
「まぁ今回のことは、まだここに慣れない凛花に対して我々の注意不足もあっただろうから、今後このようなことが起こらないように、対策をせねばだな」
そう言って、光様はソファに深く腰掛けられた。
「で、その件はまあ、良いとしてだ」
そう言って、いつものにこやかで、それでいて気品のある佇まいと所作でお茶を一度口にし、光様が話しだした。
「実は、ここに書いてある内容だが」
そこまで言って何故か、一旦沈黙になり、腕組みを殿下がしたのだ。
え? 私何かヤバイこと書いたっけ?




