9話
正座をし、後ろ手に縛られた手を背の方で突き出し、首を差し出す姿勢をとっているライラに、意識はなかった。眠ったまま逝けるよう、スイが僅かな出力に調節した奇跡を使って気を失わせたからだ。
まるで日本にいる時と同じく、本当に侍相手に介錯をするようだと感じながら、十兵衛はゆっくりと隣に立った。見守るオルドアやアイルークは、祈りを捧げるようにして手を額に添えて目を伏せ、スイは逸らすこと無く真っ直ぐに見つめていた。
スラリと涼やかな音を立てて腰に差した鞘から打刀を抜き、肩の高さに揃えるようにしっかりと構える。
天へ向いた白刃に陽光があたり、きらきらと彩色豊かな光を反射した。
それまで聞こえていた小鳥の囀りや木々のざわめき、村の方面より響く人々の話し声が、一切消えた。静寂の中でただ一人、介錯をする者とされる者のみがこの世にいるように十兵衛は感じる。
いつもそうだった。死を受け入れる者と下す者として在る時、十兵衛の世界は静まりかえる。せめてこれ以上の苦しみなく逝けるようにと細心の注意を払い、確実に首を落とすべく打刀を構える時、極限の集中状態に入るからだ。
だが、十兵衛の身に不可解な事が起こった。己の鼓動が、耳に聞こえたのだ。
血の潮がうねりを伴って動悸となし、普段は聞こえるはずもない鼓動が耳から通じて頭の中にまで広がる。どくどくと激しい音を立てて聞こえるその音に集中力を乱され、十兵衛はこめかみに脂汗を流した。
(――何故自ら死を選ぶ)
ハーデスの問いが脳裏に浮かぶ。
(――その生に、よき結びを!)
これが、よき結びだというのか。
魔物と変わった夫に先立たれ、幼い娘を一人残し、罪も犯さぬ身のまま首を落とされるこの終わりがよき結びだというのか。こんな終わりがよき結びであっていいものか――!
「十兵衛さん……?」
固まってしまった十兵衛に、不審に思ったスイが声をかける。だが、何も言葉を返せそうになかった。
どうして死なねばならない。何故善良な母が逝かねばならない。知識が足りないだけで、まだ他に方法はあるんじゃないのか。真っ先に死ぬべき自分より何故先に彼女が命を絶たねばならないんだ。魔物に変じた者達だって、本当は、もっと――!
そんなとりとめもない言葉ばかりが胸いっぱいに広がって、十兵衛は息の仕方も忘れたように過呼吸に陥りかけた。
アイルークから役目を受け継ぎ、ライラに心より望まれ約束した身でありながら、ここにきて惑う自分が許せない。それでもぐちゃぐちゃに搔き混ぜられた感情に一切動けず、途方にくれた所でふと視線を感じた。
目線を上げた先にあったのは、血のように紅い双眸だった。
十兵衛の思っていることが分かるのか、唇を引き結んだまま無表情のハーデスが首を横に振る。
――ライラの寿命は、定まった。
頭に、直接ハーデスの声が聞こえた。瞬間、カッと目の奥に強い熱を感じた。
心から死を望んだ者と、死を冠する男が示す定められた運命が、どうしようもなく受け入れがたい。
「お前なら――っ!」
十兵衛は、無意識に声を上げていた。声に涙が滲んで全てを続ける事が出来ずとも、胸内で血を吐くように言葉を紡ぐ。
死を司るお前なら、何でもできるんじゃないのか。父母を共に失う娘に、せめて片親だけでも残せるよう慈悲をくれはしないのか。
神をも星をも超えるというなら、
自ら死を選ぶ者達を憂う心があるのなら!
どうして、この結末を止めてくれない――!
「アイルーク! アレンが! アレンとマリーがそっちに行った!」
その時だった。トレイルの大声がこちらに届く。はっと全員が村の方へと目を向けると、こちらに向かって走ってくる二人の子供達がそこにいた。
「アレン、マリー! なんで……!」
「十兵衛さん、待って!」
十兵衛がライラの意思に背く形にならないよう、素早くスイの指示が飛ぶ。だが、スイが声をかける頃にはもう、二人の気配をいち早く察した十兵衛は打刀を鞘に収めていた。
「父ちゃん、俺……!」
アレン達がこれ以上近づかないよう、アイルークが身を挺して二人を捕える。目を吊り上げて「アレン! マリーと一緒にキヌイさんの所で待っているように言っただろう!」と叱るアイルークに、「違うの! マリーがお願いしたの!」とマリーが声を上げた。
齢六歳の身なれど、マリーははっきりとした口調で自身の意思を告げた。深い青色の瞳が、驚きに目を瞠るアイルークを強い眼差しで見つめていた。
「ママの所に連れてって欲しいって、マリーがアレン君にお願いしたの。おばあちゃんには止められたけど、アレン君がマリーを窓から出してくれたの」
「アレン、お前な……!」
「分かってるよ俺だって!」
マリーより六歳年上のアレンは、父の配慮が分かる程には大人だった。それでも、その配慮を汲んでなおマリーの願いを優先した彼は、アイルークに向かって声を張り上げる。
「でもさ! 父ちゃん、マリーがどれだけ長い間スコットおじさんとライラおばさんに会えなかったか、分かってるか!?」
「っ! それは……!」
「危ないからっていう言い分は分かるよ。でも、最期くらい会わせてくれたっていいじゃないか」
「アレン……」
「どんな姿だって、マリーにとっては大好きな母ちゃんなんだ!」
魔物に変じた人々が出た時、カルド村では真っ先に幼い子供達が隔離された。大好きな父親や母親が怖ろしい異形の姿に変じていくなど、村人も本人達も見せたくはなかったからだ。
例えこの先本当に魔物に変じて死ぬ時が来たとしても、子供達の記憶には人であったときの自分で在りたい。そう願った親の気持ちを、アイルーク達は尊重した。
だが、大人と子供の狭間にいるアレンは違った。大人達の配慮を理解しつつ、されどマリーとライラの最善を考えて行動に移した。
二人を抱えたアイルークの肩越しに、マリーは大好きな母の背を見つける。狼と同じような黒々とした毛で覆われようと、その背は見つける度に駆け寄って飛びついた、愛しい母のものだった。
「ママ……!」
唇を震わせて母を呼ぶマリーに、ついにアイルークが覚悟を決める。
アレンを解放してその頭を強く撫で、マリーを抱えたアイルークがライラの方へと振り向いた。
「アイルーク……!」
「村長、十兵衛さん、すみません。私の我儘を通す形で申し訳ないが、マリーにライラとの最期の触れ合いをさせてやってほし――」
「マリー」
瞬間、全員が言葉を失った。
スイの手によって意識を失っていたはずのライラの口から、娘の名が零れ出たからだ。
無意識化でも娘を求めたのかとオルドアの目に涙が浮かび、アイルークは歯を食いしばる。
「ママ!」
「マリー、マリー……」
「待っててくれライラ、今そっちにマリーを」
その時だった。アイルークの歩みを、スイが阻むように背を向けたまま腕を広げて立ちふさがった。
目を丸くするアイルークに対し、スイが厳しい目で「動かないで」と告げる。
「神官様……?」
「十兵衛さん、斬って下さい」
「っ! スイ殿!?」
「今すぐに! 早く!!」
「だ、だが! ライラ殿がこんなにも名を呼んで……!」
十兵衛には理解出来なかった。娘の目の前で母を殺すことを、まさかスイが指示するとは思わなかったのだ。
動揺する十兵衛の反応を見て、スイは深く息を吸った。
「神官様! ほんの少しだけです! ほんのひと時だけでもマリーを、ライラの側に!」
「【断絶の障壁】!」
瞬間、金色の障壁がライラに繋がる道を遮るように発生した。まるで天球儀のように半円を描いて広がったそれは、スイの後方――カルド村に至る二百ミール近くの面積を覆い尽くす。
「マリー、まリー、まりー、まりい、マりィ、マリィ」
「オルドアさん! この障壁の中に村の人全員を避難させて!」
「神官様……! はい!」
オルドアは、そこでようやくスイの意図する所を察した。トレイルと共に大急ぎで村の方へ向かい、「中へ! この中に入れ!」と大声で叫ぶ。呆然とスイが張った障壁を見つめるアイルークとマリーの後ろで、いち早く異変に察したアレンがはっと声を上げた。
「十兵衛! 避けて!」
指示に動けたのは、ほぼ反射だった。飛び退った十兵衛が元居た場所に、鋭い風が通り過ぎる。その軌道の先では木々が鋭利な刃物で切られたかのようにすっぱりと断たれ、大きな音を立てて倒れていった。
同時期にあまりにも多くの事が起こりすぎて、十兵衛の理解が及ばない。一体何が、と思った矢先、景色が揺らいだ。
腹部に、強烈な衝撃をくらったのだ。
「十兵衛!」
「十兵衛さん!」
これまで受けた事もない重い一撃だった。
アレンとスイの声が耳に届いた頃にはもう、十兵衛の背は轟音を立てて木の幹へと叩きつけられていた。
「どうも招集に応じぬ奴らが多いと思えば、邪魔が入っていたとはな……」
深い森の奥から、心胆を寒からしめる悍ましい声が響く。
その場にいた全員の目が、声の聞こえた方へと向けられた。
「カルナヴァーン……!?」
アイルークが震えるような吐息と共に吐いた名に、魔将は爛れた顔を醜く歪める。
「いかにも」と笑ってみせたのはまさしく――
――魔王麾下七閃将が一人、蟲道のカルナヴァーンであった。




