8話
希望に従い、ライラの望む死は十兵衛の手で果たされることとなった。
十兵衛の他に同行したのは、スイと村長のオルドア、そしてアイルークである。
ライラを含めた五人がやってきたのは、薄青色と白の花々が美しい、野花の花畑が見える地だった。
くり抜かれたかのように森の中に突如として現れるその花畑は、木の枝葉に邪魔されることなく陽光を浴びて鮮やかな色彩を誇っている。ライラが、家族や友人と花冠や花束を作ったりして慣れ親しんだ、大好きな場所を眺めながら逝きたいと願ったのだ。
アイルークにとって、ライラとスコット夫妻は親しい友人達だった。
妻が遠方へ働きに出ているためアレンと長らく父子家庭だったアイルークは、ライラとスコット夫妻の助けも借りつつ、一人娘のマリーも含めた家族ぐるみの付き合いが長年続いていた。
過日の思い出と返しきれない恩を思い、マリーを初めて抱いた日のライラの笑顔が瞼の裏に浮かび、アイルークは思わず拳を震わせた。
幼い娘を一人残してこの世を去るなど、彼女の心中を思えば涙が浮かんだ。沈痛の面持ちでかける言葉も見つけられないアイルークを、縛られたまま座り込んだライラが顔を見上げて微笑む。
「泣かないで、アイルーク。私が貴方達を傷つける前で良かったわ」
「ライラ……!」
「……お義父さん、マリーをよろしくね」
ライラの義父であるオルドアが、その言葉に強く頷いた。
娘のマリーは、アレンと共にオルドアの妻であるキヌイに任せて家で待たせていた。自分が死ぬ所を娘に見せたくはないと、強くライラが願ったからだ。
三人のやり取りを見つめながら、十兵衛は拳を握りしめた。
死なねばならぬ者より、死ぬべきではない者が死に向かう。容易に飲み込めるはずのない感情を耐えるべく、目を伏せ、おもむろに足下を見つめた。
と、そこにふと影がかかった。目線をあげると、先ほど急に部屋を出て行ったかと思えば行方不明になっていたハーデスが、機嫌を損ねた表情のままで浮いていた。
「ハーデス……」
これまでのライラと十兵衛達のやりとりを見ていなかったハーデスは、きょろきょろと辺りを見回して状況を観察する。
やがてライラに目を止めると、ハーデスは「そうか」と得心したように小さく頷いた。不機嫌な色がゆっくりとその顔から抜けていき、深い息を吐く。
「ライラも魔物の生は選ばず、自ら死を選ぶんだな」
「お前……!」
ここでもその問いをするのかと、十兵衛は腹の底から沸き立つ怒りに任せてハーデスをふん捕まえようとする。が、それよりも先に「面白いことを言うのね」と、座り込んでいたライラが達観した顔で笑った。
「子供がいるのだろう。母という存在は皆、子の成長を見たいものだと聞いたが」
「ハーデス!」
「ハーデスさん!」
あまりにもな言葉に、十兵衛のみならずスイまでもハーデスの名を叫ぶ。だが、ライラは目を潤ませながら「そうね、とっても見たいわ」とすんなり答えた。
「どんな風に成長するのかしら。夫に似てくりくりした瞳の可愛い子だから、きっと男の子が放っておかないわ。今はお絵かきが好きだけれど、もしかしたら歌にも興味を持つかも知れない。そうしてすくすく成長して、すてきなお姉さんになって……。そういう全てを、隣で歩んで見ていたかった」
「魔物のままでは、果たせないのか。人と形は違えど、肉体も魂もそのままに生きられるだろう」
「フフ、縛られたままでってこと? ……そうね、見ていたいって望みは確かに果たされるのかもしれない。でも、私の夫がアレン君を襲ってしまったように、魔物に変じると精神まで汚染されて人を襲うの。娘を傷つけるかもしれない可能性をはらんだまま生きるのは、私は絶対に嫌よ?」
ライラの柔らかい語り口調は、まるで子供のとりとめもない「なぜなに」の質問に優しく答える母のようだった。
無遠慮なハーデスの問いを受けても真摯に答える姿勢に、十兵衛は目を瞠る。
「大切な者を傷つけたくないから、自ら死を選ぶのか」
「えぇ。魔将の傀儡として生きるのもお断り。私は私の意思で、私の生を終わらせるの」
「……ありがとう、ライラ」
ハーデスの顔が、ふっと綻ぶ。問いに答えてくれたことへの、心からの感謝だった。真っ直ぐに受け取ったライラは、「じゃあ、私からも質問」とハーデスを見上げて問いかける。
「どうして、知りたいと思ったの?」
ライラの言葉に、十兵衛ははっと息をのんだ。
自ら死を選ぶ者の心。それをハーデスは知りたいと言っていた。だが、思えばそう思うようになったきっかけを聞いていなかったなとそこで気がつく。
図らずもライラから確信をつくような質問が飛びハーデスはしばし面食らったが、やがて宙より降りて膝をつき、異形となったライラの顔を臆すことなく正面から見据えた。
「……私の部下に、自ら死を選ぶ者がいた。理由を知りたくて問うてきたが、誰にも答えてもらえなかった」
「……誰”にも”?」
「一人じゃないからだ」
ハーデスの紅の目が、激情を抑えるかのような揺らぎを見せる。
「不満なことがあるのか、困っていることがあるのか。私に問題があるなら移籍も構わないと申し出たが、皆、首を横に振ってただ死を望んだ」
「…………」
「――だから、知りたいんだ。お前のような自ら死を選ぶ者達の心を。もう、何も分からないまま見送りたくはない。私に語りたくないのであればせめてその心を慮りたいのだと、そう、思ったんだ」
「……ハーデス君」
ライラが慈しみの籠もった瞳をハーデスに向け、ゆっくりと頭を下げる。
彼女の意図に気が付いたハーデスは、一歩歩み寄って頬に手を添え、大きな額に己の額をあてた。
「教えてくれて、ありがとう」
彼が感謝の言葉にのせた思いと同じものを、ライラは返した。
ハーデスは固く目を閉じ、「よい旅を」と、彼女にだけ聞こえる声量で小さく呟くのだった。




