25話
【魔導回路】と呼ばれるものがある。魔石からの魔力を魔道具へ繋げる、供給回路のことだ。
リンドブルムなどの大きな都市では、魔石を大量に買い付け、それを都市のエネルギーとして利用している。魔導回路は地下に埋める形で張り巡らされており、家々の明かりや調理場の火はそうした魔導回路から供給される魔石の魔力が元となっていた。
魔法使いの成長の糧や個々が持つ魔道具としての素材だけでは無く、魔石は民の生活に欠かせない重要なエネルギー源でもあるのだ。
――魔石の文明の終焉。十兵衛が望んだ事は、人々が慣れ親しんだ便利な生活の全てを失えと言っていることと同義だった。
何故と聞くまでもなく内心で「無理だ」と即断したクロイスだったが、十兵衛が意味も無くそう言う人間ではないと分かっていたため、「理由を聞いても?」とその先を促した。
「先ほど、ハーデスがハイリオーレの説明をしましたよね?」
「……あぁ。人々から向けられる好意、感謝、尊敬、憧憬の思いが形となって、魂に纏うと認識している。それが輪廻転生の果てにいつか翼と変わって次元を超えて、魂の核となる、と」
「はい。魔石は、それです」
「……何?」
「そのハイリオーレが、魔石なんです」
絶句した。
クロイスだけではない。スイもだ。
思わず隣を見たクロイスだったが、ハーデスも肯定するように頷く。
「魂とハイリオーレが離れるなど、普通はありえない。私も、こんな形でハイリオーレを見るのは初めてのことだ」
テーブルに置かれているカルナヴァーンの魔石を見つめ、ハーデスは苦しげな表情を浮かべた。
「どんな命を歩むかなんて、生まれるまで分からない。それでも、その魂が経てきた歩みの証は確かに刻まれているんだ」
「カルナヴァーンは、繰り返される輪廻転生の中で慕われる生を歩んでいたと?」
「あぁ。これを見れば分かる。まもなく次の次元に至ってもおかしくない程の大きさだ」
「……魔石は、魔物の魂ではないのですか」
強張った顔でスイが問う。否定するように首を横に振られ、スイは拳を握りしめた。
「教えと、違う……」
「スイ殿?」
「私が信仰するレナ教では、魔石は魔物の魂とされていたんです」
この星で神と称されるのは、【慈愛の女神レナ】ただ一柱のみだとスイは語る。
レナの力を賜り奇跡として発現出来る神官達は、長き歴史の中で星の創世にまつわる神話を信じていた。その中で「魔石は魔物の魂である」という教えがあり、そこには「悪逆非道の行いにより、輪廻転生にも戻れず石となった魔物の救済は一つしかない」と、まるで魔石の使用が魔物達に慈悲を与えるかのような考えが在った。
「――力としての利用。合理的かつ、精神的にも正当性を語れる最善の手ですね」
苦く笑うスイの様子に、十兵衛は内心驚いた。高位神官というからには、スイは神に対する妄信的な信者だと思っていたのだ。それがふたを開けてみれば冷静に現状を鑑みて判断を下し、ともすればこれまでの信仰についてあっさりと否定的な考えを呈す始末だ。
――俺の知る信者とこちらの信者は、また違うものなのだろうか。
そう思案した時、それまで黙考していたクロイスが「ハーデス君」と厳しい目を向けた。
「君の様子から察するに、これは律の管理者としても度し難い案件なのだろう?」
「そうだ」
「何故放置されているんだ」
ハーデスが眉根を寄せる。膝の上に置かれた拳は、強く握りしめられていた。
「魔石ありきの我々の文明は、ここまで成熟してしまった。それを『よくないから止めろ』なんて簡単にはいかないことなど、君だって分かるだろう」
「……オーウェン公、ハーデスは知らなくて」
「それが問題だと言っているんだ」
上に立つ立場の者として、クロイスはハーデスに厳しく問うていた。
ハーデスが見る幅は、クロイスの治めるオーウェン領とは比べものにならないほどに広い。数多の次元にかかる律を管理するなど、人の身から考えても計り知れないものだった。
だが、それを唯一成す者としてハーデスは存在している。であれば責任は果たすべきだろうと苦言を呈したクロイスに、ハーデスは「面目次第もない」と頭を下げた。
「文明の成長や命の育み方については、輪廻転生の中心となる星に管理を任せている。だが、こういった魂に纏わる案件を直々に管理、監督する部下が私にもいるんだ。今回のような事案は経過観察ではなく即時報告を徹底していたんだが……」
「報告が無かったのか」
頷いたハーデスに、クロイスは腕を組んだ。
「魔石をどうこうの前に、まずはその者の招集からだな。強制的にでもこれまでの話を聞き出して……」
「無理だ」
「……は?」
「もう、いない」
目を見開いたクロイスの前で、ハーデスが固く目を瞑る。
「私が殺した。昨日のことだ」
「……何か罪を負った者なのか」
「死を、望まれたからだ」
「――っ!」
ハーデスの答えに、三人が息を呑んだ。
「律の管理者の部下は不死だ。永久に私に仕える事を望み、誓いの元に命数を変えた。その不死の命を終わらせられるのは、そういう風に彼らを変えた私しかいない」
「……ハーデス……」
「そんな部下達が、ある時を境に自ら死を望みはじめた。マーレの担当官もそうだった」
「……不死の生に飽いたのではないのか」
「だったらそう言ってくれればいい! 私は皆に問うたんだ! 何故自ら死を選ぶのかと!」
「…………」
「だが、誰も教えてはくれなかった……!」
「……だから、ライラさんに聞いていたんですね」
「自ら死を選ぶ者の心を知りたい」と述べていたハーデスの言葉を思い出し、スイが労るように声をかける。ハーデスは頷き、自嘲しながら顔をあげた。
「私が語るに値しない者なら、それでもいい。他の部下達に伝えてくれたら、それで構わない。それすらも出来ないと言うなら、せめてその心を慮りたかったんだ」
「…………」
「もう、何も知らないまま、親しい者達を送りたくはないから」
「――……大丈夫だ、ハーデス」
強い声色だった。支えるようなその言葉に、ハーデスは思わず目を見開く。
正面に座っていた十兵衛が、真っ直ぐにハーデスを見つめていた。
「少なくとも、何も知らなかった昨日までのお前とは違う。俺も含めた自ら死を選ぶ者達の心を、お前は少しずつでも知り始めているだろう?」
「……十兵衛……」
「それに、俺は付き合うと約束したじゃないか。だからそう悲観するな。変わりたいと願ったお前の歩みは、確かに進んでいるのだから」
「……ありがとう」
小さく感謝の言葉を述べたハーデスに、十兵衛は優しく微笑んだ。
それを黙って見守っていたクロイスは、しばらく後に空気を変えるように手を打った。
「魔石の使用を禁ずる案だが、私は却下する」
「お父様っ……!」
「十兵衛さん達の話の何を聞いていたんですか!」と怒るスイに、「聞いた上で下した判断だ」と冷静な声色で返した。
「しかし、無くとも暮らせます! 私の世界ではそもそも魔法自体存在しない!」
「捨てろというのかい? この生活を。それを民にも強いれ、と?」
「思いが失われないならそれに越したことは」
「ないかもしれないがね。我々が大事なのは今の『生』だよ」
冷酷に断じたクロイスに、その場にいた全員がごくりと喉を鳴らした。
「オーウェン公爵として、私はその提案の一切を却下する。次元を超えられない? 輪廻転生? 知ったことか。大体、『カルナヴァーンは実は昔は善い人でした』なんて、遺族の前で言ってみろ。殴られて終わりだ」
その言葉に、十兵衛は背に冷たいものを感じた。確かに、ソドムやアイルーク達の前で同じことを言える自信は無かったからだ。
クロイスの言葉は、正しい。思いを大事にしたいという十兵衛の心も、民の生活に根ざした力と比べれば後者に重きを置かれる。精神論で飯は食えないからだ。
為政者として一切間違っていない考えに文句を飲み込み、それでもと諦めきれずに十兵衛が口を開きかけた時、「だがな」と低い声でクロイスが呟いた。
「クロイス・オーウェン個人としては看過できん。絶対にだ」
「お父様……」
「私やスイの、亡き妻へ向けたかけがえの無い愛情の全てが、調理の炎に使われる結末を辿るだと?」
「ふざけるな!!」
叩き付けられた拳の先で、テーブルがびりびりと震える。
激怒する大魔法使いの本気の殺気に、正面にいた十兵衛とスイは呼吸を忘れた。
「ハーデス君。君がこちらに相談するということは、そちらの権能では修正が出来ないと判断していいんだな?」
「出来るが、これまでの似て非なる物に成り代わると考えてくれ。律が動くとはそういうことだ」
「却下も却下。大却下だ。あー、良いだろう。協力しようじゃないか」
「オーウェン公……!」
目を見開く十兵衛の前で、クロイスが不敵に笑ってみせた。
「魔石に変わる代替品の開発! 賢者らしい夢だよ、まったくな!」




