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冥王と侍【改訂版】  作者: 佐藤 亘
第二章
16/29

16話

 リンドブルムへの移動はマル―大森林を出るまでは基本的に陸路となる。森を抜けたあとは、近場の町に寄ればパルメア大運河を下る船があるのだ。

 十兵衛が身嗜みを整えている間、馬の手配について村長宅でオルドアに相談していたスイだったが、そこに来訪者があった。門番のトレイルである。たれ目の人の好さそうな朴訥とした青年は、会話の邪魔をしたことを詫びつつ「お迎えですよ」と笑みを浮かべた。


 外に出た時、スイは心から驚いた。カルド村までスイを届けてくれた郵便大鷲(ポスグル)がいたのである。


「郵便大鷲さん!」


 駆け寄り抱き着いたスイに対し、郵便大鷲は「クルル」と機嫌の良さそうな声を上げた。


 昨日、スイは郵便大鷲を地上に下ろすことなく自身が飛び降りる形でカルド村に降り立った。ここにはリンドブルムにある発着塔のような、郵便大鷲が風を掴みやすい高所がない。そうした所からの離陸は郵便大鷲自身が【飛翔(フライ)】の魔法を使って一気に上空まで飛び上がるため、負担が大きいのだ。なにより彼には本来の荷運びという仕事があることを覚えていたスイは、この場を離れる事を願い一人カルド村へと飛び降りたのだった。


 そんな郵便大鷲が、今ここにいる。リンドブルムへの復路かと思ったが、トレイルが「全然荷物を入れさせてくれないんだよ」と彼の持つ空の荷袋を見て苦笑した。


「だから、スイ様を迎えに来たんじゃないかと思って」

「そうなんですか?」


 郵便大鷲は首肯する。スイは目を輝かせて感謝の言葉を述べ、「後で美味しいお肉を差し入れますね」と微笑んだ。


「すみませんオルドアさん。後で別の郵便大鷲さんの派遣を私からお願いしますので」

「どうかお気になさらずに。何より優先すべきはカルナヴァーン討滅の報告です」

「そうですね……。ハーデスさんはともかく、十兵衛さんは高い所は大丈夫でしょうか」


 そんな時だ。噂をすればなんとやらで、遠くから十兵衛とハーデスの言い争う声が近づいてきた。


「確かに鼻から下と俺は言ったがな! 何もかもつんつるてんにする奴があるか!」

「言われた通りにやっただけだ! 説明が足りないお前が悪い!」

「髭だって話してただろう!? それがなんで下にまで及ぶんだ! 拡大解釈にも程がある! 戻せ!」

「嫌だ! またも私の厚意に難癖つけて! 腹が立ったから絶対に戻さん! 髭を戻す時に戻してやる!」

「お前なーーー!」

「ど、どうしたんですか十兵衛さ……」


 おろおろと場を制しかけたスイだったが、振り向いた十兵衛と目が合った瞬間、言葉を失った。彼のあまりの変わりように、心から驚いたのである。


 身嗜みを整えるにあたって髭を失った十兵衛は、有体に言えばとても整った顔立ちだった。以前と変わらず総髪に纏められた髪は、風呂に入ったおかげか湿り気を帯びつつも風に揺れると肩口でさらりと靡き、下ろせば女性と見間違ってもおかしくないほどの長さだ。

 アイルークやトレイルと比べると彫りの深さが無い分どこか幼さが残るが、見据える眼差しは鋭く、しなやかな筋肉を持った体つきからして青年であることは疑うべくもない。

 射干玉(ぬばたま)のような色合いの黒髪と同じ色をした瞳。日に焼けているのか少し色黒の肌は失った髭も相俟ってつるりとしており、アイルークが見繕った詰襟の黒衣の衣装がとてもよく似合っていた。

「スイ殿!」と笑いかけるあどけない様に思わず見惚れていたスイは、はっと我に返った。


「じゅべ、じゅ、じゅうべえさん」

「ん?」

「あの、つかぬ事をお伺いしますが、お幾つなんですか?」

「二十二だ」

「へっ!?」

「あ、待てスイ。こちらの数え方だと二十一だ」

「えっ!?」

「えっ、そうなのか?」


 驚くスイの隣で目を丸くする十兵衛に、「お前にはまだゼロの概念がないからな」とハーデスが頷く。


「何の話だ」

「こちらの数え方だとお前の年齢は一つ下になると考えろ。それだけだ」

「てことは私の三つ上ってことですか!? 四十歳じゃなく!?」

「えっ!? スイ殿十八歳っ!? いや、それより、ま、待ってくれ、よんじゅ……」


 スイの言葉の一撃に、がっくりと十兵衛が膝を着いた。「すすすみません! お召し物と髭のせいで年齢がよく分からず!」とスイが必死に謝り、アレンが「分かる~」と同意して笑う。


「私もびっくりしたよ。綺麗になったと思ったらおさな……若々しい青年になるんだもの」

「はっきり言ってくれていいぞアイルーク殿……。だから髭は残したかったんだ……」

「あはは。箔の意味がよく分かったよ」


 年嵩には見られたくないが、幼く思われたくもないという十兵衛の難しい男心に、アイルークは優しく同情するのだった。






「よし、これでばっちり男前!」


 アレンに黒革の胴鎧をつけた腹を叩かれ、十兵衛は苦笑しながら礼を述べた。

 郵便大鷲が運んでくれるとはいえ、長距離を行くのに軽装過ぎるのもまずいのではというトレイルの進言で、予備で置いてあった黒革の軽装備を譲られたのだ。

「十兵衛さん、俺より背が小さくて良かったよ。紐でサイズ調整しやすいし」と考え無しに発言したトレイルに十兵衛がむかっ腹を立て、アレンが「トレイル兄ちゃん! 配慮配慮!」と間に入って場を収めるなどのトラブルはあったが、それ以外の問題はさほどなく着々と準備が進められた。


 郵便大鷲の荷袋には藁がパンパンに詰められたクッション性の高い袋が入れられ、十兵衛が座りやすいように配慮されていた。郵便大鷲を見た十兵衛はあまりの大きさに「こちらの鷲は全部この大きさなのか!?」と驚きに目を瞠ったが、ハーデスから「こいつが最大なだけだ」と教えられて戸惑いつつも納得した。


「ハーデスさんは、ほんとに飛んで行かれるんですか……?」


 郵便大鷲の背に配されている簡素な鞍に跨りながら、スイがおそるおそる問いかける。いくら【飛翔(フライ)】が得意な魔法使いだとしても、郵便大鷲と同じ速度で飛び続ければ普通は早々に魔力が尽きる。それを案じるスイに、ハーデスはしれっとした顔で「可能だからな」と端的に告げた。


「でも、大変じゃありませんか?」

「十兵衛と共に何時間もあの狭い荷袋に入れと? そっちの方がお断りだ」

「俺だってお断りだ」


 髭諸々の脱毛トラブルを未だに根に持っている十兵衛がハーデスを睨みつける。

 朝方はなんだか仲が良さそうに見えたのになぁと苦笑しながら、スイは「分かりました」と頷いた。

 カルナヴァーンの魔石と着物や籠手などはアレンが贈ってくれた背負い鞄に入れ、郵便大鷲の荷袋に詰め込んだ。同様に自分も入り込んだ十兵衛は、荷袋の鉄輪に通すようにして付けられている太い木の棒を眺めながら、「これが俺の命綱なわけか……」と乾いた笑いを漏らした。駕篭(かご)でいう所の、一本の長柄(ながえ)を鷲爪で掴んで運ぶ形だ。荷袋から顔を出して不安そうにしている十兵衛を、「怖かったら袋の中で寝てたらいいよ」と励ましながら、道中のお弁当用にアレンが草蒸しパン入りの袋を渡した。


「ありがとう。いい匂いだ」

「朝の残りでごめんな。ていうか、ほんと何も返せなくて……」


 カルド村の村民の間でも、救助に来てくれたスイや十兵衛達に何かお礼をしたいという声は上がっていた。だが、スイは神官長の命令違反で来た身であり、十兵衛も金品目的で来たわけではない。結局二人は、村民から持ち寄られたお礼を「お気持ちだけで」と受け取らずに断ったのだった。とはいえ何かしたかったと眉尻を下げたアレンの頭を、十兵衛が腕を伸ばして優しく撫でる。


「十分頂いたさ。服も、この弁当も、お礼の言葉も。何より、ただ俺がアレンの願いに応えたかっただけなんだ。これ以上は気にするな」

「でも……」

「強いて言うなら……そうだな。また一緒に風呂に入ろう。あれは楽しかった」


 蒸し風呂や、あってもかけ湯ぐらいの十兵衛の生活の中で、湯に浸かれるという贅沢な体験はまず無かったことだった。湯治に使われる温泉は知っていたが、実際に行った事もない。「肩まで浸かると自然に声が出る」という新たな知識を得る程堪能した十兵衛は、アレンがいれてくれたこちらの風呂を、殊の外気に入っていたのだった。

 それを聞いて、アレンが照れ臭そうに笑いながら「分かったよ」と鼻を擦る。


「それまでに生えるといいね、毛」

「無駄だ。私の許可が無い限り永遠に無い」

「ハーデスお前な!」


 ぎゃいぎゃいとまたもひと悶着起こし始めた二人を止めるように、スイが郵便大鷲の首を軽く叩いて出発を促す。指示を受けた郵便大鷲が、大きく翼を広げて羽ばたいた。


「それでは皆さん、お元気で! オルドアさん、リンドブルムより後程人を送ります!」

「ありがとうございますスイ様。ロキート村の者達の埋葬は、出来る限りこちらでも進めておきます」

「十兵衛、スイ様、ハーデス様! 本当にありがとう!」

「道中お気をつけて!」

「またな、十兵衛さん! 次会う時までに背が伸びてますように!」

「トレイルぅうう!」


 十兵衛とオルドアの声が重なる。見送りに来ていたカルド村の村民からも明るい笑い声が上がり、その声を受けながら十兵衛の入った荷袋も同様に浮き上がった。長柄をしっかりと鷲爪で掴んだ郵便大鷲が、羽ばたきながら【飛翔(フライ)】の魔法を使う。みるみる内に屋根が眼下に見える程の高さになり、十兵衛が思わず生唾を飲みこんだその時だ。


「十兵衛お兄ちゃん!」


 幼い声が、真下から聞こえた。はっと視線を向けると、ライラの娘のマリーが、キヌイと共に並んでこちらを見上げていた。

 マリーはぎゅっと胸元で手を握りしめ、一度目を閉じると大きく十兵衛に笑ってみせる。


「お母さんとの約束、守ってくれてありがとう! 元気でね!」


 十兵衛は、目を見開いて瞳を震わせた。

 彼女にしてみれば、十兵衛は大切な父母の命を絶った男にすぎない。にも拘わらず笑顔をみせてそう告げてくれたマリーの姿に、十兵衛はぐっと奥歯を噛み締めて、やがて大きく手を振った。


「マリーも! どうか息災で!」


 彼の声に応えるように、マリーも大きく手を振り返す。

 風を掴んだ郵便大鷲が、ぐんぐんと速度を上げて東の方角へと飛んでいく。そうしてどんどん小さくなっていくカルド村が見えなくなるまで、十兵衛はずっと手を振り続けたのだった。

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