14話
宇宙空間から見下ろす惑星マーレは、一見すれば美しい青い星だ。だが、律を司るハーデスの目には、その「歪み」がありありと映っていた。
大海を隔てて緑豊かな土地と、枯れ果てた土地がある。あまりにも作為的なその配分に、ハーデスは不快げに顔をしかめた。
星の表面積の七割を水が覆う惑星マーレは、十兵衛の住んでいた星と同じように大陸が二つに分かれていた。
大海を中央として、西方に人の住む緑豊かなウェルリアード大陸があり、相対するかのように東方に枯れ果てた土地のガデリアナ大陸が在る。魔族の国ヨルムンガンドを有するのもここだ。
鳥が翼を広げたように見える二つの大陸の中央は【トルメリア平野】と呼ばれる陸続きの大地があり、荒れ果てたように見えるのはそこで幾度も戦が行われているからだった。
星の営みについて、全権は星にある。とはいえ、律の管理者として此度の輪廻転生に関する問題については見過ごせなかった。
「【時の】」
――見てたヨ。よろしくないネ
【死の律】――ハーデスの言葉に、【時の律】が魂の言葉を使って答えを返してきた。姿かたちは見えずとも、遍く律が敷かれたこの律内において、彼らはどこにでも在るのだ。
現在のハーデスに位相を揃える形で【時の律】が速度を揃えてきたことに、ハーデスは深く感謝した。本来、律の管理者同士の会話の場合、話している間に星の一生などゆうに終わってしまうからだ。
「報告を受けていない。発生して間もないからか? だが、魂に関わる事案は経過観察よりも即時報告を徹底していたはずだ」
――僕もその認識だネェ。どうすル?【死の】
【時の律】の問いかけに、ハーデスは気難しげに眉を寄せる。
――意図的に輪廻転生を遅らせようと考えている奴がいるとはいエ、星の一生分の事ダ。大した誤差じゃないシ、『他の管理者を呼んで視点を変えてもいイ』。これに関しての管轄は君ダ、僕らは君の指示に従うヨ?
【時の律】の言葉に、ハーデスは黙考する。しばし顎に手をやり考え込むと、「調査に入る」と端的に述べた。
――君ガ?
「あぁ、私がだ。……この星では、アンデッドやレイスなるものが当然の認識で文明に織り込まれている。手を下すのは易いが、出来れば自浄作用を優先したい」
――随分と面倒な方を選ぶネ
「約束をしたからな」
世界は拡散している。事象が発生するごとにだ。必ず緩み、混沌があり、だからこそ世界は破綻しない。そこに最低限の律を敷き、世界を世界として繋ぎとめているのは、観測している律の管理者達に他ならなかった。
彼らが観測する視点を変えれば、今進む正史は塵芥と変わり、観測したものが新たな世界と変わる。それは、その世に存在する者全てが認識なく変わることと同義だった。
砂粒一つ程度の違いしかない世界は山ほどある。だが、そうした世界に視点を――観測を変える事はすなわち、ハーデスが十兵衛との約束を破る事に繋がった。
「私は【この世に在する十兵衛】と約束を交わしたんだ。その約束を果たすまで、この世界を保持する必要がある」
――呆れタ。君がそもそも『そういう存在』だっていうのは分かっているけド、ちょっと位相を合わせすぎじゃなイ?
【時の律】の苦言に、ハーデスは肩を竦める。「自覚の上でだ」と口角を上げ、これからの調査活動に思いを馳せるのだった。
***
「リンドブルムに?」
スイの提案を受けた十兵衛とハーデスは、宿泊していた村長宅の居間できょとんと目を丸くした。
カルナヴァーン討滅の次の日のことだ。ハーデスに「日本に帰るためにはハイリオーレが必要だ」と聞いていた十兵衛は、好意、感謝、尊敬、憧憬という内容から、ハイリオーレを得ることはすなわち、『徳を積むこと』と同義なのではと考えた。
ハーデスに確認した所「その解釈でも間違いではない」と言うので、まずは【一日一善】を心がけ、なるべく早く帰るための方法を模索しようと思っていた。
その矢先に、「一緒にリンドブルムに行きませんか」とスイから提案があったのだ。二人揃って呼び出され、「なんでだ?」と問うハーデスに同意するように十兵衛も目で問う。
「理由は二つあります」
「二つ?」
「はい。まず一つは、オーウェン領で起こったカルナヴァーン討滅について、領主であるオーウェン公爵に報告する必要があるからです」
レヴィアルディア王国は、魔族の国ヨルムンガンドと長年戦い続けている。唯一地続きとなっているトルメリア平野などは激戦区だ。七閃将も含めた一進一退の攻防戦を繰り広げているため、その一角が落ちたという情報は非常に有益であるという。
領主であるオーウェン公爵に報告すること。それはレヴィアルディア王国に吉報をもたらすだけではなく、十兵衛達が莫大な報奨金を得る事にも繋がった。
「いや、別に俺は金欲しさにやったわけでは」
「何言ってるんですか! 貰えるものは貰ってください!」
「意外とちゃっかりしてるな、スイ」
「ち、違っ……! 貰うのは私じゃなくて十兵衛さん達ですからね!?」
焦りながら正し、「もう一つは!」と咳払いをして人差し指を上げる。
「カルナヴァーンの魔石の使用用途を定めてください」
「ませきの使用用途……?」
「こちらです」
そう言って、スイは布にくるんだ両手で抱える程の大きな石を差し出した。
それはまるで、紫水晶のような石だった。
内部に煌々とした紫紺の光を湛え、見る方向を変えれば紫だけではない様々な色が目に入る。禍々しさと神々しさが半々に感じられるその石に、十兵衛は目を丸くした。
「魔物が落とす石――魔石です。その反応からして、十兵衛さんは初めてご覧に?」
「ああ。……すまない、俺はその、常識が欠けているようで……。魔石はどれもこんな大きさなのか?」
十兵衛の問いかけに、スイは首を横に振った。
「普通はこれの十分の一くらいの大きさです。カルナヴァーンは魔将ですから、大きさも規格外というわけですね」
「なるほど。魔物は全員保有していると?」
「えっと……、魔物と人が半々である亜人や、ライラさん達のような人から魔物に変えられた者からは出ません。純粋な魔物のみが保有するものですね。ちなみに同じ『魔』がつく魔獣というのもいますが、そちらも出ません」
「へぇ……」
「生まれつき魔法を使える動物――獣。その総称が魔獣です。とても賢い子が多いので、契約を結んで人の仕事を手伝ってくれる子もいますよ」
「話がそれちゃいましたね」と苦笑して、スイは気を取り直したように魔石を見つめた。
「この魔石が有する力は強大です。力を取り込み魔法使いとしての力量を上げるか、魔石を埋め込む魔道具を作るか、はたまた魔石を取り扱う商会と交渉して莫大な資金を手に入れるか……。どの選択肢でも構いませんが、魔将の魔石は内在する力も強大な上に希少ですからね。その用途も公爵の前で明確に示して頂けるととても助かりま……」
そこまで言った時だった。机を挟んで向かいに座っていたスイが、何かに気が付いたのか言葉を呑んだ。訝しげに思った十兵衛が彼女の視線を辿り、その先にいたハーデスの顔を見て同じように言葉を失う。
「……何故だ」
ハーデスは、耐え切れない程の衝撃と悲哀を受けたような表情を浮かべていた。眉根を寄せ、瞳を震わせ、壊れ物に触るかのようにそっとスイの差し出した魔石へと手を伸ばす。
「どうして、ハイリオーレがこんな姿になるんだ」
「……なっ……!」
掠れた声で呟かれた言葉に、十兵衛は目を瞠った。
ハイリオーレは他者から向けられた善に傾く思いの力だ。転じて、思いの欠片と言ってもいい。
例えばこれが敬愛する主、八神秀治のものであるとするなら、自分は怒髪天を衝く勢いで怒ると十兵衛は思った。もし主のハイリオーレなら、十兵衛だけではなく忠之進達や民草が秀治に向ける好意や感謝、尊敬や憧憬なる思いが詰まっていることとなる。――そんなものが、本人の魂から取り外された状態でここにあるのだ。
カルナヴァーンは度し難い存在だ。悪辣非道な寄生虫をばらまき、カルド村の住民達から大切な人を失わせた。だが、今世でその生を受けただけであり、前世はどうか知れない。
ハイリオーレの大きさの基準は分からずとも、普通の魔石がもっと小さいと称されるということはすなわち、彼が歩んできた道は相当に善行を尽くしたものだったのではと慮った。
ショックを受けて何も言葉が出ないハーデスに変わり、「はい、りおーれ?」と不思議そうに呟くスイに十兵衛が問う。
「スイ殿。この魔石というものは、先に述べられたような用途のみで使われるのか?」
「いえ、他にもありますよ」
「他にも!?」
「は、はい。ここら辺ではそんなに魔石が出回りませんから、珍しく思われるかもしれませんが」
「都市部の方では、人々の生活に役立つ力として利用されていますよ」
絶句した。
十兵衛だけではない。ハーデスもだ。
「聞いていない」とか細い声で述べたハーデスに、十兵衛は固く目を瞑る。
律の管理者でさえ知らなかった事が起こっている。それだけは確かで、それだけは許せない事でもあった。
知らぬ間に他者の大切な思いを利用し、意図しない形で日々失わせている。便利な力として何も知らぬ人々に残酷な仕打ちをさせ続けるこの星の在り方に、十兵衛はふつふつと腹の底から怒りを覚えた。
深呼吸をした後、十兵衛は覚悟を決めてハーデスに問う。
「どうする、ハーデス」
「……どう、とは」
ハーデスが、沈鬱な表情で十兵衛を見た。誰よりも命を尊ぶ男が心から傷ついているその様に、十兵衛は真っ直ぐな視線を向けた。
「俺は、これ以上無為にハイリオーレを失わせたくない」
「――!」
「ハイリオーレは、魂の持ち主の物だ。そうだろう?」
強く頷くハーデスに、十兵衛が口角を上げる。
「では、返せる方法も含めて探そう。まずはそれが、俺の目指すべき『道』だ」
目を丸くするハーデスを置いて、「スイ殿、」と話の流れについていけていなかったスイに十兵衛が問うた。
「スイ殿のお知り合いの中に、明晰な頭脳を持ち、徳の高い方はいるだろうか」
「徳の高い……」
「民に慕われている、と言い換えてもいい。その方に相談したいことがあるんだ」
そう言われて、スイはしばらく「あー」だの「んー」だの悩みつつ頬をぽりぽりと掻き、やがて諦めたように嘆息して十兵衛に微笑んだ。
「では、なおのことリンドブルムに。レヴィアルディア王国随一の大魔法使い、クロイス・オーウェン公爵をご紹介します」




