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冥王と侍【改訂版】  作者: 佐藤 亘
第一章
12/29

12話

「【召喚サモン破毒毛虫フランネルモス】!」


 カルナヴァーンの側に、黒々とした円形の穴が開く。穴を中心として何某かの言葉が掛かれた陣が浮き上がり、紫色の光を放つそれは回転しながらその大きさを広げた。


召喚転移門サモンゲート】。この星においてそう呼ばれる魔法陣より出てきたのは、見た目だけはふわふわとした金色の毛を持つ毛虫だった。

 ともすれば毛玉のようにも思える様相だが――ただ、でかい。

 虫は苦手ではない十兵衛だったが、カルナヴァーンの身長に届く程の大きさである(うごめ)く毛虫は別だった。(おのの)き、ぞわぞわと背筋を走る怖気(おぞけ)に思わずごくりと生唾を飲みこむ。

 ハーデスがなんとかしてくれないかとチラリと横目で見たが、当のハーデスは十兵衛の視線を受けて顔の前で指をバツ印にしてみせた。


「くそっ!」


 どうやら魂の宿る存在らしい。遮二無二走り出した十兵衛に対し、フランネルモスがカルナヴァーンの指示を受けて己の硬毛を逆立てた。


「【破毒嵐はどくあらし】!」


 瞬間、万を超える金色の矢が十兵衛に向かった。フランネルモスの放った毒の毛である。鉄砲水のような密度で放たれたそれに加え、カルナヴァーンは「【不可避の麻痺アブソリュート・パライズ】!」と高位行動停止魔法を十兵衛にかけた。――が、止まらない。

 前方より毒の矢嵐が迫っているというのに、十兵衛は真っ直ぐに突き進む。麻痺魔法がかからないことに驚くカルナヴァーンの前で、突如としてフランネルモスの毛が消失した。


 飛来していたものだけでない。――身に生えていた体毛の全てだ。


 十兵衛との約束で、特例対象者への現戦闘における完全守護を約束したハーデスが、ことわりの下に破格の御業を行使したのだ。


「存外えげつない事をするな!」

「毛根の死滅か? 一部の部下には人気だぞ」


 平然とした表情で言ってのけたハーデスを苦々しく思いつつ、十兵衛は打刀を振るった。つるっぱげの胴体を一直線に切り裂かれたフランネルモスが、甲高い声を上げて絶命する。舌打ちをしつつ飛び退ったカルナヴァーンは、距離を取るべく飛んだ先で大きな音を立てて地に手をついた。


「【千軍万門サウザンド・サモン弾丸蟻バレットアント】!」


 千を超える小さな門が、魔将の背に出現した。細かな衝撃波を放つスピードで穿たれたバレットアントは、その名の通り弾丸で打ち抜かれたかのような激痛を(もたら)す毒を持つ。顎の力も強く、一度噛まれれば肉をこそがねば取れず、尻にある毒針で刺されれば丸一日悶絶してから死に至るという怖ろしい蟲だった。

 これをさらに魔法で強化するべく模倣生物(フェイカー)として作り直したため、ここにいるのは人をも喰らう人喰い蟻だ。小さい故に容易に払う事も出来ないそれを、カルナヴァーンは攻撃手段として選んだのだった。

 だが、模倣生物はハーデスの技の行使範疇である。発生を確認するや指を鳴らし、全てを消滅させた。


「馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿なッ!」


 なおも接近する十兵衛を寄せ付けないよう、カルナヴァーンは混乱に陥りそうな所を必死に堪えて風魔法を唱える。


「【暴虐の列風刃(エアロ・ブレイズ)】!」

「おい、十兵衛」


 しかし、風の刃が十兵衛に届く寸前、発生した転移門が彼への魔法を彼方へ転移させた。

「転移魔法!?」と声を揃えて叫んだカルナヴァーンとスイを尻目に、不機嫌そうなハーデスが十兵衛に苦言を呈す。


「私の厚意に胡坐をかきすぎだ。避けられるものは自分で避けろ」

「名を呼んだと思ったら文句しか垂れないお前に聞く耳は持たん!」

「文句魔人はお前だろうが!」

「誰が文句魔人だ!」


 罵り合いながらも、十兵衛の足は止まらない。攻撃可能範囲内にようやく滑り込んだ所で、強く舌打ちしたカルナヴァーンが今度は隙無く魔剣ベルデンドラを振り下ろした。

 速い。腐乱死体のような姿のくせに、筋骨隆々とした将軍のような太刀筋だった。避けねばと思う間もなく咄嗟に打刀を眼前に構えた十兵衛は、百足の胴体のような刀身が視界の端に飛んでいくのを見て思わず「えっ」と小さな声を上げた。


「えっ」


 まったく同じ台詞が聞こえる。目の前のカルナヴァーンからだ。

 眼窩に光る赤い瞳と十兵衛の黒々とした目が見つめ合い、一拍置いたあと腹部に衝撃が走った。カルナヴァーンが蹴り飛ばしたからだ。


「うおっ!」


 不思議なことに、痛みはまったくないが吹っ飛びはする。宙を飛んだ十兵衛だったが、地に激突する前にハーデスの手によって止められた。

 背に手を添え止めてくれたハーデスに「ありが……」と一瞬礼を言いかけた十兵衛だったが、これまでの所業を思ってはた、と口籠った。

 むむむと唇をもごもごさせ、やおら「悪くない援護だった」と告げると、ハーデスが不愉快そうに「はぁ?」と顔をしかめる。


「私に大半をやらせておいてその言い草とは。不遜極まりないな」

「うるさい。ところでどうなっているんだ。魔剣とやらは鉄より硬いと自慢していたくせに、豆腐ばりに斬れたぞ」

「それに関しての説明は後でしてやる。あと、ここぞとばかりに言ってやるが」

「なんだ」

「お前も配慮が足りないぞ」


「何の話だ」と言いかけた瞬間、眼前の魔将より凄まじい殺気が巻き起こる。

 怒りに震える彼の背後には、大小様々の召喚魔法陣が天高く(そび)えたつ壁のように構築されていた。




 蟲が、好きだった。


 カルナヴァーンは、生き物の中で一番蟲が好きだった。

 機能美に優れ、個性的で、禍々しさと美しさを兼ね備えている蟲達は永遠に見ていて飽きない。惜しむらくはその命数が短いことだったが、死体を標本と成した後に魔力を注げば、模倣生物として従える事が出来た。蟲道の名の通り蟲毒の壺として己の身を使ったのは、すでに命数を終えた命無き彼らの身体を弄ることに対する贖罪も兼ねていたからだ。

 物言わぬ蟲達は、ずっとカルナヴァーンに寄り添った。模倣生物として魔力を注いで使役化した後も、皆変わらず側にいた。

 彼らに心を解するような大した知能など無い。そう分かっていれども、カルナヴァーンはひたむきに向ける愛情に蟲達が応えてくれているように感じていたのだ。


 そんな彼らが、瞬く間に消滅させられる。


 滅する、というよりも呆気ない。消去という方が表現が近い。

 ハーデスという男が手を翳す先から、一片の薄羽も残さず愛しい蟲達が消え失せる。

 体中の蟲を放出しようが、大量の魔力を使ってヨルムンガンドから召喚しようが関係ない。蟲も魔法も見る間に消される矢先から、隙をついて十兵衛が迫るのを身を躱して必死に避けた。


「七閃将だぞ!」という叫びが胸の内で轟いた。遠近兼ね備えた戦い方が出来る己の技が、まったくといって通用しない。

 召喚魔法は蟲ごと消滅し、残ったと思った同胞は瞬く間に十兵衛が斬り伏せる。せめてもと放った魔法は発生する前に完封されるか、放った先から転移魔法でどこかに飛ばされ一撃を与えるにも至らない。麻痺も毒も睡眠でさえ、不可避の状態異常魔法すらかからない二人に、カルナヴァーンは心底恐怖した。

 このままでは埒が明かない。なんとかして得意な手合いに持ち込まねばと策を巡らせた――そんな時だ。


 ――待てよ。アレはどうだ。


 ふとした考えが脳裏によぎる。すぐさま実践するべく召喚魔法を発動させ、寄生虫の寄生によって魔物化した人間を呼び出した。


「……!」


 ハーデスの眉間に皺が寄り、動きが止まる。

 やはり、とカルナヴァーンは笑みを浮かべた。消滅させていた蟲の傾向を察するに、ハーデスは模倣生物以外のものに手を出せない。彼の理に反するのだ。

 代わりに前に躍り出た十兵衛が一刀で首を落として斬り伏せたが、一番厄介な男を止める事が出来るのなら勝利も同然だった。

 カルナヴァーンは魔力を込め召喚転移門(サモンゲート)を大きく広げると、配下の蟲達を招集する。


「愛しい同胞達よ! 儂の元に疾く集え!」


 広がった門から次から次へと魔物が現れた。マルー大森林で集めた、ロキート村の村人達だ。

 まずは肉壁にでもなればいい。十分に距離を取った後、広範囲大魔法で当たり一面焼け野原にしてくれる。そんな風に考え、カルナヴァーンは門の後ろに回り戦場から離れようとした。



 その目の前で。


 門が、真っ二つに斬られた。



「な……!」


 開いた口が塞がらない。召喚転移門が斬られるなんて聞いた事も無かった。

 緻密(ちみつ)な魔力操作で作られる召喚転移門は、その構成を乱すような魔法攻撃を受けない限り崩壊するはずがない。

 けれど、確かに目の前の男は斬ったのだ。



 打刀うちがたなと呼ばれる、その剣で。



「将なのだろう? そう逃げてくれるなよ」


 あまりの衝撃に固まったカルナヴァーンに、ついに迫った十兵衛が眼前へ顔を寄せ目を細める。

 ぞっとするような酷薄な表情に、背筋が震えた。

 何が逃げるだ、とカルナヴァーンは憎々しげに思う。長き時に渡って魔物を増やし、魔王軍の増強を図ったのは自分だ。この自分がやってのけたのだ。

 それも全て、大いなる目的のためだった。策を果たすためにはこんな所で死ぬわけにはいかない。そんな独白を胸に秘め、カルナヴァーンは刀身が半分になってしまった大曲剣を振り回す。

 だが、戦いの最中で目が慣れたのか十兵衛はその全てを見切り、無駄の一切無い紙一重の動作で躱してみせた。


「いいのか! 儂を殺せば魔族の呪いがお前に降りかかるぞ!」


 死に物狂いの猛攻も瞞着(まんちゃく)も、全て十兵衛には届かない。


「生憎だが」


 大振りの大曲剣が一番地面に近づいたその瞬間、十兵衛は峰の部分を叩き落すかのように足蹴(あしげ)にした。

 そうして大地に突き刺さった大曲剣を踏み台に飛び上がるや、白刃煌めく打刀を大きく振り被る。

 その刃は、確かに七閃将の首を捉えた。



「俺の呪いは、無病息災だ」




 紫電一閃。




 吹き出す返り血から距離を取り、血を払った刀を十兵衛は自然な所作で鞘に収める。

 地に転がる絶命した命を、羨ましそうに見つめながら。

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